Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

西阿知熊野神社(2018年12月24日参拝)

2019年01月31日 | 神社
遍照院の真横に神社が鎮座しています。

熊野神社という小さく地味な神社のようですが、
折角なので参拝することにした。

無料駐車場は参道の途中に数台停めれます。


所在地:岡山県倉敷市西阿知町450
御祭神:伊邪那岐命、天照大神、瓊瓊杵尊、速玉男命、國常立尊、
事解男命、天忍穗耳尊、彦火火出見尊、埴山姫命、軻遇突智命
創建:不明
社格:郷社


【由緒】
当社は後三条天皇勅願の神社であって、
馬場先楠の鳥居に勅額があった。

文庫にその事を記す書類を収めてあったが、
天正年間の火災で鳥居及び文庫は焼失した。
その火災で勅額も焼失したと伝えられている。
 
寛文9年(1669)社殿再建の節、旧藩主池田家から、
材木一切普請中扶持方米15石を寄進せられた。
 
旧社名は十二社権現であったが、明治2年(1869)改称し村社に列格、
同15年(1882)郷社に列格した。

昭和35年(1960)1月本殿が炎上し、昭和37年(1962)5月に再建した。


【鳥居】


鳥居の下をくぐり細長い参道を進む。

いかにも地元に根差した神社といった風情です。


【手水舎】


竜頭に手を近づけると水が出るのかと思いきや水は出ず。




何気なく裏を見てみる。

何だか夢が壊れた気がする。(苦笑)


【拝殿】




予想以上になかなか立派な拝殿です。

社務所もありますが、
普段は無人のようです。


しかし、今日は年末年始の準備で氏子さん達が居ました。


【狛犬】



【本殿】






久しぶりにコンクリート造りの本殿を見た。

神社の本殿は木造がほとんどですから、
ある意味貴重な本殿です。


【稲荷社】



【境内社】







【御朱印】


社務所には御朱印状あります、という貼り紙があり、
氏子さん達に言ってみたらいただけました。

社務所に居た方に書いていただきましたが、
神職さんという雰囲気では無く、氏子さんのようでした。

それにしても御朱印状というのが面白かった。(^^

遍照院(2018年12月24日参拝)

2019年01月30日 | 瀬戸内三十三観音霊場
続いて別格本山である遍照院へ。

こちらには重要文化財の三重塔があります。

岡山には三重塔や五重塔が多く、
江戸時代以前のものは15搭もあります。

その数は京都や奈良を越えているといい、
この地方でいかに有力な大寺院があって、
現在まで大切に保存されていたことは特筆に値しますね。

遍照院は今でこそ往時の大伽藍は失われていますが、
三重塔は今もなお健在で嬉しい限り。


これで岡山の三重塔・五重塔で見ていないのは、
本蓮寺、金山寺となります。

次回の岡山巡礼の旅でコンプリートしたいと思う。



所在地:岡山県倉敷市西阿知町464
宗派:真言宗御室派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:伝・寛和元年(985)
開基:伝・智空上人
勅願:花山天皇
札所:瀬戸内三十三観音霊場、浅口西国三十三所観音霊場



【縁起】
花山天皇の御叡願により寛和元年(985)、
智空僧正の開創せられた。

延久元年(1069)後三条天皇の勅願所に列せられたと伝えられている。

往古は三十一ケ所の末寺を有する当地方における唯一の中本寺であった。

天正年間には毛利家より寺領二千石を与えられ伽藍完備し、
寺運も興隆したが、その後時世の推移により次第に衰微するにいたる。

後に徳川時代には領主池田家より寺領五十石を与えられた。

末寺も江戸時代には二十三ケ寺となり、昭和初年には十八ケ寺を有したが、
現在は御室派別格本山に列する。


【遠景】


大型の無料駐車場に車を停めて参拝開始。

駐車場の横にお目当ての三重塔があります。


【地蔵尊】



【三重塔】


これは実際に見ると本当に優雅で良い搭ですね~。(^^






応永23年(1416)に再建されたもの。

どこから見ても美しい。


【鐘楼堂】



【山門】



【大玄関】



【客殿】



【三重塔】





【地蔵尊】



【影向石】



【鐘楼堂】



【本堂】






本堂は残念ながら閉まっていました。


【いぐさ祈願】


これは初めてみました。

どうやらこの地域はいぐさが主要産業だったようで、
それでこのようなモノがあるみたいですね。


【ガチャガチャ】


開運おみくじみたいだけど、
こういうモノはお寺の品格を落とすので止めていただきたい。


【大師堂】





【修行大師】





【延命地蔵】





【鎮守社】



【備前焼】


これだけの大甕は未だと100万円はくだるまい。


【御朱印】

貴船神社(2018年12月24日参拝)

2019年01月29日 | 神社
不洗観音寺の境内横には貴船神社という神社があります。

寿命長久・病気平癒の神様が祀られていて、
不洗観音寺が管理している神社です。

貴船神社といえば京都の超有名神社を思い浮かべますが、
京都の貴船神社を検索していて、ここに導かれた方には申し訳ない。(^^;

実はこれほど多くの神社を参拝している私ですが、
京都の貴船神社はまだ参拝していません。

参拝しようと思えばいつでも出来る。

しかし参拝していない。

何故か?

