( 高座山(たかざすやま)で 松虫草。 去年も 北富士演習場でよく見ました。)
島岡さんは 自分の農業体験を タイの寒村に出向き 指導している。2000年から10回タイの
タラート村に出かけた。彼は無論タイ語は出来ない。英語も話せず 土佐弁だけである。
タイ東北部イサーンと呼ばれる地域 その中心都市からも2時間半車で走り タラート村に着く。
高地で乾燥激しく 塩害にも悩まされる地域。村の男達は 台湾 韓国 中東へ出稼ぎに行く。
村は100戸の家族が暮らす貧しい農村。未舗装の道路 牛で代かきをする人々 放牧される牛たち・・。
島岡さんがタイに行くきっかけは 有機農業の発展に取り組む 『 大地を守る会 』から
「 スローフードの原点を探りませんか? 」という誘いだった。イサーンの地には雨期と乾期があり
乾期は猛暑日が続く。 農家は水稲栽培と女性達の機織りが生計の元だが 収入は少ない。
島岡さんはある農家にホームステイした。彼は最初 貯水池の確保と有機複合農業のスタイルを
教えた。自分が命をかけた農業体験を 必要としてくれる人たちに伝えることだった。行く毎に
緑が増える畑、農家が少しづつ豊かになっていく様子に喜びを感じた。
島岡さんは千葉で農業語学研修をした通訳を間にして ホームステイのミーチャイ夫婦と話し合った。
主人は台湾に何年も出稼ぎに行き 土地を買い 牛を増やしていった。島岡さんの若き頃の人生と重なり
あった。大阪で出稼ぎをし 牛を一頭ずつ増やしていった経験が島岡さんにあった。ミーチャイ夫妻を
助けたいと思い 島岡さんは資金を提供して『島岡基金』をつくった。地元の農民が彼の基金を利用して
ため池を掘った。水の少ないこの地方に必要なものだった。6年の間に18家族がこの基金を利用して
医療や教育にも利用された。
彼らは島岡さんを 「 農業の師 」 と仰いだ。島岡農業塾の誕生によって 無農薬栽培の技術 日本
から持ち込んだ野菜の栽培方法が伝えられた。菜園や果樹園も年々種類を増した。彼らとの交流も深まった。
2011年の東日本大震災の時 彼らは寄付を集めてくれた。この時島岡さんは初めて 自身の反原発闘争に
ついて語った。『 どんなきれいな言葉で原発計画が語られても 生命を育む農業と原子力は共存出来
ない。 人間が生きる大地を汚してはならない! 』
島岡さんがタラート村を訪ねる時 毎回同じお土産を持参する。 釣り針と釣り糸だ。ため池で魚釣り
する子供達は大喜びだ。こんな交流が出来るのも 日本もタイも戦争をしない国故だと島岡さんは思う。
ミーチャイ夫妻の娘さんがバンコクに旅立つ時 母親は娘に 庭の土を袋に入れて持たせたという。
ホームシックになった時 コップにこの土を入れ 水を注ぎ その上澄みを飲む。2,3日続けると
弱った身体は回復するという。人は生まれ育った土地、風土によって生かされる。土に生かされる農民
故の話しだ。土を愛する人たちがいるからこそ 農業は守られ 維持出来る・・と島岡さんは思った。
高座山( たかざすやま) 小学生が遠足に来ていました。
森の中に入ると 気持ちがいいですね。 森林浴のお蔭 ??
ススキに似ているが チガヤかも? ススキもカヤ属に属している。 秋の七草の一つ。
野アザミ。 これも種類が多い。
富士あざみですが これから赤紫に色づく・・。
岩シャジン。 似た花にソバナというのもあります。
花うどに似ています・・。
こおにゆり (小鬼百合)? 鬼百合の小型ですが 高さは1mもあります。
仙人草 ? 十文字草とか 似ている花は多いです。
ススキにもう種が付いている ? 去年のものかも・・?
赤とんぼ 真っ赤なのではありません。独自の名が有る筈ですが・・?
季節外れのアジサイ。
高座山。 頂上下の緑は 夏に花火を打ち上げる為(忍野八海祭り) 刈ってある。