Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

青蓮院門跡 将軍塚青龍伝 紅葉ライトアップ(2019年11月30日参拝)

2020年06月01日 | 出雲國神仏霊場
戦国武将臨終のお寺である報恩寺の特別拝観は本当に良かった。

またいつの日か参拝したいと願いつつ、
次はいよいよ紅葉のライトアップを見に行きます。

それは青蓮院門跡の飛び地境内である将軍塚です。
ここは以前昼に参拝したことがありますが、
ライトアップが初めてなので楽しみです。


所在地:京都府京都市山科区厨子奥花鳥町28
宗派:天台宗
御本尊:青不動明王
創建:大正2年(1915)


【縁起】
桓武天皇は都を奈良から京都の長岡に移されましたが、
いろいろと事故が続きました。

この時、和気清麻呂は天皇をこの山上にお誘いし、
京都盆地を見下ろしながら都の場所にふさわしい旨進言。
天皇はその勧めに従って延暦十三年(794)平安建都に着手。

天皇は都の鎮護の為に高さ2.5メートル程の将軍の像を土で作り、
塚に埋めるよう命じられたことが、この地を将軍塚と呼ぶ由来です。

この将軍塚は国家の大事があると鳴動したという伝説が、
源平盛衰記や太平記に残されております。

また延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を敗り、
また近くは太平洋戦争にここが高射砲の陣地にもなりました。
将軍塚は強者どもが夢の跡でもあります。

青龍殿は大正2年(1915)明治天皇大喪使総裁、
大正天皇即位大礼使総裁の伏見宮貞愛親王殿下より令旨を賜り、
大正天皇の即位を記念して大日本武徳会が中心となり、
京都府民から浄財を募り大日本武徳会京都支部武徳殿として、
京都北野天満宮前に建立されました。

平成21年青蓮院が青龍殿として京都東山山頂将軍塚に移築再建することを決定、
平成26年10月に完成いたしました。


【福徳門】




着いてみると下の駐車場が一杯。
山門横にある無料駐車場も一杯で空くまで待機。

将軍塚のライトアップの人気がよく分かります。
暫く待っていると駐車場が空いたので参拝開始。


【提灯】



【紅葉ライトアップ】


とても良い雰囲気。
期待が高まる。










素晴らしい。
見に来た甲斐があります。(^^

これから展望台に移動。












展望台から青龍殿方向の紅葉。

最高です。
しかしめっちゃ寒い。(^^;




市内方面。
ここから見る夜景もなかなかのものがあります。

それにしても寒すぎてつらい。
ライトアップの時は厚着推奨。

ここまでは無料です。


【青龍殿】




青龍殿と大舞台は拝観料必要です。

拝観料を支払って堂内へ。

堂内はとても広く天井が高い。
雰囲気はお寺の内陣ではなく、まるで神道系新興宗教のそれでした。


大舞台に移動すると夜景が見れますが、
紅葉は見れません。

天気の良い昼間だと景色が見れて良いし、
夜だと夜景もキレイだと思うけど、今夜は寒い。

これにて有料拝観終了。


【紅葉ライトアップ】







【後継之松】





【紅葉ライトアップ】


















これにて将軍塚のライトアップ鑑賞終了。

凄い良かったです。
でもめっちゃ寒かったです。


【御朱印】


御朱印は青龍殿で書置きおいただきました。

佐太神社(2019年9月16日参拝)

2020年04月17日 | 出雲國神仏霊場


松江城には松江神社の他に護国神社等、
二社が鎮座しております。

ここも参拝しておきたかったが時間が無くなってきたので、
今回は断念した。

しかし、その二社を華麗にスルーしてまで参拝したい神社がある。

それが出雲国の二宮である佐太神社です。
この神社は何と言っても社殿が渋いんですよね。

その社殿を見て参拝したくて佐太神社に訪れた次第。
二泊三日の山陰巡礼の旅の最後の参拝となります。


所在地:島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
御祭神:佐太御子大神・天照大神・素盞嗚尊
創建:老元年(717)
社格:式内小社、国幣小社、別表神社
札所:出雲國神仏霊場


【由緒】
当社は導大神であって佐太大神社、或は佐太御子社と云い、
延喜式に佐陀大社と記されてから社号も佐陀大社となった。

別に八百万の神々をお招きしてお祭りするところから、
神在の社とも称えられている。

垂仁天皇54年夏始めて正殿式造営あり、貞観13年従四位下に昇叙。
北多、御井、宇多紀、宇智、垂水、大井の六宮社も未社となり、
秋鹿郡神戸里神領となり遂に後鳥羽院御起請の庄園となった。

