Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

継松寺(2020年1月13日参拝)

2020年07月29日 | 東海三十六不動尊
松坂牛を食ってパワー充填し神社仏閣巡り再開。

次は松阪駅に近い場所にある継松寺という厄除観音のお寺へ。

ここは聖武天皇が勅願により行基菩薩が創建されたとされる、
とても由緒のあるお寺です。

お寺には無料駐車場がありました。


所在地:三重県松阪市中町1952
宗派:高野山真言宗
御本尊:如意輪観世音菩薩
創建:(伝)天平15年(743)
開山 :(伝)行基菩薩
勅願:(伝)聖武天皇
札所:三重四国八十八ヶ所霊場、伊勢西国三十三所観音霊場、東海三十六不動尊霊場、
東海新西国霊場


【縁起】
聖武天皇は伊勢神宮へ行基を遣わし、奈良大仏建立の神勅を奉伺せられた。
行基は霊告を蒙り当地方に四ヵ寺を建て、本尊に如意輪観音を祀り、
事業達成を祈願なされた。当山はその内今に残る随一の霊場である。

さらに本尊より無事達成を守護するとのお告げを感得、その旨天皇に報告。
天皇は42歳の厄年にあたり、本尊如意輪観音を宮中に迎え厄除祈願の上、
伽藍造営を詔勅され、如意輪院の勅額を下賜せられた。

当山が日本最初の厄除霊場といわれる所以がここにある。

天平勝宝2年(750)大洪水被害のあと、再建なされた継松法師の名にちなみ、
寺号を継松寺と称することになったと伝える。
 
延暦21年(802)弘法大師が当山に逗留され、
不動明王、毘沙門天王を刻み本尊の脇侍として祀られ、
この大師との仏縁により真言宗の寺院となった。

天正9年(1581)松阪城主蒲生氏郷より寺地を拝領し、飯高郡石津卿より現在地へ移った。
この時今の継松寺が始まった。時の住職政算上人を中興第一世とし、今日に至っている。
 
平成9年8月、230年ぶりに本堂及び隣接する堂宇、山門等解体大修理が施行された。
当山は通称岡寺観音と呼ばれ、厄除の観音霊場として広く親しまれている。


【赤門】


こちらは開かずの門のようです。


【山門】




これは豪壮なる見事な山門ですね。
威圧感がありました。


【境内】



【本堂】




観音霊場らしい造りの本堂です。

内陣は見ることが出来ませんでした。
オフィシャルHPを見ると凄い良い内陣でしたので残念。


【地蔵堂】




本堂の左右には地蔵堂と大師堂があります。


【三面大黒天】



【大師堂】




向かって左側に大師堂があり、
弘法大師が祀られていました。


【書院】


寛永6年(1629)建立されたもの。


【香炉】




小津家当主が安永6年(1777)に寄進されたもの。

小津家は伊勢国司北畠家の一族の木造家に仕え、
松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格に挙げられ、
宝暦5年(1755)には三井、長谷川、長井等と共に、
紀州藩の御為替御用を命じられています。


【鎮守社】



【鐘楼堂】


寛永16年(1639)建立されたもの。


【宝塔】



【庚申堂】



【石仏】


これにて継松寺の参拝終了。

御朱印はご坐剤でしたのでいただいておりません。

一升びん(2020年1月13日実食)

2020年07月28日 | 旅行・その他
松坂に訪れたならやっぱり松坂牛を食いたい。
しかし神戸牛と同じようにアホみたいに高い。

有名店の和田金や牛銀は行ってみたいけど超絶高いので無理。
でも庶民でも松坂牛を食える焼肉店があります。
それが一升びんです。

幾つか店舗がありますが宮前店には、
回転寿司ならぬ世にも珍しい回転のレーンがある回転焼肉があるんです。

ここは一度行っておかないとなと思い、
普段は神社仏閣巡り>>>超えられない壁>>>昼食ですが行ってみました。


【一升びん 宮町店】


お店は11時から開店で11時20分に着いたけど、
何故か回転焼肉は12時からという。

うーむ、40分も待ってられないということで、
今回は一般席で焼肉を食うことにした。


【松阪肉セット】




肉の種類は松阪肉カルビ・松阪肉赤身・松阪肉バラ・松阪肉切り落としです。

霜がふりまくってます。

これはオッサンだと胃薬必要かな。(笑)




