Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

池上本門寺(2018年8月5日参拝)

2018年08月31日 | 東国花の寺百ヶ寺霊場
アパホテルをチェックアウトし、
日蓮宗大本山である池上本門寺へ。

日蓮聖人入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院の一つ。
七大本山の一つにも挙げられている霊蹟であります。

ずーと前から参拝したかったのですが、
電車だとちょっと乗り継ぎで時間がかかるので、
ずっと後回しにしちゃってた。

今回、ようやく重い腰を上げ参拝することにした。

それにしても朝から暑くてたまらない。

どこまで苦行に耐えれるだろうか。(^^;


所在地:東京都大田区池上1-1-1
宗派:日蓮宗
御本尊:三宝尊
創建:弘安5年(1282)
開山:日蓮聖人
開基:池上宗仲
札所:東国花の寺百ヶ寺霊場、京浜四大本山



【縁起】
日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)、
61歳で入滅された霊跡です。

日蓮聖人は弘安5年、9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、
病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、
武蔵国池上の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。

長栄山本門寺という名前の由来は法華経の道場として長く栄えるように、
という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたものです。

そして大檀越の池上宗仲公が日蓮聖人御入滅の後、
法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進され、
お寺の礎が築かれましたので、池上本門寺と呼びならわされています。

鎌倉・室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、
近世に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり栄えた。

江戸時代、不受不施派を奉ずる本門寺は身池対論を経て、
久遠寺の傘下に収まった。

第二次世界大戦の空襲によって五重塔、総門、経蔵、
宝塔を除く堂宇を焼失したが戦後順次復興した。



【総門】


池上駅から徒歩10分程で到着。

車はこちら側に停める事が出来ませんね。

総門の手前には幾つか塔頭があるが後回し。


この総門は元禄年間に建立され、
第二次世界大戦の空襲を免れたもの。


【此経難持坂】


加藤清正公が寄進されたもので、
名称の由来は妙法蓮華経見宝塔品第十一、
此経難持の偈文96字により命名されました。


【三解脱門】


大本山に相応しい堂々たる三門です。

慶長13年(1608)五重塔と共に2代将軍徳川秀忠公が建立された門は、
桃山期の豪壮な門として国宝に指定されていたが、
先の大戦の空襲により焼失。

その損失たるや甚大。

余りにも惜しい。

現在の三門は昭和52年(1977)に再建されたもの。

大本山とはいえ再建に32年もかかっているとは。


【仁王像】


旧仁王像は行基菩薩作だったそうです。


【日朝堂】


題目堂とも呼ばれ、お題目修行場のお堂です。

昭和48年(1973)に再建されたもの。






日朝聖人が祀られていました。


【浄行菩薩】





【境内】


どうやら祭りがあるようですね。


【鐘楼堂】





【鐘楼】


何故かもう一つ更にデカイ鐘楼が安置されていました。

これは加藤清正公の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室となった瑤林院が、
正保4年(1647)に寄進したものです。

しかし、空襲で被災し亀裂と歪みが起こり仮安置されているとか。


【大堂】




以前の大堂は国宝であったが空襲で焼失。

現在の大堂は昭和39年(1964)に再建されたもの。

普通に見ればこれが本堂にあたるものと勘違いしてしますが、
大堂は日蓮聖人の御尊像、左に第2世日朗聖人像を、
右に第3世日輪聖人像が祀られている祖師堂です。

かといって、本堂が見当たらない。

日蓮宗の本山は本堂より祖師堂の方が立派なものが多い。

これでは仏様より日蓮聖人の方が大事なのかと思ってしまうよ。(^^;


【霊宝殿】


余りの暑さに避難。

館内は冷房が利いていて最高でした。(^^


【境内】


霊宝殿から見た境内で、
奥にお目当ての五重塔が見えます。


【奉安塔相輪部】





【経蔵】


天明4年(1784)再建されたもので、
空襲にも耐えて現存しています。

池上本門寺の自動車祈祷は経蔵で行われていました。


【大堂】


車は大堂の裏手にある無料駐車場に停めれます。

此経難持坂を歩かなくて済むので楽は楽ですが。


【本殿門】


大堂裏手を進むと門があり、奥に大きな建物が見えます。

ちょっと入り難い感じですが行ってみよう。


【本殿】


かなり広い境内の奥にコンクリート製の本殿があります。

普通なら本堂と称するところですが本殿と呼ぶようですね。




旧釈迦堂を再建したもので、
御本尊の釈迦牟尼仏や本化地涌の四大菩薩、
仏舎利等が祀られています。

それにしてもこちらはほとんど参拝する人が居ません。

大堂は参拝しても肝心の本殿を参らないのは、
問題ありだと個人的に思う。

これは参拝者に問題があるというより、
大堂を本堂のように造り、本殿まで誘導していないのが問題ですね。

これが日蓮宗の考え、教えなのかも知れないが、
やっぱりおかしい。

お遍路でも本堂と大師堂の二つのお堂があるが、
必ず本堂を参ってから大師堂の両方ともお参りする。

それが至極当然の事では無いでしょうか。




内陣はガラス越しに見えましたが、
夕方4時の夕勤では堂内に入れるようです。


【本院寺務所】


客殿や書院もあるそうです。


【金剛力士】




めっちゃカッコいい。(^^

それもそのはず、モデルがアントニオ猪木らしい。


【五重塔】




五重塔があそこにあった。

遠いな。(^^;


【長栄堂】




守護神長栄大威徳天が祀られているお堂です。


【前田利家室の層搭】




一般の大型墓地の入口付近にありました。


【加藤清正室の層搭】




一般の方のお墓を映さずに撮影するのが難しい。(^^;


【日蓮聖人説法像】





【五重塔】




旧国宝で現在重要文化財。

桃山時代の慶長13年(1608)建立されたもの。

関東に現存する幕末以前の五重塔は4基ですが、
桃山期の五重塔は全国で1基だけとのこと。

ちなみに幕末以前の五重塔は本門寺、旧寛永寺、法華経寺、
日光東照宮の4基とのこと。

関西人からすると日光が関東というのは違和感あるが。(^^;


【力道山墓所】


広大でカラスがいっぱい居る墓地の奥に進むと、
あの力道山のお墓があります。

お墓は撮影していませんが、
前に力道山之像がありました。






この像を建立した方々がビッグネームばかりで胸熱。


梶原一騎、天龍、秋山、初代タイガーマスクの佐山サトル、
世界のビートたけし等、錚々たるメンバーです。

この名前を見ただけてたまりませんでしたね。


【御首題】


御首題帳以外だと妙法の御朱印となります。

カトリック潮見教会<蟻の町のマリア>(2018年8月4日礼拝)

2018年08月30日 | 教会・モスク


10月に親孝行の旅ではとバスに乗るので、
はとバス乗り場の場所を確認する為に東京駅で下車。




東京駅は結構な回数来ておりますが、
初めて丸の内北口から外に出た。(笑)