また後鳥羽院より「正一位佐陀大明神」の勅額を賜う。

社領七百貫後文永の頃には出雲二宮と仰がれるに至った。

掘尾吉晴藩主となるや本領の内二百石を寄進。
貞享年中藩主松平綱近、正殿式造営をなす。

明治4年佐陀神社と改め、同6年県社、同14年佐太神社と改め、
昭和12年国幣小社に昇格す。


【鳥居】


無料駐車場がありました。


【参道】



【神門】



【狛犬】



【社殿】








渋い、実に渋い。
しかも威厳を感じる社殿です。

最後を飾るに相応しい。


【本殿】




中殿・南殿・北殿の三つの本殿。

最高ですな。


【境内社】







【舞殿】





【神門】



【狛犬】


ここで時間切れになったので参拝終了。


【御朱印】


余裕を持って出雲空港へ走る。
飛行機は新幹線と違って遅刻は出来ないからね。


【夕食】


空港で寿司と蕎麦。

島根と鳥取にはまだまだ参拝したい寺社があるし、
無念の三佛寺のリベンジもある。

次回はもうちょっと温泉や食を堪能したいね。
ベタ踏み坂も走ってみたいし。

次回の楽しみにしておこう。

出発の時間が迫ってきた。

去らば島根&鳥取。
思ってた以上に素晴らしい寺社が多かったね。
出雲大社や八重垣神社よりも。


【夜景】






伊丹空港に近づいてきました。

やっぱ大阪はめっちゃ都会です。(笑)

とりあえずお疲れ様でした。

神魂神社(2019年9月16日参拝)

2020年04月09日 | 出雲國神仏霊場
いよいよ山陰巡礼の旅もフィナーレが近づいてきましたが、
飛行機の時間まで参拝は続けます。

今回の旅でどうしても参拝しておきたいのが、
国宝の本殿を擁する神魂神社です。

写真で見たけど本殿と拝殿の渋さ、素晴らしさが天下一品で、
この目で見て参拝しないと家に帰れませんわ。

ちなみに神魂と書いて「かもす」と読みます。

無料駐車場も当然ながらありました。


所在地:島根県松江市大庭町563
御祭神:伊弉冊大神・伊弉諾大神
創建:平安時代
社格:県社


【由緒】
当社は出雲国造の大祖天穂日命がこの地に天降られ出雲の守護神として創建、
以来天穂日命の子孫が出雲国造として二十五代まで奉仕され、
大社移住後も「神火相続式」「古伝新嘗祭」奉仕のため参向されている。

本殿は室町時代初期、正平元年(1346)建立の大社造で、
その大きさは三間四方高さ四丈あり出雲大社本殿とは規模を異にするが、
床が高く、木太く、特に宇豆柱が壁から著しく張り出していることは、
大社造の古式に則っているとされ、最古の大社造として昭和27年3月国宝に指定されている。

本殿内は狩野山楽土佐光起の筆と伝えられる壁画九面にて囲まれ、
天井は九つの瑞雲が五色に彩られている。


【鳥居】


渋く格式の高さを感じる鳥居です。


【参道】



【鳥居】



【境内社】



【参道】





【手水鉢】


苔がたまりません。


【石段】



【拝殿】



【拝殿・国宝】












渋い、本当に渋い。

さすが国宝。

出雲国の社殿は古代を感じさせてくれる。
まさにロマンです。


【貴布禰稲荷両神社・外山社】



【駒狐】


犬のように見えるが稲荷社なので狐でしょうね。




子狐が雨宿りをしているようでした。(^^


【境内社】









【御朱印】

美保神社(2019年9月15日参拝)

2020年03月28日 | 出雲國神仏霊場
島根県松江市には全国的に有名な神社がまだあります。

それが美保神社です。

創建から1300年以上経っているという古社で、
社殿がとても渋いので参拝が楽しみです。




境港からひたすら海岸線を走り到着。

無料駐車場は神社前の漁港周辺に幾つかありましたが、
さすがに人気の神社だけあって停めるのに苦労しました。


【美保関漁港】




長閑で小さな漁港です。

それがまた良い。








普段は見れない海鳥。

さて、有名な美保神社参拝しますか。


所在地:島根県松江市美保関町美保関608
御祭神:事代主神、三穂津姫命
創建:不明
社格:式内社、国幣中社、別表神社
札所:出雲國神仏霊場


【由緒】
天平5年(733)編纂の出雲国風土記及び延長5年(927)成立の延喜式に社名が記されており、
遅くともその時期には存在していたことがわかります。

全国各地にある事代主神を祠るえびす社3,385社の総本宮として、
水産・海運・商業に携わる人々から広く信仰されてきました。

この神社は早く奈良時代に中央にも知られ国から毎年奉幣があった。

美保関は古来有力な漁業基地で日本海航路の発達に伴い、
重要な風待ち港となったことから、
中世以降は武将による寄進や社殿の造営修復が相次ぎ、
庶民の間にも豊作・豊漁・海上安全をはじめ、
あらゆる商売・生産の守り神として信仰が普及した。

事代主神がえびす様として全国に親しまれているのは、
この地で漁をした神話にもよるが、
この神の広い神徳と美保関の史的条件に負うところが大きい。

特殊神事に祭神が青柴垣に鎮まり神社が創立されたことを記念する青柴垣神事、
天津神の使者が祭神と国譲りのことを議した神話にちなむ諸手船神事がある。

本殿は比翼大社造といわれ国の重要文化財。
他に重要有形民俗文化財として諸手船2隻、
そりこ1隻、奉納鳴物(楽器類)846点がある。

【鳥居】


停める場所が無くて鳥居の奥に停める軽自動車。
本来は停めてはいけない場所なんで止めましょう。




さて、気を取り直して参拝しましょう。


【境内】



【神門】


渋い神門です。

昭和3年(1928)建立されたもの。


【社務所】



【大注連縄】



【拝殿】




これは予想以上に立派な拝殿です。

はっきり言って長閑な漁港があるだけの土地に、
これほどの神社があるのは凄いですよね。

出雲国の方々の信仰心の篤さを感じるしかない。

昭和3年(1928)建立されたもの。


【本殿】




現在の本殿は文化10年(1813)に再建された重要文化財です。


【狛犬】


これは絶対備前焼ですね。


【神饌所】



【鬼面】



【境内社】



【御霊石】





【御朱印】



拝殿がとても印象に残る美保神社でした。

雲樹興聖禅寺(2019年9月15日参拝)