炭火で焼いていきます。

美味い!
余分な脂が炭火で焼くと落ちるので思ったより重くないです。

はぁ、やっぱり美味いなぁ。

ただ、焼肉のタレが味噌ダレなので、
関西人にはちょっと合わないかも。

結局、塩か何も付けずに食べました。

これで3200円也。
やっすー。

松坂牛をリーズナブルで食えて最高でした。

次回は回転焼肉に挑戦したいですね。
でも、調子こいて注文しまくってたらシャレにならん金額になりそう。(^^;

本居宣長旧宅~本居宣長記念館(2020年1月13日拝観)

2020年07月27日 | 旅行・その他
松坂城跡には本居宣長旧宅があります。

本居宣長記念館と共通券大人400円で見学出来るので見に行きましょう。


<本居宣長旧宅>
【概要】


宣長旧宅の建物は元禄4年(1691)に本居宣長の祖父小津三四右衛門定治が、
隠居所として建てたものである。

最初建物は松坂職人町に建てられ、後に松坂魚町に移築された。
宣長は若い頃京都で医学を学んだ7年間を除いて、
72歳で亡くなるまでの間この家で暮らした。

2階の書斎を鈴屋と名づけた。
明治42年(1909)に保存の為に松坂城跡の現在地に移築され、
現在は本居宣長記念館によって管理されている。

移築前の跡地とともに昭和28年(1953)に国の特別史跡に指定された。


【外塀】



【玄関】



【前庭】



【中の間・奥中の間】





【仏間】



【奥の間】



【掛け軸】



【階段】


二階の鈴屋は非公開でした。


【台所】



【井戸】


これにて旧宅の見学終了。

なかなか良かったです。

そして次は同じく城跡内にある本居宣長記念館へ。


<本居宣長記念館>
【概要】
収蔵品総数は約16.000点。

宣長の実子春庭の子孫の家に伝わった資料全部と、
養子大平の子孫の家に伝わった資料の一部。

また宣長の門人植松有信旧蔵品、松坂の豪商小津茂右衛門家伝来資料、
高橋荘吉旧蔵大平書簡等を所有しています。
 
その内、古事記伝自筆稿本や、日記、遺言書、自画像等、
467種1,949点が国重要文化財に、また20種31点が県の有形文化財に指定されています。


【本居宣長記念館】


こちらは近代的な建物です。

早速入館。


【展示室】



【展示品】












とても充実している展示品です。

本居宣長が好きな人は満足出来るんじゃないでしょうか。


【埋門跡】


これにて松坂城跡界隈の見学終了。

ちなみに本居宣長記念館専用の無料駐車場がありました。

御城番屋敷~松坂城跡(2020年1月13日見学)

2020年07月25日 | 旅行・その他
松阪神社から歩いて松坂城跡へ向かう途中に、
松阪の観光ポスターに絶対起用されている御城番屋敷があります。

昔ながらの雰囲気があり石畳と相まって、
とても風情を感じるところです。

言わば松阪の顔といってもいい存在です。


所在地:三重県松阪市殿町1385
拝観料:無料
駐車場:近隣の松阪市駐車場(無料)


【概要】
紀州藩家老田辺安藤家に紀州藩主徳川頼宣から遣わされていた与力衆の紀州藩士が、
安藤家の陪臣となるよう命じられたことに抗議して、
幕末の安政3年(1856)与力衆20人が脱藩して浪人となった(田辺与力騒動)。

