Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

種間寺(2019年5月4日参拝)

2019年11月28日 | 四国八十八ヶ所霊場
36番札所青龍寺から15キロ程離れた34番札所種間寺へ。



こちらには大型の無料駐車場がありました。
いざ参拝開始。


所在地:高知県高知市春野町秋山72
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)弘仁年間(810-824)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】

敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、
仏師や造寺工を贈る旨の勅書が届いた。

彼らが渡来したのは用明天皇の時代、大阪・四天王寺の造営にあたり落慶。
その帰途の航海中の土佐沖で強烈な暴風雨に襲われ、
種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。

彼らは海上の安全を祈って薬師如来坐像を彫造し本尾山の山頂に祀った。
これが寺の起源とされている。

その後、200年以上が経過して唐から帰朝した弘法大師が、
この地を訪ねたのは弘仁年間である。

大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。
その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆、
または稗の五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。

天暦年間(947〜957)、時の村上天皇が種間の勅額を下賜された。
また土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、
堂舎の修築も行われている。

神仏分離令で廃寺となるが、明治13年(1880)に再興され現在に至る。


【修行大師】



【石仏】



【本堂】





【御本尊】


平安時代後期に造立された薬師如来。
重要文化財。

画像はネットで拾ったもの。

【石鎚神社】





【弘法大師尊像】



【宝篋印塔】



【鐘楼堂】



【子安観音】



【大師堂】


ありがたや ありがたや


【御朱印】


番外霊場の本尾山奥の院の御朱印もいただけるようです。


種間寺の売店で売っていたメロンが安くて旨かった。(^^

青龍寺(2019年5月4日参拝)

2019年11月26日 | 四国八十八ヶ所霊場
35番札所清瀧寺から36番札所の青龍寺へ。


所在地:高知県土佐市宇佐町竜163
宗派:真言宗豊山派
御本尊:波切不動明王
創建:(伝)弘仁年間(810-824)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
寺伝によれば弘仁年間に弘法大師によって開基されたとされる。

入唐求法の遣唐使として恵果和尚より、
真言密教の奥義を伝授された弘法大師が帰国の折、
有縁の地に至るように祈願して独鈷杵を東方に向かって投げた。

弘法大師はその独鈷杵がこの山中の松の木にあると感得し嵯峨天皇に奏上。
弘仁6年(815)に恵果和尚を偲び、唐の青龍寺と同じ名の寺院を建立したという。

本尊の波切不動は弘法大師が乗った遣唐使船が入唐時に暴風雨に遭った際に、
不動明王が現れて剣で波を切って救ったといわれ、
空海がその姿を刻んだものであると伝える。

江戸時代初期には荒廃していたが、土佐藩2代藩主山内忠義によって、
正保年間(1644-1648)に再興された。

しかし、宝永4年(1707)には地震と津波で大きな被害を受けたが、
江戸末期に再建され現在に至る。


【案内板】



【石仏】



【石段】


無料駐車場に車を停めると石段がお出迎え。


【恵果堂】



【石段】


奥に見えるのが仁王門です。


【修行大師】



【仁王門】




渋い、実に渋い仁王門です。

仁王門の前に杖が置いてあるのが気になる。

悪い予感しかしない。(笑)


【三重塔】




案内板に乗っていないところをみると、
どうやらまだ若い塔のようですね。

美しいです。


【地蔵菩薩】



【聖天堂】



【石段】


うん、杖はあった方がいいね。


【不動明王】



【弁財天】



【石段】


最後のひと踏ん張り。


【本堂】




龍の彫り物が見事でした。


【大師堂】


大師堂はかなり綺麗な状態で、
近年に建てられたもののようです。


【不動明王】


逆光失礼。




弘法大師作と伝わる御本尊波切不動明王の模造だそうです。

どうりでよく見る不動明王とは風貌が違う訳だ。


【薬師堂】



【白山大権現】





【狛犬】



【石段】


なかなかの急こう配でしょ。


【三重塔】





【鐘楼門】


駐車場横に庫裏があります。


【客殿】



【多宝塔】




こちらも新しい塔ですね。


【多宝塔・三重塔】


大師堂も綺麗だったし、
このお寺は結構資金力があるようですね。


【鐘楼堂】



【御朱印】


奥の院は駐車場から700メートル離れた場所にありますが、
時間と体力を考え泣く泣く回避。

横浪黒潮ラインを走ると奥の院まで200メートルの場所まで行けるようです。

琴平神社(2019年5月4日参拝)

