Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

住吉大社 其の一(2022年5月2日参拝)

2022年07月31日 | 神仏霊場巡拝の道
摂社の大海神社の次はいよいよ本社の参拝です。
ここの社殿は国宝に相応しいもので、
いつ参拝しても感動してします。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
御祭神:底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
創建:伝・神功皇后摂政11年
社格:式内社、摂津国一宮、二十二社、官幣大社、別表神社
創建 伝・神功皇后摂政11年
札所:神仏霊場巡拝の道、河内飛鳥古社寺霊場客番


【北大鳥居】


吉祥殿の前にある鳥居。
江戸時代に建立されたもの。


【狛犬】








この狛犬は備前焼ですね。

また備前に行ってぐい飲みや皿を買いに行きたい。


【チンチン電車】




先ほどの鳥居とは別の正鳥居の前の道路にはチンチン電車が走っています。


【社号石標】



【澪標図屏風】




エース証券が奉納した俵屋宗達作の国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」の
高精度複製品の陶板。

東京丸の内にある静嘉堂文庫美術館所蔵。
この美術館は他にも曜変天目 (稲葉天目)も所蔵しており、
源氏物語関屋澪標図屏風と曜変天目が同時に10/1から公開されます。

これは見に行くしかあるまい。

https://www.seikado.or.jp/exhibition/next_exhibition/


【遣唐使進発の地顕彰碑】


遣唐使と住吉大社が関係してるとは知らなかった。


【正鳥居】



【狛犬】





【参道】



【北絵馬殿】


昭和4年(1929)建立されたもの。


【南江馬殿】



【反橋】


反橋は慶長年間に豊臣秀頼の母淀殿が寄進されたとされます。


【神池】






かつてはこの辺りまで海だったそうです。


【角鳥居・幸寿門】






江戸時代に建立されたもの。

通常、こんなに近くに神門の真ん前に鳥居はないですが、
社格の高さと資金が裕福だったことが伺われます。


【境内】


広々とした本宮域です。


【第三本宮幣殿・第四本宮幣殿】








いつ見ても渋いですね。
重要文化財。

奥に鎮座する第一本宮からお参りするのが慣わしです。


【第三本宮幣殿】





【第四本宮幣殿】





【第四本宮本殿】


国宝。


【第二本宮幣殿】




重要文化財。


【第二本宮本殿】








国宝。


【第一本宮幣殿】






重要文化財。


【第三・第四本宮本殿】



【第一本宮本殿】


国宝。


【侍者社拝所・神饌所】




文政5年(1822)建立されたもの。


【神楽殿】



【境内社】



【撫でうさぎ】


これにて本宮の参拝終了。

次は楠珺社ですが長くなりましたので続きは後日。

大海神社(2022年5月2日参拝)

2022年07月29日 | 神社
住吉大社の種貸社の横に歴史ある式内社が鎮座しています。
それが住吉大社の摂社である大海神社です。

この神社はちょっと外れの場所に鎮座しているし、
そんなに有名では無いので見逃してしまいますが、
社殿がなかなか渋いので参拝はMUSTです。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
御祭神:豊玉彦命・豊玉姫命
創建:不明
社格:式内社、住吉大社摂社


【縁起】
本宮域の北側に鎮座する大海神社は摂社の中でも最も社格が高く、
住吉の別宮、住吉の宗社と称えられ古代の祭祀においても重要視された神社です。

御祭神は海幸山幸神話の海宮の竜王とその娘にあたる豊玉彦と豊玉姫の二柱をお祀りしています。

社殿は本社と同じ住吉造の本殿で四本宮よりも古く宝永5年(1708)に造営されたもの。
幣殿、渡殿、西門と共に重要文化財に指定されています。

鎮座地の西方は往古より玉出嶋といい、神域の杜は磐手の森と称し萩と藤の名所でありました。
社前の井戸は玉の井と呼ばれ、山幸彦が海神より授かった潮満玉を沈めたところと伝えられています。


