Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

妙法寺(2018年6月16日参拝)

2018年08月03日 | 甲斐百八霊場
常在寺から北口本宮冨士浅間神社へ向かっている途中、
なかなか立派な本堂が見えた。

これは行って見ておかないと思い急遽寄り道。

はい、いつものことです。(笑)

少し高台の場所にお寺があり、
10台分程の無料駐車場がありました。


所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町小立692
宗派:法華宗本門流
御本尊:十界曼荼羅
創建:不明(諸説あり)
開基:日蓮聖人
開山:妙法入道、妙吉入道
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
文永5年(1268)日蓮上人が富士山五合五勺経ヶ岳で国家安泰の祈念をした後、
法華経の布教の為当地を訪れ、その後弘安元年(1278)に再び小立を訪れた際に、
信者の中の妙法入道、妙吉入道らがその弟子となり、
奥之院法華堂に妙法寺を創立した。
 

【山門】


これはいい山門ですね~。

豪壮なる面構えです。


【三猿】


山門に何故か三猿が。(笑)


【本堂】


こちらも立派な本堂です。

本堂が開いているなと思ったら、
法要が行われていました。


【御寶蔵】





【石碑】



【鐘楼堂】



【廻舞台】



【三十番神堂】







参拝した時は全く知らなかったのですが、
このお寺も甲斐百八霊場の札所で御首題がいただけるとか。

札所である雰囲気も御首題をいただける雰囲気も皆無。

情弱はつらい。(^^;

常在寺(2018年6月16日参拝)

2018年08月02日 | 甲斐百八霊場
冨士御室浅間神社の参道途中にあるのが、
法華宗本門流の常在寺というお寺。

裏手から本堂を見ると立派だったので寄ってみた。

神社の参道から常在寺の境内に入り、
反対側にある山門を一旦出て、また山門から入り直すという、
非常にめんどくさいことをしてます。(^^;

お寺は山門からというのが私のポリシーだから仕方ない。


所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町小立139
宗派:法華宗本門流
御本尊:十界曼陀羅
創建:不明
開山:不明
札所:甲斐百八霊場


【山門】


近年再建されたようで、
まだ新しい山門ですね。




ここでようやくお寺の名前が判明。(笑)


春になると山門から境内は桜が咲き乱れるそうです。


【本堂】




まずは本堂にお参り。

コンクリート製の味気ない本堂です。




内陣は入れませんでしたが、
ガラス越しに見れただけでも良かったです。

天気が良ければ本堂左手に富士山が見えるようですが、
今日は生憎の天気で全く見えず。

まるでそこには富士山が存在しないかのよう。(泣)

やっぱり富士五湖辺りに訪れるのは、
富士山が綺麗に見える晴れの日に限るな。


【鐘楼堂】


車は鐘楼堂前辺りに適当に停めていいようです。


【日蓮大聖人辻説法像】



【霊宝殿】




こちらに薬師如来が祀られているようですが、
お姿を拝めず。


【日要聖人像】



【庭園】



【西区公民館】


何か神社っぽいんだよな。


【鎮守社】


西区公民館の裏側に祀られていました。


参拝した時は全く知らなかったのですが、
このお寺は甲斐百八霊場の札所で御首題がいただけるとか。

札所である雰囲気も御首題をいただける雰囲気も皆無。

情弱はつらい。(^^;

慈眼寺(2018年6月16日参拝)

2018年07月30日 | 甲斐百八霊場
とても良かった福光園寺の次は慈眼寺というお寺へ。

このお寺は鐘楼門や本堂が私好みなので、
とても楽しみです。


所在地:山梨県笛吹市一宮町末木336
宗派:真言宗智山派
御本尊:千手観世音菩薩
創建:不明
開山:不明
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
慈眼寺の創建は不詳ですが文明年間(1469-1487)、
宥日上人が中興開山したと伝えられています。