2019年11月24日 | 神社
お遍路札所清瀧寺の境内に鎮座しているのが琴平神社。

もともとは清瀧寺の鎮守社であったが、
廃仏毀釈の際、独立した神社らしい。


所在地:高知県土佐市高岡町丁566
御祭神:大物主命
創建:江戸時代前期


【由緒】


南路志によれば寛文8年(1668)清滝寺本堂が全焼する火災があった。

琴平神社の創建は火防及び一宇繁栄を祈念して、
その後に金毘羅を勧請したと伝えられ、今から三百二十余年前と推定される。

神社本殿は奉再建山神宮とある天保2年(1831)の棟札により、
構造や風化などからもこの時代のものと推定される。
 
本殿は一間社入母屋造り平入りの杮葺きで、正面に一間の向拝を付けている。

高知県近世社寺建築の中でも数少ない形式であり、
小社ではあるがこの地域の当時の建築技術を示すものとして注目される。

全体の形から細部の彫刻に至る意匠も美しく優秀であり、
学術的、歴史的にも価値あるものと判断された。


【鳥居】



【石段】



【本殿】




小さい本殿ですが、
近くでみると細かい細工がされていました。


以上です。(笑)

御朱印はございません。

清瀧寺(2019年5月4日参拝)

2019年11月21日 | 四国八十八ヶ所霊場
大満足の佐田沈下橋からお遍路札所の清瀧寺へ移動。

しかし土佐市の清瀧寺まで約100キロもあって、
時間も約2時間かかってしまった。

昨日のうちに佐田沈下橋に行っておけば、
大幅な時間ロスは無かったけど仕方ない。

それはさておき、もうすぐお寺に到着するという場所で、
お寺までの山道が工事中ということで、
地元民しか通らない迂回路を案内される。

これが超絶細い道で曲がりクネっていて酷すぎる。

普段の山道も狭いと言われて画像を見たが、
あんなんめっちゃ広いやんと言いたくなるような極狭な迂回路です。

まさに強烈!と表現が相応しい。(泣)

それがお寺まで数百メートル続いて離合出来る場所も無いので、
対向車が来たら泣くぞと思いながら到着。

境内に居た警備員さんに聞くと、
帰りは違うルートで一方通行とのこと。

安心したわ。(^^

車は境内に10台以上は停めれました。


所在地:高知県土佐市高岡町丁568-1
宗派:真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
創建:(伝)養老7年(723)
開基:(伝)行基菩薩
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、
この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。

これを本尊として堂舎を建て影山密院・釋本寺と名づけて、
開山したのが初めと伝えられている。

弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)の頃。
本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、
五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。

満願の日に金剛杖で壇を突くと、
岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。
そこで山号や院号、寺名を現在のように改め霊場とした。

平城天皇(在位806〜09)の第三皇子が、
弘法大師の夢のお告げで出家し真如と名乗った。

真如はこの寺を訪ね、息災増益を祈願して、
逆修の五輪塔を建立し後に入唐している。

また、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、寺領百石の寄進を受けるなど、
七堂伽藍を備え末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。

明治4年(1871)廃寺となり、同13年(1880)再興された。


【厄除け薬師如来】




台座の中に入ると戒壇巡りが出来たらしいが、
完全に見逃し。(泣)

山門も無いなぁと思っていたら、
下の方に山門があるらしい。

こちらも完全に見逃し。(号泣)