今でこそ貴船神社は恋愛のパワースポットとして、
女子達に人気がありますが、
藁人形を五寸釘で打ちつける丑の刻参り発祥の地としての、
恐ろしい裏の顔があるからです。

特に奥宮では現在でも藁人形が見つかるようで、
今も丑の刻参りをしている人間がいるから恐ろしい。

パワースポットとして訪れている女子達が、
この事実をどれだけ知っていることであろう。

知ってるからこそ私は参拝しない。

そういうことです。

私が京都の貴船神社を参拝する時は誰かを恨んでいる時だろう。(嘘)


表の顔が恋愛、裏の顔が呪い。

愛と呪いは紙一重とはよく言われることだから、
まさに表裏一体なのが貴船神社なのかも知れない。


おっと、大幅に話がそれた。(^^;


とりあえず不洗観音寺の境内横の貴船神社は、
五寸釘や藁人形は無いようだから参拝することにしたよ。



所在地:岡山県倉敷市中帯江820
御祭神:貴布禰神
創建:不明


【注連縄柱】



【荒神社・稲荷社】






こちらは不洗観音寺の境内に鎮座しています。


【由緒】



【鳥居】


ここから貴船神社の境内になります。


【参道】



【拝殿】




地味で小さな神社です。


【狛犬】



【鳥居】



【社号標】



貴船神社のお札は不洗観音寺の紫雲殿で購入可能です。

御朱印はございません。

不洗観音寺(2018年12月24日参拝)

2019年01月28日 | 備中西国三十三所観音霊場
倉敷の神社仏閣巡りはまだ続きます。

次は不洗観音寺というお寺です。

こちらは結構有名なお寺らしく、
300台停めれる大型の無料駐車場がありました。


所在地:岡山県倉敷市中帯江820
宗派:真言宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・天平年間
開基:伝・増慶
開山:伝・行基菩薩・菩提僊那僧正
札所:瀬戸内三十三観音霊場、備中西国三十三観音霊場


【縁起】
当山が開かれたのは第45代聖武天皇の時代の天平年間。

観音様の化身である稽文会、稽主勲の二権化が、
霊木を使用して彫刻した観音像を、行基菩薩、菩提僧正の二人が開眼供養し、
当山に安置したのが始まりだということです。

求子安産の寺としての由来は同じく天平年間の賢徳の僧、
当山の開祖増慶上人の夢に現れた聖僧のお告げによります。

不思議なことに当山で安産を祈願して生まれた赤ちゃんは、
三日三晩のあいだ産湯を使わせなくても、
体が血で汚れることも不浄になることも無く綺麗な子に育つと言われ、
このことから当山の観音様はいつの間にか
不洗(あらわず)観音と呼ばれるようになりました。

昭和29年(1954)真言宗御室派より独立し、真言宗単立の寺院となった。


【石造アーチ門】


この変わった門から入って行きます。


【庭園】



【石仏】



【山門】


ちゃんとした山門もあり一安心。(^^


【わらべ地蔵】



【影向の松】


樹齢300年だそうです。


【境内】


予想以上に広く大きなお寺です。


【庭の池】



【客殿】




客殿にはラウンジや授乳室があります。

授乳室があるのは極めて珍しい。


【薬師堂】







【地蔵堂】





【鐘楼堂】



【大師堂】



【廻廊】






本堂へと続く石段がある廻廊がカッコいいですね。






石段の両端に夥しい数の絵馬が。

ちょっと見てみると安産や子授けのお願いが書かれていました。

ここでやっと不洗観音寺が安産のお寺だと知りました。(^^;



【本堂】




御本尊は三十三年に一度御開帳される秘仏です。


【仏足石】



【宝篋印塔】



【紫雲殿】




こちらは祈祷所で受付があり、
各種授与品も販売されていました。

御朱印もこちらでいただけます。

この日も御祈祷をされる御家族が多く、
不洗観音寺がいかに崇敬されているのか分かりました。

兵庫県でいえば中山寺のような感じですね。


【鳳凰】



【七福神】







【十一面観音菩薩】





【御朱印】

瑜伽山蓮台寺 其の二(2018年12月24日参拝)

2019年01月27日 | 中国観音霊場
奥の院参拝後、いよいよ客殿と総本殿へ。

本来なら本堂たる総本殿をイの一番に参拝するのだが、
御影堂と多宝塔を先に参拝したもんだから後回しにしちゃった。


由加神社本宮を真ん中に挟むように蓮台寺の社殿があるんだから、
とてもややこしい。

今では蓮台寺と由加神社本宮は仲が悪いそうです。(^^;



