Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

近江藩井伊家屋敷跡・ホテルニューオータニ東京日本庭園(2021年6月12日見学)

2021年07月31日 | 旅行・その他
日枝神社から徒歩で豊川稲荷東京別院へ。

しかし、本来は道を左に曲がれば良いのに、
真っすぐ行ってしまった。


【弁慶濠】


釣りをしている人達がいた。
都会で釣りなんて乙なもんですね。


【ホテルニューオータニ東京】


道を間違えてるとも知らずに進むとニューオータニ東京に着いてしまった。

ここでようやく道を間違えていることに気づいて、
ニューオータニの日本庭園を少し見学することにした。

このホテルニューオータニ東京は宝くじの高額当選しない限り、
私には全く無縁のホテルです。


所在地:東京都千代田区紀尾井町5-2
拝観料:無料


【歴史】


江戸時代初期、この地には朝鮮で虎退治をしたという伝説で知られる
武将加藤清正の下屋敷がありました。
そして二代・忠広の時に加藤家が改易になったのを機に、
この屋敷は井伊家へと引き継がれ、幕末まで中屋敷として使用されました。

その後、伏見宮邸宅となり美しい庭園として知られるようになりました。
第二次大戦後、伏見宮家がここを手放すにあたり、外国人の手に渡ろうとしたのを、
ホテルニューオータニ創業者である故大谷米太郎が、
この由緒ある土地を外国に売り渡すのは惜しいとして 買い取って自邸とし、
荒れ果てた庭を大谷米太郎自ら陣頭指揮して改修しました。

大谷米太郎は政府の依頼に応じて、東京オリンピックの為、
この地にホテルニューオータニを建設。
こうして日本庭園はホテルニューオータニの一部となったのです。


【近江藩井伊家屋敷跡】




少し歩いていると近江藩井伊家屋敷跡の石柱があった。

主に隠居や世継ぎなどが暮らした中屋敷跡です。
ちなみに藩主とその妻子が暮らしたのが上屋敷です。


【なだ万 山茶花荘】


ここも私には無関係のお店です。
昼間から2万5千円オーバーなんて庶民には無理。(^^;

ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎の自宅だった建物だそうです。


【もみじ亭】


鉄板焼きのお店。

ランチで8千円オーバーです。
ここは庶民でも無理すればいけます。(笑)


【十三重の塔】


南北朝時代作。


【日本庭園】








優雅に鯉が泳いでいましたが、
水が循環式なんで水が臭かったです。(^^;


【鷺】


日本庭園は他にも見所があったが、
豊川稲荷東京別院が私を待っている。

急ごう。

赤坂山王日枝神社(2021年6月12日参拝)

2021年07月29日 | 東京十社巡り
国会議事堂の次は日枝神社へ。
徳川家ゆかりの由緒ある神社であります。

裏鬼門として江戸城と江戸を守る神社の参拝が楽しみです。


所在地:東京都千代田区永田町2丁目10番5号
御祭神:大山咋神
相殿神:国常立神、伊弉冉神、足仲彦尊
創建:不明
社格:官幣大社・別表神社
札所:東京十社巡り


【由緒】
創建の年代は不詳。
文明10年(1478)太田道灌が江戸城築城にあたり、
川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。
徳川家康が江戸に移封された時、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。

慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、
社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。

社地は家康により5石、元和3年(1617)に秀忠により100石、
そして寛永12年(1635)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった。

明暦3年(1657)明暦の大火により社殿を焼失した為、万治2年(1659)、
将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて現在地に遷座した。
この地は江戸城から見て裏鬼門に位置する。

明治元年(1868)11月の東京奠都の際に准勅祭社に指定された。
その後明治3年(1871)に神祇官直下から東京府管轄に移され、
明治5年(1873)の官国幣社の選定時にも漏れ、そのまま東京府の府社となった。

