Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

天徳寺(2020年2月16日参拝)

2020年08月31日 | 江戸三十三観音霊場
今日はちょっとした所用があり日帰りで東京へ。
所用がある場所は港区虎ノ門なので近くの神社仏閣を少しだけ参拝。

虎ノ門には物凄い石段がある有名な愛宕神社があるが、
今日は生憎の雨であの男坂を登るのは危険。

何より所用の前に疲れ切るのは目に見えてるので回避し、
愛宕神社の近くにある天徳寺を参拝することに。



所在地:東京都港区虎ノ門3-13-6
宗派:浄土宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:天文2年(1533)
開山:三蓮社縁誉称念
札所:江戸三十三観音霊場


【縁起】
天徳寺は浄土宗の江戸紫衣四箇寺の一つであった。

天文2年(1533)捨世派の祖称念が、木野内宮内少輔の助力を受けて、
師の増上寺七世周仰を開山に迎え、江戸城紅葉山に天地庵として開創。

同23年、後奈良天皇から光明山天徳寺の勅額を拝領して天徳寺となる。
続いて紫衣の綸旨を得て天正13年(1585)桜田霞が関に移転、
更に慶長16年(1611)西久保に移り、別院一院に塔頭一五院を擁した。

徳川家康公及び秀忠公より朱印地50石を、
元禄11年(1698)には東山天皇から常紫衣の綸旨を賜る。

宝暦13年(1763)知恩院門跡五世尊峰法親王の増上寺入山の学寮となり、
慶応3年(1867)には瓜連うりづら常福寺の檀林号を移して檀林を表した。




【門】



【寺務所】


旧本堂もこちらにあるそうだ。


【如意輪観音菩薩・阿弥陀如来】



【聖観音菩薩】



【鐘楼堂】


こんなモダンな鐘楼堂は近年建てられたものだろうね。


【本堂】




独特の雰囲気を感じる八角の本堂で、
平成17年(2005)建立されたもの。

残念ながら本堂の中に入って参れませんでした。


今日は御朱印帳を持ってきていなかったので、
御朱印はいただいておりません。

新善光寺(2020年2月11日参拝)

2020年08月29日 | 仏閣
妙心寺から続いて泉涌寺方面へ。

とはいえ、今回は泉涌寺は参拝しないで、
子院である新善光寺が目的です。




新善光寺は以前は全くの拝観謝絶のお寺でしたが、
時々拝観可能となっています。

以前参拝した時は境内を見て回っただけでしたが、
今回は本堂や客殿に入れて信濃善光寺の御本尊を模した阿弥陀如来や、
狩野周信が唐人物図を描いた襖絵、光格天皇の遺品の唐桑御机、
蒔絵細工の美しい箪笥形煙草盆等の寺宝の公開とあってやってまいりました。


<2012年10月13日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/1f8fed9a66886eba2ef2fef2fa0b687c


所在地:京都府京都市東山区泉涌寺派山内町31
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛元元年(1243)
開基:値願念西
札所:京都泉山七福神


【山門】




車は近くの泉涌寺の無料駐車場に停めました。


【境内】





【錦鯉】



【本堂】



【十三重石塔】



【愛染堂】



【大方丈】






予想以上に見事な方丈の内部で素晴らしかったです。

画像はネットで拾ったものです。


【阿弥陀如来】



【丸窓】



【御朱印】


特別公開記念の書置きの御朱印。
千円也。

あと阿弥陀如来と愛染明王の書置きの御朱印もありました。
各500円也。


【御朱印帳】


泉涌寺と雲龍院とのコラボ御朱印帳。




御朱印代込みで二千円也。

寒いので本日はこれにて参拝終了。

なかなか充実した参拝でしたね。

玉鳳院(2020年2月11日参拝)

2020年08月27日 | 仏閣
妙心寺には46もの塔頭があります。

その中には通常公開している塔頭もあれば、
全く公開していない塔頭や時々拝観可能な塔頭もある。




玉鳳院は1年に1回程度拝観可能になる塔頭です。

こちらには我が御屋形様である武田信玄公と、
織田信長公の供養塔がある塔頭でもあります。

そんな玉鳳院は4年振りの参拝となります。


<2016年2月11日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/537335a31a062752cfdbf2705d2ed32d