戦国時代は武田家の戦勝祈願所として寺運が隆盛し、
境内には七堂伽藍が建ち並び甲州国檀林七ヶ寺の筆頭となりました。

しかし天正10年(1582)の織田信長の甲斐侵攻により武田家が滅び、
兵火により堂宇、寺宝、記録などが焼失。

その後、徳川家の祈願所として再興されます。

現在の本堂、庫裏、鐘楼門は第12世宥真が再建したものです。

本堂・庫裏・鐘楼門はいずれも国指定重要文化財、
その他武田家と縁の深い歴史的文化財を多数所蔵する。


【寺号標】


お寺は桃畑の間を進んで行くらしい。


【参道】


行き止まり感バリバリに見えたので、
一旦歩いて行ってみた。

すると鐘楼門の左手から境内に入り、
車を停める事が出来ると判明。(^^


【石仏】



【鐘楼門】




こちらがお目当ての鐘楼門。

素晴らしい。

実に渋い。




反対側から見ても素晴らしい。(^^

慶安3年(1650)に建立されたもの。


【本堂】






いいですね~、
この茅葺屋根がたまらない。

元和8年から慶安3年(1622-1650)に建立されたもの。






本堂は残念ながら閉まっていて内陣は伺い知れないですが、
六室からなる方丈型本堂で中央仏間に御本尊が祀られているそうです。

これってもしかして、慈眼寺は今では真言宗だけど、
昔は禅宗だったんじゃないのかな。


【庫裏】




庫裏もまた茅葺屋根です。(^^

元和8年から寛文7年(1622-1676)に建立されたもの。


【石仏】


上の丸いのは何だろうか?


【仁王像】


ツッコミ満載な感じ。(^^;

何でこんな所に?

仁王さんは北に向いてるけど、
鬼門の方向に安置されてる訳でも無いし。

よく分かりません。(^^;


御朱印はありますが、
御不在の雰囲気を感じたのでピンポンを押すこともなく。

以前より何が何でも御朱印が欲しいと思わなくなってきてます。

福光園寺(2018年6月16日参拝)

2018年07月29日 | 甲斐百八霊場
素晴らしい雰囲気と伽藍を堪能した聖應寺を後にし、
次は重文の吉祥天座像を拝仏しに福光園寺へ。

坐像は全国的にも珍しいそうです。


所在地:山梨県笛吹市御坂町大野寺2027
宗派:真言宗智山派
御本尊:不動明王
創建:不明
開山:不明
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
真言宗智山派に所属し真言宗七談林の一つで著名な古刹です。

推古天皇の時代に聖徳太子が創立されたといわれる説があり、
養老年中(717~723)行基菩薩が当山に行脚中滞在し、
本尊不動明王を彫刻して、仏法結縁の霊場とされていました。

その後、真言宗開祖である弘法大師空海が当山に行脚中滞在した際に、
加持祈禱により湧出したと言われている牛池は現在も残っています。

しかし諸堂伽藍を完備し隆昌を極めましたが、
多くの変革を経て荒廃してしまいました。

創立以来数百年を経て保元2年(1157)、
当地の領主であった大野対馬守重包を中興開基に、
賢安上人を中興開山として再建をはかり、
諸堂伽藍を備わり寺号を大野山と称しました。

天正2年(1574)山寺号を現在の大野山福光園寺と改めました。

以前は塔頭16院、寺領を甲府、信濃や駿河に所有していました。
殿堂や伽藍善美に尽して隆盛を極めた時代もありましたが、
天正元年(1573)には落雷により諸堂がことごとく焼失してしまいました。

その後、再建した御堂は安永7年(1778)7月27日、
また寛政12年(1800)10月24日の再度の火災により旧観を全く失い、
古文書や什宝などが多く焼失して、火災を免れたのは鐘楼門だけとされています。