明治14年(1881)に氷川神社宮司で日枝神社の祠官を兼ねていた平山省斎が、
皇城鎮護の神社が府社であっていいはずがないので、官幣大社にしてほしいと願い出た。

この時は官幣大社にならなかったが、東京府・内務省の賛成を得て、
明治15年(1882)1月9日に官幣中社になった。
大正元年(1912)には官幣大社に昇格した。

昭和20年(1945)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958)に再建された。


【山王鳥居】


面白い形をした鳥居です。


【山王男坂】




思っていたよりなかなか急な石段でした。


【神門】








これは美しい神門です。

東京はこのような派手な色使いの社殿が多いですけど、
決して嫌味には感じないのが素晴らしい。


【手水舎】



【宝物殿】




無料で拝観出来るということで余り期待していなかったけど、
入ってみてビックリした。


【太田道灌像】





【刀剣】
























まさか無料で国宝と重文の刀剣が見れるとは。
というか国宝の則宗が無料で拝めるなんて凄過ぎ。

ここだけで拝観料を取っていいレベルですよ。

本当に嬉しい誤算でした。

さて、気分が上がったところでお参りをしよう。


【拝殿】 


後ろに高層ビルがあるのが東京の神社の特徴の一つです。






この色使いは関西の社殿では余り見ないタイプです。


【狛狛猿】




こんな所にお猿さんが。
しかもオスとメスがいました。

あ、よく見ると子ザルもいた。(^^

猿は鬼門を守る神の使いとされる。

【神輿庫】





【蔵】



【山王稲荷神社・猿田彦神社】







【紫陽花】



【鳥居】






稲荷神社の鳥居が良い雰囲気です。


【大鳥居】




こちらが正鳥居かと思ったが裏鳥居なのね。


【狛犬】





【御朱印】


四体のうち二体をいただきました。

東京の神社の御朱印代は500円がデフォルトになってきてますね。
さすが物価の高い東京だけある。




しかし日枝神社はおまけを貰えました。(^^

国会議事堂(2021年6月12日見学)

2021年07月25日 | 旅行・その他
東京駅から電車見学に乗って日枝神社へ向かう。 
その日枝神社近辺には国会議事堂や首相官邸があるので、
こんな機会はそう無いので見に行くことにした。



平日だったら国会議事堂の中を見学出来るんだけど、
土日祝は見学不可なのが残念。

せめて土曜日だけでも見学させてほしいよ。


所在地:東京都千代田区永田町1-7
建築期間:大正9年~昭和11年
参観:平日午前9時から午後4時


【歴史】
国会の議事が行われる建物で現在の建物は昭和11年(1936)
現在地である東京都千代田区永田町に建設され、
第二次世界大戦の戦火を免れて現在に至る。

地上3階建て(一部4階)で、中央の塔は9階建て。
左右対称で正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院がある。

建設の計画は明治時代にまで遡り明治23年(1890)の国会開設を期し、
明治19年(1886)に他の中央省庁と共に建設が計画されたが実現しなかった。

そのためドイツ人建築家A・ステヒミュレルと内務省技師、吉井茂則の設計によって、
麹町内幸町(現東京都千代田区霞が関)に建てられた木造の仮議事堂で第1回帝国議会が開かれた。

しかし2カ月後に焼失したため、吉井とドイツ人建築家オスカー・チーツェの設計で、
第二次仮議事堂が同じ場所に建設された。

明治24年(1891)の第2回議会から大正14年(1925)の第50回議会まではここで開催されたが、
再び大正14年(1925)に焼失した。
約17年かけて建設され昭和11年(1936)に帝国議会議事堂として竣工された。


【国会議事堂】




ついに国会議事堂が見えてきました。
この辺りでも警察官がチラホラと居ましたね。








正門。




近くにいた警察官に撮影はOKですか、と聞いたら、
大丈夫ですよということで有難く撮影出来ました。






国会議員の質は別だが、建物は素晴らしいですね。








違う角度から撮影。




戦後すぐの食糧難では国会議事堂の前ですら農地になっていたんですね。


【衆議院第二議員会館】



【国会議事堂】


見納め。

いつか中を見学したいと改めて思いましたね。


【山王坂】


ここを下って行けば日枝神社に着きます。

続きは次回。

ちなみに首相官邸は警備が凄くて写真すら撮れませんでした。(^^;

旧乃木邸(2021年5月30日見学)

2021年07月23日 | 旅行・その他
乃木神社の真横に何やら門があり庭園がある。
よくみると奥に洋館が見えた。

庭園だけだと入る気はあんまりしないが、
洋館が気になったので入ってみることにした。

無料だし。(笑)