【東京駅丸の内駅舎】








重要文化財。

二階以上は東京ステーションホテルということだけど、
ここにホテルがあるとは知らんかったわ。(^^;


さて、はとバス乗り場も確認したことだし、
本日のお宿アパホテル潮見駅前店がある潮見駅へ。

潮見駅は東京駅からだと京葉線に乗るのですが、
丸の内北口から京葉線の改札まで鬼のように遠かったです。(泣)

たぶん一駅分は歩いたと思います。(^^;


東京駅から3駅の潮見駅に到着。

潮見駅界隈は東京駅からたった3駅、
ディズニーランド最寄駅である舞浜駅も僅か3駅で行けるのに、
駅前ですら繁栄していません。(^^;

小さな工場と住宅とマンションがあるだけでしたね。




そんな潮見駅の近くにカトリック教会があるので礼拝することにした。



所在地:東京都江東区潮見2-10-5
宗派:カトリック教会
創建:昭和35年(1960)


【歴史】
第二次世界大戦後、職もなく住む家もない人々が、
隅田川の言問橋の近くに集まって、蟻の会という共同体を作り、
廃品回収で生計を立てていました。

コンベンツァル聖フランシスコ会のゼノ・ゼブロフスキー修道士は、
蟻の町と呼ばれたその地を度々訪問していました。

大学教授の娘で恵まれた家庭に育った北原怜子というカトリック女性は、
ゼノ修道士から蟻の町の話を聞き、そこに出かけるようになり、
献身的に蟻の町の子供達の世話をしました。

蟻の町のあった場所は今の墨田公園の一角にあたります。
東京都は幾度となく蟻の会に立ち退きを求めてきました。

都は代替地として8号埋立地を提示しましたが、
都が示した条件は蟻の会にとっては厳しいもので交渉は難航しました。

1958年都が蟻の会の要求を全面的に認め、
蟻の町の8号埋立地への移転が決定しました。

蟻の町が当時の地名で枝川と呼ばれた埋立地に移った頃はまだ京葉線もなく、
今のようなマンションも一軒もありませんでした。

そこに怜子や蟻の会の人々の願いであった教会が建てられました。

こうして始まったのがカトリック枝川教会(蟻の町教会)です。

潮見教会の現在の聖堂は1986年6月1日聖霊降臨の主日に献堂され、
蟻の町のマリアの名を冠することになりました。



【聖堂献堂】


聖堂献堂の中に入れました。(^^

車は聖堂の前に停めれますね。


【写真パネル】



【ピエタ像】


キリストを抱く聖母マリアと後ろに聖ヤコブ。


【十字架】




この粗末な十字架を見ると、
いかに貧しく苦しかったかが分かりますね。


【聖堂内】




目黒カトリック教会よりも質素な教会です。


【キリスト像】






異教徒の私からすればキリストやマリア像を見ても、
祈るという気持ちになれないのも事実。

神社やお寺だとすぐに手を合わせるのにね。

これが信仰というやつかな。

つまりそういう信仰心の無さが、
争いの末に異教の文化を破壊してしまうのか。

人間という生き物はつくづく愚かなものだね。


【ステンドグラス】



【聖画像】






イエス・キリストの受難の捕縛から受難まで、
十字架の道行き14場面を表わした聖画像が掲げられていました。


【キリスト像】




一瞬、中指を立ててるのかと焦った。(^^;


【北原怜子像】





【石碑】



【カトリック中央協議会】




教会の隣りにあるビル。

日本カトリック司教協議会という宗教法人の名称。


【アパホテル潮見駅前】


ライブに行く前にシャワーを浴びてさっぱりする為にチェックイン。

アパホテルはオーナーが嫌いなので、
今日は仕方なく初めて泊まります。

チェックインが正直めんどくさい。

ホテルウーマンからアパホテルカードを勧められ、
断るのがめんどくさいので作ってもうた。

これから袴田よろしく頑張ります。(笑)




セミダブルルームだけど広さが12M2で超狭い。

これだからアパホテルは、
というか東京のホテルはコストパフォーマンスが悪いのよね。


【舞浜アンフィシアター】


ネズミの夢の国が近くにある舞浜アンフィシアター。

今夜は麻衣ちゃんが素敵な夢をくれるでしょう。


【倉木麻衣】


新企画MTV LIVE PREMIUMの第一弾アーティストに選ばれた
倉木麻衣のMTVライブ。

舞浜アンフィシアターはとても見やすく美しい会場です。

ここではライブの感想は省きますが、
とりあえずセットリストを上げておきます。




1.Baby I Like
2.mi corazón
3.NEVER GONNA GIVE YOU UP
4.Everything's All Right
5.きみへのうた
6.Don’t know why (ノラ・ジョーンズ カバー曲)
7.Change the world (エリック・クラプトン カバー曲)
8.See you again (ウィズ・カリファ カバー曲)
9.Secret of my heart
10.今宵は夢を見させて
11.渡月橋 ~君 想ふ~

(Encore)
E1.Love,Day After Tomorrow
E2.always




曲数こそ少なかったが彼女の歌声が堪能出来て、
東京まで遠征して良かった。(^^


今回のライブの模様は9月29日(土)21:00~22:00から、
MTVで放送されますので映像で観るのも楽しみ。

聖アンセルモ 目黒カトリック教会(2018年8月4日礼拝)

2018年08月29日 | 教会・モスク


大圓寺から行人坂を歩き目黒駅方面へ。

徒歩5分程で目黒カトリック教会に到着。

私はクリスチャンでは無い異教徒なので、
教会は敷居がとても高い。

なので教会は余り参拝しないのですが、
教会の建築には興味があるので寄ってみた。




専用の駐車場もありました。



所在地:東京都品川区上大崎4-6-22
宗派:カトリック教会
創建:昭和22年(1947)
創立者:ヒルデブランド神父



【歴史】
目黒教会はベネディクト会によって創立されました。

創立者のヒルデブランド神父、女房役のヨゼフ神父は、
戦中戦後の日本で苦難の時期を歩み、
米国の聖ジョン大修道院に籍を移して創立の為に働かれました。

共産主義国となった中国での虜囚を体験されたエミール神父、
お百姓さんのような暖かいアロイジオ神父、国際派のニール神父は、
目黒教会の基礎を造られた主な修道司祭方です。

