Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

龍眼寺<萩寺>(2019年12月22日参拝)

2020年06月28日 | 亀戸七福神
天祖神社から百メートルぐらいの距離に龍眼寺があります。
ここが次に参拝するお寺です。

東京スカイツリーまで約1キロぐらいかな。

龍眼寺は萩寺と呼ばれる程、
江戸時代は萩の花が咲き乱れていたそうです。


所在地:東京都江東区亀戸3-34-2
宗派:天台宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:應永2年 (1692)
開山:良博大和尚
札所:亀戸七福神


【縁起】
龍眼寺の善財地は昔、亀戸柳島と言われ、
良博大和尚が柳源寺を開き、後に龍眼寺と改められた。

良博大和尚は千葉出身で比叡山での修業を終え帰国途中、
柳島で一夜を明かされたが、夢に観音菩薩が現れ、
「この堂の下に汝の守るべき御本尊と村の守護神となるべき、
天祖の御神体を授かるであろう」とのお告げがあり、
翌朝観音菩薩像と天祖の御神体を拝授し一心に祈願したところ、
当時村に流行していた悪疫が一掃され、一寺を建立し柳源寺と名付けられた。

御本尊観音菩薩は出世・厄除観音として、
病気平癒や災難除けとして信仰を集めている。

御神体は天祖神社にまつられている。


【門】



【客殿】


ここは普門院と違って手入れが行き届いているようです。


【地蔵堂】




子護八起地蔵尊が祀られていました。


【布袋堂】





【松尾芭蕉句碑】


「濡れてゆく人もおかしや雨の萩」

都内の芭蕉句碑37基の中で最も古いそうです。


【不動堂】





【本堂】


法隆寺の夢殿を模した本堂だとか。




外陣と内陣に分かれていて意外と広い堂内です。




御本尊は厨子に安置されていて、
御前立と四天王がまつられていました。


【客殿・東京スカイツリー】





【布袋尊】



【庭園】





【御朱印】




御住職がご不在で書置きをいただきました。

江東天祖神社(2019年12月22日参拝)

2020年06月27日 | 亀戸七福神


亀戸天神社の大鳥居の前に鰻屋八べえという鰻屋を発見。
何やら活青うなぎというのがウリの店のようだ。

青うなぎとは全国で流通している鰻の中で、
10パーセントしかない貴重で美味い鰻だそうで。

値段次第だがとりあえず入店。


【特々上鰻重】


青うなぎは入荷していたけど、
値段が5500円だったので泣く泣くスルー。(泣)

これぐらい普通に食える漢になりたいです。

それでも食べた特々上鰻重も非常に旨かった。
このお店の良いところは関西風と関東風の焼き方を選ばせてくれること。

私は当然ながら関西風をチョイスしました。
関西風は皮がカリカリなのが最高なのよ。

店員さんが焼き加減どうですか?って聞くから、
関西人も満足ですと言っておきました。(^^

さて、次なる神社へ行きますか。


所在地:東京都江東区亀戸3-38-35
御祭神:天照皇大神
創建:不明
札所:亀戸七福神
社格:村社


【由緒】
この地域は以前、湾の奥にあたり小島が点在する様な所でした。
近所の地名に大島・京島・向島等の島の付く地名が多いのはこのせいで、
その一つが柳島、その島の総鎮守が当社である。

往年度重なる大洪水大震災、先の大戦等で文献等流失・焼失し現在の記録、
言い伝えに寄れば創建は推古天皇御代(約千四百年前)、
厩戸皇子(聖徳太子)作のご神像を御神体として祀る。