2020年03月25日 | 出雲國神仏霊場
素晴らしい伽藍であった清水寺から約3キロ離れた場所に、
これまた立派な伽藍を擁する雲樹寺があります。

こちらは後醍醐天皇と後村上天皇の勅願寺であったという、
由緒あるお寺です。

30台分ほどの無料駐車場がありました。


所在地:島根県安来市清井町281
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:聖観世音菩薩・釈迦牟尼
創建:元享2年(1322)
開山:弧峰覚明禅師
札所:中国観音霊場、出雲國神仏霊場


【縁起】
後醍醐天皇から国済、後村上天皇から三光の国師号を賜った、
孤峰覚明禅師により開山された臨済宗妙心寺派の古刹。

後醍醐天皇より下賜された天長雲樹興聖禅寺が名前の由来で、
山門の正面上に直筆と伝わる額がある。

サツキ寺、ツツジ寺などの異名もある。

寺宝は参道の半ばに有る開創当時の遺構を残す国の重要文化財四脚門と、
開山堂の中に安置される日本に現存する中では最古の朝鮮製梵鐘高麗梵鐘、
色とりどりの花が咲く境内には子宝を授け家庭和楽の効能のある子授け観音や、
酒断ち地蔵、方丈池の真ん中には薬師堂、
一段高いところには本尊である拈華微笑仏の祀られた仏殿などの伽藍が並ぶ。


【山門】




渋い、実に渋い。

まさにいぶし銀といった風情の素晴らしい山門です。




元禄8年(1695)再建されたもので、
上層に釈迦牟尼佛と十六羅漢が祀られているそうです。


【地蔵尊】



【境内】




奥に見えるのが仏殿です。


【聖観世音菩薩】


中国観音霊場札所。


【観音堂】



【薬師堂】



【蓮池】



【石仏】



【阿弥陀堂】



【仏殿】






これまた渋い仏殿です。

華美にならず臨済宗らしい。


【内陣・御本尊】




典型的な臨済宗様式の内陣。


【石段】


奥に見えるのが庫裏。


【開山堂・方丈】


拝観料を支払えば開山堂と方丈に入れたのに、
お留守で拝観叶わず。(無念)

そういう訳で御朱印はいただけませんでした。

安来清水寺(2019年9月15日参拝)

2020年03月23日 | 出雲國神仏霊場
清水寺と言えば京都の世界遺産を思い浮かべますが、
全国には幾つもあって島根にもあります。

こちらの清水寺はBSで放送されていた五木寛之さんの、
百寺巡礼という番組を見て訪れたと願っていたお寺です。

山陰地方でも屈指の大寺で、
境内にある三重塔に登ることが出来るのです。

これが楽しみで仕方ない。

大型の無料駐車場に停めて参拝開始。


所在地:島根県安来市清水町528
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:(伝)用明天皇2年(587)
開基:尊隆上人
札所:中国三十三観音霊場、出雲國観音霊場、出雲國神仏霊場


【縁起】
寺伝によると当時は山深く谷窮まり、老松古柏が鬱蒼と生い茂り、
近づく者とてない気味の悪い山であったが、
夜になると里に向かって一条の光が現れ、里人を怖がらせていた。

そんな折り山陰道を巡錫中の尊隆上人が通りかかり、十神山の神の願いを受け、
光の源を探るべく山の中腹まで登ってくると、1人の白髪の老人が現れ、
今日まで観音様をお祀りしてきたが、そろそろ次の世に往かねばならぬので、
替わりに観音様をお祀りしてくれる人を探していたと、一体の霊像を託された。

尊隆上人が小さな草堂を結んで霊像を安置したのがお寺の始まり。

推古天皇5年(597)天皇は瑞夢に清水寺の観音、
厄ばらいの霊験あらたかなることを感得され、
詔を奉じて新たに本堂を造営させ、斎田を施して鎮護国家の道場としたもう。

その後幾多の星霜を経て堂塔伽藍ことごとく荒廃し、
中興開山盛縁上人16歳で登山、復興に努めるも道険し、
そんな折り平城天皇瑞夢にてその努力を知られ、詔を奉じて堂舎を再興させる。

これにより当寺は中国地方随一の伽藍を誇った。
その後は朝廷、豪族の庇護を受けて益々栄え、盛時には僧坊48を数えたと云われる。

しかし戦国時代となり尼子と毛利の戦いに巻き込まれ、尼子軍が根本堂に立て籠った為、
毛利軍によって焼き打ちに合い、根本堂のみを残して全山廃尽に帰すも、
勝った毛利家、江戸時代に入ってからは松江藩主代々の庇護を受け、今日の姿に復興した。