脱藩から6年後、紀州藩主の直臣40石取りとして帰参を許され、松坂御城番職に就いた。

文久3年(1863)松坂城南東の三の丸に藩士とその家族の住居として、
新築されたのがこの組屋敷である。

武士の住宅建築である組屋敷が、ほぼ当時のまま住居として継続して使用・維持管理されている。
2004年12月10日付けで旧松坂御城番長屋として国の重要文化財に指定されている。


【御城番屋敷】


こちらが松阪神社側からの入口です。






いいですね~。
やはりとても良い雰囲気です。

どこか懐かしさを感じるのはDNAの成せる業かな。


【土蔵】


明治初期に松坂城隠居丸の米蔵を移築したもの。


【南竜神社】


南龍公と言われた徳川頼宜公が御祭神です。


【御城番屋敷】


松坂城跡側から松阪神社方面。

長さは100メートルあるでしょうか。
ちょっと短いです。

惜しむらくはこの辺り界隈がこんな雰囲気だったら最高なんだが。


さて、松坂城跡へ。



所在地:三重県松阪市殿町1385
築城主:蒲生氏郷
築城年:天正16年(1588)
主な城主:蒲生氏郷、服部一忠、古田重勝
廃城年:明治4年(1871)
拝観料:無料
駐車場:近隣の松阪市駐車場(無料)


【入口】



【石垣】





【裏門跡】



【石垣】





【敵見櫓跡】



【金の間櫓跡】



【天守台跡】







【月見櫓跡】







【風景】



【本丸跡】





【正門】




立派で豪壮な門です。


【隠居丸跡】



【石碑】



【石垣】



【風景】


ここから御城番屋敷が見れました。


ちなみに御城印が松阪市観光案内所でいただけるようです。

私はいただいておりませんが。

松阪神社(2020年1月13日参拝)

2020年07月23日 | 神社


本居宣長ノ宮の真横に神社の本殿が見えます。

そこそこ大きな神社の横に別の神社が鎮座しているのは、
縄張り意識や利権や氏子等のこともあり意外と少ないんですよね。

隣の神社はその名もズバリ松阪神社です。

本居宣長ノ宮の境内からサクッと入って参拝開始。


所在地:三重県松阪市殿町1445
御祭神:誉田別命、宇迦御魂神
創建:不明
社格:式内社・郷社


【由緒】
当社は古来意悲神社と称し平安時代以前の創立で、
飯高の國式内社九座の一座と伝えられているが、
その創立の年代は詳かではない。

室町末期の天正16年(1588)蒲生飛騨守氏郷が、
飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城された時に城の鎮守社と定めて、
宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社である。

氏郷は会津若松へ移封となり、文禄4年(1594)古田兵部少輔重勝が、
松阪城主となって入城し、更に自らの信仰していた宇迦之御魂神を勧請して、
当社に相殿としてお祀りすることになった。

その後、元和5年(1619)紀州藩徳川頼宣の領地となり、
以後の明治維新までの250年余りの長い年月、
代々の紀州藩は当社の社司を勤め雨龍神社も兼務していた。

明治4年には郷社に列せらた。
明治41年には時の政府の方針により全国で神社合祀が行われた時、
松阪に於いても市内各所に祀られていた十七神社が当社に合祀せられ、
社名を松阪神社と改名が許可され、今日に及んでいる。


【拝殿】





【狛犬】



【境内】


そんなに広くない境内です。


【神輿殿】



【神楽殿】



【少彦名命社】



【御神木】





【鳥居】






鳥居は三つありました。

本来なら最後の大鳥居から入るのが正しい参拝ですけど、
本居宣長ノ宮の横から入ったのでしかたない。


【御朱印】


書置きをいただきました。

本居宣長ノ宮(2020年1月13日参拝)