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町57
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:不明
開山:慧玄


【縁起】
花園法皇がその離宮を改めて妙心禅寺とし、関山慧玄を迎えた時、
参禅する場所として丈室の後方に新たに構えた建物が玉鳳院である。

玉鳳院は法皇が建てた山内最古の塔頭寺院である。

現在の建物は明暦2年(1656)の再建になり、
花園法皇の法体木像を安置している。

檜皮葺屋根の寝殿風の方丈は、狩野永真(安信)や洞雲(益信)の筆と伝わる
障壁画「麒麟図」「竜図」「秋草図」等で飾られている。

今日、院内には山内最古の建物である開山堂をはじめ、
玉鳳院方丈、庫裏、鐘楼、祥雲院殿霊屋などが擁され、
妙心寺開創以来の由緒を持つところとして聖域視されている。

豊臣棄丸所用の木造玩具船(重文)を有する。


【筋塀】


最高格式の5本線がある筋塀。


【唐門】


後小松天皇寄進の重要文化財。

もともと御所にあったそうです。


【向唐門】


こちらの方が気品を感じますね。


【拝観入口】



【方丈】


ここの方丈はさすがに気品があり過ぎな程です。(笑)
素晴らしい。

画像はネットで拾ったものです。


【竜図】


狩野安信筆。


枯山水庭園と微笑庵、
そして武田信玄公と織田信長公等の供養塔を見学。

戦国好きならたまらない組み合わせで胸熱。

京都霊山護国神社の坂本龍馬達の墓を見て、
胸熱になる人達と同じ気持ちですね。

例え会ったことが無い人物の墓や供養塔を見ることは、
その人にとって心の安らぎや高まり、己を見つめ治す機会になります。

ましてや肉親なら尚更。

だから皆さんもお墓参りに行きましょうね。
遠くて行けない場合はその人の事を思い浮かべましょう。

きっとその人の心に亡き人が生き続き、
心の安らぎが訪れることでしょう。


【御朱印】

妙心寺 仏殿・明智風呂(2020年2月11日参拝)

2020年08月25日 | 仏閣
超有名観光地の高台寺界隈を離れ、
右京区にある大本山妙心寺へ向かいます。

妙心寺はいつ行っても素晴らしいと思いますし、
圧倒されるお寺です。

その妙心寺で見逃せない公開があります。
それが仏殿です。

法堂はいつも拝観出来ますが、
仏殿は普段一切堂内に入ることが出来ません。

いつか堂内に入れたらなぁと願っていたら、
今回の冬の旅で公開されると知って狂喜乱舞。

久しぶりに高まる参拝で胸が高まる。(←言い過ぎ)


<2011年2月12日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/a1a6b2a0e010f34de022bb3d1651821a

<2015年3月14日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/93d57ad29ac3eebc1430772fc0f484eb


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町64
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:暦応5年/康永元年(1342)
開基:花園法皇
開山:関山慧玄


【南総門】



【三門】


重要文化財。


【仏殿・法堂】


重要文化財。

いつ見ても圧巻のデカさ。
さすが大本山。


【経蔵】


重要文化財。


【法堂】


重要文化財。

狩野探幽の雲龍図は世界にある雲龍図の中で最高傑作と断言出来ます。


【方丈】




めっちゃ品格の高さを感じますね。


【仏殿】


仏殿の中に入れる機会は滅多に無い。
そんな場所に入れるのは本当に嬉しいね。

堂内に入ると気持ちが凛として背筋がピンとなる。
心から入れて良かった。

堂内は撮影禁止なので画像はネットで拾ったものです。


【明智光秀位牌】


今年の大河は非常い面白い。
主人公は勿論明智光秀公。

妙心寺に明智風呂があるのは知っていたけど、
御位牌があるとは知りませんでした。

立派なものでした。

こちらも画像はネットで拾ったものです。


【明智風呂】




ここは過去に二回程入っているので、
今更感があるけど仏殿とセットなので入っておこう。

入らないと勿体無いという貧乏性ですわ。(笑)