そして何よりも米国の多くの貧しい信徒達からの1ドル献金が力となって、
現在の姿が完成したことを記憶に留めたいと思います。

レーモンド氏設計による現在の聖堂は昭和31年(1956)5月に献堂。

長い間ベネディクト会が教会司牧の担当でしたが、
1999年4月より教区司祭が担当する小教区となりました。

聖堂は50年以上過ぎた今も建築史上注目されております。


【聖堂】


早速潜入開始。


【ステンドグラス】




やっぱり教会にコレが無いとね。(^^


【聖堂内部】


誰も居なくて気兼ねなく見学が出来ます。(^^

最前の長椅子に腰を掛けると異教徒でも落ち着きますね。




かなり立派な教会ですね。

お寺や神社でコンクリート打ちっぱなしの建築だったら、
違和感バリバリで批判だらけになると思う。

だけどさすがに教会となると似合うね。


コンクリート自体は無機質で温かみを感じ無いモノだけど、
光の取り入れ方が上手くて明るい聖堂内です。

聖堂には柱が無い設計だけど、
壁が柱の役目になっているんだね。


【十字架】




十字架の後ろには金色のオブジェが。

これはレーモンド氏の設計によるものだそうです。


【朗読台】




このオブジェはよく分かりませんでした。


【聖母イコン】



【ステンドグラス・パイプオルガン】






見事なもので見ていて感動しました。

出来ればパイプオルガンの音色を聴きたかったわ。


これにて目黒カトリック教会の礼拝終了。

こちらにお参り出来て良かったです。

ちなみに御朱印はありません。(笑)

大圓寺(2018年8月4日参拝)

2018年08月28日 | 山手七福神


近年、桜の名所としてニュースでも取り上げられる事が多くなった、
目黒川を過ぎて次の大圓寺へ向かう。


【ホテル雅叙園東京】


大圓寺は行人坂の途中にあるのですが、
登り初めの場所には凄いホテル発見。

一泊4万円以上する高級ホテルで、
アパホテルが限界な庶民の私には無関係なホテルです。(泣)

ただ、ホテルには百段階段と豪華絢爛の部屋が幾つもあり、
「和のあかりX百段階段2018」というアート企画展があったのに、
完全に見逃してしまった。(泣)

情弱はつらい。

いつの日か行けたらいいな。

ホテルには泊まれないけど。(^^;


【お七の井戸】


ホテルの案内板によると、八百屋の娘お七は、
恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し鈴ヶ森で火刑にされた。

吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、
目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ、
隔夜一万日の行をなし遂げた。

明王院という寺院は現在の目黒雅叙園エントランス付近から、
庭園にかけ明治13年頃まであった。

この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前に、
お七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから、
「お七の井戸」と言い伝えられている。


さて、行人坂を歩き大圓寺に到着。

車は境内に5台程は停めれるようでした。



所在地:東京都目黒区下目黒1-8-5
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来
創建:寛永年間(1624-1644)
開山:大海
札所:山手七福神


【縁起】
寺伝では寛永元年(1624)出羽湯殿山の修験僧大海法印が、
大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりという。

明和9年(1772)、寺より火を発し江戸市中628町に延焼した。
振袖火事、車町火事と並ぶ江戸三大火事の一つになり、
行人坂火事として安永元年と年号も改められた。

幕末になって薩摩藩島津氏の菩提寺として再興された。


【山門】


比較的新しい山門ですね。


【行人坂】


山門前から下りを撮影したもの。

行人坂は江戸市中から目黒不動尊への参詣路であり、
名の由来は大円寺を拠点にする修験道の行者が、
この坂道を往来したことによるそうです。


【目黒川架橋供養勢至菩薩】




山門横に祀られていました。


【本堂】




江戸城裏鬼門にあたる為、
徳川家康公をモデルにされた伝わる大黒天と、
十一面観世音菩薩が祀られていました。

御本尊は本堂に祀られていません。

寛永元年(1624)に再建されたもの。


【薬師如来】




東京には塩を塗られたり、縄で縛られたり、
顏にお化粧されたりする地蔵さんや石仏が多いですが、
こちらには金箔を貼られた薬師如来がいました。(^^

身体の悪い部分に真言を唱えながら金箔を貼ると御利益があるとか。

金箔は500円で売っていましたが、
この貼られ具合を見るとかなりの方々が購入している模様。

商売上手ですね。(笑)


【釈迦堂】


こちらに御本尊の生身釈迦如来が祀られていました。

何故、本堂では無くこちらの釈迦堂に祀られているのは、
旧国宝で現重文である生身釈迦如来を安全に保存する為だと思われます。

釈迦堂はいわば収蔵庫なんでしょうね。


【十三重石塔】



【道祖神】



【阿弥陀堂】


車椅子でも参れるようにバリアフリー化されていました。






阿弥陀三尊像が祀られていました。

阿弥陀如来は半跏の姿らしく、
それはとても珍しいですね。


【西運石碑】


八百屋の娘であるお七が恋い焦がれる吉三に会いたいが為に、
自宅を放火し、その罪で江戸市中を引き回しの上、
処刑場で火刑に処され、相手の吉三は後に僧となり西運と名乗り、
諸国を行脚し、お七を弔ったという。


【鐘楼堂】



【観世音菩薩】



【みがわり地蔵尊】



【六地蔵】



【仏頭】


盧舎那仏でしょうか。

理由は分かりませんが頭部だけ残っていました。


【観音菩薩】



【七福神】



【五百羅漢・石仏群】




お寺の左側には沢山の石仏が祀られていました。

明和9年(1772)江戸市街を焼いた大火があり、
火元が大圓寺であったらしく、焼死した人々を供養する為に、
天明年間(1781-1789)に建立、祀られたそうです。

大火の原因は大圓寺の真秀という僧が放火したらしい。(^^;


【釈迦如来】


面白い顔をしてますよね。

昔のビートたけしを彷彿とさせます。(笑)


【とろけ地蔵】




これも東京の変わった地蔵の一つです。

パッと見、ホラーのように見えるとろけ地蔵は、
海で漁師の網にかかり、その後、大火の高熱により、
このように溶けてしまったそうです。

昔から悩みをとろけさせてくれる御利益があることから、
とろけ地蔵と命名されたとか。


【小坊主】



【地蔵尊】


こちらも個性豊かな顔をされています。(^^


【御朱印】

大鳥神社(2018年8月4日参拝)

2018年08月27日 | 神社
ラーメンで腹を満たし山手通りを少し歩くと、
交差点沿いに鎮座する大鳥神社に到着。

神社の隣りには大聖院というお寺がありますが、
鉄筋コンクリの閉まっている本堂と納骨堂のみなので、
華麗にスルー。

その他に近くにはあの有名な目黒寄生虫館があります。


所在地:東京都目黒区下目黒3-1-2
御祭神:日本武尊、国常立尊、弟橘媛命
創建:大同元年(806)
社格:村社


【由緒】
景行天皇の御代、当所に国常立尊を祀った社がありました。
日本武尊は景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、
その後に東国の蝦夷を平定。

この東夷平定の折、当社に立寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、
また部下の目の病の治らん事をお願いされたところ、
首尾よく東夷を平定し、部下の目の病も治って、
再び剣を持って働く事ができるようになったので、当社を盲神と称え、
手近に持って居られた十握剣を当社に献って神恩に感謝されました。

