87. 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
寂蓮法師(ジャクレンホウシ)(1139?~1202)
12歳で子供のいなかった叔父の83番作者藤原俊成の養子になりましたが、俊成に実子97番作者でこの小倉百人一首編者の定家が生まれたため、23歳頃に藤原定長(フジワラノサダナガ)を改め坊主になって寂蓮法師と名乗ったようです。
遠慮深く静かな人で、特にこの仕打ちを恨むことなく、新古今時代の代表的な歌人になっています。
「激しく通り過ぎていったにわか雨、その雨のしずくも残ってまだ乾ききっていないまきの葉に霧が立ち昇ってくる、なんと寂しい秋の夕暮れであることよ。」
この歌は小倉百人一首の中で最もよい歌だと、多くの人が言っているようで、確かに声を出して詠むリズムは、私でも素晴らしいと思います。
またこの歌から、宝塚スター「霧立のぼる」の喧シが生まれています。
87. 木片の 塵一つない 薪の山に
煙立ちのぼる 秋の夕暮れ
の・まきの・に・立ちのぼる・秋の夕暮れ 17字 同じ
家の横に薪を積んだ家も、奈留島ではよく見かけます。
家屋から出た廃材をきれいに切りそろえてきちっと積み上げている様子は、奈留島島民の気質を表しているのかもしれません。
奈留島にはもちろん電気もプロパンガスもきていますし、石油で風呂を焚く家も沢山有ります。
それでも風呂だけは薪で焚く五右衛門風呂の家もまだまだ残っているようです。
夕方のフークとの散歩の時、煙突から煙があがっている家も所々に見かけます。
奈留島百人一首の中で最もよい歌とはなっていませんが、寂しそうで暖かい煙を眺めながらの佳作とはなりました。
返事
大雪男さん:奈留島の店にはまだ紙テープが売られているので、
完全中止にはなっていないかもしれません。
福山市さん:ウォーキングの船からの写真届きました、ありがとうございます!
福江港で別れのテープをまだやっているのなら、禁止は私の思い違いかも?
この3月の別れには、皆さんテープの別れをやられてるかもしれませんね。
花水木さん:同じくすみません
禁止は私のかん違い?今月の別れのシーンを見に行って確認します。
子供の頃は当然入ってましたが、その頃の釜が残ってるとしたら凄いですね。
釜に触れないよう行儀よく浸かってたのを思い出します。
煙突から出る煙は、なんだかほのぼのしますね。
ウォーキング途中、薪割りしてるお宅があります。
屋根にはサンタクロースも入れるような煙突が。
薪ストーブだそうです。
芯から暖まりそうな気がします。
便利な生活も捨てがたいですが、薪ストーブのある生活に憧れたりします。
秋の夕暮れ・・・このフレーズだけで寂しさが伝わってきます。
花水木さんは、薪ストーブの前の、ロッキングチェアに座り、読書をしている姿が似合う様なイメージです。