永享年間に社殿崩壊し戦乱の世にて修復進まず、
大永年間、下総に住む沙門良博が主人である新田義興に相談し、
天文10年(1541)再建が叶う。

その後も安政・大正の大震災に遭い社殿が崩壊すと記録されている。


【鳥居】




亀戸天神社から数百メートルで天祖神社に到着。

徒歩で神社仏閣巡りをしている身にとって、
距離が近いのは助かる。




それではいざ参る。


【境内】


結構細長い境内です。
途中に社務所がありました。


【石碑】



【鳥居】



【拝殿】


北海道でよく見た拝殿の造り。
というか、天照皇大神が御祭神の拝殿ですね。




何でも日本初のコンクリートの拝殿だとか。


【狛犬】



【太郎稲荷神社】







【童像】




他にもいろいろな童子がいました。


【道祖神】



【童像】



【御水舎】



【童像】



【福禄寿】



【御朱印】




御朱印は二体あり。
御朱印帳も二種類ありました。

普門院(2019年12月22日参拝)

2020年06月23日 | 亀戸七福神
亀戸香取神社から歩いて5分ぐらいでしょうか、
亀戸七福神札所の一つである普門院に到着。

このお寺はネットでは廃寺とか薄気味悪いとか、
荒れ放題とかいろいろ書かれていて、
何とも怪しい評判がほとんど。

まぁ、私ぐらい沢山の神社仏閣を参拝していると、
そんな寺社も幾つか巡りあうというもの。

世の中には本当に怖い雰囲気の場所はありますが、
ネットで見る限り普門院はそこまで怖くないと思ったので、
とりあえず実際に自分で確認することにした。


所在地:東京都江東区亀戸3-43-3
宗派:真言宗智山派
御本尊:大日如来
創建:大永2年(1522)
開山:長賢上人
開基:千葉中務大輔自胤
札所:亀戸七福神


【縁起】
福聚山善應寺普門院は大永2年(1522年)武蔵国豊島郡三原にあった、
千葉自胤の城中に創建された。

創建時の本尊は聖観音で千葉自胤の家臣佐田善次盛光が、
冤罪によって斬罪に処されるところ、日頃の信心によって、
この観音に身を救われたことから、
千葉自胤が感じ入り寺院を建立したのだという。

後に年代不詳ながら別に堂が建てられ、
元和2年(1622)に現在の土地に移った。

その際、船で釣鐘を運ぼうとしたところ、誤って隅田川に落としてしまい、
これを引き上げることはできなかった。
これが鐘ヶ淵の地名の由来となっている。

慶安2年(1649)には徳川家光が立ち寄った際、5石の朱印状を拝領した。
安永年間(1772~1781)には栄範上人によって、
本尊が聖観音から大日如来に改められた。

また、江戸期には葛飾区青戸にある薬王山真頂寺宝持院の末寺であった。


【寺頭】


境内の外から見るとそんな怪しい雰囲気はない。
鬱蒼としてるなぁと感じたけど。

門の手前に伊藤左千夫の墓と刻まれた小さな石柱があり、
それは墓には見えないものであった。

しかし何故こんなお寺に入ってすぐの場所に墓があるのか不明。

伊藤左千夫とは誰ぞや、と調べてみると、
あの野菊の墓の作者でした。

確か松田聖子主演で映画化されていたっけ。(遠い目)


【観音菩薩】




観音経のようなモノをお持ちになって、
涼しげなお顔で佇むお姿。

これは珍しい菩薩像ですね。


【境内】


うーむ、これは何とも言えない雰囲気。
余りにも鬱蒼としている。

左右の木々は伐採して物置も撤去した方がいい。


【毘沙門堂】



【テーブルとイス】


テーブルの上に意味不明な焼き物が置いてある。

これをどうしろと?(^^;

いや~こんなに落ち着けないイスがあっただろうか。
コレには絶対座れないわ。(苦笑)

撤去しましょう。


【本堂】


本堂はまともなようで内陣には電気が点いていました。
やっぱり周りの木々が邪魔ですね。


【庫裏】






この辺りが特に荒れてる。


【御朱印】


勇気を出して御朱印をここでお願いしましたが、
書置きのみでした。

墨書きまでも荒れてるわ。(苦笑)

