島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

今年の桜4

2020-04-06 | ノンジャンル
 
 金曜日朝、ブラブラ近所の桜を観ようと、近くの植物園まで歩きます。
のんびり気味だった京都も少し尻に火が付いたのか、植物園も新型コロナで閉園でした。
園内の桜も満開のはずですが、残念でした。
 葵祭も中止になって、祇園祭も心配です。
私も加害者になるかもしれないので、遅まきながら先週からは、マスクを着けだしています。
  
 そのままもう少し歩いて、フークがいた頃はよく歩いた、鴨川堤まで足を延ばしました。
植物園横の半木の道(ナカラギノミチ)の紅枝垂桜は、満開までもうちょっと。
 
 北山橋より北の堤の桜は、丁度満開ですが、朝だったせいもあるのか、土曜日にしては花見客は少なめです。
 
 これでもかとばかり、咲き誇ってました。
天気もまずまず、午後に家に居なくてはならない用事もあるので、そのまま歩いて、途中の家々の庭の桜も観ながら帰りました。
 
 土曜日は、先週のTV中継でたまたま観た、知らなかった樽見の大桜を、観に行くことにしました。
兵庫県の北の方養父(ヤブ)の山の中にあるそうで、朝早く出て、まあまあのんびり運転して3時間で到着。
 
 狭い駐車場には入りきらず、路上に停める方式ですが、係りの人も出ていてスムースです。
今年はやはり人出は少ないそうですが、駐車料も観覧料も要らないので、それはあまりにも係りの人が気の毒なので、募金箱に少し入れて入山。
 山道は急ですが、何故か苔むした石垣が方々にあるのが不思議でした。
これは段々畑の名残で、養蚕用の桑畑だったようで、私たちが滑りながら登ったこんな山道を、一人で1貫目(約40kg)の桑を担いで家まで降ろしていたようで、昔の人はほんまに偉かったですね。
 
 樹齢1000年を越えることから別名仙桜(センザクラ)とも呼ばれてる樽見の大桜、ジャングルジムのような支えで守られていました。
 標高350mのここまでは、桑畑を止めた後植えられて50年の、杉やヒノキの林を抜ける山の坂道でした。
 
 樹高14m程で、一番盛んだったのは元禄年間の約350年前だったようで、今はャ塔vに繋がった太いホースで栄養もやってるようです。
 桜はエドヒガン桜と言う品種で、ソメイヨシノよりずっと小さい可憐な白い花で、青空と共に綺麗でした。
 
 周りにはミツマタも群生していました。
樽見の大桜、不要不急の用でまたふらふらと来てしまいましたが、来た甲斐は有りました。
途中の車中からも、満開の桜がたくさん観られました。
兵庫県が「ふるさと桜づつみ回廊」と言って、日本海から瀬戸内海まで桜でつなごうと、河川に桜5万本を植えたそうです。
その為、すごいなあと思うぐらい桜並木が続いているのを、車から花見出来ました。
 
 帰り京都府に入ると、少し見える桜が減ったような気がしてしまいました。
夜久野高原の「農匠の郷やくの」内の「花テラス」で、花に囲まれて「花テラスパフェ」を食べて帰りました。
 東京などでは献身的に働いている医者がいるのに、こんなのんびりしていて良いのかとも思いますが、月曜日午後から行ってる病院の近くの病院から陽性者が出たので、出勤は控えてもらっても良いとの連絡があって、ますますのんびり午後から自宅待機中です。
 

コメント (1)
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