Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

随教寺興昭院(2021年3月7日参拝)

2021年04月29日 | 仏閣
愛宕トンネルを抜け標高23メートルの愛宕神社の裏側へ。

江戸時代この辺りは松平家等の武家屋敷や寺町が形成されており、
非常に重要な土地でした。

今となってはそんな感じはしない無機質な街になっていますが、
寺町としてお寺が幾つか現存しております。

その一つに「こんにゃく閻魔」という閻魔様が祀られているお寺があり、
それが興昭院です。

東京には縄で縛られたり塩を塗りたくられたりする石像がありますが、
こんにゃく閻魔とはその名の通りこんにゃくを貼られているのだろうか。

ここは檀家寺で本堂と墓地だけといった小さなお寺で、
普通なら通り過ぎるんですが、珍しい閻魔様を拝みたくて訪れました。


所在地:東京都港区虎ノ門3-10-8
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天文2年(1533)
開山:不明


【縁起】
興昭院の歴史は古 く天文2年(1533)本寺天徳寺が天地庵といって、
紅葉山(現皇居内)に創建されたことに遡ります。

慶長16年(1611)天徳寺10世の時、西窪の現在地に移転し、
そのころ智相院(興昭院の中心)も創建。

寛永8年 (1631)随養院(興昭院の1つ)が開山されたと伝えられています。

嘉永3年(1850)麹町5丁目より出火した火災で類焼、
無住の教受院は再建でき ず随養院と合併されました。

明治16年(1883)安政以来大破した随養院が再建され、
随養院と教受院との両寺名を取って随教院と変更されます。

大正12年(1923)関東大震災の時、智相院・随教院ともに焼失しましたが、
阿弥陀三尊・不動尊・過去帳は持ち出し無事でした。

昭和3年(1928)智相院と随教院とを合併して智相山随教寺興昭院となり、
昭和18年(1943)本堂上棟式を行い、以来都心には稀少な木造寄棟瓦葺の御本堂が現存し、
静かにその歴史を刻み続けております。


【本堂】


このような地味なお寺です。

本堂は残念ながら閉まっていました。
まぁ、想定内です。


【内陣】


画像はネットで拾ったものです。


【こんにゃく閻魔】


こちらにいらっしゃるようです。




閻魔様って地獄の番人ですが、
江戸時代には何故か眼病の方が願掛けをし、
治るとお礼にこんにゃくを供えたそうです。

関東大震災の際に火をかぶって顏はよく分からないけど、
憤怒の表情だそうです。


【寺号石標】



【地蔵尊】



【聖観音菩薩】



【椿】






これにて興昭院の参拝終了。

御朱印は対応されていないそうです。

伝叟院(2021年3月7日参拝)

2021年04月27日 | 仏閣
愛宕神社の隣に小さなお寺発見。
見つけてしまったからには参拝せねばなるまい。

そのお寺は伝叟院といい、
曹洞宗大本山総持寺の出張所らしい。

伝叟院とかいて「でんそういん」と読みます。


所在地:東京都港区愛宕2-3-4
宗派:曹洞宗
御本尊:釈迦如来
創建:正保3年(1646)
開山:十洲補道大和尚



【石標】



【全景】


あの大本山總持寺とはいえ出張所だからか小さなお寺ですう。


【本堂】


残念ながら閉まっていました。

御本尊は高村光雲と山本瑞雲が原型を造ったそうです。

あの超大物が携わっているということは、
さすが総持寺の出張所といったところか。


【震災記念聖観世音菩薩】


関東大震災ではこのお寺は横死者の火葬場だったようで、
この観世音菩薩はその仏を弔う為に像立されたもの。

伝叟院の参拝終了。
御朱印は無いようです。


【愛宕山エレベーター】


愛宕神社に行くにはこのエレベーターを使うのが一番楽です。

でも、健常者でしたら男坂を登るのが醍醐味ですね。


【愛宕トンネル】


23区内で唯一の山を削った山岳トンネルだとか。


帰宅してから気付いたが、
伝叟院と縁の深い青松寺は参拝する予定であったが忘れてました。

愛宕神社(2021年3月7日参拝)

2021年04月25日 | 神社
続いて出世の石段で有名な愛宕神社に到着。

もはや出世は望んでいないけど、
家康公の命により創建された由緒ある神社だし、
一度は参拝しておかないとね。

ちなみに神社が鎮座するのは東京23区で一番高い
標高23メートルの愛宕山です。

23メートルなんて山じゃない感覚。(笑)