【石段】




108段あるらしい。


【大門】




趣のある門です。


【参道】




まだまだ参道が続きます。


【十一面観世音菩薩】



【門】



【参道】


この辺りには精進料理を出す旅館が三軒あるそうで、
蕎麦も食べれるみたい。

ちょっと寄ってみよう。




この坂道が意外としんどい。




凄い大木。


【紅葉館】


雰囲気がとても良さそうな料理旅館のようです。




個室を用意してくれました。(^^


【蕎麦】




本日も蕎麦。(笑)

普段は蕎麦は滅多に食べませんが、
蕎麦が美味い所に行くと年間に匹敵するほど蕎麦を食ってしまう。

美味かったです。(^^


【参道】



【開山堂】



【弁天堂】



【境内】




これはいい。
とても良い雰囲気です。

上に見えるのが本堂である根本堂です。

しかし、またしても石段がある。


【光明閣】


書院。

一週間前までに予約すれば拝観可能です。

事前チェック不足で拝観出来ませんでした。(泣)


【石段】


気を取り直して登る。


【大木】



【根本堂】


明徳4年(1399)建立された重要文化財。

とても厳かな雰囲気で良かったです。
堂内は撮影禁止でした。


【護摩堂】







【境内】



【毘沙門堂】



【三重塔】


いよいよ三重塔が近づいてきました。


【百観音お砂踏み霊場】



【三重塔】




渋い、実に渋い。


【石段】


ダッシュした。(^^


【三重塔】






安政6年(1859)建立されたもの。

これほどのものが国の重要文化財ではない。
まだまだ若い塔だからなのかな。


【境内】



【狛犬】



【悲報】


うわぁぁ~、三重塔に登れないなんて~。(号泣)

何でや~?
せっかく滅多に行けない島根まで来て、
これはもう泣くしかない。

後日、オフィシャルHPで確認してみると、
一週間前までに予約しないとダメらしい。

うーむ、地方の寺院はこれが普通なのかな。

関西の観光寺院だといつでも拝観出来るから、
予約しないでもいけると思っていた自分が甘かったです。

この悔しさを次回参拝する原動力にしたいと思います。


【石段】



【鳥居】


稲荷社へと続く鳥居。


【根本堂】


これで見納め。

また必ず参拝します。


【御朱印】



【御朱印帳】

大山寺 阿弥陀堂(2019年9月15日参拝)

2020年03月20日 | 出雲國神仏霊場
大山寺には少しだけ離れた場所にポツンと重文の建物があります。
それが阿弥陀堂です。


所在地:鳥取県西伯郡大山町大山
御本尊:阿弥陀如来
拝観:3月〜12月の毎月18日のみ堂内を公開(9:00〜16:00)、それ以外は要予約


【縁起】
大山寺に現存する寺院の中では最古の建築物で、
寺伝によれば貞観7年、円仁慈覚大師が創建したという阿弥陀堂。

平安初期に創建、藤原期に建立され、亨禄2年(1529)に山津波で倒壊。
その後天文21年(1552)、現在の場所に再建されたといわれる室町末期の建造物。

御本尊は1131年に大仏師良円によって造営されたと言われる丈六の木造阿弥陀如来。
その両脇には観音と勢至の両菩薩も安置。
建物、仏像とも国の重要文化財に指定されています。


【弁慶駒つなぎ跡】


駐車場近くにあります。








今は立派な大木が聳えていました。


【圓流院】


拝観しようと思っていたのに、
残念ながら閉まっていました。


【参道】


意外と長い参道。

これを見た時、既に歩き疲れていたので、
参拝を止めようと思いました。(^^;






微妙な登り坂です。



ようやく見えてきました。



ハァハァ…。


【阿弥陀堂】






渋い。

周りの雰囲気にとてもあっていますね。

事前に知っていたら拝観出来たのにな。


【殿様墓】


この辺りは寂しい雰囲気が漂う。

【三宝荒神跡】




同じく寂しい雰囲気です。


【参道】



【石仏】



【基好上人の墓】




これにて大山寺界隈の参拝終了。

次なる神社へ。

大神山神社奥宮 其ノ二(2019年9月15日参拝)

2020年03月17日 | 出雲國神仏霊場
大神山神社奥宮の拝殿で参拝後、
境内社を見ていきましょう。


【弁財天社】







【下山神社】










こちらも渋くてカッコいい社殿です。


【狛犬】





【工事中】


土砂崩れがあったようですね。


【奥宮社殿】


これにて奥宮の参拝終了。


【後ろ向き門】





【賽の河原】




長い参道に横道があり、
賽の河原があるという。

とりあえず行ってみましょう。



あっちが賽の河原なのかな。

金門というものがあるらしいが、
今回は時間が無くて近くに寄れなかった。

次回の楽しみにとっておこう。


【風景】









【石仏】



【御朱印】

大神山神社奥宮 其ノ一(2019年9月15日参拝)