【南小門】


江戸時代に建立されたもの。


【境内】


住吉大社の本社の賑やかさに比べ寂しい雰囲気がありますね。


【西門】


大海神社にはもう一つ神門があります。




こちらが正門の堂々たる神門です。
江戸前期建立の重要文化財。


【鳥居】


あそこまで行ってまた西門に戻る元気が無かったので、
西門前でパチリ。

手を抜いてすみません。(笑)


【幣殿】








渋い、実に渋い。

これぞゴマラー好みの社殿です。
宝永5年(1714)建立の重要文化財。






装飾も美しい。


【本殿】


宝永5年(1714)建立の重要文化財。


【玉の井】





【志賀社】





【土俵】


住吉大社では古くから相撲会が行われ、
現在も大阪場所の前に横綱の手数入(土俵入)、
横綱による「しめ縄」の奉納が行われています。

しかし、コロナで今年も中止。
いい加減にしてほしいです。


【吉祥殿】




披露宴やパーティ等が行われる会場です。

これにて大海神社の参拝終了。

次回はいよいよ国宝社殿を擁する本社の参拝です。

住吉大社摂社 種貸社(2022年5月2日参拝)

2022年07月25日 | 神社
今日は午前中お休みをもらって久しぶりに住吉大社へ。

最近はいろいろ家のこともあって忙しく、
なかなか参拝出来ない中、参拝したい欲求があり参拝することにした。

大型の有料駐車場に停めて、
目の前にある種貸社から参拝開始。


所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
御祭神:倉稲魂命
創建:不明
社格:住吉大社摂社


【由緒】
初辰まいりにて一番目にお参りする神社で延喜式神名帳住吉大社神代記に、
多米神社と記載されている歴史のある古社です。

稲種を授かって豊穣を祈る信仰であったものが、時代とともに商売の元手、元本、
また子宝祈願の信仰に発展したものと考えられます。

近年、商売をされている方の参拝や子宝祈願等、多くの参詣者が訪れています。
例年3月17日の祈年祭に先立ち、五穀の種をお祓いして、
農業関係者にお分かちする神種頒賜祭という神事が行われており、
種貸信仰の原点を見ることができます。


【社号石標】


石標の下に一粒万倍と塩川正十郎と書かれており、
どうやら塩爺が寄進したようだ。


【鳥居】


駐車場の横に鎮座しております。


【拝殿】



【狛犬】




まさかの三段重ね。(笑)

今まで恐らく千体を超える狛犬を見てきましたけど、
こんな狛犬は初めて見ましたよ。


【木彫り置物】


賽銭箱にこんなモノが置いてありました。

何かメデタイような気がするけど、
500円玉とか掘られているのをみると下世話に見えますね。


【本殿】





【鳥居】


種貸社の鳥居の真横にもう一つ鳥居があります。


【狛犬】





【境内社】









【種貸像】




種貸社の拝殿の裏にはこのような像が置いてありました。

御祭神の倉稲魂命は元種を授ける神様ということで、
子宝祈願として訪れる参拝者が多いとのこと。

これにて種貸社の参拝終了。

住吉大社は見どころが多いので、
まだまだ参拝は続きます。

花園神社(2022年4月10日参拝)

2022年07月23日 | 神社
続いて新宿では規模の大きい花園神社へ向かう。



途中で日清食品ホールディングスの東京本社発見。
私は日清U.F.O.派です。(笑)

ほどなくして花園神社に到着。


所在地:東京都新宿区新宿5丁目17番3号
御祭神:倉稲魂命・日本武尊・受持神
創建:不明
社格:郷社


【由緒】
徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。
徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。

寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領した為、
社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれ、そこで幕府に訴えたところ、
現在の場所を拝領することになりました。

その場所は徳川御三家筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、
たくさんの花が咲き乱れていたそうです。

この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。
花園という名称が正式なものになるのは後代のことで、稲荷神社または三光院稲荷とも呼ばれ、
さらに江戸時代には地名にちなんで四谷追分稲荷とも呼ばれていたようです。

