( ススキが風にそよぐ 秋の空・・ ? )
写真は 北富士演習場から見た富士山と野草です。 不安定な電波のせいもあって 充分な写真
でないことをお詫びします。 いつも通り写真と文章は 異なっているのを お許し下さい。
この6月に 四万十町の島岡さんを訪ねた。島岡さん夫妻は農家です。 昔私が 旅行会社に
いた時からご縁を頂いており 高知へ移住したこともあって一度お訪ねしたいと思っていました。
島岡さんは高知で有名な方で 『 原発を止めた男 』 として30年前 話題となった人です。
四万十町(旧窪川町)は四万十川の流れる 自然豊かな地です。ここで長年農業 酪農業を営み
有機・無農薬栽培を手がけられてきました。元旦から大晦日まで休み無しの生活をこつこつと続けられ
目標だった水田3ヘクタール、乳牛30頭 山林30ヘクタールの夢を実現された。 それだけでも
地域の中核農家として 食の安全を支え 守る大きな働きですが 昭和の時代に旧窪川で起こった
原発反対運動のリーダーとして 計画撤廃に成功した功績は 世界的にも評価されています。私は
トマト一個さえ作ったことがない人間で 汗を流して 土を耕してこられた方に 先ず尊敬の念が
湧きます。
その窪川原発阻止の闘いと農業の未来について書かれた『 生きる 』という本を6月に頂き 少し
づつ読んできて 教えられるところが本当に大きかった。島岡さんの仕事から生まれた考え方が地に
ついていて 素晴らしい。『 カネは一代、命は永遠。原発があっても 町は栄えることはない。命と
引き換えの補助金に 頼って生きるより 豊かな自然を子孫に伝える。』 この言葉を実践されて来た
生涯こそ 高く評価される。
農家にとっては 昭和45年に始まった国の減反政策が大きな問題となりました。やむにやまれず
島岡さんは仲間と一緒に減反差し止め訴訟を起こされた。(平成7年) 「 このままでは瑞穂の国が
消える・・」と
野菜 果樹 薬草など複合経営をされ成功された島岡さんだが その過酷な労働と借金につぐ借金も
大きく 更に農産物の自由化や減反政策で苦しんだと言われる。若い働き手がどんどん都会に出て行く
中で 農家には大きな資金が必要です。 最低限 トラクター 田植機 コンバイン 軽四輪トラック
倉庫などの投資に1500万以上の資金が必要だと その著作で語られている。更に土地改良の資金が
必要な上に 減反政策が 補助金はあっても 農家の収入を大きく削ってしまった。その上 他との競争の
中で 高価な飼料や牧草が必要になったと言います。経費の増大と減反による収入の減少が借金返済への
大きな痛手となりました。何より減反の継続は農業経営の意欲を失わせるものです。 町の農家戸数も減少が
続いている。農地価格の下落 外国農産物の自由化による売り上げの減少 など農家には打撃になる事態が
連続して起こっている。減反がなく全ての農地を水稲栽培が出来れば 年200万の所得が期待出来た筈だと
書かれています。『水田の持つ使命から 減反政策は即中止すべきです。』 と訴えた島岡さん達だったが
『長期的視点は傾聴に値する』としつつ 平成13年 判決は棄却された・・。
TPPが締結されれば 外国産農産物が大量に輸入される。小規模零細農家の大部分は姿を消す懸念がある。
政府は2018年度に減反を廃止する方向だが 今日本の農業 食の問題について より深く考えるべき
段階だ。日本農業の未来は 国民の命と食の安全をどう守っていくか 国民全体の課題である。
『 日本に住む人たちがやっと気付き始めた食の大切さ 食の安全 幸せに生きるには何が一番必要なのか?
健康も全て食から 農から 農はみみずの存在から。 (みみず)は戦火無き平和の土に生きる こんな
メカニズムを 忘れていないか 或いは知らないのか ならば知らせる必要がある。ならば声を大きくしょう!』
有機無農薬栽培を手がけて30年の平成21年に 島岡さんはこのように述べている・・。 ( 続く )
北富士演習場にひさし振りに来ました。
富士山の姿を見るのも 久し振りと言いたいところです・・。
われもこう です。
くさふじ 草藤と書くのでしょう。 今盛りです。
藤の花に劣らない 青紫色の美しさ。
いたどりの白い花
いたどりのピンクの花
岩シャジンだと思います。
はくさんふうろ(白山風露)? よく咲いている花です。
フジバカマ(藤袴) でした! 野草はまだ初心者・・です。
草牡丹(くさぼたん) この花も よく野原で見るのですが・・? カールしたところが 可愛い.
!
ススキの先に 山中湖が見えます。。
戦車などが通る道路の両側は ススキの野です。
島岡さん活動をまとめた 『 生きる 』という著作。今回の文章は 遅くまで話しを聞いたものをまとめました。