Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

西寿寺(2018年10月8日参拝)

2018年10月31日 | 仏閣
続いて仁和寺近くにある西寿寺というお寺へ。

こちらは10月4日木曜日のみ拝観してましたが、
平日で当然ながら参拝しておりません。

しかし、立派な本堂が見たくて訪れた次第。

あわよくば丈六の御本尊が拝めれば最高なんだが、
それは余り期待しないでおこう。




ちなみにお寺には無料の駐車場がありますが、
お寺に近づけば近づく程、道が超絶狭くなっていく。




対向車が来たらアウトな道で、
お寺に駐車場が無かったら泣くぞと、
めっちゃ心配しながら何とか到着。(^^;



所在地:京都府京都市右京区鳴滝泉谷町鳴滝泉谷町16
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛永4年(1627)
開基:袋中上人


【縁起】
浄土宗の尼寺で山号は泉谷山。

寛永4年(1627)北出嘉兵衛が袋中上人を請じて、
念仏道場を建立したのが起りと伝わります。

当初の建物は荒廃したが、
万治3年(1660)愚故上人が再興した本堂が今も残ります。

御本尊は丈六阿弥陀如来坐像で滋賀県甲賀群甲南町新宮大明神の本地佛で、
平安末期の円派の仏師の作によります。

近江国石塔寺の阿 育王塔を模した三重石塔や近世の儒者藤井蘭均、
書家桑原空洞、袋中上人の墓があります。

境内から京都の街が一望でき、その景色は素晴らしく、
映画やテレビのロケ地として有名です。


【山門】


禅寺かと思うような簡素な山門です。

でも、実に渋い。


【参道】



【地蔵堂】



【磨崖仏】



【参道】


本堂が見えてきました。

私が停めた山門手前の駐車場の他に、
この辺りの横に大型の駐車場がありました。

観光寺では無く檀家寺なのに駐車場の規模が大きいです。


【風景】


振り返るとこんな感じ。


【本堂】






立派な本堂です。

これが見たかったのよね。

しかし残念ながら御本尊は拝めず。

毎年3/17~3/23までは涅槃会があって、
本堂内陣で涅槃図の公開があるようです。

それ以外に事前予約すれば、
本堂と書院前庭の水琴窟を拝観出来るとか。

予定があえば事前予約をトライしてみよう。


【鐘楼堂】



【石塔】



【十三重石塔】



【石仏】



【風景】


墓地手前の展望台より見た風景。


これにて西寿寺の参拝終了。



檀家寺ではあるが、
プロジェクションマッピングを導入しているようで、
少しずつ開かれていっているようです。

御朱印は恐らく無いと思います。

慈芳院(2018年10月8日参拝)

2018年10月30日 | 仏閣
茶わん坂から私が停めている有料駐車場近くに、
慈芳院という小さなお寺があります。

乳癌検診と早期発見・早期治療を呼びかける活動を行っている、
ピンクリボン京都主催のスタンプラリー&ウォークの対象社寺です。

今回、折角近くの有料駐車場に停めたんだから、
参拝するしかないでしょ。(^^

お寺には参拝者用の駐車場はありませんので、
近くの有料駐車場を利用することになります。

その他にお寺の前と横の民家兼焼物店では一日千円で、
停めることは可能です。

しかし、道は狭いし地元民しか通らないような道なので、
停める人は滅多にいないと思う。(^^;


所在地:京都府京都市東山区東大路通五条下る慈芳院庵町596
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:不動明王
創建:慶長3年(1598)
開山:三江紹益
開基:山中長俊


【山門】


至って地味で小さなお寺です。


【本堂】


一瞬、青い布がブルーシートに見えて、
工事中かと勘違いしてしまったよ。(^^;


【内陣】







【覆堂】



【薬師如来】


サンドペーパーでこすったのかと思う程、
ツルツルすべすべ素肌でした。(笑)


【不動明王・観音菩薩】



【石仏】




これは何とも愛嬌のあるお顔をされています。

向かって右側は智拳印の印相のような感じ。
大日如来なのかな。

向かって左側は地蔵菩薩のように見える。




風化し過ぎてよく分かりませんが、
地蔵菩薩では無さそうです。


御朱印はありますが、
ピンポンを押して無いのでいただいておりません。

日限地蔵安祥院(2018年10月8日参拝)

2018年10月29日 | 京の通称寺霊場
浄土宗寺院大公開の金剛寺の次は、
同じく公開されている日限地蔵安祥院へ。

こちらは清水寺や大谷本廟の近くにあるお寺で、
近辺はいつもアホみたいに激混み。

有料駐車場も高い&満車。

出来るなら近寄りたく無いエリアだが、
日限地蔵の御本尊が直接拝めるとあっては行かざるを得ない。

彼岸と毎月の功徳日には本堂の阿弥陀如来は御開帳されますが、
なかなか日程が合わないから、こういう機会は有難い。


日限地蔵は約2年3か月振りの参拝となります。

<2016年7月10日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/7b182f6db635d71c0aaca7d566010e74



所在地:京都府京都市東山区五条通東大路東入遊行前町560
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天慶5年(942)
開山:尊意僧正
再興:養阿上人
札所:洛陽六阿弥陀めぐり、京の通称寺霊場


