長命寺の次は以前から名前が気になっていた豊満神社へ向かう。
豊満といえば多くの野郎共が反応するフレーズで、
何歳になっても憧れで大好きなもんです。(笑)
はぁ、なかなか煩悩は無くならんもんだねぇ。(苦笑)
というか、煩悩が無い人間なんてこの世にはいないでしょ。(キッパリ)
しかし豊満神社の豊満は「ほうまん」とは読まず、
「とよみつ」と読みます。
はい、そこの不埒な事を考えていた貴方、残念!(自爆)
でも、豊満という漢字があるから良いか。(反省無し)
所在地:滋賀県愛知郡愛荘町豊満392
御祭神:大國主命、足仲彦命、息長足姫命、譽田別尊
創建:不明
社格:県社
【由緒】
創祀年代は詳かではないが、この地開拓の依智秦氏が祭祀したと伝えられ、
社伝の棟礼に「延長8年11月豊満権現造替云々」とある。
縁起によれば神功皇后三韓征伐の際軍機の守護神として霊威があったということで、
以来当社の神林の竹幹を旗の竿に用いると、戦勝があるとして、
競って幾多の武将が篤く崇敬した。
皇室の尊敬も亦篤く三条天皇は勅願社として神位を授けられたり、
藤原俊成卿や嘉吉3年(1443)の中御門宜胤卿の神額奉納があった。
鎌倉以降近江守護職佐々木氏をはじめ京極氏、六角氏等、
武運長久を祈願し神領の安堵状を寄せている。
その後織田氏の兵火に罹り、その都度復旧したが、
安政元年(1855)正月四脚門を除く本殿以下の社殿が火災に遭った。
万延元年(1860)に社殿を復興し現社殿がこれである。
明治初年(1868)明神号を改めて豊満神社とし同9年村社に、
同14年に郷社に列し、同41年神饌幣帛料供進指定となり、
同43年氏子区域内の各社を合祀、昭和5年(1930)県社に昇格した。
【西の湖】
安土に近い場所にある西の湖です。
不埒な事を考えた穢れが洗い流されるような感じ。
【田園風景】
湖の反対側は広大な田畑が広がっていました。
【ススキ】
少し進んだ場所ではこのようなススキが見れました。(^^
曽爾高原で見れなかったので満足。
【パラグライダー】
ふと空を見ると人が飛んでいた。
高い場所は嫌いでは無いけど、
こういうのは落下が怖いので流石にやりたくないな。(^^;
【第二鳥居】
豊満神社には大型の無料駐車場がありました。
参拝した時は知らなかったけど、
約1キロ離れた場所に第一鳥居があったようだ。
【四脚門】
流石に重要文化財だけあって気品がありますね。
【紅葉】
まだちょっと早いようです。
【境内】
奥に見えるのが横長タイプの拝殿です。
鎌倉時代後期に建立されたもの。
【狛犬】
【中門・透塀】
【本殿】
【樹下神社】
摂社。
御祭神:豊満神社荒御魂・恵比寿神
【宝物庫】
小さいながらも美しい校倉造りの宝物庫です。
【美人の木】
【八大龍王社】
摂社。
御祭神:龍神
【神楽殿】
【御神馬】
【石標】
【御朱印】
こちらでも境内に落ちていたモミジを貼りました。(^^