東京23区って坂はやたらと多いけど、
関東平野っていうだけあって山が無いんですね。


所在地:東京都港区愛宕1-5-3
御祭神:火産霊命
配祀:罔象女命、日本武尊、大山祇命、将軍地蔵尊・普賢大菩薩
創建:慶長8年(1603)
社格:村社


【由緒】
当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり、
江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。
幕府の崇敬篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、
祭礼等でもその都度下附金の拝受を得ておりました。
また徳川家康公の御持仏で行基作の勝軍地蔵菩薩も祀られております。

寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が、
騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、
その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から、
日本一の馬術の名人として名を馳せ、出世の石段の名も全国に広まりました。

万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、
桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ち果たした桜田門外の変の集合場所でもありました。

海抜26メートルは都内随一の高さを誇り、
桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。

明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、
江戸城無血開城へと導きました。


【社号石標】



【鳥居】



【狛犬】




青銅製。

これは作品として見ればかなりデキの良い狛犬です。


【出世の石段】


英語だとSUCCESS STEPSというらしい。(笑)






なかなかの急角度の石段。
これはさすがに馬に乗って登るなんて無理でしょ。

曲垣平九郎盛澄が登った時はもっと緩い石段だと思うのが普通ですね。

でも、調べてみると明治、大正、昭和に、
石川清馬、岩木利夫、渡辺隆馬が成功しているとか。

特に昭和にスタントマンの渡辺隆馬が、
プラタモリで実際に成功しているのを放送していました。

興味がある方は検索かけてください。

曲垣平九郎盛澄が登ったのも恐らく間違いないんでしょうね。
疑って正直すまんかった。




頑張って登りまっしょい。

ハァハァ・・・

さすがに運動不足のオッサンには堪えるわ。




途中で振り返るとこんな感じ。




何とか一番上に到着。

よ、よ、余裕やったな。(苦笑)

まぁ、本社の京都愛宕神社までの道のりと比べると楽勝です。
あそこは二度と行きたくないと思うほどだから。

一番上から撮影。
さすがに高さを感じます。

帰りの下りは怖そうですね。(^^;


【二之鳥居】


神仏習合の江戸時代にはここに仁王門があったそうです。


【神門】





【拝殿】


関東大震災と第二次世界大戦で灰燼となり、
現在の社殿は昭和33年(1958)に再建されたもの。


【本殿】



【招き石】




なんか犬のように見えなくもない。


【鳥居】



【太郎坊社・福寿稲荷社・大黒天社】



【狛狐】




かなり風化してます。


【神池】




鯉にエサやり出来ますよ。


【黄金鳥居】



【弁財天社】



【地蔵菩薩】


境内で見れる唯一の神仏習合の名残り。


【殉皇十二烈士女之碑】


先の大戦終戦時に尊攘義軍10人が手榴弾で自決、
夫人2人が後追い自殺。

壮絶な人生ですね。
今じゃ考えられない。

その12人の忠霊芳魂を弔う為の石碑です。


【御朱印】

大倉集古館(2021年3月7日拝観)

2021年04月24日 | 旅行・その他
今日は所用でコロナがあってから全く行って無かった東京へ。

朝早くの新幹線は空いていたけど、
ひかりの自由席にコンセントが無くて泣いた。

所用の前に参拝したかった愛宕神社近くの虎ノ門ヒルズ駅に降りて、
界隈をブラブラすることにした。


【霊南坂】


白壁はアメリカ大使館で幾人ものガードマンに、
漏れなくメンチ切られます。(笑)

だからまともに写真も撮れません。


【ホテルオークラ】




高いからこれからも泊まることはない。
泊まれないともいう。(泣)

その高級ホテルの前に大倉集古館という美術館があります。

「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」
という特別展が開催されているのでやって来た。


所在地:東京都港区虎ノ門2-10-3
創立:大正6年(1917)
創立者:大倉喜八郎


【大倉集古館】




なかなかいい雰囲気の建物です。


【常夜燈】


中国っぽいですね。


【大倉鶴彦翁像】




美術館創立者の大倉喜八郎のことで、
鶴彦とは狂歌の号。


【大倉喜八郎】
中堅財閥である大倉財閥の設立者。
渋沢栄一らと共に鹿鳴館、帝国ホテル、東京電力、歌舞伎座、碓氷トンネル等の建設を請け負い、
日清・日露の両戦争の軍需もあって莫大な利益を得て、
これを元手として建設・化学・製鉄・繊維・食品の各分野に跨る一大財閥を創り上げ、
日本無線、日本製靴(現リーガルコーポレーション)、日本皮革(現ニッピ)、
日清製油(現日清オイリオグループ)、札幌麦酒(現サッポロビール)、
大倉海上火災保険(現あいおいニッセイ同和損保)など数多くの事業を興し、
日本化学工業、帝国製麻(現帝国繊維)、帝国劇場、帝国ホテルなどの設立も協力。
東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者。