2020年07月20日 | 神社
今日は推し事の為に松阪市へ。

その推し事の前に神社仏閣巡りをするのは言うまでもない。
松阪ぐらいだと近鉄特急は使わず車で移動。

自宅から松阪へ移動途中に榊原温泉駅近くに、
知る人ぞ知る珍寺で有名な大観音寺があります。

ここは見たいような見たくないようなお寺、
いやお寺とも言えないようなところ。

今までは参拝したいと思っていなかったが、
今回は松阪へ行くついでということで行くことにした。


【大観音寺】




こちらが大観音寺の外観です。

片田舎に場違いなモノが立ち並んでいる。




まさかお寺にこんなモノがあるとはねぇ。(苦笑)






珍寺に相応しい。(泣)




六地蔵尊霊場。






こちらが大観音寺の拝観入口。

しかし拝観時間が9時半であと30分待たなければならない。

うーむ、時間が勿体無いので今回はスルー。
折角面白いものが見れると思ったけどしかたない。

それにしてもこの大観音寺の落慶法要は、
真言宗山階派管長で勧修寺第45代筑波常遍大僧正だから、
変なお寺じゃないはずなんだけどなぁ。

ちなみに筑波常遍大僧正の父は靖国神社第5代宮司。
父が神職で息子が僧侶というのもおもしろいですね。

それとやっぱり親が地位が高いと息子も出世しますね。
まぁ、親が元皇族で華族という高貴な血筋なので当然ですわ。

さて、松阪へ行きますか。

松阪は何と言っても松阪牛が超有名ですが、
ちょっとした観光地でもあります。

代表的な観光地は松阪城跡になりますが、
すぐ近くに神社が鎮座しております。

まずは江戸時代の国学者である本居宣長を祀る本居宣長ノ宮へ。

神社には無料駐車場がありました。


所在地:三重県松阪市殿町1533-2
御祭神:秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)
相殿:神霊能真柱大人(平田篤胤)
創建:明治8年(1875)
社格:県社


【鳥居】





【石段】


近くの学生達が石段でトレー二ングしていた。

私が石段に登ろうとすると元気良くおはようございます!と挨拶。

ちゃんと教育されていて清々しい気持ちになりました。


【境内】



【拝殿】


少し暗い雰囲気の神社ですね。


【末広稲荷大神】







御朱印は社務所が閉まっていたので、
残念ながらいただけませんでした。

佐吉大仏<大仏寺>(2020年1月11日参拝)

2020年07月19日 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが佐吉大仏として親しまれる大仏寺へ。

正直、佐吉大仏の由来となった永田佐吉翁のことは全く知らない。
どういう人物であったのだろうか。

岐阜県では有名な人物らしい。

お寺には10台以上停めれる無料駐車場がありました。


所在地:岐阜県羽島市竹鼻町209
宗派:単立
御本尊:釈迦如来
創建:昭和37年(1962)
開基:永田佐吉翁


【永田佐吉翁】
元禄14年(1701)美濃国羽栗郡竹ヶ鼻上鍋屋町で生まれた。
幼くして父母を亡くし、名古屋に出て紙商のもとで奉公したのち帰郷し、
綿の仲買を行ったが勤勉実直な仕事振りで人々の信頼を得て成功をおさめた。

私費を投じて橋を修理し、道標を建設する等、
私利私欲を捨て郷里に尽くし仏佐吉と呼ばれた。

母への孝行ぶりも有名であり、母の身体を心配した佐吉は、
母に代わって6年、東国や西国の霊場を巡り母の無事を祈願。

旅の途中、佐吉は重病にかかりましたが神仏に参って回復。
このことを家に帰ってから母に報告すると、それは仏の加護であり、
お礼に大仏を建立し報謝するよう言われ佐吉は大仏建立を決意。