【客殿】


寛政年間(1700年頃)に建立された備前藩主池田侯の宿泊と休憩用の建物。


【表玄関】



【勅使門】



【客殿】


客殿拝観入口。

こちらで拝観料400円を支払うと客殿内部と庭園が楽しめますが、
先に総本殿を参拝する。


【総本殿】




大権現が祀られているだけあって、
本堂では無く本殿と称されています。

何か会館のような建物の総本殿です。


【厄除大不動明王】




総本殿の中には真王殿というのがあり、
巨大な不動明王が祀られていました。

余りの大きさにピックリした。

こちらのお不動さんは御本尊でも何でもなく、
大権現の御前立とのこと。

こんなに巨大な御前立を初めて見たよ。(^^


【観音菩薩】




観音霊場の観音様を拝みながら二階へ。


【厄除大不動明王】




二階からも巨大な不動明王が拝めるようになっていました。(^^


【龍神】



【足腰健康地蔵】





【御本殿】




この広い部屋を見る限り本堂というより、
祈祷殿のような感じがする。

公式HPをチェックしてみると、
平成34年に新本堂を完成させるとのこと。

なるほど、今は仮ということですね。






瑜伽三尊と言われる十一面観世音菩薩・瑜伽大権現・弘法大師が、
厨子に祀られているようです。


【釈迦如来】


おすがり堂に祀られていたビルマ王室に伝わった釈迦如来です。

これにて総本殿の参拝を終え客殿へ。


【御霊石】



【客殿】



【客殿庭園】




円山応挙の竹鶏の図をはじめ108面の障屏画と、
備前藩主が入られた御成の間が見れます。

御成の間にはお殿様が座られる上段の間に加え、
皇室の方が座られる上々段がありました。

このような上々段がある部屋は現存するものは、
松島の瑞巌寺と由加山蓮台寺の2箇所のみの貴重なものです。

公式HPでは2箇所と記載されていますが、
私は他にあるのを知っています。

一度だけ実際に見たのですが、
東大寺本坊の非公開の部屋にありました。






客殿内は全て撮影禁止でしたが、
庭園は撮影OKです。


【茶室】





【蹲】



【地蔵菩薩】



【表門】



【厄除四十二石段】


表門から石段を下りて撮影したもの。

本来ならここから参拝すべきだったけど、
今回は完全に逆でしたね。(^^;


【御朱印】

瑜伽山蓮台寺 其の一(2018年12月24日参拝)

2019年01月26日 | 中国観音霊場
由加神社本宮と隣接しているのが蓮台寺というお寺で、
明治時代以前は一つであった歴史があります。



所在地:岡山県倉敷市児島由加2855
宗派:真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:天平5年(733)
開山:行基菩薩
勅願:聖武天皇
札所:中国三十三観音霊場


【縁起】
瑜伽山蓮台寺は岡山県倉敷市の由加山上にある真言宗の寺院で、
山内には神仏分離前は一体であった由加神社本宮もあります。

寺伝によれば奈良時代の天平5年(733)聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山。

瑜伽大権現の夢告により阿弥陀如来・薬師如来の二尊と共に、
御本尊の十一面観世音菩薩の像を自ら刻んで祀ったといいます。

室町時代には「今弘法」とも言われた増吽僧正により中興が図られ、
江戸時代には岡山藩主・池田綱政が瑜伽大権現に帰依したことから、
池田家代々の祈願所として栄えた他、
四国金刀比羅宮との両参りも盛んに行われるようになりました。



【御影堂(大師堂)】


由加神社本宮の七福神の石仏の後ろにあるお堂で、
参拝した時は神社のお堂かと思っていました。

しかし、蓮台寺の案内板によると御影堂は蓮台寺のものでした。


【石標】



【一願地蔵】



【石段】


上に多宝塔があります。

これを見るのを楽しみにして来ました。


【多宝塔】












実に優美な多宝塔です。

国の重要文化財に匹敵する美しさに感動しました。


【竜神】



【多宝桜】



【宝篋印塔】



【お清大師】




女人厄除のお大師さんです。


【地蔵尊】


向かって右側は首なしでした。


【石仏】



【恵比寿大黒石】





【観音堂】





【境内】


奥の院祈祷所があるので行ってみよう。




また石段があるのか。

行くの止めようかなぁ。(^^;


【狛犬】



【鐘つき堂】







【石段】




ハァハァ…

これが結構きつい。

日頃の運動不足を痛感しながら到着。


【権現堂・奥の院】








大権現、不動明王、高僧等が祀られていました。




大権現が祀られているだけあって2回柏手を打つのね。






不動明王と童子が祀られていました。


【石段】


奥の院の参拝を終え階段を下りる。

結構急ですので御注意を。


【八十八回廊】


奥の院と客殿を繋ぐ八十八回廊。


長くなりましたのでまだ参拝していない本堂と客殿は明日へ続く。

由加神社本宮(2018年12月24日参拝)

2019年01月25日 | 神社
岡山県には魅力溢れる神社仏閣が沢山ありますが、
倉敷にもまだまだあります。

次に参拝するのは倉敷由加山厄除け総本山由加神社本宮です。

神社なのに山号の由加山、そして総本山と称されているように、
由加神社本宮はお寺の影響が色濃く残っている神社です。

神社に近づくほど山道になっていき雰囲気が出てきました。

ほどなくして無料駐車場に到着。

参拝が楽しみです。


所在地:岡山県倉敷市児島由加2852
御祭神:彦狭知命、神直日神、大権現、手置帆負命、他4柱
本地仏:阿弥陀如来、薬師如来
創建:(伝)天平5年(733)
社格:県社




【由緒】
日本三大権現の一つで厄除けの総本山として知られる由加神社本宮は、
二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。

その昔、磐座信仰と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、
その後、天平5年(733)に行基菩薩が十一面観音菩薩を祀り、
併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。

桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄し、
江戸時代中期には備前藩主池田侯の祈願所として権現・由加大神への信仰は篤く、
社殿や蓮台寺の客殿を造営した。

また瑜伽大権現(瑜伽山蓮台寺)と讃岐国の金毘羅大権現(金光院松尾寺)の、
両方参拝するという両参りといわれる慣習が成立。

明治時代になると神仏分離令により、由加神社と蓮台寺に分離された。


【鳥居】


厄よけ石段の看板があり嫌な予感がする。(^^;


【手水舎】



【厄よけ石段】


最初はまだまだ軽い登りです。

ちなみに右側通行です。


【鳥居】


うお、めっちゃ遠いやん。(^^;


【表参道】




車は通れますが地元の方のみで、
神社専用の駐車場はありません。




やっと近づいてきました。


【三十三厄除石段】


ハァハァ…。


【鳥居】



【由加山開館成就殿】



【六十一厄除石段】




トドメの石段です。

こんなにしんどいとは予想外でした。(泣)