【双亀】





【竜頭】





【香炉】



【大倉集古館】


裏側。


【仏像】




裏には露座で安置されていました。
やっぱり中国っぽいですね。


【地蔵菩薩】



【普賢菩薩】



【五重塔】



【海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~】


ロースドルフ城は第二次世界大戦末期、数ヶ月間旧ソビエト軍に接収され、
撤収の際、ほとんどの磁器が破壊されてしまいます。

その破壊された古伊万里やマイセンの焼き物が展示。

戦争の悲劇が垣間見れる特別展です。


【白磁器大壺】


ザクセン王から贈られたもの。

1806年から1918年までドイツに存在したザクセン王国は、
1918年のヴァイマル共和国の樹立によって消滅。


【白磁大壺】


ザクセン王から贈られたと伝わるマイセンの大壺。
ロースドルフ城蔵。

とても美しい。


時間が余りないので急ぎ足で見終わって、
これから愛宕神社へ。

鈴鹿の森庭園(2021年3月6日拝観)

2021年04月20日 | 旅行・その他
今日は叔母のリクエストで三重県鈴鹿市へ。

鈴鹿といえば鈴鹿サーキットが有名ですが、
近年になって鈴鹿の森庭園という所が観光スポットになっております。

それが梅の時期だけ開園される鈴鹿の森庭園です。

正直、桜と違い梅は地味で余り好きでは無いが、
世話になっている叔母の頼みとあっては行くしかない。

高速をぶっ飛ばし鈴鹿の森庭園に着いてみると、
大きな無料駐車場に多くの車が停まっている。

どうやら見頃とあって観光客がいっぱい来ているようだ。
コロナが少し心配ではあるが野外だから大丈夫でしょ。



所在地:三重県鈴鹿市山本町151-2
入場料:一般700円~1,700円(開花状況により変動)
営業時間:8:00~16:00(ライトアップあり)
駐車場:無料


【案内板】


入口前で大変見頃ですのお知らせ。

入場料は開花状況により変わるので今日は1700円でした。
見終わって庭園を出た後は入場料は安かったなと思いましたよ。


【庭園】










入った瞬間、凄いと思わず声が出た。

枝垂れ梅がこんなに美しいとは。
入園してきた人みんな凄いと言ってたわ。(^^










美しい。














言葉は要らない。

ただただ画像を貼っていくわ。


























































200本もの満開の枝垂れ梅。
凄過ぎてマジで感動した。

今まで幾つかの梅園に行ったことはあるけど、
ここまで感動は無かったのに。

鈴鹿の森庭園の梅は一本一本の梅の木が大きく、
花の数も圧倒的に多い。

だからなのか最高でしたね。

もし来年行けるなら是非行ってほしい。
心からそう思う枝垂れ梅でした。


【穴子寿司】


コロナの影響で園内では飲食禁止でしたので、
売店で購入して車の中で食べました。

美味かったです。

鏡作坐天照御魂神社(2021年2月28日参拝)

2021年04月18日 | 神社
奈良県には相当古い神社仏閣が多いけど、
崇神天皇6年という何年前なのか全く分からん年に創建された古社があります。

崇神天皇6年は紀元前92年という、
とてつもない年代を重ねた神社が鏡作坐天照御魂です。

鏡作坐天照御魂と書いて「かがみつくりにますあまてるみたま」と読みます。
読みにくいわ~。(笑)


所在地:奈良県磯城郡田原本町八尾816
御祭神:天照国照彦火明命、石凝姥命、天糠戸命
御神体:三神二獣鏡
創建:崇神天皇6年(紀元前92)
社格:式内大社、県社


【由緒】


上代人が己ガ魂の宿るものとして最も崇啓尊重した鏡類を製作鋳造することを業としていた鏡作部が、
この地一帯にわたって住居し御鏡(天照国照彦火明神)並びに遠祖(石凝姥命)を、
氏神として奉祀したのが当神社であって古来鏡鋳造鋳物元祖の神として尊崇信仰されている。
 