【山門】


お寺には参拝者用の駐車場はありませんので、
少し離れたちょっと安い有料駐車場に停めました。


【本堂】


早速本堂に上がらせていただき御本尊様とご対面。

意外と大きい立像で金箔が良い感じで黒くなっていて、
立派な御本尊様でした。

残念ながら撮影不可でした。

拝観料は志納となります。


【地蔵堂】



【車石】



【養阿自筆大日三尊光明真言碑】



【佃橋桁石】



これにて日限地蔵の参拝終了。

御朱印は浄土宗寺院大公開の期間は対応していないとのこと。


【茶わん坂】


折角ここまで来たんだから、
清水焼を買おうと思って茶わん坂の店を幾つか巡る。

しかし、めぼしいモノが無かったね。


ちなみに茶わん坂にも幾つも有料駐車場がありますが、
知らない観光客も多いので、結構穴場的な存在です。

金剛寺(2018年10月8日参拝)

2018年10月28日 | 洛陽四十八願所巡り
昨日は興福寺で法要に参加させていただき大満足。

今日は浄土宗寺院大公開に参加している金剛寺というお寺へ向かう。

近くに青蓮院門跡や粟田神社といった有名寺社が近くにあり、
金剛寺は三条通り沿いにあるということで、
近隣の有料駐車場に車を停めてお寺を探す。

しかし地味なお寺のようで、
お寺の前を気づかずに通り過ぎるという。(^^;

おかしいなと思いつつ、
道を戻ると発見した次第。(笑)



所在地:京都市東山区三条通白川橋東入五軒町124
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天平年間
開基:行基菩薩
札所:洛陽四十八願所巡り


【縁起】
当寺は山号を一切経山とする浄土宗の寺院である。

奈良時代、天平年間に行基菩薩が東岩倉山の一切経谷に創建した、
阿弥陀堂に起源を持ち上の堂とも称した。  

伝えでは行基菩薩は丈六の阿弥陀如来像を彫ったとされる。

応仁の乱で東岩倉山一帯は戦場となり当寺は荒廃したが、
焼けた御堂から首だけになった阿弥陀如来像を信者たちが見つけだし、
それを粟田の地に遷し、仮堂(粟田惣堂)を建て蔣を敷き、
その上に阿弥陀如来の頭部像を祀ったところから、
今も蹴上には小物座町という地名が残る。

以降、地元の住民たちによって御堂は守られ信仰されてきたが、
慶長7年(1602)に岌然上人が青蓮院門跡の許可を得て、
現在の地に堂を移し寺を再興した。 

正徳3年(1713)に御本尊が修復、
享保15年(1730)には本堂が建立され現在に至る。

また当寺は洛陽四十八願所巡りの第二十七番の札所であり、
慶長年間の頃から朱印に行基菩薩御作出陣の弥陀安置という印を捺している。  


【山門】


山門を見てもやはり小さなお寺のようです。

金剛寺のFACEBOOKを見ると、
1台分の拝観用駐車場があるということだが、
確かに山門奥に軽自動車が停まっているのが見える。

境内に停めてるのはお寺関係者(住職)の自動車だろうし、
あの狭い境内が駐車場では無いと思う。

ましてやあの狭い山門を普通自動車がくぐるのは厳しいわ。(^^;

どこかに駐車場を確保してるんでしょうね。


【境内】


意外と大きい本堂と庫裏です。

もっと狭い境内で小さな本堂かと思ってた。


【観音堂】





【地蔵菩薩】



【本堂】


本堂に上がらせていただくと、
御本尊が余りに立派で驚いた。


【出陣の弥陀】






これほどとは。

行儀菩薩作の真贋を問うのはナンセンスだと思う程、
素晴らしい御本尊がお出迎えです。

感動です。

過去にもこのような経験がありましたが、
無名な幾つものお寺に丈六の御本尊がいらっしゃる。

さすが京都と言わざるを得ない。


【諸仏】






脇壇には何体もの仏様や高僧が安置されていました。


【善導大師・法然上人】





【屏風】



【掛軸】








龍虎図。




六字名号。


【庭園】



【木魚念仏】


御住職と共に木魚を叩いて般若心経を唱えた。

今まで木魚は本堂で一回ポンと叩いたことはありますが、
ここまでガッツリ叩いたのは初めてで、
とても良い経験をさせてもらいました。(^^


【出陣の弥陀】




最後に御本尊を見納め。

またお会いしたいものです。


【御朱印】


書置き対応のみでした。

興福寺 中金堂落慶法要(2018年10月7日参拝)

2018年10月27日 | 仏閣


ある日、興福寺からこのような内容の往復ハガキが届いた。

興福寺の中心伽藍となる中金堂落慶法要の参加の有無の連絡。

興福寺は生まれてから毎年参拝してるけど、
関係者に知り合いは居ないし、ビッグマネーを寄進している訳でも無い。

うーん、何でやろ?