後でチェックしてみると由加神社本宮の隣りにある蓮台寺の、
無料駐車場から参拝する方が圧倒的に楽です。


【備前焼大鳥居】




見た瞬間に備前焼で出来ていると分かったよ。

これは日本でもほとんど無いでしょうね。

明治27年(1894)に寄進されたもの。


【狛犬】




こちらも備前焼。

文政12年(1829)に寄進されたもの。


【本殿】


祈祷をされていましたが、
どう聞いても修験道のそれ。

一応神社となっているが、本質はお寺ですね。


【九星 男厄ばし女厄ばし】



【狛狐】



【タコ神様】


コレは要らんわ。(苦笑)


【鳥居】



【庭園】


よく分からん。(^^;


【本殿】



【狛狐】



【稲荷社】





【磐座】




朱色の社が稲荷社で、
横に大きな磐座がありますね。


【天満宮】





【御神牛】



【天神の井戸】



【子授けのご神木】



【かえる】



【力石】





【七福神】





【霊水】


銭洗い弁天のようにお金を洗うと良いそうです。


【あんころ餅】


成就殿でいただきましたが美味しかったです。(^^


【御朱印】

五流尊瀧院(2018年12月24日参拝)

2019年01月24日 | 仏閣
日本第一熊野十二社権現宮の境内横に見事な三重塔がある。

パッと見、神社のものかと勘違いしそうですが、
これは修験道総本山である五流尊瀧院のものです。

神社の真横に三重塔があるということは、
間違い無く神仏習合の名残りですね。



所在地:岡山県倉敷市林952
宗派:修験道
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・大宝元年(701)
開基:伝・役小角の高弟


【縁起】
修験道の祖と言われる役小角は文武天皇3年(699)朝廷より訴追を受け、
熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された。

伝承によれば義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら5人の弟子達を中心に、
熊野本宮大社の御神体を捧持し、3年にわたり各地を放浪。

役小角が赦免となった大宝元年(701)、
神託を得て現在の熊野神社の地に紀州熊野本宮を遷座し、
5人の高弟が尊瀧院、大法院、建徳院、報恩院、伝法院の五流の寺院を建立した。

承久3年(122)承久の乱が勃発、三井寺長吏であった後鳥羽上皇の皇子覚仁親王が、
難を逃れてこの地に下った。

更に敗れて隠岐に遠島となった後鳥羽上皇に連座して、
上皇の第4皇子頼仁親王が児島に配流となった。

頼仁親王は衰退していた五流の寺院と十二社権現宮を再興し、
南北朝の頃まで繁栄し次第に衰微し尊瀧院のみが残った。

現在まで続いている当院の歴代大僧正は頼仁親王の子孫と伝えられる。

室町時代になり応仁の乱が勃発すると、この地も戦乱に巻き込まれた。
応仁3年(1469)には細川勝元方に加担した覚王院の円海を中心とした兵により、
新熊野は焼き討ちにあい、ほぼ全焼した。

明治時代になると神仏分離令により、
十二社権現は熊野神社となり五流尊瀧院と分離。

明治5年(1872)修験道の廃止に伴い天台宗寺門派に属する。
太平洋戦争終結後、天台宗より独立し修験道総本山となる。


【三重塔】






この見事な三重塔は文政3年(1820)建立されたもの。

まだ若い塔だからでしょうか、
国では無く岡山県指定重要文化財です。


【案内図】



【鐘楼堂】


梵鐘は岡山県指定重要文化財。


【拝殿】


寺務所かと思ったが拝殿とのこと。

これは日本第一熊野十二社権現宮の本殿に対しての拝殿なのかな。

神仏習合の名残りだから有りうるかも。


【熊野十二社大権現】




さっきの拝殿は熊野十二社大権現のものかな。

でも、拝殿は本殿と同じ向きなのが基本だから違うのかな。

まぁ、いいや。(^^;


【吉祥坊・天満天神宮・三宝荒神】





【役行者像】



【役行者供養塔】



【後鳥羽上皇宝塔】








仁治元年(1240)前年に死去した後鳥羽上皇の一周忌供養の為、
頼仁親王と覚仁親王により熊野神社南方に供養塔を建立されたもの。

伝承によれば中には上皇の分骨が安置されているそうです。


【境内社】



【三重塔】


さて、これから数百メートル離れた本殿へ。


【山門】


近くに無料駐車場がありました。


【御庵室】



【庭園】







【護摩堂】









【不動明王】





【役行者像】



【本殿】




お寺なら普通は本堂と称しますが、
こちらは本殿となります。

しかし、堂内を見ると全く本殿らしく無い。

どうやら棟続きの五流会館の部屋のようです。


大久保利通は明治11年(1878)に暗殺されましたが、
襲撃された際に乗っていた馬車が五流会館に安置されているとのこと。

ただし、事前予約が必要です。


【鬼瓦】



【十一面観音菩薩】



【高徳社】



【五流稲荷大明神】




拝殿。




本殿。


【三宝荒神】





【庚申】





【庚申塔】



【福寿観音菩薩】





【御朱印】


書置きをいただきました。

日本第一熊野十二社権現宮(2018年12月24日参拝)