第十代崇神天皇のころ三種の神器の一なる八咫鏡を皇居にお祀りすることは、
畏れ多いとして別の所にお祀り致し(伊勢神宮の起源)更に別の御鏡をおつくりになった。

その神鏡を八咫鏡をお造りになった石凝姥命の子孫鏡作師が、
この地に於いて崇神天皇6年9月3日に鋳造した。

それを内侍所の神鏡と称するがその鋳造に当たって斌鋳せられた像鏡は、
之を天照国照彦火明命と称えてお祀りした。
これが当社の起源である。

御祭神は中座に天照国照彦火明命であり右座は鏡作の遠祖石凝姥命、
左座は天糠戸命を祀り申し上げている。


【鳥居】




立派な鳥居です。

鳥居右手に無料駐車場がありました。


【参道】



【鏡石】




石の真ん中に〇の窪みがあり、
鏡を磨きあげる工程で実際に使われていたようです。


【三神二獣鏡】


古代の朝廷や貴族の人々にとって、
己の魂が宿るものとして最も崇敬したのがこのような鏡類。

こちらの三神二獣鏡は鋳型製作の為の金製原型と推測されています。


【鏡池】



【手水鉢】



【祓所】





【拝殿】





【狛犬】





【境内社】















【本殿】







【金比羅神社】





【若宮神社】





【神饌所】



【会館】



【鐘楼堂】






まさか神社で鐘楼堂を見るとは。

鐘楼堂の中に入れるようです。


【鐘楼】


廃仏毀釈により廃寺となった飯趣山神宮寺聞楽院のもので、
第二次世界大戦の時に金属類回収令によって供出させられたが、
終戦とともに潰されずに戻ってきたそうです。

ファイト一発出来ますが、
近隣に住宅が多いので止めておきました。

最近は残念なことに近所迷惑になるようですから。


【梵字】




これは梵字だよなぁ。
サに見えるがこれいかに。


【社務所】


御朱印はこちらでいただけますが、
コロナなのでピンポン押さず撤収。

なかなかいい神社で参拝して良かったです。

小泉神社(2021年2月28日参拝)

2021年04月17日 | 神社
大満足の額安寺を後にし続いて小泉神社へ。

こちらにはかつてあった小泉城の城門がある神社で、
城門がめっちゃカッコいいので見に来た次第。

神様にお参りするというより、
城門を見に行くとは何とも本末転倒のような気もするが、
神社に訪れることに意義があるということで。(笑)

もちろん神様にお参りはしますよ。


所在地:奈良県大和郡山市小泉町2333
御祭神:素戔鳴命、誉田別命
創建:不明
社格:村社


【由緒】
人皇第百代、後小松天皇即ち、今を去る約500年以上、
明徳、応永年間此の地方一円の守護神として現在の神域に斎き祀られた。

その後天文年間当地の豪族小泉四郎左エ門と云へる者が社殿を改築し、
遷座祭には京都の神祗官領より来社され祝詞奏上の上奉幣行事が行なはれて以来、
現時に及ぶまで450年間連綿として古式そのままの慣習として毎年、
秋の例祭には神社独特の五色の幣をって奉幣行事を執り行い、その昔を偲ばれるものなり。

往昔より此の地方の農・工・商・・方除・治病・禁厭・厄除・交通・縁結び等、
世の中のあらゆる幸福をもたらせる神であり人間生活の守護神として地方住民の崇敬篤く、
室町江戸時代を通じ遠近よりの参詣者絶ゆる事なく社頭は常に賑はいを呈せり。

その後攝津の国、茨木より片桐且元の弟・貞隆公が藩主と成るに及び、
歴代藩主の崇敬篤く毎年例祭には片桐家より献茶の儀が行はれていた等由緒深き古社なり。


【鳥居】


なかなか立派な鳥居です。


【狛犬】





【石段】



【城門】




江戸城外桜田門が代表の高麗門で、
小ぶりながらも実に渋い。




特徴的でもあります。


【狛犬】





【拝殿】


意外と広い境内です。








拝殿も立派なものです。




奥に中門と重要文化財の本殿。


【雛人形】


神社に多くの雛人形といえば和歌山のアノ神社を思い出すが、
こちらは単にひな祭りの時期だから飾られているのでしょう。


【太陽の法】


誰が置いたか知らないけど、
何でここに大川隆法氏の本が置いてあるねん。(^^;