デジタルのHDでは無くアナログのフロッピーディスク並みの、
私の記憶力を辿ると、中金堂の瓦を寄進したことを思い出した。

あの瓦は千円と超リーズナブルな値段で瓦を寄進出来たんよね。

その時に名前と住所を寄進帳に書いたわ。

数年前の事だったからすっかり忘れていたよ。(^^;

それにしても、たった千円で法要に参加させてくれるとは、
興福寺も太っ腹ですね。(^^

まぁ、大勢の方に参加してもらった方が華やかだからね。


【中金堂】


そんな訳で受付を済ませ会場入り。

私のような瓦寄進者の他に、茶道、華道の関係者、
その他いろいろな方々が参加されているようです。

10時に始まり導師や式衆が入場。

導師の中に一人だけ白人が居て驚いた。








屋根にある鴟尾の除幕。

外観から判断すると東大寺の大仏殿に該当するのが、
この中金堂なんだろうね。




屋根から散華が撒かれていましたが、
私の席までは届かず。(泣)

大型モニターを見ると五重塔からも撒かれている。




画像はネットで拾ったものですが、
めちゃくちゃ羨ましい。

五重塔に登れるのは大変貴重な経験ですから。






続いて観世流シテ方の浅見真州師による「翁」が舞われました。

「翁」は天下泰平、国土安穏を祈る儀礼曲。

シテ方とは能楽における演者集団とのこと。

現在、能のシテ方には五つの流儀(観世、金春、宝生、金剛、喜多)があり、
喜多流以外の四流は能の大成以前からあった猿楽座の一つである、
大和猿楽四座の名残です。

それぞれ600年以上の歴史があります。


【献華】


次期家元である池坊専好尼による献華。


【献茶】






献華と同時に武者小路千家15代家元後嗣である千宗屋による献茶。

その後、東大寺長老の唄匿、興福寺多川貫首の再建落慶奉告分、
東大寺狭川別当の慶讃文、文化庁の祝辞、舞楽、読経、回向文、
多川貫首のご挨拶と続く。

最後は近鉄の社長やら国会議員の高市早苗等が焼香して終了。

ここまでみっちり2時間かかりましたが、
全く苦痛ではありませんでした。

このような歴史的な法要の初日に参加出来て光栄です。


【中金堂】


法要が終了すると中金堂の中に入れるとのこと。

さすがに今日は無理だろうと思っていたから、
これは嬉しい誤算です。(^^




しかし一斉に中金堂に殺到するもんだから大渋滞。

しかも中金堂に入る手前の階段が結構急だから危なかったよ。


【釈迦如来】




中金堂御本尊の釈迦如来です。

堂内は案外サッパリとした感じで、
薬師寺の金堂のような雰囲気でしたね。


【五重塔・東金堂】



【散華】


お土産でいただきました。


【パンフレット】


写真付きで充実したもので、
こちらも無料でいただきました。


これにて本日の落慶法要全て終了。

301年振りに再建された中金堂は興福寺の中心となる伽藍です。

興福寺は五重塔や阿修羅像は余りにも有名ですが、
中心伽藍は存在していませんでした。

南円堂や東金堂では中心伽藍には成りえて無かったですから。

あとは山門があれば完璧なんですけどね。


御朱印は余りの行列に断念。

次回参拝した時は中金堂の御朱印をいただくことにしよう。

阿弥陀寺(2018年10月6日参拝)

2018年10月26日 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが、
浄土宗寺院大公開で公開している阿弥陀寺です。


所在地:京都府綴喜郡井手町大字井手小字山縁23
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明



【寺号標】


車は寺号標の近くに停めれました。


【参道】


とてもひっそりとしていて、
とても公開しているお寺の雰囲気は感じられない。

他に参拝者もいないし。


【稲荷社】





【法然上人御尊像】





【地蔵堂】





【地蔵尊】



【境内社】







【蔵】



【本堂】


どう見ても公開しているように見えない。

確認してみると本堂は閉まっていました。

何でやねん?

御住職に確認してみると、
6日と7日に公開している木津川市山城町の阿弥陀寺に参拝予定だったのに、
間違って綴喜郡井手町にある阿弥陀寺に行ってしまったという痛恨のミス。(泣)

今回間違って参拝してしまった阿弥陀寺は、
浄土宗寺院大公開に参加しているお寺ではあるが、
公開日は23日だけでした。(号泣)

こんなケアレスミスにより滅多に参拝出来ないお寺に行けないとは。

でも、逆にいうと、
今日参拝した阿弥陀寺は23日の平日が拝観日なので、
参拝することは無かったです。

出来れば御本尊を拝みたかったけど。、
間違ってしまったのも何かのご縁。

こういうこともあるわな。

西福寺(2018年10月6日参拝)

2018年10月25日 | 仏閣
浄土宗寺院大公開で参加されている西福寺というお寺へ。

当然ながら初めて知るお寺ですが、
有名な山城国一揆に象徴される阿弥陀仏信仰の場が西福寺だとか。

一体どんなお寺なのだろうか。


所在地:京都府木津川市山城町上狛艮町3
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明


【縁起】



【参道】


お寺には駐車場はありません。

近くに有料駐車場もありません。(泣)

どうしたもんかとお寺に確認したところ、
土日だと近くの役場の駐車場に停めて良いとのこと。


【山門】


これはどう見ても普段は拝観出来ない檀家寺ですね。

こういう機会じゃないと絶対に参拝は無理です。(^^;