【鐘楼門】


こちらもまた良い雰囲気を醸し出していますね。




寛文12年(1672)に建立されたもの。


【石仏】



【本堂】


天保3年(1832)の再建されたもので、
厨子に安置された不動明王が祀られているとのこと。


【保存庫】


奥様に拝観をお願いすると快諾していただき、
保存庫を開けていただきました。(^^


【吉祥天・持国天・毘沙門天】




運慶の愛弟子の蓮慶の作で重要文化財。

拝観料を支払うと言うと遠慮される奥様。

しかしそういう訳にはいかないので、
300円を賽銭箱に入れさせていただいた。








坐像の吉祥天は全国でも二体だけとか。


撮影はいくらでもOKとのこと。

やっぱりこうでなくっちゃ。

奥様有難うございます。(^^

撮影不可にしている全国の寺社も見習ってほしいわ。




毘沙門天






持国天


【掛軸】


釈迦入滅の定番のものですが、
江戸時代の作らしい。


【真言八祖像】


来客があり奥様は私一人をおいて庫裏へ。

いくら私が信用出来る人間だからって、
ちょっと不用心かも。(^^;

地方ならではのおおらかさでしょうか。(^^


【石仏】



【観音堂】



【御朱印】


御住職が御不在ということで書置きをいただきました。

なかなか味のある良い墨書きです。(^^

御朱印代も要らないという奥様。

商売っけの無い方ですね。(^^

逆にここまでされると奥様の為に支払いたいと思うんですよね。

そういう訳で300円賽銭箱にインしておきました。


福光園寺は重文の仏様も素晴らしかったが、
奥様も仏様のように素晴らしかったです。

とても暖かい気持ちになれた参拝でした。(^^

聖應寺(2018年6月16日参拝)

2018年07月28日 | 甲斐百八霊場
【葡萄畑】






早くシャインマスカットが食べたい。(^^


【岡銚子塚古墳】


聖應寺に行く途中で缶コーヒーを買おうと寄ってみたら、
まさかここが逃げ恥のロケ地だったとは。




笛吹市八代ふるさと公園にある古墳だそうですが、
行った時は人工的に造ったものと思ってました。

良い風景が見れると思って古墳の上に行ってみた。



頂上部分はこんな感じ。








ここで逃げ恥第三話の放送でガッキーを含む主要メンバーが、
大声で叫んでいたシーンが放送されました。




南アルプス方面らしい。

行った時は知らなかったが、
左下にリニアモーターのトンネルがありました。

さて、ロケ地巡りも終えたことだし、聖應寺へ行きますか。



所在地:山梨県笛吹市境川町大黒坂1090
宗派:臨済宗向嶽寺派
御本尊:釈迦如来
創建:康暦元年(1379)
開山:無住道雲
札所:甲斐百八霊場


【総門】


細い道を進むと見事な総門が登場。


【参道】


かなり奥に広がる境内のようです。


【反橋】




寺院の境内に流れる河川に架かるのは珍しいそうです。




車は反橋の先に数台分停めれました。


【参道】


ここの雰囲気が最高ですね。




奥に山門が見えてきました。


【山門】


これはまた素晴らしい山門です。

山梨には本当に良い寺社が多いですね。

参拝していて楽しいです。(^^


【苔】



【仏殿・開山堂】




文化元年(1804)再建されたもの。




いかにも臨済宗寺院の仏殿といった内陣です。

こういった仏殿は入れない事が多いですが、
外からでも内陣を見れて拝めるのは嬉しいことです。


【庭園】



【鐘楼堂】




おー、これは私の大好物の茅葺屋根ではありませんか。(^^




小ぶりながら良い音色でした。


【石仏】





【山門】




どこから見ても素晴らしい。


【参道】


良いお寺だったなぁと、しみじみ感じながらお寺を去る。


御朱印はあるようですが、
庫裏のピンポンを押すこともしませんでした。

ここは御朱印をいただくという欲望を捨てさり、
そのまま静かに去りたかったので。

栖雲寺(2018年6月15日参拝)