三光院稲荷と呼ばれたのは明治維新以前には神仏習合により、
神社と仏教寺院が同時に祀られることが多く、
花園神社も真義真言宗豊山派愛染院の別院である三光院が合祀され、
住職が別当を兼ねる慣わしだったためであるといわれています。

しかし、その三光院は明治元年 (1868)に維新政府が祭政一致の方針に基づき神仏分離令を発布し、
廃仏毀釈が進む中で花園神社と分離され、本尊は愛染院に納めて廃絶となりました。

昭和3年(1928)雷電稲荷神社を合祀、郷社に昇格した。昭和40年(1965)本殿に建て替えられ、
その際に末社・大鳥神社(祭神:日本武尊)を本殿に合祀し、社名を花園神社に改めた。


【大鳥居】


平成8年に建立された若い鳥居です。


【参道】



【拝殿】




昭和40年(1965)建立されたもの。

立派な拝殿でまずはお参り。


【宝物殿】




本社神輿と雷電神輿の二基と獅子頭が納められているそうです。


【桜】



【威徳稲荷神社】





【狛狐】





【威徳稲荷神社】




富士塚のようなものを上に祠と見慣れたブツが。
わざわざタマ金も置いてあるとはやりますな。(笑)


【芸能浅間神社】







【藤圭子歌碑】



【御朱印】


これにて本日の参拝終了。

その後、所用を終わらせ帰宅の途へ。


【牛タン弁当】




東京駅の利休で牛タンを食べたかったが時間がなくて弁当。
普通に美味しかったです。

稲荷鬼王神社(2022年4月10日参拝)

2022年07月21日 | 新宿山ノ手七福神
日本で唯一と言われる鬼王という名前が付いた神社が、
東新宿駅近くに鎮座しています。

これはもう行くしかないでしょう。

住所的に歌舞伎町なんですが、
この辺りはネオン街の歌舞伎町の雰囲気は全くありませんね。


所在地:東京都新宿区歌舞伎町2丁目17-5
御祭神:宇迦之御魂神、鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)、旧大久保村の神々
創建:稲荷神社/承応2年(1653)
   鬼王神社/宝暦2年(1752)
札所:新宿山ノ手七福神


【由緒】


稲荷神社は承応2年(1653)将軍家綱公の時、
当所の氏神として正一位福嵯稲荷大明神を勧請した。

鬼王神社は鬼王権現と称し宝暦2年(1752)に、
当所百姓田中清右衛門が紀州能野から勧請した。

湿疹・腫物を初め諸病いっさい豆腐を献納して祈れば必ず平癒するといわれ、
今日でも広く信仰されている。

三島神社は別名開運恵比寿とも称え、文化年間(1804-1818)に、
松平出雲守邸内より出現し御後室の居間に安置してあったのを、
後、二尊院に奉納した。

同院は新義真言宗芝愛宕円福寺寺中金剛院末で、
雨宝山と号し、松平家の祈願所であった。

この二尊院は代々稲荷鬼王神社社家大久保家にて別当職を兼ねており、
嘉永6年(1853)10月同院火災にかかり、
当時の別当大久保家十三世政光がその恵比寿神を大久保家に遷した。

維新の神仏分離により大久保家守護神とし、
後、十四世義道が稲荷鬼王神社境内に奉斎じ今日に至っている。

またこの恵比寿神は山ノ手七福神の一つに数えられ参拝者も多い。


【鳥居】



【狛犬】





【井戸】



【拝殿】



【狛犬】





【天水琴】





【本殿】



【水鉢】





【鳥居】



【恵比寿船】





【三島神社】




御祭神:事代主命


【水琴窟】


【富士塚】


山頂には浅間神社の小さな祠が祀られていました。


【鳥居】



【御朱印】


見本です。






今回は二体いただきました。


この神社については下記のブログで詳しく書かれていますので、
参考にしてください。

https://jinjamemo.com/archives/inarikioujinja.html

永福寺(2022年4月10日参拝)

