Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

横蔵寺(2020年11月28日参拝)

2021年02月06日 | 西美濃三十三霊場
華厳寺の次は初めて参拝する横蔵寺。

横蔵寺は即身仏が祀られ尚且つガラス越しに見て拝める、
非常にレアな経験が出来るお寺である。

即身仏は山形県が多いですが、
全国に18体ほどが現存している。

通常は3年後に掘り起こされ即身仏になるが、
中には掘り出されずにいる即身仏も多いとされています。

しかし、即身仏になる僧侶達の生き様は凄まじいものがある。
エジプトのミイラとは動機が余りにも違い過ぎる。

人々を未来永劫救おうとしてミイラ化となるなんて、
まさに究極の修行ですね。

畏敬の念を抱いて参拝したいと思います。


所在地:岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160
宗派 天台宗
御本尊:薬師如来
創建:伝・延暦20年(801)又は延暦24年(805)
開基:伝・三和次郎大夫藤原助基
札所:西美濃三十三観音霊場


【縁起】
平安時代から鎌倉時代の仏像等、多くの文化財を有する古寺であるが、
草創や沿革については史料が乏しく、平安時代末期頃までの寺史はほとんど不明。
 
寺伝によれば横蔵寺は天台宗宗祖最澄が自作の薬師如来を安置して創建した寺とされている。
伝承によれば最澄は比叡山延暦寺を開創する際に本尊薬師如来像を自ら刻んだが、
その薬師如来像を造ったのと同じ霊木からもう1体の薬師如来像を造った。

最澄はその2体目の薬師如来像を笈に入れて背負いながら諸国を旅したが、
延暦22年(803)横蔵寺のある地まで来た時に薬師如来像が動かなくなったので、
ここに一寺を建立して薬師如来像を祀ることにし、
地元の三和次郎大夫藤原助基が寺を建立したという。

鎌倉時代には38坊を有する大寺院だったというが、
鎌倉時代から室町時代の寺史も断片的にしか分かっていない。

元亀2年(1571)織田信長の兵火で焼失し現在ある本堂、三重塔、
仁王門等の主要伽藍は江戸時代の復興である。
織田信長の比叡山焼き討ちによって延暦寺の伽藍が灰になった後、
横蔵寺の本尊薬師如来像は延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、
最澄自作の像という由緒ある像だということで延暦寺に移された。

その代わりに洛北の御菩薩池から移されたのが、
横蔵寺の現本尊である薬師如来像であるという。


【石垣】


駐車場はこんな田舎なのに300円と有料でした。
まぁ、観光寺院でもあるので仕方ない。

少し離れた場所の駐車場は無料っぽかった。


【医王橋】






境内入口。
風情があって良い。


【石垣】




苔むした石垣がたまらない。


【境内社】



【本坊門】


渋い。


【仁王門】




こちらも渋い。
まさにいぶし銀といった渋さですね。

延宝3年(1675)再建されたもの。


【三重塔】













渋い。
このお寺は何もかも渋い。

渋いものばっかりだわ。(笑)






もし霧があったら幽玄な雰囲気で更に最高でしょうね。


【本堂】


本堂も渋い。
渋いしか書いてない。(笑)




御本尊は厨子に安置され60年に一度の秘仏。


【鎮守社】



【境内社】



【参道】



【観音堂】



【宝物館】



【境内】



【瑠璃殿】


こちらに20数体もの重文の仏様達が安置されていて、
見応えたっぷりで堪能できました。

残念ながら撮影禁止でした。

拝観料500円要。


【舎利堂】




こちらに舎利仏が祀られていて近くで見れます。

カッパのミイラは見たことがありますが、
舎利仏は初めて見ました。

黒く小さくなった舎利仏は畏怖の念を抱かざるを得ない。
凄まじいものを感じました。

画像は勿論撮影禁止なのでありませんが、
ネットでは見ることが出来ます。

【舎利仏】
舎利堂に安置される舎利仏は妙心法師という人物の遺体である。
妙心法師は横蔵寺の地元の村の出身で俗名を古野小市良と言った。

天明元年(1781)に生まれ諸国を巡って仏道修行をし、
文化14年(1817)断食修行の後、今の山梨県都留市の御正体山で即身成仏したという。

遺体は何らの加工もなく自然にミイラ化したとされ、日本のミイラ仏の中では最も若い。
当初は成仏した地の山梨県都留郡鹿留村で保存されていたが、明治初年に山梨県庁に移され、
明治13年(1880)に明治天皇が天覧になられた際に、故郷へ戻すようにとのお言葉があり、
明治23年(1890)本人の出身地の横蔵寺に移された。


【御堂】



【境内】







【御朱印】


書置きを二体いただきました。

横蔵寺はこれにて参拝終了。

渋い伽藍と素晴らしい仏様と舎利仏があり、
とても充実した参拝が出来ました。

全くケチのつけようが無いお寺で、
個人的に華厳寺より横蔵寺の方が凄いと思いました。

行基寺 其の二(2018年9月16日参拝)

