三条と四条の間の高瀬川沿いに建つ立誠小学校(リッセイ)には、私の幼稚園や高校の同級生も通っていましたが、その跡地は今はホテルや展覧会場になっています。
その玄関に、高瀬川開削375年記念と言う、ちょっと中途半端な375年ですが、大きなクワを持つ角倉了以の胸像が有りました。
1895年にリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明、これを持ち帰った稲畑勝太郎(1862~1949)が、ここ旧立誠小学校跡地辺りで1897(明治30)年に日本初の映画試写をしたので、ここが日本映画発祥の地らしいです。
ここには「立誠シネマ」と言うミニシアターも有りました。
島から帰ってすぐぐらいに、ここで孫が監督の「蔦監督」の映画を観ています。
家内が徳島県人と言うこともあってか、打って打って打ちまくる当時の徳島池田高校や大分の日田林工のファンでした。
この映画ギリギリ定員最後に入れたので、立って観ることになりましたが、私は若い時には立って映画を観るもんだと思ってたぐらいですが、家内は「立って映画観たのは初めて」と、やや不満そうでした。
四条通までに九つあった舟入れば場、一之船入れ以外はもう埋められていて、小さな石碑が立ってるだけですが、今まで木屋町をブラブラしてても気づきませんでしたが、まあ新しい物でもあるのでしょうね。
もう少し高瀬川やります。