2020年03月15日 | 出雲國神仏霊場
大山寺の近くに大神山神社の奥宮が鎮座。

厳かな雰囲気が漂う拝殿で参拝するのが楽しみです。


所在地:鳥取県西伯郡大山町大山
御祭神:大己貴命
創建:不明
社格:式内社、伯耆国二宮、国幣小社、別表神社
札所:出雲國神仏霊場


【由緒】
大神山とは神社が鎮座する大山の古い呼び名です。

大山にいつ頃から神社があったのかはわかりませんが、
古来信仰を集めていた大山において、
頂上を拝める中腹に遙拝所を設けたのが始まりと思われます。

こうした山そのものをご神体として崇めることは日本各地によくあったことで、
多くは本殿を持ちませんでした。

何故ならば古来の日本の信仰では神様が宿られるのは自然そのものであり、
特別にお入りいただく建物は必要なかったからです。

伝承によれば大神山でも建物が建ち始めたのは崇神天皇(西暦300年頃)、
或いは応神天皇の御代(西暦380~390年頃)とも言い伝えられておりますが、
遙拝所に付随する簡素なものであったと思われます。
仏教の影響のもとに本格的な社殿が建てられるようになったのは平安期頃からです。
なおその後も本殿は無く本殿が建てられたのは江戸時代(1701)になってからです。

奥宮の社殿は寛政8年(1796)に火災に遭って消失し、
現在の社殿は文化2年(1805)に再建された物です。

神仏習合の時代は長く江戸時代まで続きましたが、
明治時代になると政府により神仏分離令が出され、
明治4年に尾高の冬宮は国幣小社に列せられ大神山神社本社となりました。

ついで明治8年に大山の夏宮(大智明権現社)より地蔵菩薩を除き、
大神山神社奥宮として純然たる神社となりました。

この時、地蔵菩薩は大日堂に移され現在の大山寺になっています。


【鳥居】



【遥拝所】



【参道】


約650メートルある参道らしい。


【石仏】



【等身地蔵】





【無名の橋】





【参道】


途中から自然石を敷き詰めていて、
結構デコボコしている。

気を抜いたらグキっと足首を捻挫する恐れあり。






歩きにくい道が続く。
左右の端っこの平な部分を歩くのが安全です。


【吉持地蔵】







【鳥居】


鳥居が見えてきました。




鳥居をくぐり振り返るとこんな感じ。


【参道】



【手水舎】


手水舎があるということは拝殿に近づいてきましたね。


【本坊西楽院跡】




こういうものを知ると残念な気持ちになります。


【参道】



【後ろ向き門】








宮家のお成り門であっただけあって、
さすがに気品のある門です。


【参道】




都会の神社では決して味わえない素晴らしい雰囲気です。


【狛犬】



【石段】


ようやく拝殿が見えてきました。


【石垣】




危ない状況です。

これをすぐに修復出来ないのは、
由緒ある有名神社であっても経営はしんどいのかな。


【拝殿】




もの凄く渋い拝殿です。

文化2年(1805)に再建された重要文化財。






左右に広がる長廊。








裏側から見た長廊。


【幣殿・本殿】





【御神木】


長くなりましたので続きは次回。

大山寺(2019年9月15日参拝)

2020年03月11日 | 出雲國神仏霊場
金持ちになることを夢見て金持神社を参拝。

きっと近いうちに高額当選が当たって、
会社を早期リタイヤしてることでしょう。

その金持神社から約30キロひたすら大山に向けて走る。

大山はいつか登ってみたい山ではあるが、
今回は麓の大山寺と大神山神社奥宮を参拝します。

本日のメイン格の寺社であるので楽しみです。


所在地:鳥取県西伯郡大山町大山9
宗派:天台宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:伝・養老2年(718)
開基:伝・金蓮上人
札所:出雲國神仏霊場、中国三十三観音霊場、伯耆観音霊場


【縁起】
奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、
養老2年(718)に俊方(金蓮上人)によって開かれたとされる。

選集抄や大山寺縁起によると俊方はある日大山で鹿を弓で射たが
その対象が鹿ではなく地蔵尊だったと知り、俊方は殺生は罪深いことだったと悟り、
出家して金蓮を名乗り草庵を結び地蔵菩薩を祀った。

この草庵が大山寺の起源とされる。

平安時代に入って天台宗が統括するようになり、
西日本に於ける天台宗の一大拠点となった。

寺の住職である座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、
比叡山に戻って昇格するという僧侶のキャリア形成の場となった。

古くから信仰の道である大山道が岡山県岡山市から南北に整備され、
途中出雲街道とも交差することもあって、信仰だけでなく商業交通の面でも発展した。

中世には尼子氏・毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、盛んに寄進や造営がなされた。

江戸時代に入ると中村一忠によって寺領の一部が没収されたが、
慶長15年(1610)西楽院の僧正豪円が幕府に働きかけたことにより、
大山寺領3000石が安堵された。

明治8年(1875)廃仏毀釈により大山寺の号が廃された。
大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した。
これにより大山寺は急激に衰退。明

