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自遊空間、 ぶらぶら歩き。

日々見たこと、聞いたこと、読んだこと、考えたこと

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で(筑摩書房)~水村美苗さん

2009-12-07 | 

日本人として生まれ、日本語でしか読み書きできず、日本語しかしゃべれない私です。

だから、日本語が亡びられては困るのだけれど、中身はこのタイトルほど過激ではないし、結論は亡びるという方向には収束しません。

水村さんは父親の仕事の関係で12歳でニューヨークに渡り、現地で教育を受けます。
エール大学では仏文学を専攻、フランスにも留学します。

アメリカになじめなかった少女時代を支えたのは父親の書棚にあった、改造社版「現代日本文学全集」でした。

長編評論ということで、読み通せるかなと思ったのですが、第1章のアイオワの青い空の下で〈自分たちの言葉〉で書く人々―は世界各地からアメリカに集まった、それぞれの国のことばで小説を書く作家たちの行動ぶりがおもしろく、あっさりと読めました。

ところが、だんだん内容が学問的になってくると、私の読解力を超えてきます。
それでも、全7章それぞれの章を構成する様々な要素は具体的だし、知識欲を刺激してくれました。

たとえば、
フランスの英語から国語を護るための「トゥーボン法」。
EUは参加国が27に対して、公用語は23もあること。
アイルランドは世界的に活躍する多くの英語で表現する作家を生みながら、第一公用語はゲール語(アイルランド語)であること。
明治政府の初代文部大臣、森有礼は英語を日本の公用語にしようとしていたこと。

あげていったらキリがありません。

最終の第7章で萩原朔太郎の詩「旅上」の一部が取り上げられています。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

この詩の最初の2行を

仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し

に変えてしまうと、朔太郎の詩のなよなよと頼りなげな詩情が消えてしまう。

フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し

となると、あたりまえのの心情をあたりまえに訴えているだけになってしまう。だが、この(原文では、右のような)差は、日本語を知らない人にはわかりえない。

蛇足だがこの詩を口語体にして、

フランスに行きたいと思うが
フランスはあまりに遠い
せめて新しい背広をきて
きままな旅にでてみよう

に変えてしまったら、JRの広告以下である。


これをなんてややこしい、とは思わず、ふむふむと納得できる、日本語での読み書きの経験を積んできた日本人の私です。

一時は日本語表記をローマ字にしてしまおうという運動があって、会社内の文書をローマ字にしてた商社もありましたね。

中国出身の芥川賞作家、楊逸さんのこんなエッセイを読んだことがあります。
日本語の漢字かな交じり文は優れている、外来語をカタカナで簡単にに表記できる。中国語は外来語に漢字を当てはめるのにとても苦労している。といったようなことでした。
漢字のふるさとの国の人にほめられてうれしいかぎり^^です。

世界第2位の経済大国に躍り出ようとしている中国が漢字を使っていることに、ちょっと安心している自分がいます。
よほどのことがないかぎり、中国国民が英語で読み書きするようにはならないでしょうから。

もちろん、共通語としての英語の有用性は大いに認めているんですよ。



 

コメント (2)
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