2019年01月23日 | 神社
倉敷美観地区を離れ日本第一熊野十二社権現宮へ移動。

こちらは和歌山の熊野本宮大社を模した社殿が見事で、
参拝するを楽しみにやって参りました。


所在地:岡山県倉敷市林684
御祭神:伊邪那美神、伊邪奈岐神、家都御子神、速玉之男神
創建:大宝元年(701)
社格:郷社




【由緒】
当社は往昔から熊野十二社権現として広く知られた大社で、
社伝によれば義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら、
修験道の祖と言われる役小角の5人の弟子達が、
熊野本宮大社の御神体を捧持した彼らは3年にわたり各地を放浪し、
役小角が赦免となった大宝元年(701)、
神託を得て現在の地に紀州熊野本宮を遷座したとされる。
 
聖武天皇は崇敬厚く児島一円を本宮領として寄進された。
本宮に模して社殿を造営し、木見に新宮、山村に那智宮を建て新熊野三山とした。
 
熊野詣が盛んになるにつれ当社参詣途次の奉幣所とし、九十九王子権現を建立。

又付近に山伏、別当の付属僧坊等、50余ケ院に及び、当社の出仕寺院とした。
 
孝謙天皇は紀州熊野山に対し日本第一大霊験根本の称を奉られ、
当社もその号を称する事になった。

応仁3年兵火の為社堂悉く炎上に及んだが、
別当大願寺天誉再建を志し諸国勧進の後、明応元年先ず一殿建立、
以後復興を見るに及んだが神領は次第に減少した。

明治時代になると神仏分離令により、十二社権現は熊野神社となり、
寺院の五流尊瀧院は天台宗寺院となった。


【鳥居】


約20分程で大型の無料駐車場に到着。


【三重塔】


駐車場から素晴らしい三重塔が見えます。

これは日本第一熊野十二社権現宮の三重塔では無く、
隣接する五流尊瀧院という寺院のものなので後ほど。


【手水舎】




これは亀というよりスッポンだな。(笑)

しかし、何故スッポンなんだろ。(^^;


【拝殿・受付】


向かって右側が拝殿、左が御朱印や御祈祷受付でした。


【参道】


参道の奥に社殿と狛犬が見えます。

てか、本殿は透塀等で遮られていないし近くで拝める。

さっきの拝殿は意味があるのか?(^^;


【狛犬】


これは備前焼ですね。(^^


【社殿】


横にズラッと並んでいます。




この第二殿のみが国の重要文化財で、
明応元年(1492)建立されたもの。




第一殿と第三殿。

正保4年(1647)建立されたもので岡山県指定重文。






第四殿と第五殿。

正保4年(1647)建立されたもので岡山県指定重文。




第六殿。

正保4年(1647)建立されたもので岡山県指定重文。


【放生池】



【境内社】






うーむ、よく分からん小さな境内社。

唯一分かるのは牛が居る天満宮だけですが、
他を見てもとても神様が居るとは思えないよ。(^^;


【龍神社】



【大黒天】



【社殿】



【八尾羅宮】





【見学通路】


社殿の裏手には見学通路があり、
真後ろから社殿を見る事が出来ました。

これは嬉しいですね。

熊野本宮大社だったら絶対に有り得ないよ。


【社殿】



【御朱印】


毎月絵柄が変わる絵付き御朱印。




八尾羅宮の御朱印。

両方とも500円のお納めでした。

阿智神社(2018年12月24日参拝)

2019年01月22日 | 神社


観龍寺から阿智神社へ続く参道。

阿智神社は宗像三女神が祀られている古社です。

車は境内横に無料で15台分程停めれますが、
美観地区の観光の為だけに停めないでくださいとのこと。

まぁ、当然ですね。



所在地:岡山県倉敷市本町12-1
御祭神:多紀理毘売命、多岐都比売命、市杵嶋比売命
創建:不明
社格:県社



【由緒】
倉敷の古名は阿知であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。

日本書紀応神記に阿知使主が韓国より17県の人達を率いて帰化してきたとあり、
阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の、
先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来している。

また、社記には神功皇后三韓征伐の途中、
暗闇に航路を見失われ宗像三女神に祈願された時に、
三振りの剣が雷鳴と共に天空から明るく輝いてこの地に降った為、
応神天皇の御代に妙剣宮(妙見宮)と称してこれを祀ったと記されている。

室町末期、慶長、元和の頃から祭祀は当地草分けの有力者の木綿襷組が交代執行し、
江戸中期に観龍寺の別当が管理し、神仏混淆して明治に至ったが、
明治2年(1869)神仏分離令により妙見宮を阿智神社に復号した。

明治43年(1910)6月に阿知潟神社以下近在12社を合祀、
昭和17年(1942)4月に県社に列せられました。


【随神門】


神社は小高い山に鎮座しており、
古社らしい渋い随神門がお出迎え。


【狛犬】



【芭蕉堂】




芭蕉は倉敷にも訪れたことがあるのでしょうか。

毎年11月に芭蕉忌神事句会が行われます。


【拝殿】


早速パンパンとお参り。


【本殿】



【絵馬殿】





【風景】


ここから景色が見れますが普通でした。(^^;


【砲弾】



【天津磐境】








古代祭祀跡の磐座だそうですが、
さざれ石程度で神秘性は感じませんでした。(^^;