この剣を天武雲剣と申し当社の神宝となっております。

当社の社伝によると「尊の霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、
鳥明神として祀る」とあり、大同元年には社殿が造営されました。

当社の社紋が鳳凰の紋を用いているのはこの為です。

また、江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図に、
当社は鳥明神と記載されております。

尚、この江戸図に記載される社は九社しかなく、
当社は江戸九社の一つにかぞえられております。


【鳥居】


道路沿いにあって鳥居前は車や人が多く騒がしい。


【拝殿】


一歩境内に入ると先ほどまでの喧騒が嘘のよう。

これぞ神社マジックですね。

まずはお参り。

昭和37年(1962)再建されたもの。


【狛犬】



【庚申塔・将軍家】



【三猿】



【目黒稲荷神社】







【神楽殿】



【切支丹灯篭】









【磨崖仏】



【御朱印】


以前はいつでもいただけたようですが、
御朱印対応が嫌になったのかな。

蟠龍寺(2018年8月4日参拝)

2018年08月26日 | 山手七福神


海福寺から目黒駅へ向かって、
首都高下の山手通りを歩いていると蟠龍寺というお寺を発見。

前を歩いている兄ちゃんのTシャツを見ると濡れ過ぎだろ、
というぐらい汗でビショビショ。

今日もそれほど暑い。

あまりの暑さに気乗りはしなかったが、
山手七福神の札所なので寄ってみた。


所在地:東京都目黒区下目黒3-4-4
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:宝永6年(1709)
開山:霊雲上人
札所:山手七福神


【縁起】



【境内】


お寺は細長い境内であり、民家と隣接していました。

車は結構な台数が停めれると思います。




左手が庫裏、奥に見えるのが本堂です。


【本堂】


こちらも海福寺と同じく小さなお寺ですが、
本堂は実に渋い。


【御本尊】




堂内に入れなくても、こうして拝めるのは有難い。

穏やかな表情をされて、
私も穏やかな気持ちになりました。


それにしても暑い。

暑さ指数が厳重警戒レベルを超えた為、
防災無線で熱中症予防の注意喚起の放送が。

こまめに水分を取っているけど、
今日の参拝もほどほどにしないとな。


【石仏】



【弁天池】



【弁天堂】






弁天堂の右手裏側には「おしろい地蔵」という、
お化粧をしているお地蔵さんがいらっしゃったようですが、
完全に見逃してました。


【石仏】


何故か埋まっていました。

もしかしたら下の半分が無いのかな。


【岩窟】




こちらに弁才天が祀られているようです。

中に入っていけます。(^^


【八臂弁才天】


これにて蟠龍寺の参拝終了。

ちょっと狭苦しい境内でしたが、
良い参拝が出来たと思います。(^^

御朱印は余りの暑さと空腹にピンポンを押すこと無く、
お寺を去ったのでいただいておりません。


【支那そば】


山手通り沿いにある「かづ屋」というラーメン店の支那そば。

汗をかいたので塩分補給。(笑)

普通に美味しかったですね。

本当は餃子も食べたかったけど、
夜は電車に乗ってライブ参戦なんで止めておいた。(^^;

海福寺(2018年8月4日参拝)

2018年08月25日 | 仏閣


五百羅漢寺を後にし次の大鳥神社に向かっていると、
すぐ近くに海福寺を発見。

余り期待しないで参拝したら、
我が御屋形様所縁のモノがあったので参拝して良かった。


所在地:東京都目黒区下目黒3-20-9
宗派:黄檗宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:万冶元年(1658)
開山:隠元隆埼



【縁起】


明から来朝した隠元隆埼が万冶元年(1658)に、
江戸深川に開創した黄檗宗の寺でしたが、
明治43年(1910)に現在地へ移転しました。

御本尊の釈迦牟尼仏の他に四天王像や隠元禅師の像、
木造阿弥陀如来立像(区指定文化財)が安置されています。

木造阿弥陀如来像は彫刻技法の特徴などから、
12世紀頃に京都あるいはその周辺で制作されたものと考えられ、
都内で現存している希少な例です。


【山門】




案内板に書かれている通り、
良い雰囲気を醸し出している四脚門です。


【供養塔】




山門手前の左側にありました。


【境内】


小さなお寺です。

しかも御不在感バリバリの雰囲気があります。(^^;

左手の洋風の建物は玄関が境内に向かってある。
御住職の御自宅なんだろうか。

これはピンポン押す勇気無いわ~。(^^;


【本堂】




決して華美にならず凛とした雰囲気の内陣です。

是非とも内陣に入りたかったな。


【鐘楼堂】


お寺の規模の割りに立派な鐘楼堂ですね。


【梵鐘】





【石仏】



【九層の塔】




武田信玄公の屋形にあったと伝えられる石塔です。

まさかここで御屋形様の遺構が見れるとは。

家紋の武田菱が無いけど本物と信じたい。(^^


【境内】


コンパクトでありながら整った境内でした。

御朱印はいただけるようですが、
御不在が多いらしい。

五百羅漢寺(2018年8月4日参拝)

2018年08月24日 | 仏閣
目黒不動の次は近くにある五百羅漢寺へ。

五百羅漢といえば彦根市と尾道市の天寧寺、
和歌山市の五百羅漢寺、加西市の羅漢寺等があり参拝済み。

しかし東京に五百羅漢寺があるとは知らなかったので、
どんな羅漢さんに会えるかとても楽しみです。


所在地:東京都目黒区下目黒3-20-11
宗派:単立
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:元禄8年(1695)
開基:松雲元慶
開山:鉄眼道光禅師



【縁起】
開基松雲元慶は京都生まれの江戸時代前期の仏師で、
寛文9年(1669)に難波瑞竜寺の鉄眼道光の元で出家。

諸国を行脚中、豊前国の羅漢寺で五百羅漢像を礼拝して、
その造立を発願し江戸に下る。

元禄5年(1692)蔵前の16人の富豪、松雲の彫像の為、
浅草寺寿命院境内に仮屋を建立。

松雲元慶に対し桂昌院は公金を下賜し10尊を彫営する。

元禄8年(1695)、本所五の橋の南に土地を賜わり、
黄檗高泉を迎えて点眼供養し天恩山羅漢寺と号し黄檗山末となる。

享保19年(1734)徳川吉宗公は寺地狭隘なるを見、
土地を下賜する旨の言あり、寺地6000坪となる。

元文3年(1738)吉宗公が来駕し禅堂で坐禅を見学、
三年後には百観音堂を建立した。

安政2年(1855)江戸大地震では本堂、三匝堂大破、
東西羅漢堂、天王殿倒壊する等、甚大なる被害をこうむる。

明治政府による廃仏毀釈により三匝堂取り潰され、
百観音像と共に売却される。

明治初年、内務省に届けられた仏像460体が、
明治41年(1908)には370体程度しか残っていなかったという。

大正6年(1917)の大暴風雨、大将12年(1923)関東大震災で羅漢寺大破。

昭和12年(1937)内閣総理大臣、陸軍大将、
台湾総督を歴任した桂太郎の愛妾であった安藤妙照尼が、
羅漢寺の凋落を憂い、翌年住職となる。

昭和23年(1948)宗羅漢寺派として独立分派。

多くの苦難を乗り越え、昭和56年(1981)現在のお堂が完成し、
名実共に目黒のらかんさんとして蘇り現在に至る。



【羅漢会館】


うお!