こちらは撮り放題です。(笑)


【御朱印】


ズバリそのままですね。(笑)

京都霊山護国神社(2020年2月11日参拝)

2020年08月24日 | 神社
八坂庚申堂から続いて京都霊山護国神社へ。

ここは坂本龍馬と中岡慎太郎の墓があるということで、
数々のテレビに取り上げられるほど有名な神社です。

そんな神社に数々の有名無名を問わず、
各地の神社を参拝してきた私が初めての参拝となります。

かくいう私の専門は戦国時代で幕末は全く興味がありません。
坂本龍馬に対しても何の思い入れもありません。(^^;

そんな私ですから坂本龍馬の色が余りにも濃すぎる京都霊山護国神社は、
特に参拝したいという欲求がありませんでした。

ぶっちゃけ今日もそんなに欲求は無いのですが、
食わず嫌いはイケナイと思い参拝することにした。


所在地:京都市東山区清閑寺霊山町1
御祭神:国事殉難者約7万3千柱
創建:明治元年(1868)
社格:内務大臣指定護国神社・別表神社



【由緒】


文久2年(1862)時衆霊山派の正法寺の朱印地の中の、
神道葬祭場霊明社において有志者による神葬祭が行われた。

ご祭神は菊理媛神・速玉男命・事解男命の三神(他に相殿三神)。

慶応4年(1868)明治天皇から維新を目前にして倒れた、
天誅組等の志士達の御霊を奉祀する為に、
京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。

それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本等の諸藩が相計らい、
京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが、
神社創建の始まりであり招魂社である。

当初の社号を霊山官祭招魂社と称し、社格は官祭社に列し国費で営繕されてきた。

昭和11年(1936)支那事変(日中戦争)をきっかけとして、
国難に殉じた京都府出身者の国事殉難者を手厚く祀ろうという運動がおき、
霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、境内を拡大して新たに社殿を造営した。

昭和14年(1939)4月1日、内務大臣布告によって、
現在の社号である京都霊山護国神社と改称された。
戦後は宗教法人・神社本庁の包括下におかれ国家の手を離れた。
GHQ占領下においては京都神社に改称していたが、独立後は元の社名に復した。


【鳥居】


神社には駐車場が無いので、
ここから歩いて神社へ向かう。


【狛犬】



【維新の道】




運動不足だと地味にしんどい坂道です。




振り返るとこんな感じ。


【霊山歴史観】



【境内】


神社のHPでは駐車場が無いと書かれているが、
境内の左端方に車を停めてる人がいた。

停めていいんでしょうか。


【社殿】





【狛犬】


お参りを済ませた後は龍馬のお墓に行ってみましょう。

拝観料が必要となります。


【石段】





【高知県招魂社】





【風景】



【吉村寅太郎】




吉村寅太郎とは土佐藩士で天誅組総裁。


【坂本龍馬・中岡慎太郎墓所】





【風景】




八坂の塔が見れてなかなか良い風景です。


【坂本龍馬・中岡慎太郎銅像】





【木戸孝允墓】





【木戸松子墓】


木戸孝允の妻で芸妓の幾松の墓。

木戸孝允と同じく正二位の官位を与えられているとは。
そんなに凄い嫁だったのかな。


【山口藩招魂社・霊山招魂社】


他にもいろいろなお墓がありましたが、
ほとんど無名な藩士のものでした。

これにて京都霊山護国神社の参拝終了。


【維新の道】



【鳥居】



【八坂の塔】



【御朱印】



京都霊山護国神社は歴史上の偉人のお墓参りが出来る神社。

幕末や坂本龍馬が好きな方にとって、
心安らげるとても大事な神社であることは理解出来ました。(^^

霊応山法観寺~八坂庚申堂(2020年2月11日参拝)