【若宮殿】



【筆塚】





【画神】



【城山稲荷・菅原神社】



【天照皇大神】



【東方遥拝所】





【本殿】





【神代桜】


脳内で満開の桜を咲かせようぞ。

想像することが大事。


【火産巣霊社・戎・大黒】



【倉敷護国神社】



【能舞台】



【蔵】





【縁結びの木】




【前宮】



【石段】


キツイ石段の下に鳥居が見えますね。

こちらが正ルートです。


【鳥居】


これにて阿智神社の参拝終了。

見納めにもう一回美観地区を見に行こう。


【なまこ壁】



【活け花】



【美観地区】





【紅葉】








紅葉の時期はとっくに過ぎているのに、
1本だけ奇跡のように真っ赤な紅葉が。

マジで感動しました。(^^


【御朱印】


御朱印は他に境内社の倉敷護国神社と、
兼務社の青江神社と一王子神社がいただけます。

観龍寺(2018年12月24日参拝)

2019年01月21日 | 備中西国三十三所観音霊場
倉敷美観地区のすぐ近くに別格本山のお寺がある。

それが観龍寺です。

13年に美観地区に来た時は存在すら知らなかったよ。

人って変われるもんだね。(笑)


所在地:岡山県倉敷市阿知2-5-22
宗派:真言宗御室派
創建:寛和元年(985)
開基:尭勢津師
札所: 備中西国三十三所観音霊場、倉敷八十八カ所霊場



【由緒】


真言宗御室派の寺院で山号は宝寿山。
寺格は別格本山。

寛和元年(985)尭勢津師により、
現在の倉敷市西岡に慈照院(西安寺)の塔頭として開創。

当時は北斗山宝積院と称していた。

室町時代に鶴形山の麓、現在の駐車場の場所に移転し、
寛永元年(1624)現在の地に再移転し、
同年に宝寿山観龍寺と改称された。

江戸時代中期の1740年代に2度にわたり伽藍が焼失、
本堂は寛延2年(1749)に再建以降時代に整備し現在に至る。


【全景】


お寺の下にトンネルが通っているのは珍しい。

左手の鳥居奥に参拝者専用の駐車場がありました。


【石段】


とても雰囲気がありますね。


【山門】


渋くて立派な山門です。


【妙見宮】






山門をくぐるとすぐに妙見宮が鎮座。

山門の目の前にあるのは珍しいですね。


【境内】


庫裏と大玄関。




本堂と大師堂。




幾つかのお堂と宝篋印塔が見えます。


【鐘楼堂】



【大師堂】



【本堂】




大師堂と共に本堂も閉まっていました。


【閻魔大王】


意外と屋外で単体で見ることが少ない閻魔大王。


【石仏】


地蔵尊と恐らく子安観音。


【大日如来】




ユーモラスなお顔をされていますね。(^^




何故か狛犬が。


【地蔵菩薩】



【観音堂・地蔵堂】


向かって左に地蔵菩薩、右に千手観世音菩薩が祀られていました。


【薬師堂】



【石鎚蔵王大権現】







【宝篋印塔】





【淡島堂】



【境内】



【仙掌庵】



【風景】



【鐘楼堂】




山門の奥に見えるのがもう一つの鐘楼堂です。

神社っぽい屋根ですね。


これにて観龍寺の参拝終了。

美観地区という岡山随一の観光地の至近距離にありながら、
観光地は全くされていないお寺です。

普通ならこんな良い場所にあるのに勿体無いなぁと思いますが、
あえて観光寺院にしないお寺の姿勢に好感が持てますね。


御朱印は札所でありますからありますが、
ご不在の匂いがプンプンしておりましたので、
ピンポンを押さず次の神社へ。

倉敷美観地区(2018年12月24日散策)

2019年01月20日 | 旅行・その他
岡山で観光地の筆頭に上げられるのは倉敷美観地区ですよね。

約13年前に美観地区に訪れた時は、
その美しく情緒溢れる街並みに感動したものです。

今回の旅でどうしても訪れたくなり、
朝イチでやって来ました。(^^




朝の8時過ぎだと駐車場は選びたい放題で、
付近で一番安い有料駐車場に停めれました。

まずは懐かしの倉敷アイビースクエアへ。


【倉敷アイビースクエア】




美観地区で一番有名なのがここか大原美術館ですね。

懐かしいなぁ。

何も変わって無い気がするよ。(^^




冬だから蔦の壁面はこんな感じだけど、
春から秋にかけて素晴らしい壁面になります。


【紅葉】





【倉敷紡績所】




倉敷アイビースクエアはこのぐらいにして、
いよいよ倉敷川畔に。


【倉敷川畔】


うお~めっちゃ懐かしい。

お店とか変わってるかも知れないけど、
雰囲気は13年前と何も変わっていない。




船着き場から中橋を撮影。

とてもいい。(^^






倉敷考古館やお店の建物もとてもいい。




朝早くだと観光客が少ないので、
ゆっくり街並みを堪能出来る。


【大原美術館】





【エル・グレコ】


大原美術館の横にあるモダンな建物の喫茶店です。


【備前焼】




10万円の壺なり。

欲しいけど買えないわ。(^^;








朝が早いので店が閉まっていたのが残念でしたが、
今回は無駄使いしなくて良かったと思うことにしよう。


さて、美観地区の散策はこれぐらいにして、
本来の目的である神社仏閣巡りを開始しよう。

金光教本部(2018年12月23日参拝)

2019年01月19日 | 神社
福山市から本日のホテルがある倉敷市の途中には、
浅口市金光町という町があります。

神社仏閣巡りで金光町でピンとくる人は相当です。(笑)

この金光町には新興宗教の金光教本部があります。

新興宗教といえば怪しいとか金をむしり取られるとか、
いろいろネガティブなイメージがありますが、
実際に行ってみないとわからないもの。

私は幾つかの新興宗教に参拝していますが、
表向きとはいえ、どこも普通でした。

まぁ、信者になったらどうなるか分からないですけど。(^^;