【狛犬】





【源宗稲荷社】





【狛狐】





【九頭神神社】





【八幡神社】







【狛犬】





【片桐神社】



【社務所】


普段は無人のようです。


【境内社】


本殿裏手の無料駐車場に鎮座しておりました。
これにて小泉神社の参拝終了。

城門以外は地域に根差した普通の神社です。

御朱印は宮司宅でいただけるようですが、
コロナの時代だし、わざわざ行っていただいておりません。

額安寺(2021年2月28日参拝)

2021年04月13日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
奈良の斑鳩から本日のメインである額安寺へ移動。
場所は金魚の町で有名な大和郡山市です。



額安寺はこのような長閑な場所にありますが、
山門へと続く道が初めてだと不安になるほど細い道なのでご注意を。



所在地:奈良県大和郡山市額田部寺町36
宗派:真言律宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・推古天皇29年(621)
開基:聖徳太子
札所:聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場


【縁起】


聡明叡知で仏法を尊んだとされる聖徳太子が、
釈尊の祇園精舎に倣って創建した学びの道場「熊凝精舎」が山号の由来です。

額安寺は621年に熊凝精舎を置いた跡地に建立された寺院で、
後に東大寺、興福寺と並ぶ大寺となる大安寺の前身であると言われています。

額安寺のあたりは初瀬川と佐保川の合流する古代水路による交通の要所で、
瀬戸内海を通りなにわの浦から大和川を遡って、
額安寺近くの板屋ヶ瀬に外国使臣や文物が渡来してきたのであって、
額安寺は仏教伝来の門戸に規模壮大な大寺院として臨んでいたのであります。

鎌倉時代には高僧興正菩薩やその弟子の忍性菩薩等によって復興。

しかし戦国時代の戦火を浴び本堂一宇を残すのみとなり、
五重塔も豊臣秀吉の命により摂津の四天王寺に移され時代が下ると共に衰退。

明治の中頃には寺域なお一万余坪を残していたのでありますが、
寺領のほとんどを失いその後は廃寺に等しい状態に置かれていたのであります。

近時、飛鳥時代の法燈を受け継ぐ名刹額安寺の荒廃を嘆く声も多く、
殊にこの地に育った前々住職の故喜多亮快師が額安寺の衰亡することを憂え、
自力で復興を志し昭和五十年より補修建設を加えて額安寺を今日の姿まで復興しました。


【山門】


こちらは開かずの門でした。

山門の前に無料駐車場がありました。


【参道】




凄く綺麗に手入れされていますね。


【門】


この門の横に通用門と拝観受付がありました。




境内から撮影したもの。


【紅梅】





【本堂】




早速堂内へ。


【内陣】


ありがたいことに撮影の許可をいただきました。


【御本尊】








厨子に安置されていた期間が長いから彩色が綺麗に残っているとのこと。










何ともいえぬお顔ですね。(^^


【文殊菩薩】



【厨子】








厨子の絵も綺麗に残っていました。
見事です。


【梵天】



【四天王】





【諸仏】



【不動明王】



【毘沙門天】



【掛け軸】



【天の川】






何とも不気味な絵である。


【吉祥天】






うーむ、こちらも微妙な絵である。


【吉祥天】



【諸仏】



【弘法大師】


下は弘法大師と分かるが、上の高僧は慈真和尚でしょうか。


【阿弥陀如来】





【愛染明王】


これにて本堂の参拝終了。

素晴らしい仏様達でした。


【境内】



【仏舎利殿・納骨堂】


こちらに仏舎利が安置されているそうです。






世界的宗教画家故杉本哲郎画伯が親交の深かったインド初代首相故ネール氏より、
手ずから頂かれた仏舎利は画伯の御遺族から安置される場所として、
平成18年に収められたそうです。


【宝篋印塔】


この塔は鎌倉時代に慈真和尚が母の供養の為に作ったものと伝えられ、
記銘の持つものとしては日本で2番目に古いそうです。

文応元年(1260)建立されたもの。


【収蔵庫】






以前は虚空蔵菩薩が安置されていましたが、
現在は奈良国立博物館に預託されているそうです。


【紅梅】







【御朱印】


三体のうち一体をいただきました。

御本尊と厨子の素晴らしさは言うまでも無く、
不動明王や梵天等個性豊かな諸仏も多く充実した見仏でした。

素盞鳴神社(2021年2月28日参拝)