2018年10月14日 | 西美濃三十三霊場


行基寺の本堂を参拝し終え、
次は庭園を拝観です。

本堂から続く廊下はピカピカです。

永平寺の廊下を凌ぐピカピカ度ですね。


【苔庭】


書院の最初の部屋に入ると奥に綺麗な庭園が見えます。








まずはここで一息。

とても落ち着きます。


【掛軸】


古典の授業で習った有名な句ですね。

個人的に諸行無常という言葉が好きです。


【回廊式庭園】



【対面の間】




入った瞬間、これは!と思う対面の間です。






濃尾平野を借景とした対面の間はとても居心地が良い。

最高の気分にさせてくれます。


【掛軸】



【展望の庭園】


天気が思ったより良くて何より。(^^




庭園の飛び石は煩悩の数と同じ108個あるそうです。


【回廊式庭園】





【書院】


こちらに藩主の間があります。


【手水鉢】





【書院】





【回廊式庭園】




何処から見ても素晴らしい庭園です。

間違い無く東海一の庭園でしょう。


【藩主の間】


さすがに藩主の間に入ることは出来ませんでした。


【苔庭】






藩主の間からまた苔庭に戻ってきました。


【枯山水庭園】


苔庭の奥の岩肌をつたい落ちる滝がオシャレです。


【櫓時計】


明和3年(1766)時計師大橋道寿が政策した和時計です。


【苔庭】


これにて庭園と書院の拝観終了。

各書院の中でも対面の間は本当に素晴らしかった。

あんな部屋でずっと住みたいです。(笑)


【山門】


大満足のまま行基寺を後にする。

アクセスが悪いけど行く価値は大いに有りです。

また拝観も必須です。(^^


【御朱印】

行基寺 其の一(2018年9月16日参拝)

2018年10月13日 | 西美濃三十三霊場
白山登山から早くも二週間が経った。

まだまだ暑い日が続くので、
寺社仏閣巡りは控えている。

しかし、今日は名古屋で所用があり車で行くので、
岐阜へ立ち寄り神社仏閣を巡ることにした。

本来ならガッツリと参拝したいものだが、
時間が無いので二、三社で参拝は終わりそうですけどね。

まずは東海地方屈指の古刹である行基寺へ。


所在地:岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天平年間
開山:行基菩薩
札所:西美濃三十三霊場


【縁起】
約1300年前の天平年間、当時、大仏建立の勧進の為、
諸国を行脚していた行基菩薩が聖武天皇の勅願を得て、
美濃・尾張・伊勢の三国の守護霊場山として、
この地に七堂伽藍を尽くした菩提寺が建立されたのが始まりです。

当山内には行基塚があり、天平宝字元年(757)二月二日に行基菩薩が、
八十二歳でご入寂されたと伝えられる場所には重要文化財の板碑と、
七重石塔が今も残っています。


南北朝の動乱期、当山は戦乱の際の兵火により全山焼失。

尾張津島の領主並びに信徒らが、
再びこの臥龍山の地に伽藍を建立されました。

東山天皇の元禄年間、尾張藩二代藩主徳川光友公の次男で、
徳川家康公の曾孫である松平義行公が、美濃高須藩の藩主として封ぜられ、
当山を松平家の菩提寺として境内及び全伽藍を城郭に見立てて改築し、
宝永2年(1705)に再建しました。

その後、行基寺は明治維新に至る160年間は、
一般庶民の登山参詣は禁止されていました。

今もなお、松平公ご使用のお駕籠、調度品等々がそのまま残っており、
中でも当時使用されていた約2m大の櫓時計は今も時を伝えています。


【林道】


行基寺は山寺なので林道を走ることになる。

ここは広いですが、段々と狭くなっていきます。




進めば進むほど狭い道になっていき、
対向車よ来ないでくれ!と願わざるを得ない道が続く。


【風景】


林道の途中から見えた濃尾平野はなかなか良い。


【林道】


石垣が見えてきて、ようやく到着出来て安堵した。(^^;


【御山の燈台】




無料駐車場というか広場のような場所に車を停めると、
このような燈台があった。


【風景】




駐車場から眼下に見える大きな川は揖斐川です。


【石垣】


このお寺の威容が分かる立派な石垣です。

黒門から入ることは出来ません。




長い石垣が続きます。

この石垣を新たに造ろうと思ったら、
余裕で億単位の費用が必要でしょうね。


【山門】




やっと山門が登場。

さすが古刹の大寺の威厳を感じる山門で、
文政3年(1820)再建されたもの。

二階には松坂屋社長であった伊藤治郎左衛門より寄進された、
釈迦如来・千手菩薩・弥勒菩薩が安置されているそうです。


【葵の御紋】


美濃高須藩主松平家の菩提寺であります。


【境内】




私が好きな良い雰囲気です。(^^


【石仏】





【涅槃像】


仏様というより修行僧のようですね。

行基菩薩なんでしょうか。


【観音堂】


山門入って左側にあります。






立派な宮殿に観世音菩薩が祀られていました。


【山門】



【境内】


お庭も綺麗に手入れされています。


【寿の泉】



【石仏】



【蹲踞】


真ん中の四角を漢字の口に見立てて、
吾唯知足と四文字刻まれています。

これと同じような蹲踞を龍安寺で見た記憶があります。


【手水鉢】



【刻紋石】





【七重石塔】


こちらは重文の七重石塔ではありません。


【行基堂】


3年ぐらい前までは近くまで行けたのに、
今は立入禁止になっていました。

高台に登ると行基堂、松平家廟、重文の七重石塔があるようです。

是非とも近くで見たかったな。


【本堂】


現在の本堂は天保3年(1832)に再建されたもの。




拝観料400円を支払い堂内へ。




本堂は外陣と内陣に別れ、
内陣は三室ありました。






まずは御本尊にお参りです。








左右の部屋の奥には色々な諸仏が祀られていました。


【葵の御紋】


本堂の参拝を済ませ次は庭園の見学です。

長くなりましたので続きはまた明日。