2020年08月23日 | 数珠巡礼


高台寺の駐車場前から見た霊山観音。

ここはなかなか良いお寺なんですが、
何故か胡散臭さを感じるのか観光客は素通りされます。

まぁ、駐車場からもバッチリ見えるので、
もう充分だと思われるのも要因かもしれませんね。

さて、このまま高台寺界隈から離れた寺社に行くのは、
勿体無いので八坂の塔を見に行くことにした。


所在地:京都府京都市東山区八坂通下河原東入る八坂上町388
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:五智如来
創建:伝・崇峻天皇5年(592)
開基:伝・聖徳太子


【風景】




やはりここから見る八坂の塔は最高ですね。
さすが京都のランドマークだけあります。




二寧坂方面。


【二寧坂】


さすがに冬の時期は空いています。


【八坂の塔】


ここから見る八坂の塔も素晴らしい。






こちらは結構不定期で拝観不可の日が多いのでご注意。

今日は拝観可能でしたが今回は華麗にスルー。




ここから見る八坂の塔も最高。

というか、どこから見ても最高です。

八坂の塔の内部の様子は9年前に参拝した時にブログをご覧下さい。

<2011年5月6日>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/04a1c5fb55f328d56cc8b941f7b6fa06


さて、次は近くにあるインスタ映えスポットで有名な八坂庚申堂へ。


★八坂庚申堂

<2011年5月6日>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/bc966dd57e35bb60bb7edcc44d643087


所在地:京都府京都市東山区金園町390
宗派:天台宗
御本尊:青面金剛
創建:平安時代
開基:浄蔵貴所


【山門】



【賓頭盧尊者堂】


山門から中に入ってみると居るわ居るわインスタ女子達が。(苦笑)

女子達の映り込みを防ぐ為に撮影するのが難しい程。




そんな中でインスタ映えを狙ってスマホで撮影する女子達は逞しい。(笑)

あ、この着物を着ている人はなんちゃって舞妓さんです。(笑)


【庚申堂】



【くくり猿】



【梅】


御朱印はありますが今回は華麗にスルー。


【奥丹清水】


湯豆腐で超有名なお店です。

食べたこと無いから美味しいかは知らん。(笑)

高台寺 利生堂(2020年2月11日参拝)

2020年08月22日 | 数珠巡礼
【高台寺山門】


簡素な山門です。
だがそれがいい。


【梅】




梅がチラホラと咲いていました。


【高台寺天満宮】


こちらで天満宮の御朱印がいただけます。


【利生堂】


駐車場近くにある売店の横に新しい建物を発見。

いつの間にこんなものがと思いながら近づいてみると、
中に入れるようだ。

入ってみましょう。


所在地:京都府京都市東山区高台寺下河原町526
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:釈迦涅槃図
創建:平成28年
札所:数珠巡礼


【縁起】
高台寺礼拝聴聞室の利生堂は現在の人々が死から遠ざかっている姿を感じ、
死から逃げることなく死を直視し静かに瞑想し、
安心(心の安らぎ)を得る為に命を見つめていただく場所として、
また訪れる方々が静かに瞑想し命を見つめ直す場所となる事を望み建立。

平成28年12月17日落慶を迎え、大本山建仁寺管長猊下小堀泰巌老師が、
利生堂と命名されました。


【堂内】




入堂は嬉しいことに無料で、
堂内は煌びやかな涅槃図や天女が描かれていました。


【涅槃図】








なかなか見事で美しい涅槃図でした。


【御朱印】


まさかの御朱印がありました。

安心と書いて「あんじん」と読みます。

高台寺(2020年2月11日参拝)

2020年08月20日 | 仏閣
第54回京の冬の旅で特別拝観している寺社へ参拝する為に、
今日は久しぶりに京都へ。




まずは霊屋の中に入れるという、
またと無い機会がある高台寺へ。

高台寺の有料駐車場に車を停めて参拝開始。


<2013年8月16日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625/e/1a38c968c101105e77f4ac7f7dc1dc6e



所在地:京都府京都市東山区高台寺下河原町526
宗派:臨済宗建仁寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長11年(1606)
開基:高台院


