続いて本願寺八幡別院から願成就寺というお寺へ。
願成就寺というお寺は聖徳太子が勅願し、
推古天皇27年(617)に創建されたという古刹です。
こちらのお寺には石段の他に、
小高い境内に車を停める為の車道があります。
この車道が激細&急勾配の坂道で、
最初見た時は怖さを感じた程です。
しかし、他に停める場所も無いし、
意を決して車を登らせた。
距離が短かったから助かった。(^^;
初めて車で行く人は御注意を。(苦笑)
所在地:滋賀県近江八幡市小船木町73-1
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:推古天皇27年(617)
勅願:聖徳太子
札所:びわ湖百八霊場
【縁起】
聖徳太子が勅願により建立した48伽藍の最後の寺院として開創。
寺号は聖徳太子の誓願が成就した事から願成就寺となったとされ、
御本尊の十一面観音立像は太子自ら彫り込んだ像と伝えられています。
その後、衰退しましたが、平安時代初期に比叡山延暦寺末寺として再興され、
寺運も隆盛し康安2年(1362)には後光厳天皇が新年の行幸を行っています。
元亀2年(1571)の織田信長の兵火により大きな被害を受けたものの、
信徒が事前に仏像や経典などを持ち出した為、
現在も数多くの寺宝を所有しています。
当初は日牟礼山(八幡山)西南にありましたが、
天承3年(1585)に豊臣秀次が八幡山城を築く際、鷹飼に移され、
その後、大正4年(1915)に現在地に移されました。
古くから神仏習合し興隆寺と共に日牟礼八幡宮の別当寺院として、
祭祀を司ってきました。
しかし、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、
分離し現在に至る。
【石仏】
今日は何かあるらしく、
境内には車が結構停まっていた。
駐車場というより単なる小さな空地に車を停めて、
いざ参拝開始。
【地蔵堂】
【芭蕉句碑】
【祇園神社】
牛頭天王が祀られているようです。
【椿稲荷神社】
【鐘楼堂】
【大師堂】
【本堂】
修験者の方々が沢山おられた。
どうやら採燈大護摩供の法要が行われるようだ。
本堂に早速お参りすると、
嬉しいことに内陣に入ることが出来た。
薄暗い堂内に厨子に安置された秘仏の御本尊等が祀られていました。
残念ながら堂内は撮影不可です。
【不動堂】
【不動明王】
【御朱印】
今日はさすがに書置き対応でした。
願成就寺というお寺は聖徳太子が勅願し、
推古天皇27年(617)に創建されたという古刹です。
こちらのお寺には石段の他に、
小高い境内に車を停める為の車道があります。
この車道が激細&急勾配の坂道で、
最初見た時は怖さを感じた程です。
しかし、他に停める場所も無いし、
意を決して車を登らせた。
距離が短かったから助かった。(^^;
初めて車で行く人は御注意を。(苦笑)
所在地:滋賀県近江八幡市小船木町73-1
宗派:天台宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:推古天皇27年(617)
勅願:聖徳太子
札所:びわ湖百八霊場
【縁起】
聖徳太子が勅願により建立した48伽藍の最後の寺院として開創。
寺号は聖徳太子の誓願が成就した事から願成就寺となったとされ、
御本尊の十一面観音立像は太子自ら彫り込んだ像と伝えられています。
その後、衰退しましたが、平安時代初期に比叡山延暦寺末寺として再興され、
寺運も隆盛し康安2年(1362)には後光厳天皇が新年の行幸を行っています。
元亀2年(1571)の織田信長の兵火により大きな被害を受けたものの、
信徒が事前に仏像や経典などを持ち出した為、
現在も数多くの寺宝を所有しています。
当初は日牟礼山(八幡山)西南にありましたが、
天承3年(1585)に豊臣秀次が八幡山城を築く際、鷹飼に移され、
その後、大正4年(1915)に現在地に移されました。
古くから神仏習合し興隆寺と共に日牟礼八幡宮の別当寺院として、
祭祀を司ってきました。
しかし、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、
分離し現在に至る。
【石仏】
今日は何かあるらしく、
境内には車が結構停まっていた。
駐車場というより単なる小さな空地に車を停めて、
いざ参拝開始。
【地蔵堂】
【芭蕉句碑】
【祇園神社】
牛頭天王が祀られているようです。
【椿稲荷神社】
【鐘楼堂】
【大師堂】
【本堂】
修験者の方々が沢山おられた。
どうやら採燈大護摩供の法要が行われるようだ。
本堂に早速お参りすると、
嬉しいことに内陣に入ることが出来た。
薄暗い堂内に厨子に安置された秘仏の御本尊等が祀られていました。
残念ながら堂内は撮影不可です。
【不動堂】
【不動明王】
【御朱印】
今日はさすがに書置き対応でした。