Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

天満宮寺寶珠院(2020年8月12日参拝)

2020年11月05日 | 摂津国八十八箇所霊場
今日は大阪で所用があり天神橋筋商店街にやってきました。
所用をとっとと終わらせて少しだけ近隣のお寺を参拝。

まずは大阪天満宮の神宮寺である寶珠院というお寺へ。
あの弘法大師が開山したという由緒ある古社です。


所在地:大阪府大阪市北区与力町1-2
宗派:真言宗御室派
御本尊:大日如来
創建:弘仁年間(810 – 824)
開山:弘法大師
札所:摂津国八十八箇所霊場


【縁起】
大阪天満宮の北方にあたる天満与力町に所在、
別名天満寺と号する真言宗の寺院。

寺伝によると天長2年(825)空海によって現在地より東、
大川に面した位置に開基され、広大な寺域を持っていたとされる。

貞観年間(859~877)の頃の住職であった四世恵澄は菅原道真と親しく、
道真は太宰府への道中に立ちより、自作の木像を送ったという。

応永3年(1396)後小松天皇によって菅原山 天満宮寺の勅号を受けた。

大阪夏・冬の陣後の復興で現在地に移され隆盛を極めるが、
第2次世界大戦の大阪大空襲で建物がほとんど焼失。

現在の建物は昭和42年(1967)に再建され、
本堂には被害を逃れた木造弥勒菩薩立像が安置されている。


【山門】


大阪の寺町によくある近代的な山門です。
この辺りも空襲で壊滅状態だったから仕方ない。

凄く入りづらいですが、
横の通用門から入れますので勇気を出して。


【本堂】







本堂は開いていませんがガラス超しに拝めます。

弘法大師作と伝わる御本尊は空襲で焼失。
本当に惜しい。


【護摩堂】





【天満宮】



【水掛不動尊】



【油掛大黒天】




これは珍しい。

星の数ほどの神社仏閣を巡った私ですら初めて見た気がする。

それもそのはず、日本植物油協会のHPでは岡山や仙台等、
日本で10か所ほどの寺社しか祀られていないとか。

油掛大黒天の由来や各地に鎮座する大黒天が紹介されていますので、
興味がある方は日本植物油協会のHPをご覧ください。

https://www.oil.or.jp/trivia/daikokuten.html


【境内社】




【境内】



【延命地蔵尊】



【観音堂】




十一月観音菩薩が祀られていました。


【御朱印】


書置き対応でした。

崑崙山昆陽寺(2019年2月2日参拝)

2019年03月03日 | 摂津国八十八箇所霊場
尼崎から伊丹市へ移動。

こちらには昆陽寺という古刹がありながら、
今まで参拝していなかったお寺です。

何で参拝していなかったのか自分でも不思議でならない。(^^;

まぁ、そんなことはさておき、
参拝するのが非常に楽しみなお寺です。


所在地:兵庫県伊丹市寺本2-169
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:天平3年(731)
開基:行基菩薩
札所:摂津国八十八箇所霊場、西国薬師四十九霊場、伊丹七福神、川辺西国三十三箇所観音霊場


