二条・伏見間距離約11㎞、川幅平均約8ⅿ(今は8ⅿはない感じです)の人口運河高瀬川は、ここから始まるのですが、荷物の上げ下ろしや舟の方向転換のための船入りが、四条までに9カ所設置されていました。
この奥の入江が、唯一残ってる一之舩入(イチノフナイリ)です。
下流(南)に向かって進みますが、すぐの対岸にこの前紹介した 佐久間象山翁と大村益次郎卿の遭難碑が有ります。
御池の橋に立って、向こうから流れてくる高瀬川を見てますが、左の建物、今は全く新しい建物ですが、昔はここに外科病院のビルが有りました。
私がここで当直してた夜に、病室の窓から身を投げた患者さんがいて、ビルと高瀬川の間の狭い植え込みの中から、当直看護婦さんと一緒にその患者さん(もう死体)を、背負うように運んだことが有ります。
もう死んでいたので、警官から移動させたことに対して少し嫌味を言われたこともあって、懐かしくない思い出です
三条小橋を越えて、前出の龍馬通に架かる橋の横に、昔の高瀬川の欄干?が置いてありました。
現在、高瀬川には沢山の小さな橋が架かっていますが、水運として利用していた頃は、通行する舟と橋の関係はどうだったんでしょうね。
しかも、京へさかのぼる時は、両岸から綱で引いていたようなので、橋は邪魔だったでしょうね。