【庫裏】



【庭園】



【休憩所】


さすが京都だけあって休憩所も詫び寂びを感じて良いですね。


【大雲院 祇園閣】



【遺芳庵】



【庭園】



【観月台】










重要文化財。


【坪庭】



【方丈前庭】







【開山堂】



【中門】





【臥龍池】



【開山堂】




さすがに厳かな雰囲気。
撮影は禁止です。


【方丈】







【観月台】



【臥龍廊】









【霊屋】


今回、ここが特別拝観となります。

ねねの墓所である霊屋は普段は外から拝観となりますが、
今回は霊屋の中に入れて外陣室中から秀吉公とねね像、
豪華絢爛な厨子、須弥壇が見れました。

思ったより狭い霊屋でしたね。

当然ながら撮影禁止でした。


【八坂の塔】


ここから京都の顔が見れました。


【参道】



【傘亭】






重要文化財。


【時雨亭】


重要文化財。


【霊山観音】



【竹林】



【雲居庵】





【龍瓦】



【御朱印】



四天王寺(2020年2月8日参拝)

2020年08月18日 | 西国薬師四十九霊場
本日最後の参拝となるのが四天王寺。

四天王寺といえば大阪の大寺が有名ですが、
津市にも存在しています。

こちらも大阪の四天王寺と同じく、
西国薬師四十九霊場の一つで聖徳太子所縁のお寺です。

十数台分の無料駐車場がありました。


所在地:三重県津市栄町1-892
宗派:曹洞宗
御本尊:薬師如来
創建:不明
勅願:推古天皇
開基:聖徳太子
札所:西国薬師四十九霊場、伊勢の津七福神めぐり


【縁起】
本寺は塔世山四天王寺と称し曹洞宗の中本山です。
推古天皇の勅願であり聖徳太子の建立と伝えられています。

用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れ、
そこで太子は四天王尊像を刻み、もし我が勝利を得れば、
寺塔建立するから勝利を与えてほしいとの誓願をたてました。

その結果、守屋の軍をやぶることができた為、
誓願どおり建立した四つの四天王寺を建立。
その一つが本寺であるとされています。

その後、度々の兵乱や戦火で焼失と再興を繰り返しましたが、
元和5年(1619)に津城に入国した藤堂高虎が改築、
二代目藩主高次が寛永14年(1637年)に寺領を寄進したことにより、
寺勢をとり戻しました。

現在の本堂は太平洋戦争で焼失後、
五十二世定行代に托鉢行にて再建されたものであり、
市内有数の大きな寺院の一つとなっております。


【山門】




なかなか見事な山門です。


【楼門】




山門の奥に楼門らしき渋い門が。


【稲荷社】



【宝篋印塔】




【本堂】




本堂に上がってお参り出来ました。


【宝篋印塔】


奥にもう一つ門が見えます。


【山門】


こちらは通れない門です。
後で表から見ることにしよう。


【境内社】



【十三重石塔】



【地蔵尊】



【鐘楼門】



【案内板】


重文の御本尊や藤堂高虎夫妻が紹介されていました。
また、織田信長生母の墓も四天王寺にあります。


【二日坊杖塚】


二日坊とは津の俳人菊池二日坊


【芭蕉翁文塚】





【石仏】



【御朱印】

津八幡神社(2020年2月8日参拝)

2020年08月17日 | 神社
結城神社の鳥居横に何やら神社があるっぽい。
境内社かと思い進んで行くと八幡神社という社号石標があった。

別の神社かと半信半疑で参道を進んで参拝することに。


所在地:三重県津市藤方2339
御祭神:応神天皇、神功皇后
配合神:住吉大神、藤堂高虎
創建:建武年中
社格:県社


【由緒】


建武年中足利将軍の宿願に依り伊勢国に初て八幡宮を建立の砌、
山城国男山八幡宮の分霊を垂水村千歳山に勧請ありと伝える。

或時元津藩主藤堂大学頭高次公鷹狩の砌、急雨降り来り、
人家遠し故に此八幡宮の社殿に雨宿りに休息あり。

其後追々参拝あり崇敬倍々厚く依て寛永9年(1632)藤方村今の地に社殿を遷し造営、
参宮街道も現在の八幡町筋に移して、家の祖高虎公の神霊を合祀して、
社僧神官市女等十余人を奉仕として崇敬あり、寛永12年8月祭礼始る(津市大祭の起り)。 