もっと渋いお寺かと想像していたが、
予想外の近代的なお寺やん。

というか、新興宗教の雰囲気なんですが。(^^;

しかし葵の御紋が見えることから、
徳川家所縁のお寺というのも予想外でした。


【寺頭】


山門は無いようです。


【不退法尊者】


どんな苦難にも退かず、耐え忍ぶのが不退法尊者。
羅漢さんの一人です。

苦しさに負けず いつも心あたたかく 最善を尽くす、
と台座に刻まれていた。


【拝観入口】


拝観料300円を階段を登った受付で支払い参拝開始。

ちなみに正月三が日の期間は無料らしい。


【羅漢堂】


本堂に入りきらない146体もの羅漢さんが3段に安置されていましたが、
彦根市の天寧寺のように天井まで羅漢さんが配置されていないので、
迫力不足は否めない。

ただ、一体一体の羅漢像はなかなか良く出来たものでしたね。

残念ながら撮影不可でした。


【子育観音】



【再起地蔵尊】



【本堂】


法要が終わったばかりの本堂に上がらせていただきましたが、
堂内の中心に鎮座する御本尊と左右の羅漢さん達に圧倒されました。

こちらは必見であり拝み甲斐がありますね。

残念ながら撮影不可でした。


【法堂】




中に入ると五百羅漢寺の歴史史料が展示されている聖宝殿や、
葬儀会場等がありました。

地下に下りてみると仏壇のような小さなお墓が一杯あって、
速攻で退散した。(^^;


【御朱印】


左の御朱印は戌年に因んで平成30年限定です。


御朱印は拝観受付でいただけますが、
参拝の証しで参拝もしないでいただくのはどうか、
云々の注意書きが貼ってあった。

ごもっともだと思う。

だけど入山料を支払わなければ本堂も参拝出来ない。

御朱印が欲しかったら入山料支払ってね、
と暗に示しているようであった。(批判では無い)

目黒不動尊 瀧泉寺 其の二(2018年8月4日参拝)

2018年08月23日 | 江戸三十三観音霊場
目黒不動尊の女坂の階段の途中に何やら渋いお堂があります。


【神変大菩薩】




役小角が祀られていました。

ここだけ異質な雰囲気を感じましたね。


【倶利伽羅剣】



【シャチホコ】


シャチホコの口から冷たい水が出てた。

私も恐らく千を超えるお寺を参拝してると思うが、
こんなの初めて。(笑)

水は飲めませんが手を洗うと冷たくて気持ち良かった。(^^


【地蔵堂】




地蔵大菩薩と左右に閻魔王と奪衣婆が祀られていました。


【交通安全自動車祈祷殿】





【本坊・朱印受付所】


朱印受付の案内板が無ければ少し入り難いかも。


【阿弥陀堂】


阿弥陀堂右手に御朱印受付がありました。






堂内を見ると阿弥陀三尊が祀られていました。


【観音堂】


聖観音菩薩、千手観音菩薩、十一面観音菩薩が祀られていました。

それにしても観音堂の前に居る三人組の女子達は、
暑いのに何をするでも無く、ずーっと立っていた。

何をしてるのかよく分からん。(^^;


【釈迦如来】



【垢離堂】


本坊から出て男坂、独鈷の滝を過ぎると、
青竜大権現を祀る垢離堂がありました。


【前不動堂】


大聖不動明王が祀られています。


【狛犬】




なんかスゲー謝ってるような感じですよね。

ここの狛犬はこんな弱そうなのが多い。(^^;


【宝篋印塔】



【勢至堂】


勢至菩薩が祀られていると思うけど、
柵があり進めないようになっていました。

こういう柵があり進めないようにしているのが、
目黒不動の特徴の一つです。


【六体地蔵】



【大黒天】



【鳥居】


渋谷駅、恵比須駅行きバス停前に鳥居があり、
先に進むと弁天堂があります。

ちなみに反対側には五反田駅行きのバス停がありました。

目黒不動尊がラストの参拝ならバスに乗ったんだけどな。

というか、初めに目黒駅で降りずに、
一駅前の五反田駅でバスに乗って、
目黒不動尊を起点にすれば良かったよ。

バスというのは盲点だったし、
そこまで調べられなかったね。


【参道】



【手水鉢】




何でこんな色をしているんだろ。

硫黄の温泉でも流れているのかな。(笑)


【弁天堂】


恵比寿神・弁財天・大黒天の三福神を筆頭に、
七福神全てを祀っている弁天堂です。

こちらも柵で入れないようにしていました。

この辺りは盗難やイタズラが多いのだろうか。


【稲荷社】





【豊川稲荷】



【弁天池】


何かいるぞ!


【一寸法師】


こ、これは?

おい!これはちょっとやりすぎだろ。(笑)


【御朱印】


三体の内の二体をいただきました。


暑い中の参拝であったが、
見所が多くてなかなか良いお寺であった。

目黒不動尊 瀧泉寺 其の一(2018年8月4日参拝)

2018年08月22日 | 江戸三十三観音霊場
目黒不動尊は仏閣巡りをしている人間なら、
そこそこ知ってるであろうチョイ有名寺院です。

いつかは参拝したいと思っていたので嬉しいです。

それにしても暑い。

35℃を超える猛暑日に参拝するのは、
もはや苦行といっても過言では無い。(苦笑)

本来なら私のような必死系が、
こんな暑い時に参拝するのは自殺行為なのだが、
滅多に来れない東京なんで頑張って参拝するよ。

美味そうな鰻屋を通り過ぎて目黒不動に到着。

駐車場は近隣の有料駐車場を利用となります。


所在地:東京都目黒区下目黒3-20-26
宗派:天台宗
御本尊:目黒不動明王
創建:伝・大同3年(808)
開基:伝・慈覚大師円仁
札所:関東三十六不動霊場、江戸三十三観音霊場、山手七福神、江戸五色不動


【縁起】
当山の開基は今から一千百余年前の平安時代(808)に遡ります。

15歳の慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、
故郷の下野国から比叡山の伝教大師最澄の元へ向かう途中、
目黒の地に立ち寄りました。
 
その夜の夢中、面色青黒く右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、
とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて、
「我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。
来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん」と告げ、
夢覚めた後その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのに創まります。