2022年07月19日 | 新宿山ノ手七福神
東新宿界隈の神社仏閣巡りはもう少し続きます。
次に参拝する永福寺は新宿山ノ手七福神の札所であります。


所在地:東京都新宿区新宿7-11-2
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:慶安元年(1648)
開山:尊悦上人
札所:新宿山ノ手七福神


【縁起】
永福寺は慶安元年(1648)創建といわれている歴史あるお寺です。

嘉永年間、植木師をしていた鈴木源蔵が、信州善光寺に参詣した帰り道、
犀川の岸辺で福禄寿に似た奇石を拾いました。
源蔵は深く喜びこの石を家宝とし、日々礼拝供養を怠らずにいると、
日ごとに家は栄え、現在の地に居を移しました。

昭和9年に秘宝を公開することにして、
豊香園より永福寺に福禄寿を移転し安置しました。


【石号標】



【山門】



【庫裏・本堂】



【桜】








こちらの桜は見事でした。


【大日如来・地蔵菩薩】



【鎮守社】


これにて永福寺の参拝終了。

本堂は堂内すら見れなかった。
いろいろ理由はあると思うけど、やっぱり残念だな。


【久左衛門坂】




徳川家康の江戸入府以前から大久保に居住していた島田家の草創久左衛門が、
新しく開いた坂道であった為、名付けれれた坂だそうです。


【島崎藤村旧居跡】




東新宿駅前に見つけました。

明治38年5月、執筆中の小説破戒を完成させる為、
家族を連れて上京し明治38年5月より翌39年9月までの時期に住んだそうです。

そういえば島崎藤村の作品は読んだことないな。
折角のご縁なんで破戒という作品を読んでみるかな。

専念寺(2022年4月10日参拝)

2022年07月17日 | 仏閣
続いて先ほど参拝した専福寺の隣に専念寺というお寺があります。
とりあえず行ってみましょう。

所在地:東京都新宿区新宿6-20-6
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:不明
開山:茂天


【門前】


車は境内に停められるようですね。


【地蔵尊】





【六体地蔵】



【本堂】




専念寺の本堂と同じような建物ですね。
一緒の建築家さんかな。(笑)

こちらも残念ながら堂内は見れませんでした。


【石仏】



【桜】






これにて専念寺の参拝終了。

典型的な檀家寺のようですね。
御朱印は恐らく無いと思われます。

厳島神社抜弁天(2022年4月10日参拝)

2022年07月15日 | 新宿山ノ手七福神


先ほど参拝した専福寺の前に神社が鎮座しています。
それが新宿山ノ手七福神の札所である厳島神社。

とても小さな神社です。


所在地:東京都新宿区余丁町8-5
御祭神:市杵島姫命
創建:応徳3年(1086)
札所:新宿山ノ手七福神


【由緒】
応徳3年(1086)鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~1087)で、
奥州平定に向かう途中ここに宿営した。
この地はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、
この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先、安芸に鎮座する厳島神社に戦勝を祈願した。

そして義家は奥州平定を成し遂げ、その帰途、
戦勝のお礼のためこの地に神社を建立、厳島神社を勧請したと伝えられる。

義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、
また境内参道が南北に通り抜けできることから抜弁天ともいわれ、
江戸の六弁天に数えられる。


【鳥居】



【手水舎】



【鳥居】



【本殿】





【金魚・鯉】




この日は暑かったので足でもつけたかったです。(笑)


【社務所】



御朱印は1/8以降は西向天神社でいただけるとのこと。

専福寺(2022年4月10日参拝)

2022年07月13日 | 仏閣
法善寺参拝の後は専福寺という真宗大谷派のお寺へ。

事前連絡では特に目立つお寺ではありませんが、
本堂が変わった建物なので寄ってみた次第。


所在地:東京都新宿区新宿6-20-9
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛永8年(1631)
開山:宗泉上人