佐吉は江戸の鋳物師に建造を依頼したが大仏は移送の途中、
遠州灘で台風の為に海に沈んでしまい、再度、鋳造されたのが現在の佐吉大仏です。


【佐吉堂】


結構立派な建物です。

これが本堂にあたる佐吉堂です。


【地蔵堂】





【佐吉大仏】


拝観料無料で堂内に入れました。

天井が高くて広い堂内には佐吉大仏と、
露座で祀られていた時代の写真、佐吉翁に関する資料等が展示されています。






なかなか立派な大仏さんです。

東大阪市の石切神社の参道筋にある石切大佛よりは小さいかな。

でも、参拝した時は知らなかったけど、
希望すれば背中から胎内に入れるようです。

入ってみたかったな。


【佐吉像】


佐吉翁の御子孫の方に丁寧に説明していただき、
佐吉翁のことを詳しく知ることが出来ました。

大変高貴な人格の方だけあって、
生きる仏と尊敬されるだけありますね。


【御朱印】


書置き対応で200円でした。


【岐阜羽島駅】


さて、こだまで帰るとしよう。

岐阜も個性豊かな神社仏閣が多いようで、
また近々に訪れます。

美江寺観音(2020年1月11日参拝)

2020年07月17日 | 美濃三十三観音霊場
金神社で金欲丸出しで参拝してしまったので、
次の観音霊場で心の穢れを落とすとしよう。

岐阜にも幾つか観音霊場がありますが、
次に参拝するのが美江寺です。

美江寺は約1300年前に元正天皇の勅願によって創建された古刹。

昔は七堂伽藍を擁する大寺であったが、
明治政府による寺領上知令により寺領を失い、
さらに岐阜空襲により伽藍の全てと仏像の1/3を焼失。

戦争は大切なものを失う。
二度としてはいけませんね。


所在地:岐阜県岐阜市美江寺町2-3
宗派:天台宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・養老元年・霊亀3年(717)
開基:伝・勤操和尚
勅願:元正天皇
札所:東海白寿三十三観音霊場、美濃三十三観音霊場、岐阜観音霊場


【仁王門】


昭和61年(1986)再建されたもの。

なかなか立派な仁王門です。

結構停めれる無料駐車場がありました。


【仁王】





【本堂】






昭和30年(1955)に再建されたもの。

御本尊は秘仏で毎年4月18日に開扉されるが、
今年はコロナウィルスの影響で7月18日(土)に開帳されることになりました。


【御前立】



【ぼけ封じ観音】



【境内】


本堂から仁王門を眺める。


【阿弥陀堂】




昭和27年(1952)に再建されたもの。


【円空仏】




レプリカですね。
まぁ、岐阜らいいっちゃ岐阜らしい。


【阿弥陀如来】




どっしりとした立派な阿弥陀様です。


【石仏】





【御朱印】

正法寺<岐阜大仏>(2020年1月11日参拝)

2020年07月15日 | 仏閣
いよいよ岐阜の観光地である金華山に近づいてきた。

今日は初めてロープウェイに乗って岐阜城に行こうと思ったが、
三連休で大河の影響もあって駐車場が満車。

めっちゃ遠い臨時駐車場もいっぱいで、
結局断念した。

まさか岐阜で駐車場難民になるとは思わなかったよ。

とりあえず岐阜城は次回のお楽しみとして、
日本三大仏として有名な岐阜大仏を拝みに正法寺へ。

車は境内に無料で停めれましたが、
数台分でしたね。


所在地:岐阜県岐阜市大仏町8
宗派:黄檗宗
御本尊:釈迦如来
創建:寛永15年(1638)
開山:広音和尚


【門】



【大仏殿】




格安の拝観料200円を支払い堂内へ。


【釈迦如来】






うお!予想以上に大きい。

大仏殿がそんなに大きくないから、
圧迫感を感じて余計にデカく見えますね。

まぁ、鎌倉大仏より約2.6メートル大きいから当たり前ですけど。






福耳で独特の御尊顔をされていますね。






この大仏は寛政年間の頃、
第11代の住職が大地震や大飢饉にで亡くなった人々の菩提のために建立開始、
38年もの年月をかけて落慶されたそうです。

大仏の胎内には慈覚大師作との伝承がある薬師如来像が入っているとか。


【阿弥陀如来】


御前立でしょうか。


【五百羅漢】







【鎮守社】





【多宝塔】





【地蔵堂】



【御朱印】

金神社(2020年1月11日参拝)