2018年07月26日 | 甲斐百八霊場


景徳院から更に山奥に車を走らせ、
本日ラストの参拝となる栖雲寺に到着。

物凄く長閑な場所にある栖雲寺もまた武田家所縁のお寺です。

バス停近くに10台分程の無料駐車場がありました。


所在地:山梨県甲州市大和町木賊122
宗派:臨済宗建長寺派
御本尊:宝冠釈迦如来
創建:貞和4年(1348)
開山:業海本浄
開基:武田信満
札所:甲斐百八霊場、甲斐八十八ヶ所霊場


【縁起】
臨済宗建長寺派の寺院で山号を天目山といいます。
南北朝時代の貞和4年(1348)業海本浄を開山として創建されました。

開基は甲斐国主の武田信満公で、往時は中部地方における幻住派の拠点として、
また戦国の大雄武田家の菩提寺として大いに繁栄しました。

勝頼公の敗北後は織田家の兵火で殿堂を焼失しましたが、
徳川家康が寺領を寄付した為に旧観を取り戻しました。

武田家の滅亡によって外護者を失いはしましたが、
鎌倉建長寺の参暇日記によると、
江戸時代には建長寺末山の四大柱寺の一つとして特別の待遇を受け、
衰えたりといえども巨刹の面目を存していた事がわかります。


【本堂】


駐車場から女坂を通って境内に入るといきなり本堂です。

こちらも本堂は残念ながら閉まっていました。


【伝灯庵】


毎年11月中旬の土日は宝物風入れ展というのがあり、
予約無しで拝観出来るそうです。


【鐘楼堂】





【山門】


これが山門なのかな。

通用門のような感じですが。(^^;


【石庭会館】




庫裏横には禅庭があるので行ってみると、
石庭会館という休憩所がありました。






富士之間ともう一つの部屋があり、
部屋からは雄大な富士山が見れるそうです。


【禅庭】


協力金として料金箱に拝観料300円投入。




これは巨石群がある石庭ですね。

人が一から造ったものでは無く、自然を利用した庭ですね。

山梨のお寺はオシャレな庭では無く、
こういった無骨な男らしいものが良く似合う。






こういった巨石がゴロゴロしてます。


【霊石寺】



【百字石】



【梵音洞】





【地蔵菩薩磨崖仏】






よく見たら何とか見えました。


【摩利支天】


幟を見ると摩利支天が上に祀られているようだ。

近くにありますように。




あんまり登ることもなくお堂がありました。(^^

摩利支天は多くの武将が信仰し、
武田の戦になれば必勝祈願の御祈祷がされたそうです。


【文殊菩薩磨崖仏】


橋の向こうに何かあります。




巨石のようです。




なになに、磨崖仏だと。




文殊菩薩というより戦国武将の奥方のように見えますね。


【座禅石】







【忿怒石】




名前の由来は不明です。




石の下には石仏が祀られていましたが、
そのほとんどが首が無いものでした。


【境内社】



【石庭】


下から見上げるとなかなかの迫力です。


【山王神社】


奥に建物が見えます。






これは山王神社の拝殿です。

鎮守社のようです。




本殿。

天正10年(1582)の織田・徳川連合軍による武田領侵攻の兵火により、
焼失した後の慶長6年(1601)に再建されたもの。


それにしてもこの辺りは本当に薄暗い雰囲気です。

さっさと本堂の方へ戻ろう。


【御朱印】


御不在の時は御朱印代と住所、名前等を書いた紙を、
封筒に入れておくと後日送付していただけます。




後日送付されてきた書置きです。


【美と健康と癒しの宿 ホテル八田】


本日のお宿である石和温泉のホテル八田。

このホテルの住所が石和町川中島。

川中島なんて戦国好きとしてたまりません。(^^

後でお土産を親に持っていったら、
私が小学生の頃に石和温泉の別のホテルに泊まっていたらしい。

偶然にも石和温泉に何十年振りに訪れていたとは。

♪あの頃 君は 若かった~♪(遠い目)


【夕食】




山梨といえばほうとうですよね。(^^










美味しかったです。

ただ、海無し県なんだから、
鯛のお造りは出さない方がいいと思う。


食後、名物のワイン風呂と露天風呂に入って就寝。

景徳院(2018年6月15日参拝)