その後、大師は唐の長安にある青竜寺の不動明王を拝し、
先の神人がこの明王であると分かり、帰朝して堂宇を建立します。

棟札に大聖不動明王心身安養咒願成就瀧泉長久と認め、
この瀧泉をもって寺号と成し、山号は清和の御代に泰叡の勅額を賜り、
泰叡山と称しました。

関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて、
江戸時代には徳川三代将軍家光がこの地で鷹狩りををした際、
その愛鷹が行方知れずになり自ら不動尊の前に額ずき祈願を籠めました。

すると忽ち鷹が本堂前の松樹に飛び帰ってきたので、
家光公はその威力を尊信し、諸堂末寺等併せて、
五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げました。

五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして江戸城守護、
江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、
江戸随一の名所となりました。

また、湯島天神、谷中の感応寺(現在の天王寺)と並んで、
江戸の三富と呼ばれました。

明治時代には二宮尊徳は報徳仕法の成功を祈誓し、
西郷隆盛は主君島津斉彬公の当病平癒の為に日参、
東郷元師は日本海海戦の勝利を立願しました。

その所願は円満成就し、いよいよ不動尊信仰は隆昌を極めました。

しかし、第二次世界大戦の東京大空襲にて伽藍の大部分を失いましたが、
戦後復興し現在に至る。


【仁王門】


堂々たる立派な仁王門です。


【狛犬】



【金剛力士】





【境内】


暑い日はあんまり階段を登りたくないなぁ。(^^;


【狛犬】


こちらも何とも変わった狛犬です。


【宝篋印塔】



【独鈷の滝】



【水掛不動明王】



【男坂】



【女坂】


対して差は無いと思うが、
男坂を登ります。


【鳥居】



【本堂】




本山クラスの立派な本堂です。

御本尊は秘仏として12年に一度、酉年にご開帳されるそうです。

内陣は撮影不可でした。


【狛犬】



【大日如来】


本堂裏手に回ってみます。






裏手には丈六の大日如来が祀られていました。






なかなか個性的にお顔をされています。




暑いので全てを撮影していませんが、
大日如来を守るかのように四方に四天王が祀られていました。


【延命地蔵尊】


本堂向かって右側に祀られているのは、
ちょっと珍しい坐像の地蔵菩薩です。


【二宮尊徳】



【虚空蔵菩薩】



【御神牛】




何故にあんな石柱の上に。

しかも小さい。(^^;


【ハチ】




何の花か知りませんが、
花粉をせっせと集めるハチ。


【不動明王】




不動明王といえば立像か坐像ですが、
この不動明王は半跏像でした。


【鐘楼堂】



【境内】




奥には八大童子の山とか見るべきものがあるのですが、
何故か侵入禁止でした。


【意志不動】




本堂向かって左側に祀られていました。


【不動明王石柱】


お墓みたいですね。(^^;


【微笑観世音菩薩】





【縁結び 愛染明王】




良縁成就がしたくて回りました。(笑)


【青銅製灯篭】


第一区筒先が奉納したもの。

江戸消防記念会のHPによると、
目黒区は現在第八区となっていました。


この後、女坂を下りて参拝を続けますが、
長くなりましたので続きはまた明日。

安養院能仁寺(2018年8月4日参拝)

2018年08月21日 | 仏閣
蛸薬師から目黒不動へ向けて参道というか、
商店街を歩いていると見知らぬ予定外のお寺発見。

暑いし小さいお寺だったら華麗にスルーと思ったが、
なかなか良さげな感じだったので寄り道。

そのお寺の名は安養院です。

後で知ったことだが安養院は慈覚大師が開山したという、
由緒あるお寺でした。


所在地:東京都品川区西五反田4-12-1
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開山:慈覚大師



【縁起】
平安朝の初め、天台宗第三世慈覚大師に依って開かれ、
当初は目黒不動龍泉寺の子院四カ寺の一つであった。

一時荒廃していたが、これを承応元年(1654)木食唱岳長音が再興した。

唱岳長音は師但唱の死後、天海僧正のすすめで当寺を再興し、
当寺で阿弥陀如来坐像や丈六の釈迦涅槃像を彫刻した。

当寺は唱岳長音等の刻んだ釈迦涅槃像を本尊とした為、
俗に寝釈迦寺と呼ばれて世人の信仰を得て近代に至った。

この像は戦災で首のみを残して焼失したが、
近年再造され本堂に安置されている。


【参道】



【石仏】



【宝獅】




これはまた奇妙な狛犬ですね。

こんな造形は初めて見た。(笑)

宝獅と呼ばれる狛犬で、銀座アスター株式会社が昭和63年に、
中国から持ち帰って奉納したそうです。


【総門】



【迂回路】


山門が絶賛工事中なので迂回路を進む。


【地蔵尊】




山門が工事中でなければお会い出来なかった地蔵尊の数々。


【観音堂】


堂守のお婆さんがいらっしゃったので、
ご挨拶してから如意輪観音にお参り。

観音堂は栃木の定願寺より観音堂寄進されたもの。

参拝した時はこれが本堂だと思っていたら、
帰宅してから調べたら本堂で無かった件。(^^;

ちなみに山門までが目黒区、観音堂がある境内は品川区となり、
安養院の境内は目黒区と品川区の二つの区をまたがったお寺です。


【宝篋印塔】



【石仏】





【石号標】


石号標の横に無料駐車場があり、
ここからも境内に入れます。


【地蔵尊】



写真すら撮らなかったのですが、
観音堂の横に大きなお寺に似つかわしくないビルがあり、
5階部分に本堂があったとは全く夢にも思わず。

てっきり納骨堂&葬式場と思っていたよ。(^^;


一階の受付で御朱印をお願いするも、
一週間預かりますと言われ断念。

さて、目黒不動へ行きますか。

蛸薬師成就院(2018年8月4日参拝)

2018年08月20日 | 仏閣
今日は愛する歌姫倉木麻衣のライブが、
ネズミの夢の国近くの舞浜アンフィシアターで開催されるので、
一泊二日で東京遠征です。

毎日クソ暑い日々が続いているので、
最近は全く神社仏閣巡りはしていません。

気温が38℃超が続くこんな時に京都とか、
朝から参拝していたら死んでしまいます。(^^;

しかし、折角東京に行くんだから、
まだ参拝していない目黒不動尊界隈の寺社を巡りたいと思います。(^^

まずは品川駅経由目黒駅で降りて蛸薬師成就院へ。

蛸薬師といえば京都を思い浮かべますが、
東京にも通称蛸薬師と呼ばれるお寺が成就院です。

暑い中歩いて到着。

お寺には10台分の無料駐車場がありました。



所在地:東京都目黒区下目黒3-11-11
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:天安2年(858)
開山:慈覚大師円仁


【縁起】
蛸薬師と呼ばれる御本尊の薬師如来は慈覚大師が、
自身の眼病平癒の為に作ったものに由来すると伝えられている。

慈覚大師が唐から帰朝の折に暴風雨に遭い、
その際に先の像を海に投じて祈ったところ、
無事帰り着くことが叶ったという。

その後諸国巡礼の際に肥前松浦で投じた薬師像が蛸に乗って顕現し、
小像は慈覚大師の手元に戻ることとなった。

成就院蛸薬師の効能について、井上喜平治「蛸の国」では、
蛸を断食して祈ることで吹き出物・疣が治癒すると紹介されている。

境内には3代将軍家光が遠州の秋葉大権現を勧請した
秋葉大権現や江戸時代の地蔵尊や庚申塔が祀られています。


【案内板】



【山門】



【本堂】




本当に慈覚大師が関係しているのか?
と思うような小さなお寺です。

御本尊は秘仏で1月8日の初薬師縁日にだけ、
御開帳されるそうです。

堂内は撮影禁止でした。


【ガスコンロ】


こ、こ、これは?