【本堂】


早速本堂に入らせていただく。


【内陣】




本当に小さなお寺です。

どこまで真実かは分からないけど、
江戸時代の増上寺資料等によると、
行基菩薩が創建した記述があるようです。






御本尊は12世紀に制作されたものと推定されるそうです。

撮影は快諾していただけました。(^^


【地蔵堂】





【鐘楼堂】



【御朱印】

安養寺(2018年10月6日参拝)

2018年10月24日 | 弥陀霊像西方四十八願所
浄土宗寺院大公開の次なるお寺は安養寺というお寺。

安養寺とか阿弥陀寺という名前の寺院は、
全国に腐るほどありますが、
この木津川にも当然のように安養寺があります。

こちらには法然上人直筆の六字名号が安置されているとか。

拝観には予約がいるということで、
当日、電話で14時に予約してからお寺に到着。


所在地:京都府木津川市市坂久保川56
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天平8年(736)
開基:行基菩薩
札所:弥陀霊像西方四十八願所


【縁起】
安養寺は仏教最盛の時代の天平8年(736)に、
聖武天皇が帰依した高僧である行基菩薩が、
霊夢により導かれたこの地に、自らが彫った一刀三礼荒木尊像を、
御本尊として安置し創建された。

以後、数百年間荒廃していたが、
法然上人の弟子である安楽房遵西がそれを嘆き、
再建され中興の祖となった。

当初は州見山阿弥陀寺と号していたが、
知恩院第36世の尊空上人により現在の安養寺の号を附せられた。


【山門】


車は何とか山門前に停めましたが、
実際行った感じだとあるとは思えなかった。

しかしグーグルマップを見る限り、
本堂の裏手にありそうな感じ。


【卍地蔵尊】



【本堂】


本堂に上がらせていただくと、
御住職に懇切丁寧な説明をしていただいた。

また大変貴重なものまで見せてもらった。

本堂内は全て撮影禁止でした。


【六字名号】


親鸞聖人の六字名号は幾つも見たことがありますが、
法然上人のものは珍しく初めてみました。

画像はコピー用紙でいただいたものを転写したものですが、
現物は綺麗に修復されていました。


【鐘楼堂】



【コスモス】





【御朱印】


日付以外はハンコでした。


本当に小さなお寺でしたが、
法然上人の六字名号を拝見出来たのは良かったです。

泉橋寺(2018年10月6日参拝)

2018年10月23日 | 仏閣
浄土宗寺院大公開のお寺を求めて木津川市へ移動。

今年は木津川市の4ヶ寺のお寺が参加されていて、
まずは泉橋寺というお寺へ。

当然ながら初めての参拝となり、
ネットで調べても余り情報が無いお寺です。

お寺の場所は木津川沿いの堤防の近くにあり、
ちょっと分かりづらかったが何とか到着。


所在地:京都府木津川市山城町上狛西下55
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開基:行基菩薩


【縁起】



【地蔵菩薩】


お寺の前には大きな地蔵菩薩坐像が見えます。

これを見たら泉橋寺より先に参拝するのは至極当然です。

ちなみに泉橋寺には駐車場がありませんので、
地蔵菩薩が祀られている場所の前に停めさせていただいた。

有料駐車場なんか全くありませんから。(^^;






デカいです。

4メートル58センチもあるそうで、
恐らく日本一の大きさの石仏の地蔵菩薩だとか。


【古地図】


第11代征夷大将軍徳川家斉が将軍になった天明7年(1787)に
発行された拾遺都名所図会に泉橋寺と地蔵石仏が描かれています。

これほど大きいお地蔵様は珍しいので、
もっと有名であっても不思議は無いんだけどねぇ。


【狛犬】




近年に建て直されたものと見られるお堂の中に、
これまたよく分からんものが安置されていました。


【表門】


もとは春日大社の若宮社の拝殿のもので、
元禄2年(1689)興福寺の子院である知足坊の門になり、
やがて知足坊の廃絶に伴い、約200年後の明治7年(1874)、
檀家の寄付により門を貰い受け、知足坊の僧数人と共に再建されたもの。


【境内】



【十三重石塔】



【本堂】


浄土宗寺院大公開に参加しているにも関わらず、
公開しているのは境内だけ。

本堂は堂内に入れないとしても、
参加する限りは本堂を開けるべきだと思う。


【観音堂】



【五輪塔】


光明皇后の御遺髪を御祀りにする為に建立されたと伝えられているが、
平重衡の南都攻めの犠牲者とされる多くの遺骨が発掘され、
これはその犠牲者達の供養塔であったとされます。


【御朱印】

法泉寺(2018年10月6日参拝)

2018年10月22日 | 仏閣
嵯峨野から西京区大原野に移動し、
浄土宗寺院特別大公開で公開している法泉寺へ。

こちらは普段は事前予約すれば拝観可能のようです。

お寺近くの狭い生活道路を進むとお寺に到着。


所在地:京都府京都市西京区大原野石見町311
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:不明


【縁起】
古来より現在地から北に200メートルに位置する小高い丘、
現在の大原野中学がある橘樹山にあったと言われています。

そこには清少納言の夫である橘則光の所領があり、
そこに一堂を建立して仏像数体を安置したとされ、
橘氏の所縁の地から橘樹山という地名が生まれ、
この地にあったお寺が法泉寺の始まりであると言われています。