2018年07月25日 | 甲斐百八霊場
大善寺から山道を走り景徳院へ。

景徳院は武田勝頼公の御廟所がある禅寺で、
歴史の一端を感じたいと思います。


所在地:山梨県甲州市大和町田野389
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:天正10年(1583)
開基:徳川家康公
開山:拈橋倀因
札所:甲斐百八霊場


【縁起】
天正10年(1582)3月、甲斐国国主・武田勝頼は、
織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により、
甲府から移転した本拠であった新府城を放棄し、
郡内領主・小山田信茂を頼り落ちのびるが、
途中で信茂は離反し天目山において滅亡した。

同年6月、本能寺の変により発生した天正壬午の乱を経て、
甲斐は三河国の徳川家康が領する。

天正壬午の乱において武田遺臣の一部は家康に臣従し、
同年7月に勝頼と家臣ら殉死者の菩提を弔う為、
田野郷一円を寺領として寄進し勝頼主従が自害したこの地に田野寺を建立し、
ここに勝頼主従を手厚く葬った。

広厳院から武田家臣・小宮山内膳の弟である7世拈橋倀因を招き、
天正16年(1589)には伽藍が完成し天童山景徳院と名を改めている。

江戸時代には住職不在状態となり衰退し、寛永年間(1624-1644)に、
広厳院から住職が招かれ再興されているが、
旧武田氏家臣の幕臣の要求により、下総総寧寺の末寺とされたという。

天保年間(1830-1844)には火災が生じて主要伽藍を焼失し、
弘化2年(1845)、明治27年(1894)の 2度にわたって火災に遭い、
往時の建物は山門が残るのみである。

境内には勝頼主従の墓とその位牌を祀っている甲将殿(影殿)があり、
勝頼父子が自害した所と伝えられている生涯石もある。



【総門】


渋い禅寺らしい総門です。

総門近くに無料駐車場があるらしいが、
見つからないし上にもあると信じて進む。


【石碑】



【山門】


質実剛健といった山門で天保6年(1835)に再建されたもの。

少し上に登った場所にも駐車場がありました。


【仁王像】



【旗竪松】


勝頼公は世子の信勝公が元服を済ませていなかったことから、
急いで陣中にあった楯無の鎧を着せて擐甲の礼を行い、
その際重宝旗を根元に立てたといわれる松だそうです。


【本堂】


本堂は残念ながら閉まっていました。

昭和53年(1978)に再建されたもの。


【鐘楼堂】







【境内】


奥に見えるのが山門です。


【庭園】




本堂裏にありました。


【地蔵堂】





【武田慕情】


こんなのがあるんですね。

you tubeで見たら演歌でした。(笑)




【武田勝頼公生涯石】


この石の上で天正10年自害し生涯を閉じました。

勝頼公は武田家を滅ぼしたこともあって、
個人的には評価はしてませんが、
悲劇の武将であったことは間違いありません。


【北条夫人生涯石】


勝頼公は夫人を北条家に返したかったが、
夫人はこれを断り追従。

最期は懐刀を口に含んで自害されたとされる。

何という壮絶な最期。

夫人の年齢は僅か19歳というから驚く。

戦争はいつの世も残酷なものだ。


【甲将殿】


影堂とも呼ばれる甲将殿には勝頼公の家来の位牌が安置されている、
所謂位牌堂ですね。


【武田勝頼・北条夫人・武田信勝墓石】




甲将殿の裏手に祀られていました。


【没頭地蔵尊】


この地蔵尊は勝頼公、北条夫人、信勝を祀っている地蔵尊ですが、
その全てが首が無く残念なことになっています。

だから没頭地蔵尊と名付けられているのか。


これにて武田家終焉の地である景徳院の参拝終了。

やはりどこか悲しげな雰囲気を感じる境内でした。

庫裏に声をかけることもなくお寺を去ったので、
御朱印はいただいておりません。

書置き対応のみのようです。

鎮護国家大善寺(2018年6月15日参拝)