2021年04月12日 | 神社


法輪寺近くの丘に小さな神社があります。
その神社は素盞鳴命を祀る素盞鳴神社です。

事前チェックでも引っ掛からなかった神社ですが、
前を通って見つけたので寄った次第。

神社の専用駐車場は無く、
法輪寺の駐車場から歩いて行くか、
路上駐車のどちらかです。



所在地:奈良県生駒郡斑鳩町三井2-141
御祭神:素盞鳴命
創建:不明
社格:村社
由緒:不明


【石段】


何ともいえぬ雰囲気。
この雰囲気につられて参拝することにした。




いかにも無人の神社というのは分かります。


【鳥居】



【割拝殿】



【狛犬】





【本殿】




向かって右が本殿、左が末社(御祭神:天児屋根命)。


【割拝殿】


これにて素盞鳴神社の参拝終了。

御朱印は勿論ありません。


【紅梅】




近くの民家の紅梅。






梅もなかなかイイネ。

さて、本日のメインの額安寺に向かいますか。

法輪寺(2021年2月28日参拝)

2021年04月10日 | 大和北部八十八ヶ所霊場
今日は長閑な寺院で仏様を拝みたいと思い、
大和郡山市や斑鳩町界隈を巡ります。

まずは法隆寺近くの法輪寺へ。

こちらは随分御無沙汰しており、
約10年振りの参拝となります。


<2011年1月22日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b05fe976d24dacfabd22581286baa3db


所在地:奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
宗派:聖徳宗
御本尊:薬師如来
創建:推古天皇30年(622)または天智天皇9年(670)
開基:山背大兄王または百済開法師・圓明法師・下氷新物
札所:聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場、大和路秀麗八十八面観音霊場会


【縁起】
法輪寺の創建には2説が伝えられています。
聖徳太子伝私記によると推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、
太子の御子・山背大兄王がその子・由義王らと太子の病気平癒を願って建立されたという説。

もう一つは上宮聖徳太子伝補闕記によると天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、
百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説です。

創建から江戸時代中期まで、当寺に関する史料は乏しい為、
奈良時代の様子はほとんどわかりませんが、十一面観音菩薩立像・弥勒菩薩立像・
地蔵菩薩立像・吉祥天立像・米俵毘沙門天立像等、
平安時代の仏様を多く伝えることから平安時代には寺勢が盛んだったことが想像される。

鎌倉時代の様子は金堂・講堂・塔・食堂等が建っていて、
建立の様は法隆寺に似たりと聖徳太子伝私記に記されています。

大乗院日記目録には南北朝時代の貞治6年(1367)正月三日に法輪寺が炎上したとあります。

正保2年(1645)の大風により金堂・講堂・中門・廻廊・食堂等、
諸宇ことごとく倒壊し三層目を吹き飛ばされた三重塔だけが残った。

享保年間(1716~1736) 寳祐上人は法輪寺の復興に着手。
上人は復興の勧進の為にも当寺の聖徳太子感得と伝える妙見菩薩の信仰を広められ、
熱心な信者となった大坂の町人が檀主となり、さらに多くの法縁を得て、
大小の仏像三十余躯・画像二十幅・舎利塔二基・霊宝十余箱の修理、
ついで鐘楼・妙見堂・八幡宮の修理が行われました。

元文4年(1739)には三重塔修復が緒に就き、その年の7月には心礎から仏舎利が発見される。

塔修復なかばで倒れた寳祐上人のあと、遺弟・大圓上人等により、
宝暦10年(1760)に塔修理は完成、宝暦11年(1761)には現金堂、
続いて旧講堂、南大門が復興されました。



【駐車場】


無料駐車場がありますが、
舗装されていないデコボコの地面なのでご注意を。


【南門】




いいですね~。
いかにも古寺といった風情が伝わってきます。


【三重塔】






昭和19年7月21日に当寺国宝であった三重塔は落雷で焼失。

現在の三重塔は昭和50年(1975)に再建されたもの。


【境内】



【金堂】




本来の本堂ですが老朽化により、
御本尊の薬師如来等の諸仏は講堂に遷されています。

宝暦11年(1761)に再建されたもの。


【塔心礎】





【講堂】


拝観料を支払って堂内へ。

こちらは収蔵庫になっていて貴重な11体もの仏様が安置され、
仏像好きにはたまらない空間になっていました。

残念ながら撮影は不可でした。


【鐘楼堂】





【地蔵堂】




鎌倉時代のお地蔵さんが祀られていました。


【妙見堂】


写経会の開催場所でした。


【庫裏】





【御朱印】

葵稲荷神社(2021年2月27日参拝)