その後、応仁の乱の戦火で焼失し、
慶長元年(1596)現在地に再建され、
以後400年以上に渡り念仏の法灯を絶やさずお守りしております。

なお当山の第八世順良上人は知恩院第六十九世を勤められました。



【山門】



【参道】


山門から庫裏までの雰囲気はとても良いです。


【本堂】


本堂前に車は無料で4,5台停めれますが、
雰囲気は結構殺風景なもので、
浄土宗寺院特別大公開で公開しているお寺とは思えない感じ。

最初、ここに到着した時は、
え?本当にここが公開している法泉寺?と疑った程。(^^;


【石仏】




かなり風化した石仏が安置されていました。


【本堂】


早速本堂に入らせていただく。

拝観料は志納ですが300円を賽銭箱に入れさせていただいた。

凄く人が良さそうな御住職に色々説明してもらって、
お菓子とお茶の接待までしていただき恐縮。

御住職のお母さんもとても奥ゆかしくて良い人です。

あー、このお母さんがあってこその御住職だなぁと思ったよ。(^^


【御本尊】


まずは御本尊様に御挨拶。

仏のお顔というより人間的なお顔です。

これはきっと誰かに似せて造られたのではないかと推測。

撮影は御住職に快諾していただけました。(^^


【化身地蔵菩薩】




これはどこからどう見ても地蔵菩薩ですよね。




しかし、御住職の説明によると、
平安時代前期に阿弥陀如来として造られた後に、
頭頂部のみをすげ替え地蔵菩薩にされた珍しい仏様だそうです。

理由は地域的に地蔵信仰が流行した為ではないかとのこと。


【善導大師】



【不動明王】



【十一面観世音菩薩】





【法然上人】



【御位牌】




以前は大きな寺院だったらしく、
徳川家の庇護があったそうです。


【懸け仏】


厨子に安置されていたものを出して説明していただきましたが、
このような木に懸かっているのはとても珍しいです。

私も初めて見ましたよ。


【御朱印】


直接書いていただいたのは書道八段の女性によるもので、
書置きの御朱印は御住職が書いたものです。


珍しい仏様と人柄のとても良い御住職の出会いに感謝。

こういう無名の小さなお寺であったも、
由緒ある珍しい仏様がいらっしゃるから京都のお寺は奥深い。

直指庵(2018年10月6日参拝)

2018年10月21日 | 仏閣
大覚寺は800メートル程離れた直指庵へ。

こちらは初めての参拝となります。

嵯峨野の有りがちな寺院という名の別荘のようなお寺かと思い、
ずっと回避してました。

まぁ、食わず嫌いというのは良く無いので参拝することにした。



所在地:京都府京都市右京区北嵯峨北ノ段町3
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:正保3年(1646)
開山:独照性円


【縁起】


臨済禅を学んだ独照性円が南禅寺栖雲庵から正保三年(1646)に、
北嵯峨細谷に草庵を結んだのが始まりである。

その際の庵の名は没蹤庵という。

独照が明の高僧隠元隆琦に黄檗禅を学び、隠元を直指庵に請じてからは、
伽藍を建立するなどし直指庵は大寺院となった。

その後、独照は、直指庵に坐して枯松の枝が地に落ちるのを見て大悟し、
庵がすでに大寺院になっているにもかかわらず、
寺号をさけ、直指人心 見性成仏の旨を守って直指庵と号した。

独照の弟子月潭は直指庵の二世となり詩文をよくして高僧の名を高めたが、
その後は法嗣が衰え、独照の墓堂を存するだけとなった。

幕末の頃、近衛家老女津崎村岡局がこの直指庵に入り、
再興、浄土宗の寺とし土地の子女の訓育に尽くし現在に至る。


【石標】



【山門】


大覚寺から直指庵には車で行けますが、
かなり狭い道を通りますので、
普段乗り慣れていない女子は大覚寺の有料駐車場に停めて、
徒歩で行かれることをお勧めします。

山門前に2台分ほど車を無料で停めることは可能です。

他のブログでは直指庵近くの食事処で停めれると書かれていましたが、
現在は潰れていましたので御注意下さい。(^^;


【参道】




これぞ嵯峨野!ですね。

良い雰囲気です。(^^


【竹林】



【中庭】






こちらも良いですね~。

紅葉の時は最高でしょうね。


【本堂】


中庭の上には本堂が見えます。

行ってみましょう。




本堂は小さいながらも茅葺屋根が良い雰囲気を演出している。

やっぱり嵯峨野には茅葺屋根が映えますね~。(^^

靴を脱いで本堂に入ります。


【庭園】


本堂はやっぱり別荘のような建物で、
二部屋と茶室があり、御本尊は二つ目の部屋に祀られていました。

しかしながら堂内は撮影禁止でした。

ここなら別に撮影してもいいと思うのに。








庭園はさすがにいい。

直指庵の本堂には思い出草ノートと呼ばれるモノがあり、
参拝者がそれぞれの思いの丈を書かれていました。

ちょっと読んでみると、
彼が元気になってまた此処に訪れたいとか、
女性の字で結構切実な事が書かれてあった。(^^;