対応してくれた年老いた奥様を見てると、
御住職ともども境内の世話が追い付いていないんだろうなと推測。
或いは荒れてるのが平気な人かどちらかですね。

世話をしきれないのであれば境内の木々はバッサリいった方がいい。

このお寺の雰囲気が悪いのは鬱蒼とした木々と、
乱雑に置かれたモノのせいですね。

これらを取り除けば雰囲気もガラリと変わると思う。

普門院は決して霊的なもので雰囲気が悪いのではありません。
だから怖くはありません。

京都の某天皇を祀った神社の方がよっぽど怖かったよ。

亀戸香取神社(2019年12月22日参拝)

2020年06月21日 | 亀戸七福神
東覺寺から歩いて数分の場所に鎮座する亀戸香取神社へ。


【東京スカイツリー】


歩いていると東京スカイツリーが見えた。

やっぱり東京スカイツリーのデザインは秀逸。
見ただけて心躍るような美しさだもん。




香取神社と東京スカイツリーのコラボ。(^^



所在地:東京都江東区亀戸3-57-22
御祭神:経津主神
創建:天智天皇4年(665)
社格:村社
札所:亀戸七福神


【由緒】
香取神社は天智天皇4年(665)藤原鎌足公が東国下向の際、
この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、
旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因です。

天慶の昔、平将門が乱を起した際、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し、
戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく乱を平らげたので、
神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。

現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。
以来、益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、
ご神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。

元禄10年検地の節は、改めて社寺の下附があり、
徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられています。


【鳥居】


ここからだとすぐに拝殿でお参り出来ますが、
この神社には正鳥居と参道があります。

やはり神社の参拝は正鳥居からです。


【正鳥居】


行ってはいないけど、
少し離れた勝運商店街に一の鳥居があるそうです。


【境内社】



【狛犬】



【神楽殿】



【亀戸大根之碑】


亀戸は大根が名産なのかな。


【境内】



【境内社】







【神輿庫】



【御神殿】



【本殿】



【亀ヶ井の井戸】





【大国・恵比寿】




それっぽいけど余り七福神に見えない。(^^;


【勝石】




触れると勝運と幸運を授かるとか。


【サイン】






有名なアスリートが参拝していますね。

どうやら平安時代の貴族で武将である藤原秀郷が、
この神社で先勝祈願し平将門公を討ち武神として崇められ、
最近ではスポーツ振興の神として、篤く信仰されているようです。


【御朱印】

東覺寺(2019年12月22日参拝)

2020年06月20日 | 亀戸七福神
今日は東京スカイツリーで行われるイベント参加の為に東京へ。
テレビ東京アナウンサーの田中瞳が好きなんや~。(照)

その前に東京スカイツリーに近い亀戸周辺の寺社を巡ります。

まずは総武線亀戸駅から徒歩で、
亀戸七福神札所である東覺寺へ。


所在地:東京都江東区亀戸4-24-1
宗派:真言宗智山派
御本尊:大日如来
創建:享禄4年(1531)
開山:玄覚法印
札所:御府内八十八ヶ所霊場、亀戸七福神、荒川辺八十八ヶ所霊場


【縁起】
東覚寺は享禄4年(1531)玄覚法印の創建と伝えられています。
明治34年(1901)覚王寺を合併しました。
覚王寺は江東区にあり、御府内八十八ヶ所霊場第73番札所で、
それを示す碑が東覚寺に残されています。

当時の不動明王は、東大寺別当良弁(689-773)の作で、
神奈川県の大山寺御本尊と同木同作といわれ、
江戸時代より亀戸不動として信仰を集めてきました。

亀戸七福神のひとつ(弁財天)として親しまれています。


【寺頭】


山門はありませんでした。


【本堂】


今日は檀家さん達が集まって餅つきをされていて、
非常に参拝しずらい状況。(^^;


【弁天堂】



【庫裏】



【御朱印】