【修行大師】



【大師堂】





【本堂】






本堂と似たような造りの大師堂は本堂と繋がった構造です。


【護摩堂】


本堂と護摩堂の間にあるお堂う。


【瀧】



【仏像収蔵庫】


御本尊薬師如来と日光菩薩立、月光菩薩、
十二神将が安置されているそうです。


【地蔵堂】



【観音堂】



【僧形座像】



【子安地蔵尊】



【本坊門】



【本坊庭園】



【鐘楼堂】



【風景】



【御朱印】

佐田沈下橋(2019年5月4日渡橋)

2019年11月17日 | 旅行・その他
南国市のホテルから120キロの距離を約2時間かけて、
四万十市の超有名な佐田沈下橋へ。

昨日の岩本寺からだったら近かったのだが、
参拝終了後に沈下橋に行くと暗くなってる可能性大。

なので泣く泣く昨日は諦めて今日行くことにした。
今回の旅で行かないと激しく後悔すると思ったので。

しかし無駄に時間をロスすることに。
完全にホテルの場所選びを間違えたわ。(^^;

さて、肝心の佐田沈下橋がナビで反応しなかったので、
沈下橋近くの屋形舟「さこや」をセットしたら反応した。

しかし、残り数キロというところで、
四万十川沿いの道を進むとめっちゃ細い道で泣きそうになった。

帰りなんて離合不可能の場所で対向車が来て、
対向車はバックで200メートルぐらい戻ってしんどかったと思う。

少し遠回りになるけど広い441号線走って行った方がよろしいかと。

とりあえず何とか無事に駐車場に到着。(^^


所在地:高知県四万十市佐田
駐車場:大型無料駐車場あり


【遊歩道】


奥に見えるのが無料駐車場です。


【佐田沈下橋】


遊歩道から見た憧れの佐田沈下橋。

やっぱり来て良かったわ。(^^

しかし、ここで遊歩道から下に降りられないことが発覚。
無駄に突き当たりまで歩いて戻るハメになってしまった。

佐田沈下橋に行くには遊歩道の下の道を歩きましょう。




いいですね~。

天気に恵まれて最高の気分です。


【四万十川】


めっちゃ絵になる雄大な景色で癒されますよ。






四万十川沿いに少し歩くことが出来ます。

ここから見る沈下橋が素晴らしい。


【佐田沈下橋】


車でも渡れますが、
まずは歩いて渡りましょう。

結構長い距離がありますね。








最高です。


【四万十川】






これを最高と言わずば何と言うのでしょうか。




何か鳥が飛んでいますね。




川にいる人は天然ウナギを捕ってるようでした。




水もキレイです。


【トンビ】












一眼レフじゃなくデジカメだと、
これが限界です。

飛んでる鳥を撮るのは極めて難しいね。


憧れの沈下橋は車でも渡りました。
これは死ぬまでにやりたい事の一つなので。

最初はちょっと怖かったけど楽しい。
それに尽きますね。(^^

一度では物足りなくなって、
おかわりしちゃいました。(笑)

ちなみに橋を渡って市内に行く四万十川沿いの道路は、
めっちゃ細くて悪路です。

このルートを走る人は覚悟してください。(苦笑)

憧れの佐田沈下橋は最高でした。

また訪れたいと思うし、違う沈下橋も渡りたい。

岩本寺(2019年5月3日参拝)

2019年11月11日 | 四国八十八ヶ所霊場


一條神社からお遍路札所の岩本寺へ向かい、
ひたすら56号線を45キロ走る。

約1時間かかって岩本寺に到着。

ちなみに岩本寺がある四万十町は高岡郡に属し、
一條神社があった四万十市は別の地域になります。

てっきり四万十市四万十町と思っていたが、
違っていたのね。

ややこしい。(^^;



所在地:高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
宗派:真言宗智山派
御本尊:不動明王 聖観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩
創建:(伝)天平年間(729-749)
開基:(伝)行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
五尊の本尊を祀る岩本寺の歴史は天平の世まで遡る。
寺伝によれば聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、
七難即滅、七福即生を祈念して、仁井田明神の傍に建立したと伝えられる、
末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。

仁井田明神の別当寺であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。

弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。
大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、
それぞれの社に不動明王、観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、
地蔵菩薩像を本地仏として安置した。