津市中の各町へ祭礼永世懈怠なく勤むべき費用の料を貸渡したと伝える。

寛永21年(1644)垂水村藤方両川村の内にて三百石を神領として寄附せられて、
永世藤堂家の鎮守神社に定められた。

廃藩の砌市街の産土神として氏子の崇敬社となった。


【鳥居】




よく見ると三連鳥居でした。


【参道】



【拝殿】



【狛犬】



【山神】



【御神木】



【神輿庫】


津八幡神社の参拝は以上です。

地味で少し暗い雰囲気が漂う神社でした。

御朱印はありますがご不在でいただけませんでした。

結城神社(2020年2月8日参拝)

2020年08月15日 | 神社
今日は好きな女性に逢う為に津市へ。

滅多に行けない土地に行くんだから、
普通、その地の神社仏閣巡りをしますよね~。

まずは別格官幣社である結城神社へ。

御祭神の結城宗広は後醍醐天皇や義良親王に遣えた鎌倉時代の武将です。


所在地:三重県津市藤方2341
御祭神:結城宗広
創建:不明
社格:別格官幣社・別表神社


【由緒】
当社は昔地方民が結城明神と称えて宗広公の御墓側に小さな祠を建て、
御神徳を受けました処から始まり、俗に結城医王大明神と唱えて、
航海安全、病気平癒に霊験あらたかでありました。

寛永九年津藩主藤堂高次が千歳山より此地に八幡神社を遷祀せられた後も、
古社八幡宮と称し産土神と同様崇敬されておりました。

明治十三年三重県御巡行の折幣帛料の御下賜あり、
次いで明治十五年一月二十四日特旨を以って別格官幣社に列せられ、
荘厳なる諸殿舎が建立され、国家の宗祀として御神威いよいよ高まり、
昭和十二年宗広公六百年祭斎行に当たっては全国民の熱誠なる奉賛によって、
境内の整備社殿の改築が行はれ面目を一新いたしましたが、
惜しい哉昭和二十年七月二十八日戦災により御本殿以下諸建物一切烏有に帰しました。

戦後昭和三十一年復興第一期、三十三年第二期工事竣工、
続いて社殿以下附属建物等が整備されました。


【鳥居】



【参道】


参道を進み大型の無料駐車場に車を停めて参拝開始。


【梅】




この神社は梅が売りの神社のようで、
梅園は入場料500円が必要でした。

まだまだ見頃には早かったので入っていませんが。










紅梅もなかなかの美しさですね。


【拝殿】



【狛犬】










何が理由か知りませんが日本一だそうです。(笑)


【境内】



【梅】
















無料ゾーンでも梅を楽しむことが出来ます。


【池】



【御朱印】

九品仏淨眞寺 其の二(2020年1月25日参拝)

