
75. 契りおきし させもが露を 命にて
あはれ今年の 秋もいぬめり
藤原基俊は藤原道長のひ孫で、83番作者俊成の先生だったようです。
坊さんになっていた息子光覚の就職試験採用を、本家筋の次の76番作者藤原忠通に頼みに行って快諾され喜んでいたのに、秋の任命にその名はなかったそうです。
「まかせなさいと言われた恵みの露のようなあなたの約束を、命のように大切に待っていましたが、あああ、今年の秋も望み叶わず空しく過ぎていきます。」
今年の夏休みこそ恋が生まれると期待して過した若い頃の夏休み、「あはれ今年の夏もいぬめり」の連続でしたね。

75.そっと置きし 少ない賽銭 わずかにて
あれは今年の 秋の大祭
おきし・にて・あ・れ・は・今年の・秋 14字 同じ
「おきし」を「置きし」に、「露」から「少ない」や「わずか」を連想し、「あはれ」を「あ・れ・は」と順序を変え、「秋」を何とか使う為に無理矢理奈留神社の例大祭を持ち込んだだけの、苦しい歌になってしまいました。

外国では、ヨセフはマリアの妊娠を不貞と疑いませんでしたが、日本では、高天原から降臨した天孫ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメと交わってすぐに出産となったので、自分の子かどうか疑った為(まあこれがあたりまえですが)、怒ったコノハナサクヤヒメは産屋に火をつけて第1代神武天皇の祖父を産んだことになっています。
奈留神社のご祭神はこのコノハナサクヤヒメですが、奈留神社の言い伝えでは、怒った姫は鹿児島の笠沙から小舟に乗り込んで奈留島の鳴神鼻に漂着、この上でお産をしたことになっています。
後産の血が岩に落ちて、今もこの岩に赤い筋として残ったとのことです。(写真右の岩にある赤い筋です)
その後誤って岩から海に落ちた姫は溺死し、弁天島を7回廻って今の奈留神社の浜に打ち上げられたそうです。(残った子供はどうなったか?日本の歴史は?変わっていないので、何とか又鹿児島の笠沙に帰って、神武天皇の父山幸彦の父親になったのでしょうね)
奈留神社の例大祭では、大漁旗で飾った漁船に御輿を乗せて鳴神鼻までパレード、祝詞をあげて帰ってきます。(以前はこの舟も故事に倣って弁天島を7回廻っていたそうですが、防波堤が出来て今は廻れません)
返事
花水木さん:私の小学校も1クラス55人、い組・ろ組・は組の3クラスでした。