島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

番外編高瀬川1.

2024-10-09 | 京都へ、京都から

 高瀬川、せっかくなので番外編で高瀬川をたどることにします。

高瀬川は人工の運河ですので、その取水口はどこにあるのかと思ったら、出町に架かる賀茂大橋の下流に、赤い彼岸花がある横に二つのゴミを止める柵がある、写真のこれらしいですね。

しかしここはなんと私が大学時代にラグビーの練習でドタドタバタバタ走っていた、鴨川河川敷の大学グランドのある場所でした。(木は60年近くで大きくなりましたね)

灯台下暗しと言うか、何も考えずに暮らしていた青春時代です。

 取水口から流れた水は、みそそぎ川(みそぎ川)として、鴨川河川敷の暗渠を流れて、ここ丸太町橋の下流で地上に出てきて、鴨川右岸を鴨川と並行して流れます。

よく見ると「みそそぎ川」と書いてありますね。

 地上に出たみそそぎ川から川端二条の少し下流で、水を取って高瀬川は始まりますが、残りの水はそのまま滝のようになって鴨川右岸を、少し鴨川より高度を取ったまま流れていきます。

 京都鴨川納涼床(ノウリョウユカ)の下を流れるので、厳密にいえば鴨川ではなく、みそそぎ川納涼床と言った方が正しいのかもしれません。

こうしてみそそぎ川は、そのまま五条大橋上流で元の鴨川に合流します。

 みそそぎ川から流入した水は、元角倉了以別邸から大岩邸になり、今は寿司屋チェーン「がんこ」の店になってる、1611年に造られた高瀬川源流庭園の中を潤して、いよいよ高瀬川になります。

この「がんこ」で麻雀新年会したことが有りますが、客はこの庭園を散策することが出来ます。

 いよいよ高瀬川の始まりですが、ここには島津製作所創業地と日本銀行京都支店が有りますが、元は角倉了以の自宅があったようですね。

 大堰川(オオイガワ)(保津川)とこの高瀬川を150億円の私財をなげうって、息子素庵(ソアン)(1571~1632)と共に開鑿(カイサク)した角倉了以(スミノクラリョウイ)(1554~1614)ですが、商人ですのでその通行料で簡単に元はとったようです。

     続く

コメント (6)
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