唐突ですが皆さんは鰻は好きでしょうか。
私はひつまぶしがこの世で最も好きな食べ物の一つと、
言いきれるほど大好きです。
なので無性に食べたくなる時がある。
昔はひつまぶしを食いに名古屋まで行ったけど、
さすがに家族と一緒だとしんどいので、
今日は家族で鰻を食いに大和郡山市へ。
【うなぎの川はら】
結構評判がいいお店です。
【ひつまぶし】
4000円ぐらいだったかな。
なかなか美味かったけど、
やっぱり名古屋の名店は凄いなと思った。
さて、このまま帰るのは勿体ないので、
郡山城近くにある永慶寺というお寺を参拝です。
永慶寺は柳沢吉保が開基で甲府にあった由緒あるお寺。
享保9年(1724)柳沢吉保が大和郡山へ転封されると、
お寺も大和郡山に移転した歴史があります。
所在地:奈良県大和郡山市永慶寺町5-76
宗派:黄檗宗
御本尊:釈迦釈迦牟尼仏
創建:宝永7年 (1711)
開基:柳沢吉保
開:悦峰道章禅師
【縁起】
甲斐国志によれば将軍徳川綱吉の側用人である柳沢吉保が、
萬福寺八代住持の悦峯道章を招聘し創建されたという。
吉保は江戸期に中国から伝来した黄檗宗を信仰し、
永慶寺は黄檗宗による柳沢家の菩提寺として創建された。
甲府時代の永慶寺の伽藍配置は南に惣門、中央に仏殿、仏殿北に方丈、
仏殿西に禅堂・祠堂、仏殿東に鐘楼・斎堂、惣門奥に天主堂が配置され、
萬福寺に類似した配置であったとされる。
吉保は生前に柳沢氏の転封に際して永慶寺の甲斐存置を望む意思を示しているが、
享保9年(1724)の甲斐一国の幕府直轄領化に伴いに、大和郡山へ転封されると、
寺領安堵の朱印状を得られなかった永慶寺は大和郡山に移転された。
【山門】
山門横に無料駐車場がありました。
【石段】
【鐘楼堂】
【本堂】
【内陣】
禅宗らしい内陣と御本尊様です。
【石碑】
【地蔵堂】
【庭園】
【弁天堂】
【鎮守社】
【鳥居】
【弁天門】
竜宮を思わせるド派手な門です。
黄檗宗ではこんな配色がデフォルトです。
【御朱印】
私はひつまぶしがこの世で最も好きな食べ物の一つと、
言いきれるほど大好きです。
なので無性に食べたくなる時がある。
昔はひつまぶしを食いに名古屋まで行ったけど、
さすがに家族と一緒だとしんどいので、
今日は家族で鰻を食いに大和郡山市へ。
【うなぎの川はら】
結構評判がいいお店です。
【ひつまぶし】
4000円ぐらいだったかな。
なかなか美味かったけど、
やっぱり名古屋の名店は凄いなと思った。
さて、このまま帰るのは勿体ないので、
郡山城近くにある永慶寺というお寺を参拝です。
永慶寺は柳沢吉保が開基で甲府にあった由緒あるお寺。
享保9年(1724)柳沢吉保が大和郡山へ転封されると、
お寺も大和郡山に移転した歴史があります。
所在地:奈良県大和郡山市永慶寺町5-76
宗派:黄檗宗
御本尊:釈迦釈迦牟尼仏
創建:宝永7年 (1711)
開基:柳沢吉保
開:悦峰道章禅師
【縁起】
甲斐国志によれば将軍徳川綱吉の側用人である柳沢吉保が、
萬福寺八代住持の悦峯道章を招聘し創建されたという。
吉保は江戸期に中国から伝来した黄檗宗を信仰し、
永慶寺は黄檗宗による柳沢家の菩提寺として創建された。
甲府時代の永慶寺の伽藍配置は南に惣門、中央に仏殿、仏殿北に方丈、
仏殿西に禅堂・祠堂、仏殿東に鐘楼・斎堂、惣門奥に天主堂が配置され、
萬福寺に類似した配置であったとされる。
吉保は生前に柳沢氏の転封に際して永慶寺の甲斐存置を望む意思を示しているが、
享保9年(1724)の甲斐一国の幕府直轄領化に伴いに、大和郡山へ転封されると、
寺領安堵の朱印状を得られなかった永慶寺は大和郡山に移転された。
【山門】
山門横に無料駐車場がありました。
【石段】
【鐘楼堂】
【本堂】
【内陣】
禅宗らしい内陣と御本尊様です。
【石碑】
【地蔵堂】
【庭園】
【弁天堂】
【鎮守社】
【鳥居】
【弁天門】
竜宮を思わせるド派手な門です。
黄檗宗ではこんな配色がデフォルトです。
【御朱印】