線香やロウソク用に使うようだけど、
さすがにコレは無いわ。(苦笑)

いくら蓮の小細工加工しても。


【秋葉大権現】


徳川家光公が当山を再興された折、江戸の火防の為とて、
徳川発祥の地に所縁の遠州の秋葉大権現を勧請したもの。


【お静地蔵尊】


德川2代将軍秀忠の側室お静の方が我が子保科正之の栄達を祈願し、
大願成就のお札に奉納されたお静地蔵を奉納したもの。


御朱印はいただけますが、
ピンポンを押すことも無く次のお寺へ向かうのであった。


それよりもとにかく腹が減った。

お寺の横にある海老民本店で蕎麦を食おうと思ったが、
店前に掲示してあったメニューを見ると高いから回避。

これが東京価格なのかな。(^^;

瀧谷不動明王寺(2018年7月8日参拝)

2018年08月19日 | 近畿三十六不動尊霊場
7月に入って仕事でトラブルが連発し、
かなり精神的にダメージを負い弱っている。

こういう時は護摩祈祷してもらって、
厄払いするに限る。

弱っている時は紅蓮の炎を見ると元気が出るんですよね。

さて、そうなると何処で祈祷してもらおうか?

護摩祈祷って結構高いのよね。

しかし以前御祈祷してもらった七宝瀧寺の祈祷料は、
三千円からとリーズナブルなんです。

そういう訳で高速をブッ飛ばし、
泉佐野市にある犬鳴山七宝瀧寺へ。

阪和自動車道上之郷で下り、
あと10分程で到着という場所で、
先日の西日本豪雨で土砂崩れがあって通行止めが発生。

結局、七宝瀧寺に行けなくなり僕は途方に暮れる。

どうしたもんかと考えると、
富田林市にある瀧谷不動明王寺に行くことにした。

こちらは約6年振りの参拝となります。


<2011年5月5日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/3a9c22cab73e5aff23d88d68ca611b2f

<2012年2月4日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/741a1f4af07ec0a149ec7f059841ce1a



所在地:大阪府富田林市彼方1762
宗派:真言宗智山派
御本尊:不動明王
創建:(伝)弘仁12年(821)
開基:(伝)弘法大師
札所:近畿三十六不動尊霊場


【山門】


山門の対面に大型の無料駐車場があります。


【鐘楼堂】



【本堂】


瀧谷不動明王寺では祈祷はせずに参拝のみ。


【観音堂】


慶長年間に建立されたもので、
現本堂が建立されるまでの元本堂です。

聖観音菩薩が祀られています。


【鳥居】




多宝塔へと続く参道には鳥居があります。


【稲荷社】







【多宝塔】




昭和59年(1984)弘法大師御遠忌記念として建立されたもの。

内陣に金剛界大日如来と両界曼陀羅が祀られているそうです。


【風景】


対面に見えている朱色の建物は三宝荒神堂です。

今回は身心共疲れているので回避しました。


【参道】





【一願不動堂】







【参道】



【瀧不動堂】





【滝行場】



【御朱印】



参拝してから数日後、仕事でまた問題発生。

七宝瀧寺で祈祷を受けられなかったケチが付いたからだな。

ダメな時は何をやってもダメな典型ですね。

箱根神社(2018年6月17日参拝)

2018年08月18日 | 神社
今回の巡礼の旅のオーラスは誰もが知っている箱根神社です。

以前、旅行会社のツアーで近くまで行ったのですが、
箱根神社の参拝は予定に無く、華麗にスルーされてしまったので、
どうしても行きたいという気持ちが募っていたのです。

御胎内神社から約30キロ、1時間で到着。

やっぱ超有名観光地だけあって観光客が多いし、
神社の無料駐車場には長蛇の列をなしていた。

15分程並んでようやく大型駐車場に停めれたが、
これほどのビッグネームの神社の駐車場が無料なのは嬉しい。



所在地:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
御祭神:瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊
創建:不明
社格:国幣小社、別表神社
札所:箱根七福神



【由緒】
第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、
同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、
関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
 
天平宝字元年(757)万巻上人は、箱根大神様の御神託により、
現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、
仏教とりわけ修験道と習合しました。

鎌倉期、源頼朝は深く当神社を信仰し、
二所詣(当神社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、
執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、
武家による崇敬の篤いお社として栄えました。

近世、官道としての東海道が整備され箱根宿や関所が設けられますと、
東西交通の要として当神社の崇敬は益々盛んになり、
庶民信仰へと変貌しました。

明治の初年には神仏分離により、
関東総鎮守箱根大権現は箱根神社と改称されました。


【鳥居】


無料駐車場から最初に見るのがこの鳥居です。


【宝物殿】


拝観料500円要。

今回は時間の都合上回避。


【弁財天社】




御祭神:市杵島姫神




かなり人に慣れている鯉でしたね。


【恵比寿社】




御祭神:事代主神


【第四鳥居】



【正参道】



【神門】







【狛犬】



【拝殿・本殿】





【境内社】



【九頭龍神社 新宮】





【安産杉】



【境内】



【曽我神社】




御祭神:曽我十郎祐成之命、曽我五朗時致之命


【狛犬】



【弓道場】





【神輿庫】





【矢立のスギ】







【参道】


第三鳥居を過ぎると箱根町へ行けます。


【平和の鳥居】


芦ノ湖畔に鳥居があり、観光客が沢山並んでいる。




何故、観光客が並んでいるのかと思ったら、
この鳥居前でカップルや女性グループが写真を撮っていた。

はいはい、インスタ蠅、いやもとい、インスタ映えですね。

こんな所でオッサン一人で写真を撮るほど、
神経は図太くありません。(^^;


【芦ノ湖】




奥に第二鳥居が見えました。





はいはい、リア充リア充。

あっしには関係ございません。(泣)