2020年07月13日 | 神社
突然ですが人間誰しもお金が欲しい、
金持ちになりたいと思うもの。

当然私も大金が欲しいので京都の御金神社、鳥取の金持神社とか、
縁起の良い神社を参拝してきました。

まだ御利益が無いようですが、
まだまだ諦めていません。(笑)

そんな訳でこの岐阜にある縁起の良い金神社に参った次第。

どうか宝くじ一等が当たりますように。


所在地:岐阜県岐阜市金町5-3
御祭神:金大神
創建:伝成務天皇5年
社格:県社


【由緒】
御祭神五十瓊敷入彦命は伊奈波神社の御祭神で、
市隼雄命は橿森神社の御祭神である等、両神社と深く関係している。

伊奈波神社の縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、
その成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて三野(美濃)の地で討たれた為、
妃である渟熨斗姫命がその地を訪れ、五十瓊敷入彦命を慰霊しつつ生涯を終え、
その間、私財を投じて町の発展に寄与したことから、
後に財をもたらす神として祀られるようになったといい、
そこから金大神と呼ばれて信仰されるようになったと伝える。

また、神社としての設備は成務天皇5年、
朝廷より国造としてこの地に派遣された物部臣賀夫良命が、
国府をこの地に定め、金大神を篤く崇敬して創建されたと伝えられる。

明治初年よりは上加納村(現鎮座地一帯)の総鎮守とされ、
昭和3年(1928)に県社に昇格した。


【岐阜城】




金神社に行く途中で見えた。(^^

金神社が鎮座する場所は結構都会で、
人気神社だけあって参拝客が多い。

30台分程の無料駐車場もギリギリで停めれたほど。

皆さんお金欲しいんですね、分かります。(笑)


【金の鳥居】




いや~下衆い鳥居ですね~。(誉め言葉)

期待を裏切らない鳥居を見てテンションアップですわ。
スマホの待ち受けにすれば御利益ありそう。(笑)


【社殿】


後ろのマンションが景観台無し。

人間の悪しき習性であんな場所に建てたがるよね。


【金祥稲荷神社】



【狛狐】



【おもかる石】



【御朱印】







【御朱印帳】


大きい方の御朱印帳が欲しかったが、
3000円と高かったのでスルーしました。

手力雄神社(2020年1月11日参拝)

2020年07月11日 | 神社
八剣神社から続いてカッコいい名前の手力雄神社へ。

手力雄神社と書いて「てぢからおおじんじゃ」と読みます。

車は当然ながら無料駐車場がありました。


所在地:岐阜県岐阜市蔵前6丁目8-22
御祭神:天手力雄神
創建:貞観2年(860)
社格:郷社


【由緒】
社殿によると貞観2年(860)に鎮座したと伝えられる。
弘治年間には斉藤氏の祈願所になる。

中世には長森が戦略上の要所であることから、度々戦火に見舞われた。
木曽川渡河点は手力雄神社鎮座地以外に無く、
尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、
この場所で木曽川を渡るしかなかった。

従って信長父子は数次に亘って当所を攻めたが、
湿地帯であることから大兵を用いることが出来ず断念

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに際しては、
当社を祈願所としていた織田氏が西軍についた為、
徳川家康の襲撃を受け御神体等極一部を除き全焼した。

元和年間(1615~1624)に本殿・拝殿等が再建、
幣殿・拝殿は明治13年(1881)に再度造営されている。
現在の社殿は平成20年(2008)に再建されたものである。


【両部鳥居】


車が通れる立派な鳥居でした。


【鳥居】



【狛犬】



【参道】



【拝殿】






まだまだ新しさを感じる綺麗な拝殿ですね。


【蔵】



【火祭り】




毎年4月第二週の土曜日には勇壮な火祭りがあるそうです。




これは一度見てみたいですね。

これにて手力雄神社の参拝終了。

御朱印は社務所が閉まっていたので、
いただいておりません。

八剣神社(2020年1月11日参拝)