こんなん読んでしまったら、
お気軽に書けんわ。(^^;

そういう訳で何も書かずに本堂を後にし庭園散策。


【愛遭い地蔵】



【茶室】





【待合】



【地蔵堂】




水子地蔵が祀られていました。


【村岡局墓所】






島津斉彬の養女・篤姫が江戸幕府13代将軍徳川家定との婚儀のおり、
養母役を務めた女性です。

安政の大獄で尊王攘夷運動の嫌疑を受け幕府に捉えられ、
余生は直指庵で過ごされたそうです。


【開山堂】




少し登った所にあります。


【墓塔】



【亀石】




何やら文字が刻まれています。

読めん。(^^;


【想い出草観音菩薩】


様々な苦しみや悲しみを取り除く菩薩だそうな。

あのノートの重い内容が書かれていたのを理解しましたよ。


【釈迦涅槃図】



【阿弥陀堂】




大好物の茅葺屋根がたまらない。

見てるだけで癒されます。(^^

しかし、阿弥陀堂の中に入ることは出来ませんでした。


【門】




簡素ながら渋い門です。

こういう門とお庭が我が家にも欲しい。(笑)


【御朱印】


以前は御朱印帳に二体いただけたようですが、
今回は書置き対応で一体のみでした。


今まで参拝を避けてきた直指庵。

予想通り別荘のようで、お寺の香り、雰囲気は少ないですが、
これぞ嵯峨野と感じさせてくれて、また癒してくれるので、
これはこれで存在意義は充分あると思いました。

次回は紅葉の時期に訪れたいですね。(^^

旧嵯峨御所 大覚寺門跡(2018年10月6日参拝)

2018年10月19日 | 近畿三十六不動尊霊場


今年、京都には60年振りに開く扉があるお寺があります。

それが嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年戊戌開封法会という、
長ったらしい行事が行われる大覚寺です。

歴代天皇の宸翰となる写経が奉安されている勅封心経殿の扉が、
60年振りに扉が開き、中で本物の嵯峨天皇の勅封般若心経が、
特別公開されるとあっては行かねばならない。(^^

何故なら次の60年後は私も生きていないだろうから。(笑)


大覚寺も約3年振りの参拝となります。

というか、そんなに参拝していなかったのか。(^^;


<2015年11月21日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/c19ae4492cee9ff34ab5bc3fd64a6dbc


<2013年10月26日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/1aa2911ab1e787f36790e6db3261648a



所在地:京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:五大明王
創建:貞観18年(876)
開基:嵯峨天皇
札所:真言宗十八本山、近畿三十六不動尊、神仏霊場巡拝の道


【参道】


門前の有料駐車場(500円)に車を停め参拝開始。


【土塀】


格式の高さを感じる土塀です。


【玄関門】


玄関から拝観料千円を支払い中へ。


【庭園】












まずは素晴らしい庭園を楽しむ。

次に沢山の僧侶が居る心経前殿の中に入ってお参り。


【勅封心経殿】




仮設の渡り廊下が造られ勅封心経殿の中に入ります。


【扁額】


読めません。(^^;

高い位置に祀られている薬師如来立像の前に、
ガラスケースに安置されている嵯峨天皇宸翰勅封般若心経が。


【嵯峨天皇宸翰勅封般若心経】


こちらは霊宝館にある復元されたレプリカで、
画像はネットで拾ったものです。

本物はさすがに経年劣化で色褪せて文字も見え難かったですが、
弘法大師、橘逸勢と共に三筆の一人に数えられる、
嵯峨天皇直筆の写経が見れて良かったです。


【勅封心経殿】



【霊宝館】


勅封心経殿の横にあるのが霊宝館です。

画像はネットで拾ったものですが、
実際はもう少し薄暗い照明で展示物も違います。

しかしながら奥に祀られている不動明王には、
仕事で弱っていた精神を強くしてくれました。(^^


他に後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、
光格天皇の勅封般若心経のレプリカも公開されていました。


【大沢池】


絶賛降雨中。(泣)

舞台の横にある五大堂でお参りし、
御朱印帳と御朱印をいただきました。


【御影堂】


大正天皇ご即位に際し建てられた饗宴殿を、
式後に賜り移築したもの。


【宸殿】



【安井堂】


京都東山にあった安井門跡蓮華光院(現在は安井金毘羅宮)の御影堂を、
明治4年(1871)に廃仏毀釈により大覚寺へ移築したもの。


【村雨の廊下】





【正寝殿】



【庭園】



【宸殿】



【襖絵】


デジタルコピーなので撮影可です。


【勅使門】






嘉永年間(1848~1854)に再建されたもの。

気品ありすぎ。(^^


【宸殿】





【襖絵】









【中庭】




これにて大覚寺の伽藍拝観終了。

続いて大沢池と心経宝塔を見に行きましょう。


【大沢池】






天気が良くなってきました。

池を見てると心が癒されますな~。(^^


【心経宝塔】





【お茶処】


心経宝塔の横にいつの間にか出来ていました。



【大沢池】





【護摩堂】



【石仏】



【放生池】





【大沢池】



【鐘楼堂】



【望雲亭】


台風21号の被害で大木が根元から倒れていました。

あんな大木が倒れているのに、
よく小さな門が無事でいたもんだ。(^^;