【法語】


なるほど。


【門前】



【参道】



【本堂】






浄土真宗系はモダンな本堂が多いですが、
こちらも洒落た本堂ですね。

残念ながら閉まっていましたが、
それは真宗系らしくないですね。


【手水鉢】



【上人像】


親鸞聖人や顕如上人には見えないので、
開山の宗泉上人かな。


【寺号石標】



【石仏】








専福寺の参拝終了。
恵心僧都作と伝わる御本尊を拝みたかったね。

御朱印は大谷派なのでございません。

法善寺(2022年4月10日参拝)

2022年07月11日 | 新宿山ノ手七福神
東新宿界隈には新宿山ノ手七福神の札所が幾つかあります。
まずは徒歩で法善寺というお寺へ。

法善寺といえば大阪ミナミにあるお寺が有名ですが、
新宿にもあるんですね。


【桜】








ピンクの可憐な花が美しい。
癒やされるというより惚れてまうやろという色がとても良い。


所在地:東京都新宿区新宿6-20-16
宗派:日蓮宗
御本尊:釈迦如来
創建:江戸時代前期
開山:実成院日相
中興:池田(松平)綱清公
札所:新宿山ノ手七福神


【縁起】
日相上人は弘法山三澤寺(静岡県富士宮市)の第10世で、
三澤寺の寺伝に拠れば承応3年(1654年)12月に七面山での一千日水行を成満し、
三澤流祈祷相承の流祖となった大験者である。

後に鳥取藩第2代藩主池田綱清が大病を患った際に日相に平癒祈願を依頼したところ、
忽ちに癒えた事から以後深く帰依し、本堂・庫裡・七面堂を建立、
寺領4町四方(48,000坪)を寄進したと伝えられている。

更に時が下り池田綱清が大久保の鳥取藩抱屋敷付近に堂宇を建立、
日相を開山に迎え春時山光清院と称し(後に法善寺と改称)、
中正院日護の作と伝えられる七面大明神像を奉安した。
なお、この七面大明神は江戸府内で最初に祀られたものと伝えられており、
現在は新宿区の文化財に指定されている。

このような経緯から法善寺と三澤寺の関係は緊密であり、
24代にわたる法善寺歴代住職の内、実に6人が三澤寺から晋山している。


【案内板】





【山門】



【境内】


小さいお寺です。
車は境内に数台分停めれますね。


【本堂】



【内陣】




堂内に入ることは出来ませんでしたが、
内陣をこの目で見れて御本尊を拝めて良かった。


【浄行菩薩】





【石碑】



これにて参拝終了。
御首題や御朱印をいただけます。

ところで七福神の壽老人はいずこ?

献花(2022年7月9日参列)

2022年07月09日 | 旅行・その他


西大寺駅から現場を撮影したもの。

私は自民党員でも無ければ、
安倍さんのファンでもない。

彼の強引な政治手腕も思うところもある。

しかし、昨日の事件を見ていてもたってもいられませんでした。

駅に着くと花束を持った老若男女を問わず、
沢山の方々が来られていました。








献花台には台に置ききれない程の花束や飲み物が置かれ、
また、献花の為に大行列をなしていました。

心よりご冥福をお祈りいたします。


しかし、これだけは言わずにはいられない。

今日西大寺駅の現場を見て思ったのは、
安倍さんが演説していた場所は後ろに聴衆はいるし、
車も真後ろを通る渋滞ポイント。

映像では安倍さんの後ろを見て守っている警察官やSPはなし。
暗殺されることは無いと思っていた県警やSPの完全な油断ですね。

あれではプロのヒットマンじゃなくても成功するわな。

一発目の後も制圧に動いてない。
レーガン大統領が暗殺されかけた時は周りのSPが、
大統領を守ろうと神速で覆い被さったのに。

全くもって世界に恥ずべき奈良県警の大失態。
猛省してもらいたい。

いや、残念ながら奈良県警だけではなく、
全国の警察がこんなんだろうな。

合掌(2022年7月8日)