そういう訳で金光教本部に潜入、いやもとい、参拝します。



所在地:岡山県浅口市金光町大谷320
御祭神:天地金乃神、生神金光大神
創建:安政6年(1859)


【由緒】
安政6年(1859年)備中国浅口郡大谷村にて川手文治郎、
後の金光大神が開いた創唱宗教である。

江戸時代末期に開かれた黒住教、天理教と共に、
幕末三大新宗教の一つであり、戦前の神道十三派の一つに数えられる。

信仰深く勤勉な農民だった川手文次郎が従来信じられていた艮の金神を、
凶事につながる崇りの神様としてでは無く、民衆を救済する総氏神として、
天地金乃神として祀ったのが始まりといわれています。

神と人とは「あいよかけよ」の関係にあり、人は神の助けが必要だが、
神もまた人を助けることで神となりうるとしています。

他宗教の開祖も神のいとしごであり、人はみな神の氏子とする考え方から、
他宗教の否定をしない思想を持つといいます。


【案内マップ】


天理教程の規模では無いようですが、
町全体が金光教の施設みたいですね。


無料駐車場は幾つもありますが、
一番近い場所に停めれました。


【神門】


立派な神門です。

さすがに普通の寺社を参拝するより緊張するな。(^^;


【門松】



【本部広前会堂】






この一際大きい建物が会堂です。

昭和48年(1973)に建立されたもので、
この堂内で金光教独自の取次というものが行われます。

本部及び各教会の広前に設けられた結界の場において、
生神金光大神の代理となる取次者を通じて、
各人それぞれの願い・詫び・断り・お礼を天地金乃神に伝えることにより、
その願い・祈りを神に届け、また神からの助かりを受けるのが取次です。

また、お祈りの作法も一般とは違い、
まず神前、霊前に向かい一礼し四拍手、心中祈念してから再び四拍手、
そして最後に一礼するというもの。




堂内はこんな感じ。

真ん中が天地金乃神・生神金光大神をお祀りした神前、
向かって左側は信奉者の霊を霊神としてお祀りした霊前、右側が結界です。

結界の前には椅子に座られた取次者がいらっしゃいました。

私は普通に参拝を済ませ、会堂をチェック。

二階に行ってみたが関係者以外立ち入り禁止。

地下もあるので行ってみましょう。


【地階休憩所】


地下には休憩所とトイレがあって3:00~20:30まで利用可能とのこと。

病院の待合室のような雰囲気でした。


【祭場】


こちらも大きな建物で昭和34年(1959)建立されたもの。

全国から沢山の参拝者が集う時は祭場で祭典・行事を行うそうです。

残念ながら今日は閉まっていました。


【修徳殿】





信奉者の研修の為の修徳殿です。

大正15年(1925)建立されたもの。


【立教聖場】




屋根を除けばちょっとした茶室に見えますね。

これは金光教の教祖である金光大神の自宅(1850年建築)を、
昭和8年(1933)に復元されたもの。

中に入れるようです。




なかなか良い雰囲気を感じました。


【井戸】



【石段】


エレベーターもあるようです。


【教祖奥城】






金光教の教祖をはじめとする11柱の墓地でした。


【境内社】



【境内】



【近藤藤守夫妻奥城】







【歴代教主奥城】






歴代教主であった金光攝胤、金光鑑太郎及び家族の墓所。


【金光教徒社】


金光教の書籍や教団の新聞である金光新聞を販売していました。


これにて金光教本部の参拝終了。

会堂の中に居た信者さんは何やら思い詰めていたようでしたが、
普通の人が多かったと思います。


金光教の神髄は恐らく取次だと思いますが、
私は信者では無いし取次をする勇気はさすがに無かったわ。(^^;


さて、これから本日のお宿である倉敷シーサイドホテルへ。


【倉敷シーサイドホテル】





【水島灘】



【ウェルカムコーヒー】



【ツィンルーム】


ホテルの御好意でランクアップしていただきました。(^^

スタッフの方もきっちりと教育されているし、
部屋も快適です。

当然のように無料Wi-Fi完備。


【カニ・豚しゃぶ食べ放題】




カニは細い足でしたが豚と同じく食べ放題。

美味かったー。




〆の雑炊。

これが超絶美味かったー。

腹一杯食ったので、
妊娠8ヶ月かというぐらい腹が膨れました。(^^;




デザートは別腹とはよく言ったものだね。(笑)


【夜景】




夕食を食った後、腹ごなしに夜のドライブ。

旧鷲羽山スカイラインにある水島展望台から見た夜景です。

神戸の夜景のように大都会の光では無く、
水島コンビナートにある工場の光です。

ここは岡山県でも随一の夜景スポットで、
夜景100選にも選ばれているだけあって素晴らしい夜景でした。(^^


大浴場に入って気持ち良く就寝。

明王院(2018年12月23日参拝)

2019年01月18日 | 中国観音霊場


草戸稲荷神社の隣りが本日のメインである明王院です。

明王院にも無料駐車場があります。



所在地:広島県福山市草戸町1473
宗派:真言宗大覚寺派
御本尊:十一面観音菩薩
創建:(伝)大同2年(807)
開基:(伝)弘法大師
札所:中国三十三観音霊場、山陽花の寺二十四か寺