【小川】



【御朱印】


戊戌開封法会特別公開限定御朱印帳を購入すると、
最初から貼付されているのでいただけます。






戊戌開封法会期間中は全て書置き対応となり、
六体ほどありましたので、派手な二体をいただきました。

こちらの二体は各500円でした。


【御朱印帳】


3500円と高額でしたが、
嵯峨天皇宸翰勅封般若心経があしらわれていたので、
勢いで買ってしまったよ。(^^

まぁ、二体の限定御朱印入りでしたので、
実質2500円と考えることにしよう。(笑)

これにて大覚寺の参拝終了。

最近では観光客を呼び込む為に膝丸の御朱印帳を出したりして、
色々努力されている大覚寺。

個人的に天龍寺や龍安寺より大好きで素晴らしいお寺なので、
もっと沢山の人に大覚寺に参拝して欲しいと願わずにいられない。

高野山東京別院(2018年10月4日参拝)

2018年10月18日 | 御府内八十八箇所霊場
今日は品川本社で研修があるので東京へ。

研修は幸いにも昼からなので、
早く行って神社仏閣巡りをしたいなと事前チェック。

ところが品川駅界隈にはめぼしい神社仏閣が無く、
範囲を広げてチェックしたところ、
ちょっと前に泉岳寺に参拝した時は、
すっかり見逃していた高野山東京別院を参拝することにした。



所在地:東京都港区高輪3-15-18
宗派:高野山真言宗
御本尊:弘法大師
創建年:延宝元年(1673)
札所:御府内八十八箇所霊場、関東八十八箇所霊場、江戸三十三箇所霊場


【縁起】
当寺は高野山真言宗総本山金剛峯寺の別院です。

慶長年間、高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所として開創され、
延宝元年(1673)高野山江戸在番所高野寺として建立されました。

幕府と宗務全般の交渉、および幕府の諸通達を、
全国の古儀真言寺院に達する触頭の責務を担いました。

高野山から重役方が交代で参勤し、学侶教修の道場、
大師信仰の実践の場として重要な役割を果たしました。

明治に入って在番所の廃止に伴い、
葛飾牛島の長壽寺の名蹟を移して寺蹟を継承し、
昭和2年(1927)高野山東京別院と改称。



【合掌礼拝入山門】


東京別院には品川駅からバスを利用。

バス停は山門近くにあってとても助かります。(^^


【修行大師】


まずはお大師さんに御挨拶。


【四国八十八ヶ所ミニ霊場】



【参道】


この辺りの雰囲気は良い。




しかし境内には多くの月極駐車場の車が停まっているし、
コンクリートばかりで全体的な雰囲気は余りよろしくない。


【十三重石塔】



【明神社】



【不動堂】





【遍照殿】




本堂にあたり昭和63年(1988)に再建されたもの。

こちらは東京別院の名に恥じぬ立派な本堂です。




嬉しいことに無料で堂内に入って参拝出来ます。

ありがたや ありがたや。


【寺務所】


法要各種が行われ、写経教室、茶室等があります。


【鐘楼堂】



【御朱印】


基本的にリクエストしなければ弘法大師となりますが、
札所御本尊の聖観音菩薩の御朱印もいただけます。


その後、近くにある東禅寺を参拝しようと行ったのですが、
お寺を発見出来ず参拝を断念。

どうやら細い路地を横に進めば行けたみたいだけど、
あの道は進めないよなと、今でも思う。(^^;

こちらは完全にリサーチ不足でした。


これにて本日の参拝終了。

高野山金剛峰寺は私にとって大事なお寺ですから、
その東京別院に参拝出来て嬉しかったです。

このまま帰りたかったが、研修頑張ろう。(^^

千代保稲荷神社(2018年9月16日参拝)

2018年10月17日 | 神社
ひつまぶしで腹を満たしたところで、
千代保稲荷神社参拝の続きを開始。



所在地:岐阜県海津市平田町三郷1980
御祭神:大祖大神、稲荷大神、祖神
創建:平安時代



【由緒】
千代保稲荷神社の由緒は約一千年前の平安時代に遡ります。

平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、
森の姓を賜り義家より先祖の御霊を千代に保てと祖神と共に、
宝剣と義家の肖像画を受け賜わったのが始まり。

社号もこの言葉が由来となっている。

後に室町時代の文明年間(1469-1486)、
子孫の森八海がこの地に祖神を祀ったのが開祖となる。

地元の岐阜県西濃地方など中京地方では、
おちょぼいなりと呼ばれることが多く、
通称お千代保さん、おちょぼさんとして親しまれている。

また、名物としては草餅、川魚料理、串カツと土手煮等がある。


【鳥居】


参道には沢山の参拝客が居て、
彼等の顔が映らないように撮影するのは厳しい。(^^;






暫く賑やかな参道を歩くと神社に到着したようです。


【境内社】


狐さんの奥には小さな石祠が鎮座していました。


【鳥居】



【拝殿】


思っていた以上に小さな社殿です。

あれだけの参拝客がいるんだから、
それはもう華麗でデカい社殿でもあるかと思ってたよ。


【油あげ】


この神社の参拝の仕方が面白いのが、
お賽銭と一緒に油あげを御供えしているところ。

確かにお稲荷さんは油あげが大好物ということですが、
こんなのは初めて見ました。(笑)