2022年07月08日 | 旅行・その他









安倍元首相が奈良県の西大寺駅前で演説をしている時に、
真後ろから暗殺されるというショッキングな事件が起こってしまった。

未だに信じられないし犯人に激しい怒りを感じるし、
警備が余りにも手薄で無防備ですよね。

これは完全に警察とSPの大失態です。
猛省してもらいたい。


それにしても令和になってからろくなことが起こっていない。

京アニ事件

首里城火災

新型コロナ流行

オリンピック延期

福島沖地震(2021)

オミクロン株流行

トンガ噴火

ウクライナ侵攻

福島沖地震(2022)

安倍元首相暗殺

南海トラフ(予定)

大化から慶応までは災害や天変地異等の理由で、
頻繁に改元が行われてきた歴史がある。

これはもう遷都して改元するレベルですよ。
今は出来ないけどね。


最後に安倍元首相のご冥福をお祈り申し上げます。
せめてやすらかに眠ってください。

大聖院五大尊寺(2022年4月10日参拝)

2022年07月07日 | 仏閣
先ほど参拝した西向天神社の真横に、
別当寺の大聖院というお寺があります。

そこにお寺があるのにスルーは出来ませんね。

所在地:東京都新宿区新宿6-21-11
宗派:天台寺門宗
御本尊:不動明王
創建:不明


【縁起】
天台寺門宗の寺院で、梅松山大聖院五大尊寺という。
本寺は不動院といって西向天神社の別当寺であった。

一説によれば寛正年間(1460年代)に牛込重次が創建したというが、
牛込氏に重次という人物は存在せず、同寺は中世には現在の春日部市にあったことが、
はっきりしているので確かなことではない。

西向天神の中興者が玄信大僧都であったことから、
本山派修験との関係が強かったことがわかるが、
大聖院も現在地へ移転する前から本山派に属しており、
移転後は同派の江戸番所を勤めている。

江戸時代の大聖院は聖護院門跡の直末として、
天台宗兼正大先達という位置にあり院家に準ずる格式であった。

明治維新時の神仏分離令で西向天神社と分かれたが、
その際、同社に伝わった文書類を継承し、現在でもそれを所蔵している。

主なものは天満宮由緒書、天満宮出自記、東大久保村地誌書上帳、不動明王縁起、
大聖院境内図書上、紅皿縁起などがある。


【天台寺門宗】
大乗仏教の宗派の一つで妙法蓮華経を根本経典とする。
高祖は中国南北朝時代から隋の時代の天台大師智顗(538~597)、
宗祖は日本平安時代の第5代天台座主の智証大師円珍(814~891)。
円珍は弘法大師空海の姪の子である。
総本山は長等山園城寺、天台宗寺門派とも呼ばれる。


【案内板】



【本堂】


小さい公民館というか集会所みたいな本堂です。
というか、恐らくご住職はいないんじゃないかなという風情です。

残念ながら内陣すら見れませんでした。
見どころが無いお寺だけに余計に残念ですね。


【扁額】



【不動明王】




台座の下に二体の童子と割れてる後背を見ると不動明王かな。

これにて大聖院の参拝終了。
御朱印は無いと思われます。

西向天神社(2022年4月10日参拝)

2022年07月05日 | 神社
明治神宮から所用がある東新宿駅へ移動。
お腹が空いたので海鮮三崎港 新宿イーストサイドスクエア店で寿司。


【寿司】










味は値段の割にまぁまぁといったところかな。

これだったら西新宿駅近くのお寿司屋さんに行けば良かったな。

とりあえず腹を満たしたところで近くの西向天神社へ。


所在地:東京都新宿区新宿6-21-1
御祭:菅原道真
創建:安貞二年(1228)
社格:村社


【由緒】
安貞二年(1228)に明恵上人(1173-1232)が創建したと伝えられ、
社殿が西を向いているため西向天神と呼ばれました。
また棗の天神とも呼ばれます。