2020年07月10日 | 神社
続いて名前に惹かれて参拝することにした八剣神社へ。

車は参道横に無料駐車場がありました。


所在地:岐阜県羽島郡岐南町みやまち4-120
御祭神:日本武命
創建:不明
社格:郷社、銀幣社


【由緒】
創建時期は不詳だが一説によれば、日本武尊が東征した際、
伊吹山へ向かう途中でこの地で休息し、
その後、この地に熱田神宮から分祀したという。

室町時代の文献にこの地を八つるぎと記したものがあることから、
創建は室町時代以前と推測される。

慶長5年(1600)8月22日、関ヶ原の戦いの前哨戦の一つ、
米野の戦いを終えた池田輝政の軍勢がこの地で休息をとり、
池田輝政が境内の松に鎧を掛けて休んだという。

休息後、岐阜城へ向かう途中、織田秀信率いる軍勢と戦うが敗退している。

明治7年(1874)に郷社、昭和39年(1964)に銀幣社となる。

現在の社殿は慶安4年(1651)頃のものであるが、
昭和5年(1930)に大規模な改築がされている。


【鳥居】



【参道】




拝殿が見えてきました。


【神馬】



【拝殿】





【狛犬】



【本殿】





【池田輝政公鎧掛けの松】



【石碑】



御朱印の有無は不明ですが、
恐らく無いと思われます。

本覚寺(2020年1月11日参拝)

2020年07月08日 | 仏閣
竹鼻別院から続いて本覚寺へ。

数台分の無料駐車場に車を停めて参拝開始。


所在地:岐阜県羽島市殿町1439-1
宗派:曹洞宗
御本尊:宝冠釈迦如来
創建:不明
開山:不明


【縁起】


寺伝によると当寺は天台宗の寺院であったという。
永禄元年(1558)正眼寺より玄沢祖栄を創建開山として招請、曹洞宗に改宗。
その後、戦乱が続き、寺はしばらく衰微した。

しかし天正8年(1580)竹鼻城に不破源六広綱が入城。
城の改築と共に父・綱村(本覚寺殿大雲義沢大居士)の為に、
正眼寺(愛知県小牧市)より源経祖玄を招請し、
本覚寺を竹鼻城主の菩提寺として復興。

その後、天正12年(1584)小牧長久手の戦いにおいて、
広綱は織田信雄・徳川家康に味方し竹鼻城に籠る。

豊臣(羽柴)秀吉は長久手での敗退の後、織田方を小牧山城より引き寄せる為、
竹鼻城を水攻めにし城は落城。
代わって岐阜城主織田秀信の家老杉浦五左衛門が竹鼻城の入城するも、
竹鼻城主の菩提寺として本覚寺を残し堂宇の整備に尽力したのであった。

しかし慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにおいて杉浦氏は西軍に味方し竹鼻城は落城、
本覚寺も焼失、当寺は平地として数代を過ごすことになる。

天和年間の頃、鑑室長亀が住職となり元禄3年(1690)、
正眼寺より乙先秀存を勧請開山とし本覚寺を復興する。
安永3年(1774)11月10日、水害に遭い建物は流出。
しかし当地の名家・坂倉家により天明6年(1786)、
再建され坂倉家を再中興開基家とする。
明治24年(1891)10月28日、濃尾大震災により、建物は山門を除き倒壊した。
時の住職・豊山霊牛は浄財を勧募し、大正4年(1915)に伽藍を完成させ今日に至る。


【山門】



【地蔵堂】





【本堂】




本堂にある雲龍の絵天井を目的にこのお寺を訪れました。
有難いことに堂内に入ることが出来ました。

志納金200円を支払い堂内でお参り。


【御本尊】


まずは御本尊にお参り。

釈迦三尊像が祀られていました。


【雲龍の絵天井】




これは素晴らしい。
実に見応え重文、いやもとい、充分な雲龍図です。

京都の天龍寺で500円必要な龍図より見事なものです。
これは一見の価値あり。

訪れた甲斐がありましたよ。


【屏風】


これはまた雅で美しい屏風です。

こういう屏風欲しいなぁ。
飾る場所がないけど。(笑)