所在地:東京都港区赤坂8-11-32
拝観料:無料
開園時間:9:00~16:00


【歴史】
旧乃木邸は日清・日露戦争の両戦役に従事し、
明治天皇崩御の後に殉死された陸軍大将乃木希典の邸宅です。

現存する家屋は、乃木大将がドイツ留学中に見たフランス連隊本部を参考にして、
自らの設計により明治35 年(1902)に新築されたものです。

明治期の将官の邸宅は接客を目的とする豪華な建物が多かったのに比べ、
旧乃木邸の外観は黒塗りの板張りで飾り気がなく、
内部も極めて簡素かつ合理的に造られており、
明治期の和洋折衷建築としても貴重なものとなっています。

馬小屋は母屋が改築される以前の明治22 年(1889)に建てられた。
煉瓦造り日本瓦葺きの平屋建てで、母屋より立派であったことから、
新坂の馬屋敷と称されて評判になったといいます。

煉瓦は英国から取り寄せるほどのこだわりぶりで、
馬を大切にした乃木大将の人柄が偲ばれます。


【裏門】



【庭園】





【石碑】



【乃木家祖霊社】


【旧乃木邸】






明治天皇崩御後、
殉死した部屋がこの建物に残されているそうです。

5月、9月、11月のそれぞれ数日無料拝観出来るようで、
是非とも入りたかったが、コロナだし現在は中止でしょうね。


【御供待所】





【庭園】





【乃木大将と辻占売少年像】





【馬小屋】









【表門】



【馬小屋】


レンガっていいですね。
なんか暖かいというか。

さて、乃木坂界隈はこれぐらいにして、
次は日本の中枢を見に行くとしよう。

乃木神社(2021年5月30日参拝)

2021年07月21日 | 神社
日帰りの東京とはいえ、まだ時間が余っている。

渋谷駅近辺でまだ参拝していない神社仏閣は余り無いので、
赤坂方面の乃木坂駅へ移動。





駅には乃木坂46のポスターもが貼ってあった。

乃木坂駅といえばすぐにピンとくる人が多いと思いますが、
乃木坂46で一躍有名になった乃木神社が鎮座しています。

まぁ元々は乃木将軍こと乃木希典大将と奥様を祀る神社で、
京都や下関にも鎮座していますね。


所在地:東京都港区赤坂8-11-27
御祭神:乃木希典命・乃木静子命
創建:大正12年(1923)
社格等:府社・別表神社


【由緒】



【一の鳥居】


乃木坂駅からすぐ近くなんで助かります。


【狛犬】





【手水舎】




金魚鉢に金魚がいました。
こういうのいいね。


【二の鳥居】



【境内】



【参集殿】



【拝殿】





【宝物殿】


御鎮座九十年を記念して修復・奉納された御祭神の石膏像、
ご殉死の刀などが展示されていました。

無料。


【正松神社】




御祭神:玉木文之進正命・ 吉田矩方松陰命

玉木文之進正命は幕末維新に際し、
多くの偉人傑士を輩出した長州萩の学者であり松下村塾の開祖。


【雷神木】





【絵馬】








聖地だけあってこの日も乃木坂ヲタがいました。


【赤坂王子稲荷神社】









【御朱印】



玉造稲荷神社・豊栄稲荷神社(2021年5月30日参拝)

2021年07月19日 | 神社
金王八幡宮の隣に小さな神社があります。
参拝者が多い金王八幡宮に比べとても地味ですが、
神社が目の前にあるのに華麗にスルーするわけにはいきません。

参拝した時は金王八幡宮とは別の神社と思ってましたが、
金王八幡宮の末社だとか。
末社にしては大きいですね。


所在地:東京都渋谷区渋谷3-5-12
御祭神:宇迦之御魂命
創建:江戸中期
社格:金王八幡宮末社


【社号標】



【鳥居】


ちょっと薄暗い感じ。






この鳥居を見て稲荷社だということが分かりますね。


【庚申塔群】








十三基の庚申塔が安置されていました。


【拝殿】





【狛狐】





【剣道場】


中から剣道特有の凄い奇声が聞こえてきました。

御朱印は金王八幡宮でいただけるようですが、
確認はしておりません。

親王院東福寺(2021年5月30日参拝)