江戸名所図会ではその由来を不明としていますが、
一説に三代将軍家光が鷹狩りの際に立ち寄り、
境内が荒れている様を見て、黄金の棗を下されたからといわれています。
 
天正年間(1573-92)に兵火を受け焼失しましたが、村人により祠が建てられ、
その後、聖護院宮道晃法親王が江戸に下った祭に、
元信という僧侶に命じ社殿などが再建されました。

天保13年(1842)には富士塚が築かれ、現在でも境内に残っています。
 
別当寺であった梅松山大聖院は神社の北側にあります。
江戸時代には聖護院宮を開基とする門跡寺院で、
本山修験派の江戸の拠点となっていました。

境内には太田道灌の山吹の里伝説に登場する紅皿の墓と伝えられる板碑があり、
寺の前の狭い石段を山吹坂と呼んでいます。


【桜】





【鳥居】




地元に根ざした神社といった風情を感じます。


【狛犬】





【鳥居】



【拝殿】




ここが本当に大都会の新宿かと思うような雰囲気を感じるとは。
神社の境内だけが時が止まっているかのようです。


【狛犬】





【神楽殿】



【鳥居】


これにて西向天神社の参拝終了。

どこか田舎に鎮座するような神社でした。(^^

私はいただきはしませんでしたが、
御朱印と御朱印帳を拝受しておられました。

明治神宮御苑(2022年4月10日散策)

2022年07月02日 | 神社
明治神宮をお参りしてから境内にある御苑へ。

御苑は江戸時代に加藤家、井伊家の下屋敷の庭園でしたが、
明治時代に宮内省の所管となり南豊島御料地と呼ばれました。
その後、明治天皇がお身体のお弱かった昭憲皇太后の運動の為、
遊歩庭園として明治36年頃に整備。
明治神宮の鎮座地が代々木に決定されたのは、この御苑が大きな理由のひとつ。

通常庭園は平安神宮の庭園と同じく軽くスルーするところですが、
こちらには清正井という超有名な湧き水の井戸がある。

パワースポットだのスマホの待ち受けにすれば良いだの、
いろいろ言われていますが、美しい湧き水を見て、
私の穢れた心を綺麗に浄化してもらおうと思って御苑に入る気になった次第。

楽しみです。


所在地:明治神宮境内地
御苑維持協力費:500円


【拝観入口】




こちらで協力費を支払い御苑内へ。


【隔雲亭】






明治33年に明治天皇が昭憲皇太后のために建てられたご休所。
戦災により焼失し現在の建物は昭和33 年に再建されたもの。

お茶室となり座礼の間と立礼の間があるそうです。


【苑内】





【隔雲亭】





【苑内】



【菖蒲園】











【清正井】


やはり人気スポットだけあってちょっと並びます。
混雑時に比べるとかなり少ないようですが。








おー、これは確かに美しい湧き水です。
まさに清冽な水とはまさにこのこと。

特にパワースポットとは思いませんが、
心が浄化されたのは間違いない。

あ、それがパワースポットなのかな。

ちなみにここは江戸時代に加藤家の下屋敷があり加藤清正の子忠広が、
住んでいたことは間違いないようですが、
清正本人が住んでいたかは定かではないそうです。

その後、加藤家が途絶え、その後井伊家の下屋敷となり、
この地に戦国大名であった加藤家と井伊家の人々が住んでいたと、
想像するだけで胸熱です。


【苑内】



【四阿】








こんな所に私の大好物の茅葺きの屋根が見れるとは。

規模は小さいですが心が落ち着きます。


【苑内】









【つつじ苑】














これにて御苑の散策終了。

清正井は見る価値ありでした。
また見たいと思います。


【参道】







【鳥居】






明治神宮は今まで避けていましたが、
なかなか良い神社でしたね。

平安神宮に足りないのは心を落ち着かせる森の参道です。
あの神宮には何故か神様が居ないと感じるのは、
そのせいかも知れない。