2021年04月09日 | 神社
今日は人間ドックを受診する為に大阪の難波駅にやってきました。

いろいろ病院をチェックして、
内容と値段を吟味して難波駅近くにある病院にしました。

今回も胃カメラを飲むのですが、
以前、鼻からカメラの管を入れたことがあったけど、
これが痛いのなんの。

あんなつらいのは二度とゴメンなので、
オプションで麻酔をすることにした。

麻酔を腕から注入すると、
ビックリするぐらいあっという間に意識不明。(笑)

目覚めたら胃カメラ終わってた。(笑)

たった3千円であの苦しみから逃れられるんだから安いもんです。
人間ドックが終わり軽い麻酔なんですぐに病院から出て昼飯。





難波パークスでご飯屋を探していると、
何とも微妙な神社のようなものを発見。

とりあえず行ってみよう。


所在地:大阪府大阪市浪速区難波中2-10-70
御祭神:葵稲荷大神
創建:昭和25年(1950年)


【鳥居】


難波パークスとは元々南海ホークスの本拠地である難波球場があった場所で、
今は難波ウィンズや商業施設が建てられ、すっかり様変わりしています。

そんな難波パークスにこんな神社があるとは知らなかった。

早速鳥居をくぐる。


【鳥居】




実はこの真上は南海電車が走っています。
高架下にある神社は珍しい。


【社殿】




小さなお社が鎮座していました。

会社の屋上によくあるような稲荷社のようです。
きっとこの神社もそれと同じなんでしょうね。


【なんばの福がえる】




これにて珍しい神社の参拝終了。
御朱印はありません。

枚岡神社(2021年2月23日参拝)

2021年04月08日 | 神仏霊場巡拝の道
今日もまた姪っ子の中学受験お礼参りの為、
河内国一宮である枚岡神社へやってきました。

相変わらずコロナが収束しないので、
ガッツリ参拝することなく、枚岡神社一本勝負です。

近くにある人気の石切神社は駐車場が有料になったけど、
枚岡神社は今も無料なのがありがたいです。


所在地:大阪府東大阪市出雲井町7-6
御祭神:天児屋根大神、比売大神、武甕槌大神、斎主大神
社格:式内社、河内国一宮、官幣大社、別表神社
創建:神武天皇紀元前3年
札所:神仏霊場巡拝の道


【境内】





【注連縄】



【なで鹿】



【石段】



【拝殿】





【紅梅】



【中門・透き塀】



【本殿】





【若宮社】






若宮社は絶賛工事中。


【仮御殿】



【天神地祇社】






向かって左上の屋根が傷んでいるようで、
まだ工事前ですが、神様は仮御殿に遷座しています。


【白水井】



【鳥居】



【楠正行公縁の井戸】




こんな井戸があるとは知らなかったな。


【枚岡梅林】






梅輪紋ウイルス感染のため残念ながら平成28年にすべて伐採され、
今は本数が少なく若く細い梅の木ばかりでした。

まだ以前のような梅林への再生は先のようです。


【風景】




ここからあべのハルカスが見えました。

これにて枚岡神社の参拝終了。

山を少し登った所にある枚岡神社創祀の地である、
神津嶽本宮へ行くのを忘れてしまう。

いつか参拝しなくては。

滝の湯不動尊(2021年2月21日参拝)

2021年04月06日 | 仏閣
今日は家族で日帰り温泉に入る為に貝塚市にある松葉温泉滝の湯へ。

こちらの温泉は珍しいラドン温泉で、
大人720円とリーズナブルな料金で入れます。

阪和自動車道貝塚インターをおりて約5分ほどで到着。

数十台分の無料駐車場があり、
車を停めると敷地内に鳥居や石仏が見えた。

正直知らなかったが、温泉に入る前に参拝することにした。
私も好きですね。(笑)