2018年07月24日 | 甲斐百八霊場
なかなか不気味というか何というか、
遊びでは行ってはイケないと感じた人穴浅間神社を後にし、
逃げ恥のロケ地にもなった甲州市の大善寺へ。

ちょっと重い気持ちを顔面偏差値東大のガッキーの笑顔で、
払拭しようと思った訳です。

数年前に山梨の寺社巡りの時に、
この大善寺を参拝し忘れていたという理由もあるけど。

国宝の本堂が超絶倫カッコいいので参拝が楽しみです。


【牧場】




139号線を走っていると牧場があり、
乳牛が飼育されていました。

ここだけだと北海道にいるみたいな錯覚に陥る。(^^


【富士山】




チラ見せとか泣けてくる。

もうちょっと見せてー。


【精進湖】






富士五湖の一つだけどやっぱり小さい湖でした。

精進ブルーラインを走り大善寺に到着。

駐車場は二カ所あり拝観者は無料でした。



所在地;山梨県甲州市勝沼町勝沼3559
宗派:真言宗智山派
御本尊:薬師如来
創建年:伝・養老2年(718)
開山:伝・行基菩薩
札所:甲斐百八霊場、甲斐八十八霊場、甲州東郡七福神巡拝


【縁起】
寺伝に拠れば奈良時代に行基の開創を伝え、
御本尊である薬師如来像の様式等から、
創建は平安時代前期と考えられている。

行基が甲斐国柏尾山の日川渓谷で修行した時に、
夢の中に葡萄を持った薬師如来が現われ、満願を果たし、
葡萄を持った薬師如来像を建立したことが当寺の起源であるとされている。

薬師堂は天禄2年(971)に三枝守国による建立とする伝承がある。
天正10年(1582)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻に際して、
3月3日に武田勝頼は本拠である新府城から小山田信茂を頼り、
都留郡の岩殿城に向かう。

勝頼はその途中で大善寺に立ち寄り戦勝を祈願している。


【山門】




堂々たる重厚な山門で寛政10年(1798)に再建されたもの。


【仁王像】





【手水鉢】



【石段】



【楽屋堂】


石段の上の建物は楽屋堂というものです。

延宝5年(1677)再建されたもの。

ここから先は拝観料500円要です。


【境内】


大善寺の目玉である本堂が見えます。

他のお堂は後回しにして早速本堂に参拝です。(^^


【本堂】






弘安9年(1286)に建立された国宝。

誰がどう見ても素晴らしいと思える本堂です。

いよいよ堂内に入ります。




画像はネットで拾ったものですが、
ガッキーが座った場所で私も座ったのは言うまでもない。(^^


【薬師三尊像】


重要文化財。

堂内は撮影不可でしたので、
画像はパンフレットを転写拡大したもの。

国宝の厨子に安置され五年に一度御開帳されます。

堂守の方の案内付きで内陣に入って近くで、
十二神将、四天王、月光・日光菩薩を拝仏出来ました。(^^


【手水舎】



【稚児堂】






稚児堂横での二人。(^^


【鐘楼堂】



【行者堂】




役行者が祀られていました。


【石仏・地蔵菩薩】



【芭蕉句俳】



【開運地蔵堂】





【楽屋堂】


ここは靴を脱いで堂内に入れます。




休憩所のようです。




仏様も祀られていました。


【石段】


楽屋堂から見た石段。


【山門】


これから庫裏へ。


【客殿】


拝観料プラス300円でグラスワインかぶどうジュースを、
ここでいただくことが出来ます。

しかしお寺でお酒が飲めるなんて、
教義の厳しい大石寺だったら激怒もんでしょうね。(^^;




こちらも第三話で放送されたシーンです。


【庭園】






江戸初期に作庭されたもの。

京都の庭園を見飽きるほど見ていると、
地味に感じますが、これはこれで落ち着いていい。


【御朱印】


二体の内、御本尊をいただきました。


これにて大善寺参拝終了。

やはり本堂が素晴らしかったです。

また訪れたいね。