【羅漢】







【諸仏】


隣の部屋には諸仏が祀られていました。


【宝篋印塔・石仏】



【竹鼻稲荷大明神】







【狛狐】



【竹鼻稲荷大明神】


もう一つ稲荷社がありましたが、
手前の鳥居の痛みが激しいですね。


【鐘楼堂】


こんな高い鐘楼堂は初めて見たよ。


【蓮池】



【摩頂地蔵尊】


これにて本覚寺の参拝終了。

御朱印ありますがご不在でいただけませんでした。

竹鼻別院(2020年1月11日参拝)

2020年07月07日 | 仏閣
今日は岐阜羽島を中心に神社仏閣巡りです。

新幹線で岐阜羽島駅まで行って、そこからレンタカー。
日産マーチで3025円の格安でした。(笑)

まずは真宗系の竹鼻別院に移動。


所在地:岐阜県羽島市竹鼻町2808
宗派:浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・嘉禎元年(1235)
開基:伝・河野九門徒


【縁起】
親鸞聖人が関東から上洛される途中、三河国矢作の柳堂に立ち寄り布教された。
その時、尾張国葉栗郡門間庄の住人河野四郎通勝は同郷の八人とともに帰依し、
木瀬に草庵を結んで聖人を招き、この草庵が竹鼻別院の濫觴といわれている。

この時、門弟となった九人がそれぞれ開いた道場は、
室町時代中期には木曽川両岸の美濃国と尾張国に分かれて点在し、
河野九門徒と呼ばれて濃尾真宗門徒の中心となった。  

元亀・天正年間織田信長とのいわゆる石山合戦後は教如上人に従い、
本願寺の東西分派に際しては東本願寺に属した。

慶長9年(1604)竹鼻下町に移転し、慶長12年(1607)には、
本願寺十二代となった教如上人によって掛所(御坊)に取り立てられた。

本堂は明和8年(1771)に着工、50年の歳月をかけて大伽藍を落成させた。
山門は天保4年(1883)250両をかけて建立され御坊大門と親しまれていた。

経堂は1848(弘化5)年に建立された。
しかし、これらの諸堂は明治24年(1892)の濃尾地震悉く倒壊した。
現在の本堂は大正4年(1915)に着工し、大正11年(1922)に落成し、
山門は大正14年(1925)に造られた。

明治9年(1876)に竹鼻別院と改称された。
境内の藤は県下有数のもので、開花の時期には多くの人々の目を楽しませている。


【山門】





【境内】


地方の真宗別院らしいコンクリートの境内です。

本堂の横の建物は幼稚園です。

車は境内の無料駐車場に停めれます。


【本堂】





【内陣】



【御本尊】





【経堂】





【藤】


ここの藤は凄いらしい。

一回見てみたいね。


【鐘楼堂】



ちょっとしたスタンプはあるようですが、
御朱印はございません。

春日大社(2020年1月4日参拝)

2020年07月06日 | 神仏霊場巡拝の道
東大寺の次は同じく毎年正月に参拝している春日大社へ。



可愛い鹿を見ながらのんびり歩いて行きましょ。


【春日野園地】


この辺りは景色が凄い良いんだけど、
鹿のフンが多すぎて萎える。


所在地:奈良県奈良市春日野町160
主祭神:春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)
神体:御蓋山(神体山)
創建:神護景雲2年(768)
社格:式内社、二十二社、官幣大社、勅祭社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【国宝殿】


またの日に拝観しようと思って今日は止めたけど、
結局行けなかったのはよくある話。

やっぱり行ける時に行かないとダメですね。(^^;


【鳥居】



【神鹿】



【着到殿】



【南門】



【幣殿】





【大杉】





【竃殿】



【酒殿】



【御朱印】