大師はさらに末寺五ヶ寺を建立された。
このことから福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、
また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。

天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。

再建の際にこの地域の全ての神社を管掌下においていた当時の岩本坊に、
寺の法灯並びに別当職は遷され継承される。

戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、
神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。

明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、
五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、
それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い寺領地の大半を失ってしまう。

再建には苦難の道が続いたのであるが、
少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。


【山門】


山門前に20台分ほどの駐車場がありましたが、
満車で車を停めるのに少々苦労しました。


【仁王】





【修行大師】



【鐘楼堂】



【本堂】




まずは本堂にお参り。




御本尊は秘仏で拝めません。
60年に一度の御開帳で次回は2060年とか。

生きてるかなぁ。(^^;

御本尊が拝めないとあって、
本堂の見どころは何と言っても天井画です。




昭和53年(1978)本堂を改築する際に、
約400人もの芸術家や檀家が参加し、
575枚の天井画が飾られています。

天井画といえば花や鳥が定番ですが、
まさかマリリンモンローが見れるとは思いませんでした。

これはこれでアリですね。(笑)


【石仏】



【水天宮】



【聖天堂】


大聖歓喜自在天が祀られています。


【大師堂】


奥の院でもあるそうです。


【開山堂】



【清流殿】



【屏風】




本坊で秘仏の矢負地蔵菩薩が公開されるとあって行ってみると、
なんとあの北斗の拳の屏風があった。

うーむ、この作風は武論尊では無く、
完全にニセモノテーストが強くてカッコよくないですね。(溜息)

しかも悪役のジャギも入ってるのも気に入らない。

100冊限定の御朱印帳は売り切れだったけど、
あっても買ってないです。


【御朱印】


奥の印の御朱印もいただけるようでしたが、
知らなかったのでいただいておりません。


【ひろめ市場】


本当は岩本寺から沈下橋を見に行こうと思ったが、
着いた頃には暗くなっているので断念。

めっちゃ行きたかったんだけど諦めて、
岩本寺から約60キロ離れた高知市中心街にある、
ひろめ市場に移動。

こちらでは何と言ってもカツオのたたきが有名。

人口密度が低い高知県といえど、
高知市内でゴールデンウイークともなると市場の中は大盛況。

座って食う場所がありません。(泣)


【明神丸】


とりあえず有名店で食うことにした。








おー、これはド迫力。(^^


【カツオのたたき】


並んでタレ・塩セットを注文。

うーん、そんなに言うほど美味いか?って感じ。(^^;

個人的にやっぱマヨネーズが無いとダメですね。
血生臭くって。


【ひろめ市場】






たたきだけでは腹が膨れないので、
若鳥のから揚げや串焼きを注文。

めっちゃ美味い。

明神丸でご飯を注文して一緒に食いたかったよ。


【にぎり寿司】


ホテルで食う為に購入。

6貫で1000円は安いですよ。


【とさでん】



【アールビジネスホテル】




本日のお宿。


【にぎり寿司】


美味かったわ~。
これで1000円とはCP高し。


【デザート】


ホテルのサービスです。(^^

今日一日だけで400キロぐらい走ったから、
風呂入って早めに寝るとしよう。

一條神社(2019年5月3日参拝)

2019年11月10日 | 神社
不破八幡宮から僅か2キロに鎮座する一條神社へ移動。

一條神社は市役所や天神橋商店街があったりして、
四万十市でも中心地に鎮座しています。

今日は大祭があるようで、
神社近くは交通規制されていて、
なかなか思うように神社に車で近づけない。

仕方ないので近くの市役所に行くと、
参拝者や観光客の車で満車。



うーむ、これは困ったと思いながら走っていると、
偶然にも中村小学校の校庭が臨時駐車場になっていた。

停めれて良かった。(^^



所在地:高知県四万十市中村本町1-3
御祭神:若藤男命、若藤女命、一条教房と土佐一条氏歴代当主及び連枝の霊
創建:文久2年(1862)
社格:県社


【由緒】
文明12年(1480)一條家の御廟所として先祖をお祀りしていたことに始まり、
慶長12年(1607)一条家遺臣等土地庄屋と相企り、
一條家の徳を仰ぎ祠を建て霊をお祀り申していたのを、
文久2年(1862)にいたり時の幡多郡奉行中村目代、大庄屋が一体となって、
一條家の遺徳を顕彰し幡多郡民の総鎮守の神として崇め奉る為、
社殿の造営一大祭典の執行を幡多郡民に命じた。
 
