前回の第59代宇多天皇の息子敦実親王の3男は、藤原時平の娘が母の源雅信(マサザネ)でしたが、6男は生母不詳の雅慶王(ガキョウ・ガケイ)(?~1013)で、真言宗の僧として大僧正にもなっています。
宇多天皇の孫ですし、異母兄の源雅信の娘倫子が藤原道長の正室になって、天皇の妃となった娘を次々と産んでいるので、雅慶王もそれなりに優遇されていたとは思います。
でも、山科勧修寺や醍醐寺近くのこの地に墓が残され、なんでこの人の墓を宮内庁が管理してるのか、もひとつ理由が分かりかねます。
この墓は昭和14年治定ですので、旧日本軍の何か意向でもあったのですかね。
醍醐にある施設での仕事帰りに、ラーメン横綱を目印に捜しましたが、松の木などそれらしいものが見えてからもなかなか近づけず、ぐるっと回りこんで、やっとその入り口に至った墓です。
綺麗に整備されていますが、それだから余計に、何故治定されたのかと思います。
月に一回だけ外科外来をしてる病院で、昨日新型コロナ陽性者が出たので、土曜日今日の外来は来なくていいですと、後輩から連絡がありました。
朝から遠い場所に花見も考えましたが、地方の人も都会からは来てほしくないようですので、家内に停められました。
土日はじーっと家に居て競馬ですが、肝心の競馬の貯金が明日の桜花賞を買うぐらいしか残ってないので、賭けない競馬をしてみます。
多分得すると思いますよ。
返事
Toitenlabeeさん:おっしゃる通りです!
こんなに綺麗に咲いているのに、アナタの人生のように、
私の顔のように、誰も目を奪ってくれませんね、
今年の桜は。