【縁起】
当寺は聖武天皇の勅願所として行基菩薩によって、
天平5年(733)に建立されました。

古今著聞集には行基菩薩が有馬温泉に行く途中、
発願し建立したとあります。

行基菩薩自ら刻んだという半丈六の本尊薬師如来、
十一面観音、普賢、文殊菩薩像、四天王像などを安置し、
国家安全、五穀豊穣などを祈願しました。

西国街道(国道171号線)に面した交通の要所にあたり、
布施屋を設け、病人、孤独、貧しい人々を救済、社会福祉事業の拠点であった。

以来、行基菩薩の徳を慕う者数多く来集し、次第に隆盛を極め、
天平勝宝6年(754)行基菩薩遷化後も、遺弟光信らが院家を守護してきました。

その後、度々火災の難に遭い、天正7年(1580)織田信長が、
伊丹城主荒木村重を攻略した時、兵火にかかり堂塔伽藍が灰燼に帰した。

その後、復興、明治時代の廃仏稀釈の荒波を乗り越えたが、
平成7年(1995)阪神淡路大震災により数百年の歴史を誇った堂宇も一瞬にして崩壊。

傾きの小さい御堂は起こし、倒れた堂宇は木材や柱を生かし、
震災直後より復元・復興工事に着手。

平成10年(1998)5月に一応の完成を見ました。

山門と観音堂は兵庫県、伊丹市の重要有形文化財に、
開山堂内の二天(持国天、広目天)も文化財の指定を受けています。

開創以降秘仏とされてきた本尊の薬師如来は、
大震災後はお姿を現し、法要時には開帳しています。


【山門】


明暦年間(1655~1658)に建立されたもので、
威風堂々たる山門です。


無料駐車場は境内にあるのですが、
境内に入るルートが分かり難い。

山門前を横切り細い道を右折すれば入れます。

バスは山門前に駐車可です。


【仁王像】





【写真パネル】




二天は開山堂に祀られているそうです。


【境内】


いかにも観音霊場といった広い境内です。


【本堂】


瑠璃殿と呼ばれる本堂です。

法要の時以外は閉まっているようです。

阪神淡路大震災により本堂は崩壊しましたが、
平成9年(1997)に再建されたもの。




本堂の裏手はこんな感じ。


【役行者】





【宝篋印塔】



【石仏】





【行基堂】


開山堂。


【白長神社】





【新四国八十八ヶ所ミニ霊場】






予想以上の大寺院です。

都会でこれだけの規模があるお寺は、
伊丹ではここだけでは無いだろうか。


【鎮守堂】





【行基塚】







【稲荷大明神】





【狛狐】



【石仏】



【観音堂】


兵庫県指定文化財。


【宝篋印塔】



【善光寺式如来】



【弁天堂】



【魚亀群霊供養所】



【宝蔵】



【鐘堂】


寛永元年(1789)建立されたもの。


【法華経一石一字塔】





【御朱印】


御朱印は三体ありますが、
何もリクエストしない場合は西国薬師四十九霊場となります。


昆陽寺は大きなお寺でなかなか良いお寺であったが、
諸堂が全て閉まっていたのはいただけない。

それがとても残念でした。

丈六の御本尊は法要の時に拝仏出来るみたいだけど、
それっていつやねん?(^^;

円満寺<西宮成田山>(2017年12月22日参拝)

2018年02月04日 | 摂津国八十八箇所霊場
今日は年末年始のお酒を買いに兵庫県長田市にある酒店へ。



而今や飛露喜が買えれば良かったのだが、
結局買えたのが磯自慢しぼりたて生原酒でした。

さて、このまま帰ったのでは高速代が勿体無いのと、
今年を無事に過ごせた御礼を兼ねて神社とお寺へ。

最後の参拝となる寺社は西宮神社と隣接する円満寺で、
まずは通称西宮成田山と呼ばれる円満寺へ向けて走る。

山門手前に数十台分の無料駐車場がありました。

ただ、西宮神社に参拝する人は停めないで下さいとのこと。


2010年12月18日以来の約7年振りの参拝で、
当時は御不在で御朱印をいただけなかったなぁ。(遠い目)



所在地:兵庫県西宮市社家町1-36
宗派:高野山真言宗
御本尊:薬師如来
創建:康保3年(966)
開基:(伝)法道仙人
札所:摂津国八十八箇所霊場


【縁起】
西宮市鷲林寺町および鷲林寺にあった武庫山鷲林寺を、
現在地(社家町)に移したのが始まりである。

武庫山鷲林寺は平安末期の治承・寿永の乱、
戦国時代には荒木村重の乱に遭い荒廃した。

また織田信長の焼き討ちのため炎上し灰燼に帰した。
灰燼に帰した時に南勝坊に霊夢によるお告げがあった為、
鷲林寺を現在地に移し今里鷲林寺とも称された。

先の大戦の空襲で全ての建物が全焼し、
昭和23年(1948)円満寺第53世真応により、
本堂・庫裡などの諸堂を再建し中興を果たした。

しかし、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災では、
西宮成田山の堂宇、納骨堂、庫裡が全壊した。

その後、再建し現在に至っている。


【山門】


山門は隣り通しで二つある珍しいもので、
こちらの山門は円満寺のものです。




こちらの注連縄がある山門は西宮成田山の扁額がありました。


【寺紋】



【境内】



【本堂】


東京の檀家寺によくあるような近代的な本堂です。


【内陣】


御本尊は厨子に安置されているように見えますが、
確か奈良国立博物館に預託されているはずです。


【祈祷殿】


祀られている不動明王は大本山成田山新勝寺の貫首・荒木照定大僧正の、
開眼による成田山新勝寺本尊の御分身だそうです。

世の中には成田山と名乗るお寺は沢山ありますが、
成田山新勝寺とは無関係なのが多い。

やっぱり成田山新勝寺と関係あるんじゃないかと、
思わせた方が何かとお得ですからねぇ。

しかし、こちらのお寺には新勝寺の貫首自らが開眼した
御分身が祀られています。

さすが別格本山といったところです。


【稲荷社】





【宝篋印塔】



【神変大菩薩】





【御朱印】


他に薬師如来の御朱印がいただけますが、
何も言わなければ不動明王の御朱印となります。

ということは、
お寺にとっては御本尊より不動明王の方が大切なのかも知れない。