【縁起】
中道山円光寺明王院と称し、
国宝の本堂と五重塔を有する真言宗大覚寺派の古刹として知られています。

元は西光山理智院常福寺といい、
大同2年(807)弘法大師の開基と伝えられています。

その後、鎌倉時代後期の南都西大寺流律宗の勧進活動や、
草戸千軒の繁栄の影響もあり、鎌倉時代末期に本堂再建、
室町時代前期に五重塔を建立等、中世・西国屈指の寺院になります。

元和5年(1619)水野勝成が福山藩主として入府してからその庇護を受けます。

三代水野勝貞は常福寺に城下の歴代藩主の祈願寺となっていた明王院を合併、
当時の住職宥仙は寺号を明王院と改め今日に至ります。

合併後の明王院は本山として末寺四十八寺を擁していたといわれます。

本堂は折衷様式の建物として国内最古、
五重塔は現存する全国の五重塔のうち5番目に古いものです。


【十王堂】


閻魔堂とも呼ばれ閻魔大王以下十王が安置されています。

享保11年(1726)再建されたもの。


【石段】



【小僧地蔵】



【山門】


慶長19年(1614)に再建されたもの。


【本堂】




元応3年(1321)に建立された本堂。

パッと見、そんなに凄い建築には見えないんだけど、
尾道の浄土寺本堂と共に瀬戸内海地域で最も古い折衷様建築物として、
とても貴重な本堂のようです。

本堂は残念ながら入れませんでした。

まぁ、国宝だから仕方ないか。


【五重塔】


日本の五重塔では5番目の古さを誇る国宝。

法隆寺、室生寺、醍醐寺、海住山寺の四ヵ寺は、
全て朝廷や皇族等による建築です。

しかし、明王院の五重塔は南北朝時代の貞和4年(1348)住持頼秀の時、
地元の住民が一文ずつお金を出し合った所謂、
一文勧進小資を積んで造られた五重塔だそうです。


【五重塔・本堂】


国宝のコラボ。

素晴らしい。


【鐘楼堂】



【六体地蔵】



【修行大師・地蔵尊】



【書院】


書院と庫裡と護摩堂の拝観は事前広報の第3土曜日一般公開日のみとか。

そういや護摩堂を見なかったと思っていたら、
書院の裏手にあったようだ。


【鳥居】


この先に愛宕大権現という神社があります。


【石段】


時間も無いし先も見えないしで華麗にスルー。

さて、御朱印をいただきに庫裏へ。


【御朱印】

草戸稲荷神社(2018年12月23日参拝)

2019年01月17日 | 神社
福山の神社仏閣巡りのいよいよ佳境に入ってきました。

本日のメインである明王院と草戸稲荷神社へ向かいます。

国宝を擁する明王院とめっちゃカッコいい社殿がある草戸稲荷神社は、
絶対に外せない寺社であります。

福山駅から数キロという近距離なのでサクッと到着。

明王院と草戸稲荷神社にはそれぞれ無料駐車場があり、
まずは草戸稲荷神社に参拝することにした。

大好物は最後に食べるタイプなんで。(笑)


所在地:広島県福山市草戸町1467番地
御祭神:保食神、宇加之魂神、大己貴神
創建:大同2年(807)
社格:村社


【由緒】
当社の創建は平安時代の大同2年(807年)と古く、
明王院を開基したとされる弘法大師が、
同寺の鎮守社として祀ったことに始まるとされる。

当初は社殿が芦田川の中州に鎮座していたが、度々洪水により流失、
後水尾天皇の寛永10年(1633年)初代備後福山藩主・水野勝成が再建。

後光明天皇の承応4年(1655)三代水野勝貞が父勝俊の病気平癒を祈願して、
現在地に社殿を遷し奉ったものである。


【稲荷橋】



【遠景】


これこれ!

どうよこのド迫力の社殿は!

早く近くで見たいからダッシュです。(^^


【鳥居】





【社殿】


うお~、やっぱりめっちゃカッコいい。

これを設計した人は天才。




斜め前から見た社殿。

よくこんなのを造ったよなぁと感心するわ。(^^




まずは拝殿でお参り。


【狛狐】



【五社稲荷】



【十社稲荷】



【眼力社】



【鳥居】


こちらから上に鎮座する本殿へ登って行きます。


【金毘羅社】



【石段】


早く一番上に行きたくてダッシュ。

無駄に疲れた。(^^;

しかし、本殿横に変なオッサンが居て最悪。

たまに何をするでも無い、
気持ち悪いオッサンがいるのよね。(苦笑)


【風景】


本殿前の展望台から福山市内が見れます。




下を見るとこんな感じ。

決して広い境内ではありません。


【社殿】


登りとは反対側から降りていきます。


【草戸八幡神社】


9月のみ八幡神社の御朱印が授与していただけるとのこと。


【葛木稲荷・笠守稲荷】



【社務所】



【三喜稲荷】



【御朱印】



日本には伏見稲荷神社を別格として笠間稲荷神社や豊川稲荷、
最上稲荷、瓢箪山稲荷神社、千代保稲荷神社、祐徳稲荷神社、
太皷谷稲成神社等、全国各地に三大稲荷と称する寺社があります。

この中で参拝していないのは笠間稲荷神社、祐徳稲荷神社と、
時間切れで鳥居の途中で参拝を断念した太皷谷稲成神社です。

ご利益は別として社殿の大きさだけなら、
伏見稲荷神社、豊川稲荷、最上稲荷、祐徳稲荷神社、笠間稲荷神社、
そしてこの草戸稲荷神社でしょうか。

正直、この中からでも三社を選ぶことは難しいですね。

もう八大稲荷とかにするしかないですね。(笑)