東京都墨田区内の病院で60年前にほほ同時に生まれた2人の赤ちゃんが取り違えられていて、1人は裕福な家庭で何不自由なく育てられ、もう1人は生活保護を受けながら、希望する教育も受けられず、人生の終盤を迎えようとしている。両家の父母はすでにこの世にはいない。
そんなニュースが報道されて、貧しい家庭で育った男性の記者会見を見たのは、この映画「そして父になる」を観たあとのことです。その人はとても穏やかな口調で、親を恨むような発言はありませんでした。
赤ちゃんの取り違いは40年ほど前までは何件かあって、そのたびに話題になったものでした。
ところが、今回の墨田区の件は60年経っての発覚です。
裕福な家庭の人間関係や多分財産分けかの行き違いがなければ、誰にも知られず終わったことかもしれません。
「そして父になる」の子どもの取り違えは看護師が意図的に起こしたものです。そういう理由をつけなければ、現在は間違いが起こらない仕組みができているのでしょう。
福山雅治扮するエリート会社員は始めから「イヤなヤツ」として登場します。
脚本・監督の是枝裕和さんは「福山さんがやったことのない父親役をと考え、格好良くて生活感がないから、そのイメージを生かした嫌なエリートを思いついた」のだそうです。
ただ、鼻持ちならないといった程度で、決して悪い人ではありません。
仕事、仕事で、普段子どもと係わる時間はありません。
一方、子どもたちを含め、彼を取り巻く人たちはみな人間らしい生き方をしている人たちとして、登場してきます。
福山一人負けの設定です。
2人の赤ちゃんが生まれた日、父福山は出産に立ち会っていません。
どっちにしろ、出産後夫の手助けなど得られそうもないので、母尾野真千子は里帰り出産を選び、その上出産後の経過は思わしくありませんでした。
もう1人の父リリー・フランキーは息子の生まれた日、沖縄の空みたいな青空だったから、琉晴と名付けたと語ります。父福山は負けたと心の中で思ったことでしょう。
是枝監督はこの映画でも子役に台本を渡さず、自然に出てくる言葉を待ちました。
実際リリー家の下の子ども2人のうち末っ子役の男の子は、演技だと思わずに参加しているように見えました。
リリー家の母さん役真木ようこが、途方にくれ、身の置きどころのない息子慶多を抱きしめるシーン、リリーと子どもたちの狭いお風呂での入浴シーンなど、いいシーンが散りばめられていました。
結末は観る側に委ねられているので、幾通りもの結末が生まれているのでしょう。
(スチール写真は映画のサイトから借用しました)