【船庫】



【御朱印】


御朱印は三体授与していただけます。

これにて帰宅の途へ。

本当は湖畔の九頭竜神社と、
ロープウェイに乗って奥宮に参拝する予定であったが、
とてもじゃないが時間が足りない。

箱根界隈は丸一日必要でしたね。

奥宮と九頭竜神社は次回に持ち越し。


さて、箱根から東名高速に乗ろうと車を走らせるも、
箱根って高速から遠いのね。

何十キロも山道を走らされたので参ったよ。

東名高速に乗り焼津さかなセンターへ遅い昼食。

焼津はマグロが有名だから食わない手は無い。(^^

焼津さかなセンターには幾つかの寿司屋がありますが、
今回は回転寿司のぶちゃんという店に入店。

回転寿司といっても職人さんが居て、
中門、いやもとい、注文すればその場で握っていただけます。


【寿司】


三種のまぐろ握り。

内容は大間の本まぐろ赤身・本まぐろ赤身・バチマグロ中トロ。

美味すぎた。(^^

大間の本まぐろは初めて食べた庶民です。(笑)




金目鯛。

美味すぎ。(^^




中トロ三昧握り。

本まぐろ中トロ・バチマグロ中トロ・トロトンボ。

こちらも美味すぎて文句無し。




生桜えび。

美味しゅうございました。

最高の寿司を食べれて、まさに至福の時。


お土産に冷凍マグロのブロックや干物等を購入し帰宅。

焼津から自宅まで4時間半ぐらいかかったね。

さすがに疲れたけど、今回も本当に充実した旅であった。

御胎内神社(2018年6月17日参拝)

2018年08月17日 | 神社


素晴らしい富士山を堪能した後は、
「隣の家族は青く見える」というドラマで、
で深キョンと松山ケンイチが参拝した御胎内神社へ。

御胎内神社は今回の旅でも非常に楽しみにしていました。

深キョンはデビュー時から好きなので、
ロケ地巡りも兼ねております。(照)


神社は富士山噴火(1707)で埋まった溶岩地帯にある、
自然や野鳥ウォッチングを楽しめる御胎内清宏園の中に鎮座しています。




御胎内清宏園の無料駐車場の車を停め、
受付で参拝料200円を支払い歩いて神社へ。

ちなみに受付では懐中電灯やヘルメットをレンタルしてましたが、
まぁ、大丈夫だろと思って借りませんでしたが、
洞窟に入って軽く後悔した。(^^;



所在地:静岡県御殿場市印野1382-1
御祭神:木花開耶姫命、猿田彦命
創建:不明


【由緒】
もとは猿田彦を祭神としてお祭りした池田家の個人神であったが、
後に木花開耶姫命を合祀し村の神社となった。

これは胎内洞窟内に勝間田一族が子育不動尊を安置し、
穴不動とか子安さんとか呼ばれ、村人から崇敬された為である。

胎内神社と名付けたのは大正8年(1919)で、
現在の社殿は昭和34年(1959)に改築されたものである。


【息吐穴】


洞窟の穴があります。




一瞬、ここが神社入口かと思ったが、
どう見てもここから入れそうに無い。

息吐穴という穴でした。


【園内】



【安産夫婦岩】





【美愛ヶ池】



【園内】


実に清々しく気持ちがいい。




下にある母の池・父の池には朱橋がありました。


【秩父宮妃殿下御手植樹】





【菅状溶岩樹型】





【溶岩】


盗難防止の為に厳重な柵が。

まぁ、溶岩は持ち帰り厳禁だから仕方ないな。


【鳥居】


ようやく鳥居が見えてきました。(^^




鮮やかで良い鳥居です。


【境内】



【拝殿】




まずは参拝。


【本殿】



【溶岩隧道入口】


さぁ、いよいよ潜入開始です。




うお!
いきなり真っ暗。

これはライトいるけど、
とりあえず進んで行きます。


【小腸部】


溶岩隧道は人体の内部になぞらえているので、
御胎内と称されています。

入口に入ってすぐに小腸部。

ということは、さっきの入口は肛門なのかな?(笑)


【五臓部】


大腸部を過ぎて五臓部。

真っ暗でライトが無いと進めない状態であったが、
スマホのLEDライトを照らし前に進む事が出来た。




フラッシュ撮影したらこんな感じです。


【乳房石】




男なら確実に反応する乳房石。

必死に探したがスマホのライトでは分からず。(泣)


【前殿】


この辺りから狭くなって進むのがきつくなる。

匍匐前進とまでいかないが、
膝と両手をついて這っていくのが楽だが、
軍手と膝当てが無いと痛いと思う。

それにズボンも汚れる。

仕方なくウ〇コ座りの状態で進むが、
これはこれで膝と腰に負担がかかる。






前殿には大山祇が祀られているようです。




石祠の前に精水池という小さな水たまりがありました。

飲めるかどうかは不明なので、
さすがに飲みませんでしたよ。(^^;

それにしても本当に暗い。




ライトを消すとこんなに真っ暗です。(^^;


【本殿】


前殿までの父の胎内を過ぎると、
本殿がある母の胎内に入ります。






御祭神木花開耶姫命が祀られています。




小さな石祠が見えました。

スマホのライトでは明るさはこれが限界です。


【臍帯部】


ここは暗く狭くて通り難い。

いや~ここまで苦労するとは思わなかった。(^^;


【奥殿】


奥殿が見えてきました。

スマホのライト無しでこの状態。




フラッシュ撮影。




スマホのライト無し状態。




スマホライト点灯状態。

石祠があったのね。(^^;




奥を知らずの奥には穴が続いているみたいだけど、
狭いし暗いし罰当たりな気がするし進む気にならず。




奥殿の御祭神は不明です。


【子返り】


ここが強烈。

ここはどう考えても這いつくばって行くしかない。

狭くて苦しい。

膝の汚れなんか気にしていたら進めない。


【後産石】


スマホのライト無しでこの状態。



フラッシュ撮影するとこんな岩壁でした。


【安産石】




この辺りも暗くて狭くて苦しい。




どれが安産石なのか分からない。(^^;


【母の肋骨】




暗すぎ。(^^;

ライト付けないとこんな感じだから、
閉所&暗所恐怖症の人は行かないよね。






壁の造形美が凄かった。






ここも狭いので進み難い。


【産口】




這いつくばって進む事も出来ないので、
ここが一番苦しかった箇所です。

子返りと産口はマジできつかったわ。(^^;


【出口】


おー、出口やー。

はぁ、良かった~。

出れた時は嬉しかったね。

まさに出産の疑似体験と言っても過言では無い。




入口と出口は違いました。


これにて御胎内神社の参拝終了。

先に参拝した船津胎内神社も洞穴も面白かったが、
御胎内神社の隧道は強烈でしたね。

楽しかったけど思ってた以上に進むのが苦しかったです。

スマホのLEDランプが無い人は、
ライトは必須です。

それに汚れてもいい服で入ってくださいね。

あ、レインコートのズボンなら問題ないですよ。


私が拝殿を去ろうとした時に若いカップルが隧道に入っていった。

顏に似合わずカッコ付けた服を着た男は、
確実に服が汚れたことでしょう。(ニヤリ)


御朱印は対応されていませんでした。