治36年(1903年)に大山寺の号が復活し現在に至る。


【参道】


さすがに人気の山だけあって、
結構な登山者がいました。

ここより下の方に登山者用の無料駐車場がありましたが、
かなり埋まっていましたね。


【霊宝閣】


宝物館。

ここのすぐ下に無料駐車場がありました。
停めれて良かったよ。


【仁王門】


堂々たるものです。


【鳥居】


左手を見ると大神山神社の鳥居があります。

神社は後で参拝します。


【手水舎】



【参道】


石段から振り返ったもの。


【石段】




なかなかしんどい。


【仁王門】



【境内】


良い雰囲気です。


【護摩堂】





【石段】



【灯明地蔵】



【灯明杉】



【宝篋印塔・錫杖】



【法華塔】



【鐘楼堂】



【御神牛】



【砲弾】


何故かこんな所に砲弾が落ちていたので、
せめて立ててあげようと思ったけど、
余りの重さに全く動かせず。

めちゃくちゃ重くてビクともしない。

砲弾がこんなに重いとはびっくりした。


【石仏】



【本堂】






堂々たる別格本山に相応しい本堂です。


【下山観音堂】







【駒狐】



【御朱印】

八重垣神社(2019年9月14日参拝)

2020年03月08日 | 出雲國神仏霊場


次なる神社へ向かって気持ちよく走る。
渋滞もなく快適です。

さて、本日最後の参拝は鏡の池が超有名な八重垣神社です。

縁占いは女子ウケする占いで、
やはり今日も多くの女性が参拝されていました。

そんな女性が多い神社にオッサンが行くのは少し躊躇うが、
何事も経験です。

八重垣神社には大型の無料駐車場がありますが、
さすが人気神社だけあっていっぱいでした。

恐らく松江市の半分の人口が来てたんじゃないかな。(嘘)


所在地:島根県松江市佐草町227
御祭神:素盞嗚尊、櫛稲田姫、大己貴命、青幡佐久佐日古命
創建:不明
社格:式内社、県社、別表神社
札所:出雲國神仏霊場


【由緒】
早く出雲の八重垣様に縁の結びが願いたい、という歌は出雲において、
最も古い民謡で御祭神も八岐大蛇を退治し、高天原第一の英雄素盞鳴尊と、
国の乙女の花とうたわれた稲田姫の御夫婦がお祀りしてあります。

素盞鳴尊が八岐大蛇を御退治になる際斐の川上から七里を離れた、
佐草女の森(奥の院)が安全な場所であるとして選び、
大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しなさいました。

そして大蛇を退治して八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を、
という喜びの歌をうたい両親の許しを得て、いざさらばいざさらば連れて帰らむ佐草の郷に、
という出雲神楽歌にもある通りこの佐草の地に宮造りして御夫婦の宮居とされ、
縁結びの道をひらき掠奪結婚から正式結婚の範を示し出雲の縁結びの大神として、
又家庭和合の、子孫繁栄、安産、災難除、和歌の祖神として、
古来朝廷国司藩主の崇敬が厚く御神徳高い神国出雲の古社であり名社であります。


【参道】



【夫婦椿】



【佐久佐女森】


駐車場から普通に歩いたら鏡の池に到着。


【鏡の池】


これが有名な鏡の池かぁ。

意外と小さい池ですね。




やはり女性が占いをしていました。
とても楽しそうです。

間違ってもオッサンがしてはいけません。
イタイだけですからね。(苦笑)

八重垣神社がこれほど有名になったのは、
この占いのおかげですね。

アイデアの勝利といったところでしょうか。


【山神神社】


なんか男のシンボルが見えるのは気のせいかな。(^^;


【天照大神】



【本殿】




うーむ、完全に参拝する順番を間違えたな。


【貴布禰神社・手摩乳神社】



【宝物収蔵庫】



【拝殿】





【参集殿】



【脚摩乳神社・伊勢宮】



【狛犬】



【随神門】



【鳥居】



【連理玉椿】



【御朱印】


本日の参拝はこれにて終了。

なかなか思った通りの予定で参拝は出来なかったけど、
とても充実してました。

さて、晩飯食ってホテルへ向かうか。


【ラーメン】


本日の夕食。


【スマイルホテル米子】


ゆっくり休んで明日に備えよう。

一畑寺<一畑薬師>(2019年9月14日参拝)

2020年03月02日 | 出雲國神仏霊場
続いて有名寺院である一畑寺へ移動。
一畑薬師と言った方が分かりやすいかな。

結構な山の場所にお寺があり、
上まで車で行けるけど、歩きだと1300段の石段を歩くことになるとか。

考えるだけで吐きそうですね。(苦笑)


所在地:島根県出雲市小境町803
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師瑠璃光如来
創建:(伝)寛平6年(894)
開基:補然百八観音霊場
札所:出雲十大薬師、出雲國神仏霊場、出雲観音特別霊場、中国三十三観音霊場、百八観音霊場


【けちえんの道】


大型無料駐車場に車を停めて本堂を目指すが、
めちゃくちゃ広い境内のようです。

これは結構歩くことになりそう。






うむ、これは年寄や足腰の悪い人はつらそうだ。

だけど車椅子や身体不自由者用のルートが別にあるようです。




5分以上歩いたでしょうか、
食べ物屋さんやお土産屋さんが見えてきました。


【出雲蕎麦】


とりあえず腹が減ったので遅めの昼食。

出雲大社前で食べた蕎麦は朝食です。(笑)