例大祭は高知県下三大祭の一つとして数えられ、
当日は十数万人の参詣人で賑わう。


【土佐一條公家行列】




京都を離れ幡多の荘を回復する為に中村御所に就く、
一條教房公の入府を再現して行われる行列です。




一條房冬の妻で土佐一條公家行列のヒロインである玉姫。

玉姫役のJKは可愛かったです。(^^






雰囲気があって中々良い行列です。


【一條太鼓】



【鳥居】



【狛犬】



【参道】


普段だと参道沿いに車を停めれる感じですね。


【第二鳥居】



【拝殿】


石段を登ると拝殿に到着。
そんなに広くない境内ですね。

ちなみに生田斗真・真木よう子・桐谷健太らが出演した
「遅咲きのヒマワリ」というドラマのロケ地であります。


【神楽殿】


京都を偲ばせるように琴の演奏がありました。


【天神社】



【愛宕神社】



【藤】





【土佐一條公家行列】


参拝を終えると行列が帰ってきました。


【御朱印】



【酒蔵ことぶき屋】


酒好きが四万十市に来て訪れない訳がないという酒屋さんです。

百年の孤独を買わせていただきました。(^^

不破八幡宮(2019年5月3日参拝)

2019年11月07日 | 神社
足摺岬から四万十市に移動し、
土佐一条氏が勧請したとされる不破八幡宮へ。

四万十川の下流沿いに鎮座しています。

所在地:高知県四万十市不破1392
御祭神:品陀和気命、玉依姫命、息長足姫命
創建:文明年間(1469-1487)
社格:県社


【由緒】


土佐一条氏の祖である一条教房が応仁の乱を避けて、
一条氏の荘園があったこの地に逃れた。

教房は幡多郡総鎮守として山城国の石清水八幡宮を勧進し、
室町時代中期の文明年間に八幡宮を建立した。
これが当神社の起こりである。
当神社は土佐一条氏の守護神ともなっていた。

別名を正八幡、広幡八幡宮と称し明治初年現社名とする。
江戸時代には土佐藩主山内家の崇敬も集めた。

秋季大祭は神様の結婚式とも呼ばれ、毎年10月に催される。
五摂家の一つである一条氏から見ると、
逃れてきたこの地は蛮風の色濃い土地であった。

一条氏はこの地に京風の習俗を根付かせる為に、上げ馬、流鏑馬等の神事を行った。
特にこの地で当時盛んであった嫁かつぎと呼ばれる略奪婚の風習を、
京風に矯正する目的で始まったのがこの祭礼である。


【鳥居】


鳥居前に無料駐車場がありました。


【狛犬】





【拝殿】





【拝殿・幣殿】



【本殿】



【御神木】



【境内社】



【御朱印】

足摺岬(2019年5月3日観光)

2019年11月06日 | 旅行・その他
お腹が減ったので、
金剛福寺前にある足摺グランドレストで昼食。



【刺身定食】




刺身は三種類あって珍しいシイラを食べました。

シイラってクセがあるかと思ってたけど、
美味しかったですね。

他の二種類の刺身も当然鮮度抜群なんで美味かった。

店員さんとお話しを少ししましたが、
朝10時半に食堂からクジラが見れたそうです。

さて、腹を満たしたので足摺岬を見に行きますか。


所在地:高知県土佐清水市足摺岬1349
無料駐車場:足摺岬先端50台 第一駐車場150台


【中浜万次郎】




ジョン万次郎がお出迎え。

少しあるくと足摺岬から太平洋が見れます。


【足摺岬灯台】




ダイナミックな風景で感動で、
個人的に北海道の地球岬を超えてNO.1の岬となりました。


【足摺岬】






海水もめっちゃ綺麗。

運が良ければ海亀も見れるそうです。






小さな岩礁で釣りしてますね。


これにて足摺岬の観光終了。

灯台まで歩いて行けますが、
結構歩く距離があるので時間の都合上回避しました。

金剛福寺(2019年5月3日参拝)