2021年07月17日 | 江戸三十三観音霊場
金王八幡宮の隣にお寺があります。
見た感じそんなに大きくもなく有名でもない。

しかし、このお寺の開基は後に鎌倉幕府を開いた源頼朝や、
室町幕府を開いた足利尊氏等の祖先にあたり、
八幡太郎と呼ばれた源義家という由緒あるお寺です。


所在地:東京都渋谷区渋谷3-5-8
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:承安3年(1173)
開山:円鎮僧正
開基:源義家
札所:東京三十三観音霊場


【縁起】
天台宗江戸山王城琳寺末、開山僧円鎮、養和元年閏2月7日寂す。
当時は源義家堂社造立のとき、共に建立ありて則親王院と名付しか、
建久2年鶴岡八幡社再興の時、当社も修理を加へられ鶴谷山と名付く。

其後建仁2年円證と云僧住せしか渋谷高重此僧を帰依し伽藍を造立し、
渋谷山円證寺と号し院を常照と改む。
本尊弥陀は慈覚大師の作。

此像は開山円鎮旅僧より伝授す。
鎮其報として地蔵像を贈る。
彼僧欣然として携去て行方を知らず鎮其忽行方を失ふを怪て是を尋るに、
金王丸影堂中に彼贈りし地蔵の像あり。

是金王丸の仮に旅僧に現して授けしに疑なしとて益信仰浅からす。
終に彼弥陀を本尊と崇め八幡の本地佛とす。


【山門】


緑が豊富で大都会の渋谷にあるとは思えない佇まいです。


【地蔵尊】



【参道】


本当に緑が多くて癒されますね。


【本堂】






本堂は残念ながら閉まっていました。


【扁額】



【客殿】



【合掌地蔵尊・馬頭観音】


向かって右側が合掌している珍しい地蔵尊。




向かって左側が馬に乗っている女性のような観音様でした。


【栄範地蔵尊・栄傳地蔵尊】


栄範、栄傳は享保から安永にかけて寺運隆昌に尽力した
三十八世、三十九世の住職。


【鐘楼堂】





【宇田川地蔵】







【庚申塔】



これにて東福寺の参拝終了。

御朱印はあるようですが、
コロナの時なので寺務所に寄っていないので、
今回はいただいておりません。

金王八幡宮(2021年5月30日参拝)

2021年07月06日 | 神社
今週も大事な所用があって東京の渋谷へ。
まぁ、サクッと終わらせて日帰りだけど。

早くコロナが収束して東京観光したいよ。

そう願いながら早く着いたので渋谷駅から、
徒歩5分ほどに鎮座する金王八幡宮へ。


所在地:東京都渋谷区渋谷3-5-12
御祭神:応神天皇
創建 :(伝)寛治6年(1092)
社格:郷社


【由緒】
当八幡宮は第73代堀河天皇の御代、寛治6年(1092)鎮座いたしました。
桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は、
源頼信による長元の乱(1028-1031)において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、
その内の日月二旒を秩父の妙見山(武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました。

武基の子武綱は嫡子重家と共に後三年の役(1083-1087)の源義家の軍に、
300騎余を従え一番で参向し、仙北金沢の柵(秋田県仙北郡金沢)を攻略しました。

その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。
義家はこの勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、
基家が拝持する妙見山の日月旗を乞い求め、月旗をもってこの地に八幡宮を勧請しました。

重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、
当八幡宮を中心に館を構え居城とし、渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。
これが渋谷の発祥ともいわれています。

当八幡宮は古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称しておりましたが、
渋谷金王丸の名声により金王八幡宮と称されるようになりました。


【大鳥居】


神社から少し離れた大通り沿いの鳥居。


【社頭】



【鳥居】



【神門】


なかなか良い神門です。


【拝殿】




東京の都会の神社は後ろに高層マンションやビルがセットになってますね。


【狛犬】





【拝殿】
















彫刻が美しい。

これほどの美しい彫刻はそう多くはありません。
見応え十分でした。


【松尾芭蕉句俳】


【神輿】







【鳳】







【御嶽神社】





【玉造稲荷神社】







【御神木】



【金王丸御影堂】





【御朱印】