【参道】



【地蔵尊】



【百八基灯篭】



【風景】


思えば遠くへ来たもんだ。

ここから宍道湖が見えました。


【山門】





【狛犬】



【本坊書院】


拝観は要予約で500円です。


【石段】



【和尚像・石仏】





【石段】


なかなかしんどい。


【仁王門】



【狛犬】



【仁王】





【石段】


まだ登るんかぁ。(泣)


【境内】


ようやく本堂に到着。


【鐘楼堂】



【ブロンズ像】



【観音堂】




瑠璃観世音菩薩が祀られています。


【十六羅漢像】







【薬師本堂】



【石仏・御霊水】





【薬師本堂】


奥に見えるのが本堂で手前は外陣にあたる礼拝堂です。


【開山堂】





【鳥居】



【鎮守社】



【稲荷社】



【石塔】



【御朱印】




見本。




今回いただいたのがこの二体。


【御朱印帳】


檜の御朱印帳は惹かれたが少し高いので華麗にスルー。


一畑薬師は渋いお寺でした。
また参拝したいですね。

鰐淵寺(2019年9月14日参拝)

2020年02月26日 | 出雲國神仏霊場


十六島湾を見ながら次なる参拝先である鰐淵寺へ。

こちらのお寺はあの弁慶が若かりし頃修行した寺として知られる。


所在地:島根県出雲市別所町148
宗派:天台宗
御本尊:千手観世音菩薩、薬師如来
創建:伝・推古天皇2年(594)
開基:伝・智春上人
勅願:推古天皇
札所:出雲國神仏霊場、中国三十三観音霊場、出雲三十三番観音霊場


【縁起】
伝承では推古天皇2年(594年)信濃の智春上人が、
当地の浮浪の滝に祈って推古天皇の眼疾が平癒したことから、
勅願寺として建立されたという。

寺号の鰐淵寺は智春上人が浮浪の滝のほとりで修行を行っている際に、
誤って滝壺に落とした仏器を、鰐がその鰓に引っ掛けて奉げたとの言い伝えから生じた。

平安時代以降、鰐淵寺は比叡山延暦寺との関係を深め、
特に比叡山東塔の無動寺谷と関係が深かった。
伝承では慈覚大師が出雲地方を訪れた際に、鰐淵寺は天台宗に転じたという。

平安時代末期、薬師如来を本尊とする別の寺院を吸収、
以後、鰐淵寺は千手観音を本尊とする北院と、
薬師如来を本尊とする南院に分かれることになる。

鎌倉時代には守護佐々木氏(塩冶氏)の保護を得て栄えた。

弁慶は仁平元年(1151)松江に生まれ、
18歳から3年間、鰐淵寺にて修行したとされる。
南北朝時代には鰐淵寺の北院と南院はそれぞれが北朝・南朝を支持して対立した。

元弘2年(1332)後醍醐天皇が隠岐に流された際、
南院の頼源大師が御所に伺候し宸筆の願文を賜った。
この願文は現存し重要文化財に指定されている。

頼源大師は後醍醐の隠岐脱出を助け南朝に忠誠を尽くした。

南院・北院が和解したのは貞和3年(1347)のことで、
北院の千手観音と南院の薬師如来をともに本尊として安置することになった。

16世紀後半から17世紀初頭に掛けて、出雲大社では御頭神事が衰え、
また祭神が須佐之男命から大国主神に変更されたことから、
神仏習合を通じて深い関係を持つ鰐淵寺は出雲大社との関係を見直すこととなり、
その勢力は衰えを見せた。

鰐淵寺の勢力は戦国期以降退潮となり、
現在では根本堂、蔵王堂が往時の賑わいを偲ばせるのみである。



【参道】








無料駐車場から参道というか林道を歩かなければなりません。

これが結構距離が長くて参拝を止めようかと思ったほど。
車だと楽なのにと思いつつ歩く。






参道途中にこのような絵が幾つかあった。








長い参道を歩くこと約15分。

何やら見えてきました。


【仁王門】


ようやく到着。


【仁王】





【境内】



【大慈橋】



【拝観入口】


こちらで拝観料500円を支払い本堂を目指す。


【御成門】



【石仏】



【石段】


石段の前に杖が置いてある。

これは嫌な予感がする。

経験上、こういう時は杖を使うのがセオリーなので使うことに。




更に奥に石段が見える。


【十王堂】





【石段】


なかなかしんどい。

杖あって良かった。


【宝篋印塔・狛犬】



【本堂】




ようやく本堂に到着。


【釈迦堂】



【鐘楼堂】



【鐘楼】





【地蔵堂】



【石仏】




何故かポツンと石仏が祀られていました。


【境内】



【狛犬】



【常行堂・摩陀羅神社】


手前が慈恵大師が祀られている常行堂で、
後ろに見えるのが摩陀羅神社だそうです。

どうりで前の拝殿かと思った建物に違和感を感じたんですよね。

それにしても世にも珍しい配置です。
このようなタイプは初めて見ましたよ。


【御朱印】


拝観入口から別ルートで約10分山道を登ると蔵王堂があるという。

正直、駐車場から仁王門まで歩きと、
本堂までの石段で疲れてしまい、結局行かなかった。

後で調べてみると行かなかったことを激しく後悔した。

次回は必ず蔵王堂に行ってやる。

日御碕神社(2019年9月14日参拝)