2020年08月14日 | 仏閣
本堂を参った後は九品仏を拝みに行きます。


【白鷺】


本堂前に二羽の白鷺像が安置されていました。


【半跏思惟地蔵菩薩】



【宝篋印塔】



【境内】



【下品堂】




九品仏は各御堂に三躰安置されていますが、
まずは向かって左側の下品堂へ。

下品といえば普段は「げひん」という言葉の意味の語源となっていますが、
浄土宗では「げぼん」と読み、九品(くほん)という教えからきています。


【阿弥陀如来】




凄い。
圧倒的存在感です。








いや~素晴らしい。
大本山の御本尊クラスの大きさを誇る仏様が、
三体も一堂にいらっしゃるのは凄過ぎでしょ。

まったく見飽きませんね。


【上品堂】





【阿弥陀如来】








こちらも見事な丈六仏です。


【阿育王塔】





【中品堂】


そういや上品、下品は普段使いますが、
中品って使わないな。

仏語の他に程度が中くらいである、という意味があるみたいだけど。


【阿弥陀如来】








一躰は修復中のようですね。

平成26年(2014)より一躰ずつ、本堂の御本尊あわせて計十躰の修繕を、
公益財団法人美術院国宝修理所に遷座し二十年以上に亘る大修繕を実施中とのこと。


【地蔵堂】





【庭園】






本堂横の庭園。


【御朱印】




簡単な写経をすればいただける御朱印です。
二体で千円でした。




こちらは通常の御朱印です。

これにて参拝終了。

素晴らしい仏様でした。


【ラーメン】


学芸大学駅近くにある麺や すするのラーメン。
美味かったです。

九品仏淨眞寺 其の一(2020年1月25日参拝)

2020年08月12日 | 仏閣


お昼に山梨の名物ほうとうを食す。
東京で食うほうとうも美味しかったです。(^^

お腹を満たしたところで東京屈指の人気住宅街の自由が丘駅へ。

こちらの駅の近くには見事な丈六仏が祀られている淨眞寺があります。

以前から参拝したかったのですが、
自由が丘駅までの乗り換えがちょっと手間がかかるので、
今まで参拝出来て無かったけど、今日ようやく参拝です。

とても楽しみです。


所在地:東京都世田谷区奥沢7-41-3
宗派:浄土宗
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:延宝6年(1678)
開山:珂碩上人


【縁起】
九品仏の名で親しまれております当山の正式名称は九品山唯在念佛院淨眞寺と号し、
浄土宗に属する寺院でございます。

開山は江戸時代初期の高僧珂碩上人。
四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678)に奥沢城跡であったこの地を賜り、
浄土宗所依の経典「観無量寿経」の説相によって諸堂宇を配置し、
九躰(九品)の阿弥陀佛像を安置し創建されました。

本堂前にある三つの堂にはそれぞれ3躰の丈六の阿弥陀如来9躰があり、
右から中品、上品、下品の位があるので九品仏といわれ、
本堂の此岸に対して彼岸をあらわしている。

全て珂碩上人と弟子珂憶上人の合作といわれている。

4年毎(オリンピックの年)の8月16・17日にはお面かぶりの行事が行われる。
これは釈尊が漫殻に入り阿弥陀如来に迎えられて彼岸に渡る意味を表している。


【参道】




結構長い参道です。

自由が丘でこれだけの土地があったら、
土地代の総額は幾らになるんだろう。

ちょっとやらしいですね。(笑)


【総門】




大寺らしく格式高い総門です。




扁額には般舟場と書かれていました。


【閻魔堂】







【三途の川】



【参道】



【石仏】





【石塔】



【十三重石塔】



【薬医門】



【開山堂】




厨子に珂碩上人が祀られていました。


【山門】




堂々たる重厚な山門ですね。

東京のお寺でここまで見事な山門があるとは。
素晴らしい。

寛政5年(1793)建立されたもので、
上層階の紫雲楼には阿弥陀如来と二十五菩薩が安置いるそうです。


【金剛力士】





【鐘楼堂】





【石塔】



【参道】



【観音堂】


不空羂索観音菩薩が祀られているそうですが、
参拝する時は寺務所にお声掛けが必要とのこと。


【龍護殿】




本堂にあたります。

元禄11年(1698)に建立された。


【御本尊】


これはまた見事な丈六の御本尊です。
素晴らしい。

本堂の大きさ、御本尊、内陣の荘厳さを見ると、
京都の大本山に匹敵しますね。

大本山は全て参拝した私が言うのだから間違い無い。


【五劫思惟像】


まさかここでアフロ仏を拝仏出来るとは。(^^

他にもいろんな仏様が安置されていて拝み甲斐がありました。


長くなりましたので続きは次回へ。

祐天寺(2020年1月25日参拝)

2020年08月11日 | 仏閣
今日は好きな女性の朗読劇があり東京へ。

朗読劇まで時間があるのでとりあえず参拝します。
東京って意外にも参拝して楽しい神社仏閣が多いんですよね。

所用は目黒であるので近くのお寺巡りをすることにした。
とはいえ今日は時間が無いので二ヶ寺だけですが。

まずは祐天寺駅で降りて祐天寺へ。


所在地:東京都目黒区中目黒5-24-53
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:享保3年(1718)
勧進開山:祐天聖人
開基:祐海上人


