鎮守社に続いて徳光院を参拝です。
徳光院には参拝用の駐車場はありませんので、
近隣の有料駐車場をご利用ください。
所在地:兵庫県神戸市中央区葺合町布引山2-2-3
宗派:臨済宗天龍寺派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:明治39年(1906)
開基:川崎正蔵
開山:高木龍淵禅師
【縁起】
京都嵯峨野の臨済宗天龍寺派に所属し,夢想国師の法灯を掲げる。
当時の管長高木龍淵禅師を請じて開山とした。
神戸に所縁のある川崎造船所(現川崎重工業)の創始者川崎正蔵翁が、
民衆教化の禅道場創立を発願して、境内530坪(1750平米)及び本堂、
庫裡、山門、鐘楼などの伽藍を建立或いは移築して一寄進を以って開基された。
その後、約50年間に亘って川崎家代々の庇護のもと多宝塔、開山堂、弁天堂、
茶室、等の建物を増やし約4000坪(13,200平米)の境内地を擁する現在の輪奐が整えられた。
この地は元の布引滝勝寺(通称滝寺)の跡地といわれる。
同寺の縁起によると滝寺は文武天皇初年(697)、役の小角が布引の滝において修法し、
馬頭観音を祀り創建した寺で、一時七道伽藍、七十有余の僧房、末寺を有し、
頗る隆盛を極めたと伝えられる。
天正七年(1575)花隈城主荒木村重謀反に依る滝山城落城の兵火によって悉く焼失した。
昭和13年(1938)7月5日の阪神大水害と平成7年(1995)の阪神淡路大震災である。
特に阪神大水害では大量の雨で土砂が境内に流れ込み殆どの建物が埋まる大惨事にみまわれた。
しかし民衆教化の道場たらしめん為とその莫大費用も川崎家の拠出金を得て修復され、
本堂・庫裡をはじめ山門、鐘楼など伽藍の全てが守られた。
【山門】
立派な山門があります。
明治40年(1906) 播州より移築した朱楼門であり、
鬼瓦に明和3年(1766)の文字があるところから見て、
その頃建立されたものだそうです。
残念ながら山門の下は通れませんし仁王像はいらっしゃいませんでした。
【多宝塔】
お目当ての多宝塔は実に優美で美しいです。
恥ずかしながらこの多宝塔はおろか徳光院の存在すら知りませんでした。
徳光院は札所ではありませんし、布引界隈の寺社は目立つ寺社はないですからねぇ。
何にせよ勉強不足はよくない。
こんな素晴らしい多宝塔を見逃していたんだから。
室町中期の文明5年(1473)から文明10年(1478)にかけて、
垂水区名谷の明王子に建立されたもの。
これを徳光院の開基川崎正蔵翁が譲り受け、明治33年(1900)布引川崎邸に移築。
昭和13年(1938)現在地に移築。
この多宝塔は兵庫県下最古のもので、神戸市内では唯一の多宝塔。
内陣には文明8年(1476)作の薬師如来座像と10世紀~11世紀初めの作とされる
持国天、増長天立像二体(県重要文化財)が祀られています。
【石段】
【紅葉】
【紅葉】
【経蔵】
【鐘楼堂】
江戸初期の寛永八年(1631)伽耶院に建立されたものを、
明治40年(1907)に徳光院に移築。
旧梵鐘は寛永8年(1631)の作で伏見御香宮神器の銘のあるものであったが第二次大戦に供出。
現在の梵鐘は昭和35年(1960)に再鋳したものである。
【本堂】
本堂は近寄ることすら出来ず。
残念です。
【紅葉】
【観音菩薩】
【庫裏】
【羅漢石仏】
【紅葉】
これにて徳光院の参拝終了。
御朱印はありますが本堂前の柵を見ると、
臨済宗寺院にありがちな檀家優先で一般人排他的な雰囲気を感じたので、
いただいておりません。