2020年02月24日 | 出雲國神仏霊場
稲佐の浜から日御碕神社という神社へ。

こちらは楼門をはじめとする社殿が立派な古社で、
格式の高い神社でもあります。

参拝するのが楽しみです。

無料駐車場に車を停めていざ参拝開始。


所在地:島根県出雲市大社町日御碕455
御祭神:天照大御神、素盞嗚尊
創建:安寧天皇13年
社格:式内社、国幣小社、別表神社
札所:出雲國神仏霊場


【由緒】
平安末期には代表的な修験の場であるとされ、
伊勢大神宮は日の本の昼を守り、出雲の日御碕・清江の浜に、
日沉宮を建て日の本の夜を譲らんと、
乙亥の勅にある夕日の崇拝地として、皇室は勿論、代々の幕府、
諸将からも崇敬され、大名、諸将からの寄進も多くあります。

主な社宝として国宝白糸威鎧兜・大袖付をはじめ、重要文化財藍葦威腹巻、
さらに貴重な古社本として尾張徳川義直寄進の出雲国風土記等があります。

現在の社殿は日沉宮、神の宮ともに徳川三代将軍家光の命により、
寛永21年(1644)に建てられたもので、
両宮とも平入の本殿が幣殿を通り拝殿に続く権現造です。

江戸時代初期の貴重な建築として、昭和28年(1953)に社殿及び石鳥居、
石灯籠が重要文化財に指定されています。


【鳥居】



【楼門】






なんという見事な楼門。

素晴らしいと唸ってしまった。


【狛犬】





【客人神社】





【楼門】



【境内】



【日沈宮】




こんな片田舎といったら失礼ですが、
本当に見事な拝殿です。

出雲の人々の信仰心の篤さを感じる拝殿です。


【神の宮】






こちらも素晴らしい。


【拝殿・本殿】



【楼門】



【日沈宮】





【境内社】













【神紋石舎】



【稲荷社】









【駒狐】



【荒魂神社】





【石碑】



【韓国神社】





【神の宮】


これで参拝終了と思って駐車場に戻ると海側に鳥居を発見。

とりあえず行ってみましょう。


【回廊】



【蔵】



【境外社】



【鳥居】



【漁港】



【経島】




島の上に鳥居と祠が見える。

これは日御碕神社の下之宮だそうで、
年に一度、神職他極一部の人しか上陸は許されていないとか。


【鳥居】



【御朱印】


とても見どころがある神社でした。

長浜神社(2019年9月14日参拝)

2020年02月19日 | 出雲國神仏霊場
出雲大社から続いて長浜神社という出雲國神仏霊場札所の神社へ。

無料駐車場に車を停めて早速参拝開始。


所在地:島根県出雲市西園町上長浜4258
御祭神:八束水臣津野命
創建:不明
社格:県社
札所:出雲國神仏霊場


【由緒】
国土生成の神であり出雲国という国号の命名者である八束水臣津野命を祀る当社は、
社号にも出雲を冠し出雲社、出雲神社等と称していました。

創立は和銅3年(710)以前で、中世以降は妙見社、妙見大社等と呼ばれ、
後に妙見信仰が浸透したことがわかります。

明治以降は長浜神社に改称した。

かつては肥後の八代妙見・山城の家苗妙見と並び日本三大妙見と称される程、
霊験あらたかで知られました。

また、豊臣秀吉の唐入りの際の百日祈願でも知られています。
加藤清正や片桐且元・福島正則といった名だたる武将の参拝があり、
その折の弓掛の松が境内にあります。

緒戦の連勝連勝に太閤いたく喜び、桐の神紋をはじめ恩賞を授かっています。
この頃から武道・スポーツ上達の守り神のみならず、
勝負に勝つ神として広く信仰を集めるようになりました。

江戸時代には大梶七兵衛の開拓に先行して、社家の秦重成・喜兵衛の兄弟による、
私財を投げうって海岸の砂防植栽と神門水海干拓事業が、
近世の国引きとして地域開発の歴史の一頁を彩ります。

戦前の社格は県社で現在は島根県特別神社に指定されています。


【参道】


このまま歩けば神門へ。

結構歩きそうですが御安心ください。
本殿横まで車道があり駐車場があります。


【鳥居】


駐車場横にある鳥居ですが、
こちらは正式な参拝ルートではありません。

めんどくさいけど瑞神門まで戻ってから参拝します。


【随神門】




立派な神門があります。


【大しめ縄】



【石段】


随神門の前には石段があり下に鳥居が見えます。

なかなか急な石段で境内近くに駐車場があって助かる。


【狛犬】



【献灯献花】





【厳藻かけ】


海から神馬藻を取ってきてかける場所。

この地域独特のものですね。


【弓掛けの松】


豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、100日祈願、
その恩賞を持ってきた片桐且元が弓を立てかけた松とされる。


【拝殿】




なかなか立派な拝殿です。


【本殿】



【天神社】



【三社鳥居】


これは珍しい鳥居です。


【岐神社】





【夫婦石】





【納社】



【御朱印】


金泥で書いていただきました。

その他に書置きおカラフル御朱印が何体もありましたね。