所在地:大阪府貝塚市木積3488
宗派:真言宗犬鳴派
御本尊:滝本尊八大龍王
創建:昭和初期


【縁起】



【石碑】


龍王滝不動明王と刻まれているのかな。


【境内】



【鳥居】





【八大龍王神】



【不動明王】





【本堂】







【鳥居】



【風景】



【境内】


まだ参拝するところがあります。


【滝の湯観音】



【手水鉢】



【佛頂尊】



【不動明王】



【お滝場】


先に進みたかったが僧侶らしき男性と女性が掃除されていて、
残念ながら行けませんでした。

奥にあるお滝そのものが八大龍王本体だそうです。


【松葉温泉滝の湯】


新しく清潔感ある施設です。

早速入湯。

天気の良い日に入る露天風呂最高。
とても気持ち良かったね。

泉質はヌルヌルすることもなく普通。
ちょっと塩素臭はしました。


【詩画集】




ロビーで売っていた山崎昌伸の作品。
京都美山を拠点に季節の移ろいをモチーフに詩画作家。

この人が御朱印をやりだしたら凄く人気が出ると思う。
それぐらい良い作品です。

確か美山に行った時に茅葺の古民家でこの人の詩画集展やってたわ。
欲しかったけどちょっと高かったから買わなかったのよね。

もうちょっと安かったら買ってたのに。

感謝の作品は2700円也。


【山崎昌伸詩画集】



【松花堂弁当】


1,997円(税込)の料理を頼むと無料入湯券が貰えるんです。

この料理を実質1277円で食べれるからお得ですよね。
とても美味しかったし。

また訪れたい温泉施設です。
おすすめ。

大阪天満宮(2021年2月3日参拝)

2021年04月05日 | 神仏霊場巡拝の道


今日は1月に姪っ子の中学受験の御礼参りで大阪天満宮へ。

無事に第一志望の中学校に合格し、
大阪天満宮の本殿参拝券を貰っていたのでウキウキですわ。(笑)

神社にはありがたいことに無料駐車場があります。
ただ門が狭いので入る時に注意が必要です。


<2021年1月10日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/f944f89bf0c6d5890dc2d51990bf856e


所在地:大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
御祭神:菅原道真公
創建:天暦3年(949)
社格:府社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道、なにわ七幸めぐり、菅公聖蹟二十五拝


【拝殿】



【本殿】




裏てをグルっとまわって本殿参拝者の列に並ぶ。
ほどなく拝殿右手から入る。

本殿参拝といっても本殿の中に入るということではなく、
拝殿と本殿の間の幣殿の中を通るという感じ。

それでも厳かな殿内は美しい。

残念ながら撮影不可でした。


【梅】







【盆梅と刀剣展】


私は桜と牡丹は好きなのだが、
まだ梅やアジサイはそんなに好きではない。

好きになるにはあと20年ぐらい年を重ねないとダメかな。(笑)

迷ったが刀剣が決め手となり拝観することにした。


【盆梅】


会場の参集殿入口。

やっぱり梅はまだ早いようです。


【手水鉢】



【大和野梅】



【刀剣展】




嬉しいことに撮影可です。(^^
































なかなか見応えある刀剣展でした。


【盆梅展】


















全体的に見ても満開までまだまだです。


【掛け軸】










これにて大阪天満宮参拝終了。

お礼参りと刀剣が見れて良かった。

桑名別院本統寺(2021年2月11日参拝)

2021年04月04日 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが浄土真宗寺院である桑名別院です。

こちらは明治天皇の行在所であり、
あの松尾芭蕉も泊まられたことのある由緒ある寺院です。

車は境内に無料で停めれます。


所在地:三重県桑名市北寺町47
宗派:浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長元年(1596)
開山:教如上人
開基:長姫


【縁起】
元亀元年(1570)伊勢・尾張・美濃の衆徒、桑名三崎に総会所を作り「今寺」と呼ばれる。
争乱終結後の慶長元年(1596)教如上人によって、
この今寺を本願寺の禄所として取り立てられたのが桑名別院の草創です。

当別院の開基は教如上人の娘の長姫であり、女性開基の別院は全国でも珍しい。

その後、延宝年間(1673-1681)に堂宇は失火により悉く焼失してしまったが、
山田彦左衛門の一寄進により、雄大な八棟造りの本堂、対面所、書院等が復興されました。

昭和20年(1945)の二度にわたる桑名大空襲により、桑名の町の7割が焼失し、
桑名別院も本堂および諸殿は灰燼に帰しました。
現在の境内地で唯一戦火を免れたのは親鸞聖人の銅像。

昭和25年(1950)にいち早く復興。

正式名称を真宗大谷派桑名別院本統寺と言い地域の方々からは、
桑名のご坊さんと呼ばれ親しまれています。


【山門】


大阪府の八尾別院あら譲渡されたもの。


【本堂】






京都の時宗寺院から譲渡されたもの。

時間が遅かったからか本堂は閉まっていました。


【鐘楼堂】




大阪府の八尾別院あら譲渡されたもの。


【親鸞聖人像】





【三重同朋会館】


真宗大谷派の本山である京都の東本願寺の出張所です。


【庭園】



【庫裏】


海津市の豪農菱田氏から譲渡されたもの。

御朱印はございません。