拝殿に参拝する前に油あげを売っている人を何人か居たけど、
まさか拝殿前に御供えするとは。

意味がよく分からなかったので買わなかったけど、
そういう理由があったのね。


【霊殿】


拝殿の対面にあるのが霊殿で、古い眷属像等を納めており、
保食神が祀られています。


【本殿】



【古堂】


かつての本殿の一部を保存し、
源氏の御霊を祀る多田神社の御札を納めているとのこと。


【東門】


東門を出ると色んな店がこちらにもありましたが、
まさかのビリケンさんが居ました。(笑)

余りの衝撃に写真を撮り忘れましたが、
何であんな所にビリケンさんがいるんだろうか。(^^;


【神明神社】


千代保稲荷神社とか関係ない神社のようです。


【御朱印】


先祖の御霊を千代に保てという教えより、
現在でも境内では御朱印、お札、お守り等、
一切授与していないとのこと。


【串カツ・どて煮】


初めてで勝手が分からなかったが、
その場で食って、串を手前の台に置いて、
最後に本数を数えて精算する方式でした。

これらはとても美味かったです。

ひつまぶしを食ったばかりで、
余り食べれなかったのが残念なくらい。

こういう店が沢山あって、中でも玉家という店は、
超人気店らしく長蛇の列でした。

めっちゃ並んでまで食うとは、
そんなに味が違うんだろうか。


【東鳥居】


こちらにも有料駐車場が幾つもありました。


これにて千代保稲荷神社の参拝終了。

神社自体は予想以上に小さな神社でした。

しかし、参道には沢山の店と参拝客がいてビックリ。

駅からめちゃくちゃ遠いし、
長閑な田舎でアクセスは車が必須。

それなのにこれだけの賑わいがあるとは、
よっぽど千代保稲荷神社は御利益があるに違いない。


大阪や奈良で門前が賑わっている神社仏閣は意外と少ない。

門前が賑わっているととても楽しい気分にさせてくれるから、
もっと多ければ良いのに。


そう思いながら名古屋に行って所用を済ませる。


【ひつまぶし】


夜は名古屋駅エスカにある備長でひつまぶしを食らう。

昼も夜もひつまぶしを食うとは、
我ながら頭おかしい。(笑)

ひつまぶし備長の値段はノーマルが3400円、
上ひつまぶしが4250円、特上が5800円。

ノーマル3400円を食べましたが、
味はさすがに美味しかったです。

ただ、以前にラシックス店で食べましたが、
明らかに鰻の量が減ったと思う。

鰻が高騰してるから仕方無いけどね。

備長ではお持ち帰りのメニューもあり、
3200円のひつまぶしセットを買って帰宅。

荷席稲荷神社(2018年9月16日参拝)

2018年10月16日 | 神社
行基寺の次は千代保稲荷神社へ。

私は知らなかったけど、
おちょぼさんの愛称で岐阜県でも屈指の人気があるという。

門前には約120軒もの飲食店が並ぶだけあって、
とても大きな神社だと思って参拝したのだが。。。


【大鳥居】


この大鳥居は千代保稲荷神社のモノで、
近くには沢山の有料駐車場がありました。

しかも結構な台数の車が停まっていて、
え?こんなに人気あるの?って驚きました。

とりあえず大鳥居の横にある300円の有料駐車場に停めましたが、
この辺りの相場は300円でしたね。

ちなみに東鳥居近くには無料駐車場があるみたいだけど、
朝一に行かないとすぐに満車になるらしい。


【参道】


日曜日というのもあってか、
参道には参拝客がいっぱいです。

しかも、食べ物屋さんだけで無く、
服や靴等の雑貨も売っている店も結構ありました。(笑)

そんな参道を歩いていると横に続く鳥居があったので、
進むと千代保稲荷神社とは違う神社を発見。

参拝するしかあるまい。(^^


所在地:岐阜県海津市平田町三郷1093
御祭神:荷席稲荷大明神
創建:不明


【由緒】



【鳥居】


完全に稲荷系の神社だと分かりますね。


【参道】


ここはあれだけ居た参拝客もほとんど居ません。(^^;


【鳥居】


小さな神社ですね。


【拝殿】




お寺の社殿のような拝殿です。


【駒狐】



【名刺】


何かいっぱい拝殿の隙間に入っているなぁと見てみると、
それは大量の名刺でした。(^^;

どうやら神様に自己紹介しているらしい。

こんなん初めて見たわ。(笑)


これにて荷席稲荷神社の参拝終了。

御朱印は無さそうですね。


【ひつまぶし】




参道沿いにある「うをはる」という店で愛するひつまぶしを食す。

値段が2000円と安かったので味はまぁまぁでした。

というか、最初から蓋を閉めた状態で海苔が乗っていたのですが、
湿気のせいで海苔が湿ってくっついてしまって台無しでした。

海苔は別の容器に入れた方が絶対にいいです。


他の店ではナマズ料理とかあったけど、
さすがに止めておいた。(^^;