2019年11月03日 | 四国八十八ヶ所霊場


室戸岬の不動岩から次なる参拝地がある足摺岬を目指す。

目指すといってもそんな簡単に行ける距離ではありません。
その距離は何と約220キロもあるのです。

通常なら安芸市や高知市の寺社巡りをしてから行くもんですが、
何故そんな遠距離をわざわざ一気に走るかというと、
まずは自宅から一番遠い場所に行って、
それ以降は家に戻って行くというルートにしているからです。

足摺岬から家まで一日で戻るのは遠すぎてキツイからね。

それと室戸岬から足摺岬まで一気に走るのも男のロマンですから。(笑)


【米豚バーベキュー】


四万十市の道の駅で休憩。

スゲー良い匂いに釣られていくと、
ゴーグルをした店員達が。(笑)

写真撮った時はたまたま煙が少なかったけど、
もうもうとした煙が立ちこめていました。




めっちゃ旨くて帰りも食っちゃいましたよ。




太平洋を見ながら55号線から高知自動車道、
56号線をひたすら走ること約4時間。

ようやく到着。

足摺岬に着いた頃は既にお昼の12時でしたよ。(^^;

無料駐車場に車を停めていざ参拝開始。


所在地:高知県土佐清水市足摺岬214-1
宗派:真言宗豊山派
御本尊:三面千手観音菩薩
創建:(伝)弘仁13年(822)
開基:(伝)弘法大師
札所:四国八十八ヶ所霊場


【縁起】
寺伝によれば弘仁13年(822)に、嵯峨天皇から補陀洛東門の勅額を受けた空海が、
三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。

空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は、
足摺岬に飛来したといわれている。

寺名は五鈷杵は金剛杵ともいわれそれから金剛を、
観音経の福聚海無量から福を由来したとされている。

金峰上人が住持の時、修行を邪魔する魔界のもの達を呪伏すると、
そのもの達が蹉跎したことから、山号を月輪山から蹉跎山に改めたといわれる。

歴代天皇の祈願所とされた他、源氏の信仰が篤く源満仲は多宝塔を寄進、
その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、
後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。

鎌倉時代後期には南仏上人が院主となって再興したと伝えられ、
また阿闍梨慶全が勧進を行ったとも伝えられている。

南仏を南仏房と記す史料もあり、南仏は慶全の別名であったとみられる。

室町時代には尊海法親王が住職を勤め、幡多荘を支配していた一条家の庇護を受けた。
戦国期に一時荒廃したが、江戸時代に入って土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。


【寺号石標】



【仁王門】


堂々たる立派な仁王門う。


【蓮】



【仁王】




うーむ、渋い仁王門に相応しくない仁王です。

色も安っぽいし珍寺にありそうな感じ。(^^;


【敷石】






BSでチャリお遍路という番組を見てましたが、
意外と小島よしおが真面目で、
狩野英考が予想通り糞野郎だということが分かりましたよ。


【参道】



【宝篋印塔】



【本堂】




本堂も立派なものです。

御本尊は正月三が日御開帳されるとのこと。


【庭園】






大きな池を擁するこれまた立派な庭園です。

お遍路札所では最大なんじゃないかな。


【錦鯉】





【愛染堂】



【十三重石塔】






土佐らしいね。


【石仏】



【百八仏】



【行者堂】



【権現堂】



【鐘楼堂】







【地蔵菩薩】



【宝篋印塔】



【大師堂】





【鎮守社】



【修行大師】



【宝篋印塔】





【弁財天】



【石仏】



【三鈷杵】



【護摩堂】



【不動明王】



【多宝塔】





【九輪宝塔】



【五輪塔】



【百八仏】













【御朱印】