【縁起】
享保3年(1718)祐天上人を開山と仰ぎその高弟祐海上人が創建した寺院です。

当時新しい寺院の建立は幕府の厳しい制約があって困難でしたが、
祐天上人のかねてからの強い希望と祐海上人の大変な努力によって、
享保8年明顕山祐天寺の寺号が許されました。

以来、将軍吉宗の浄財喜捨や特別の保護を受ける等、
徳川家と因縁のある寺として栄えてきました。

本堂には木造祐天上人坐像が安置されています。
この尊像は将軍綱吉の息女松姫の寄進で、享保4年大仏師法橋石見の名作です。

なお、境内には将軍綱吉息女竹姫寄進の仁王門及び阿弥陀堂や稲荷堂、
将軍家家宣夫人天英院寄進の梵鐘と鐘楼、地蔵堂等江戸時代の遺構を伝える建造物の他、
江戸消防ゆかりのもの、かさね供養塚などがあります。

墓地には祐天上人の墓や柳原愛子(大正天皇生母)の墓等があります。


【表門】




祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建立されたもの。

立派で気品のある門です。


【扁額】



【仁王門】


表門の次に仁王門があります。
二つの門が並ぶとはこのお寺の隆盛が分かりますね。

享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進されたもの。


【仁王像】





【地蔵堂門】


表門と仁王門の間の左側に地蔵堂門があります。

地蔵堂に個別の門があるのは珍しい。
初めて見た気がします。


【地蔵堂】




天明8年(1788)に建立されたもの。


【累塚】


祐天上人が累(かさね)という女性の怨霊を成仏得脱させた伝説に因み、
大正15年(1926)に6世尾上梅幸、15世市村羽左衛門、
5世清元延寿太夫らによって建立されたもの。


【鐘楼堂】


鐘楼と梵鐘は6代将軍徳川家宣の17回忌追福の為、
享保14年(1729)に正室の天英院から寄進されたもの。

徳川家に篤く庇護されてきたお寺ですね。


【境内】



【精進殿】


古い建物の地蔵堂と阿弥陀堂の間にある場違いな近代的な建物。


【阿弥陀堂】






享保9年(1724)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進されたもの。






堂内に阿弥陀如来は見えず、
何か分からないけどキレイなモノが安置されていました。


【葵の御紋】



【五社稲荷】





【本堂】


明治31年(1898)に現在の本堂が再建されたもの。

立派な本堂です。


【仏舎利殿】


平成29年(2017)に建立されたもの。


【書院】


明治28年(1895)に再建されたもの。


【庫裏】



【半跏思惟地蔵菩薩】


祐天上人300年御遠忌法要が行われた平成29年(2017)5月に開眼されたもの。


【小僧石像】



【御朱印】


三体の内の二体をいただきました。

観音寺(2020年1月13日参拝)

2020年08月10日 | 仏閣
神舘飯野高市本多神社の対面に小さなお寺発見。

とりあえず境内に入れそうなので、
まぁ、参拝しますわな。

そのお寺の名前は観音寺。
どこにでもある名前のお寺です。

後で知ったことだが全国善光寺会に所属しているお寺で、
伊勢神戸藩主本多氏の菩提寺だとは全く知らなかった。


所在地:三重県鈴鹿市神戸2-17-9
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:鎌倉時代
開山:不明


【山門】



【境内】


左側に見えるのが五重塔の初塔部分らしい。

資金が足りなくて断念してるとか。
参拝した時は納骨堂かと思ったよ。(^^;


【本堂】


まぁ、予想通り閉まっていました。

三月中旬には涅槃図の公開があります。

また堂内には本多家の歴代の藩主の位牌や、
徳川家から送られた領地目録が安置されているそうです。


【鐘楼堂】



【思徳の碑】







【地蔵堂】





【観音霊場】





参拝した時は御朱印は無いと思っていたけど、
いただけるようです。

これにて本日の参拝終了。