十六島湾を見ながら次なる参拝先である鰐淵寺へ。
こちらのお寺はあの弁慶が若かりし頃修行した寺として知られる。
所在地:島根県出雲市別所町148
宗派:天台宗
御本尊:千手観世音菩薩、薬師如来
創建:伝・推古天皇2年(594)
開基:伝・智春上人
勅願:推古天皇
札所:出雲國神仏霊場、中国三十三観音霊場、出雲三十三番観音霊場
【縁起】
伝承では推古天皇2年(594年)信濃の智春上人が、
当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、
勅願寺として建立されたという。
寺号の鰐淵寺は智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に、
誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。
平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、
特に比叡山東塔の無動寺谷と関係が深かった。
伝承では慈覚大師が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという。
平安時代末期、薬師如来を本尊とする別の寺院を吸収、
以後、鰐淵寺は千手観音を本尊とする北院と、
薬師如来を本尊とする南院に分かれることになる。
鎌倉時代には守護佐々木氏(塩冶氏)の保護を得て栄えた。
弁慶は仁平元年(1151)松江に生まれ、
18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる。
南北朝時代には鰐淵寺の北院と南院はそれぞれが北朝・南朝を支持して対立した。
元弘2年(1332)後醍醐天皇が隠岐に流された際、
南院の頼源大師が御所に伺候し宸筆の願文を賜った。
この願文は現存し重要文化財に指定されている。
頼源大師は後醍醐の隠岐脱出を助け南朝に忠誠を尽くした。
南院・北院が和解したのは貞和3年(1347)のことで、
北院の千手観音と南院の薬師如来をともに本尊として安置することになった。
16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、
また祭神が須佐之男命から大国主神に変更されたことから、
神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなり、
その勢力は衰えを見せた。
鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、
現在では根本堂、蔵王堂が往時の賑わいを偲ばせるのみである。
【参道】
無料駐車場から参道というか林道を歩かなければなりません。
これが結構距離が長くて参拝を止めようかと思ったほど。
車だと楽なのにと思いつつ歩く。
参道途中にこのような絵が幾つかあった。
長い参道を歩くこと約15分。
何やら見えてきました。
【仁王門】
ようやく到着。
【仁王】
【境内】
【大慈橋】
【拝観入口】
こちらで拝観料500円を支払い本堂を目指す。
【御成門】
【石仏】
【石段】
石段の前に杖が置いてある。
これは嫌な予感がする。
経験上、こういう時は杖を使うのがセオリーなので使うことに。
更に奥に石段が見える。
【十王堂】
【石段】
なかなかしんどい。
杖あって良かった。
【宝篋印塔・狛犬】
【本堂】
ようやく本堂に到着。
【釈迦堂】
【鐘楼堂】
【鐘楼】
【地蔵堂】
【石仏】
何故かポツンと石仏が祀られていました。
【境内】
【狛犬】
【常行堂・摩陀羅神社】
手前が慈恵大師が祀られている常行堂で、
後ろに見えるのが摩陀羅神社だそうです。
どうりで前の拝殿かと思った建物に違和感を感じたんですよね。
それにしても世にも珍しい配置です。
このようなタイプは初めて見ましたよ。
【御朱印】
拝観入口から別ルートで約10分山道を登ると蔵王堂があるという。
正直、駐車場から仁王門まで歩きと、
本堂までの石段で疲れてしまい、結局行かなかった。
後で調べてみると行かなかったことを激しく後悔した。
次回は必ず蔵王堂に行ってやる。