所用の時間があるので本日最後の参拝となるのが、
法華宗の常楽寺へ。
本来なら少し大きな大龍寺や感通寺へ行くところだが、
この常楽寺は牛込ハイムというマンションの1階にある、
世にも珍しいお寺なんで参拝することにした。
所在地:東京都新宿区原町2-30
宗派:顕本法華宗
御本尊:十界互具曼荼羅
創建:元和元年(1615)
開山:常楽院日経上人
【日経上人】
妙満寺27世。
慶長12年(1608)尾張国熱田で行った浄土宗の正覚寺・沢道との宗論は、
増上寺を経て徳川家康に上訴され、同13年(1608)に増上寺・廓山らと江戸城で、
宗論(慶長宗論)が行われることとなった。
その結果、不受不施義を説いてきた日経上人は敗れたとの判定を下され、
慶長14年(1609)耳と鼻を削がれ酷刑となった。
【耳鼻削ぎ】
日本では主に戦国時代や朝鮮出兵時において、
首の代わりに鼻や耳をそぎ落としたり、
刑罰として見せしめの為に日経上人のように罰せられたりした。
五代将軍・徳川綱吉の生類憐みの令によって廃れていったそうです。
ただ中近東では現代まで残っています。
全くもって残虐な行為ですが、名誉殺人が認められるお国柄ですから。
【門前】
こ、これは山門なんでしょうか。
何ともモダンな建築物ですね。
しかも鐘楼まで。(^^;
【鐘楼】
【案内板】
まさか剣豪の伊藤一刀斎所縁のお寺だったとは。
なかなかのビッグネームなので他の二人と共に少しご紹介しましょう。
【伊藤一刀斎】
バカボンドでも強敵として描かれた伊藤一刀斎は、
戦国時代末期に鐘捲流の流れを汲む一刀流を創設。
夢想剣、払捨刀、絶妙剣、真剣等に秘技を編み出した剣豪
諸国を遍歴し勝負すること33度、ただの一度も敗れなかったという。
後に秀忠が二代将軍に就任したことで、
一刀流は柳生新陰流と並ぶ将軍家指南役として大いに栄えた。
【小野次郎右衛門忠明】
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、剣豪、旗本で、
徳川将軍家指南役。
慶長19年(1614)からの大坂冬の陣には御使い番として、
翌慶長20年(1615)の夏の陣には道具奉行として参戦。
小野派一刀流の開祖とされることが多いが、
忠明自身はこれを称しておらず忠明の子・忠常が小野派一刀流を称し、
弟といわれ一刀斎の伊藤姓を継いだ伊藤忠也の流れの忠也派一刀流を含め、
小野家の流れは小野派一刀流と呼ばれるようになった。
【浅利又七郎義明】
実父である一刀流中西道場第4代・中西子正と、
後に養父となる浅利義信より剣術を学んだ。
弟子に一刀正伝無刀流(無刀流)を開いた山岡鉄舟がいる。
勝海舟は「義明は、剣道の神様といわれた人だ。この人に掛かったら、
どんな人でも手足が縮んで動きができなかった。」と言っている。
維新後は、駿府藩主・徳川家達の剣術指南役を務めた。
その後、鉄舟の斡旋で有栖川宮家の撃剣御用係となり、
威仁親王の剣術を指導した。
【本堂】
本堂は開いていましたが堂内には入れませんでした。
【内陣・御本尊】
【番犬】
狛犬の代わりでしょうか。(笑
【法界万霊塔・石塔】
【楽地蔵】
さっきの犬といいホッコリさせてくれます。(^^
これにて本日の参拝終了。
常楽寺は御首題、御朱印がいただけます。
ちょっと頼み難いですが。(^^;
【寿司】
寿司ざんまいで早めの昼食。
結構高いのでこれだけで終了。
銀座久兵衛で金を気にせず食える男になりたい。