櫛笥隆賀(クシゲタカヨシ)(1652~1733)の娘櫛笥賀子(クシゲヨシコ)(1675~1710)は、第113代東山天皇(1675~1709)(在位1687~1709)との間に5皇子1皇女をもうけ、1696年には典侍(ナイシノスケ)に昇進しています。
御所の東蘆山寺の裏にある蘆山寺陵(ロザンジノミササギ)(上京区寺町広小路上ル)、東側は河原町通が走っていて、私の母校も有るのですが、ここは静かすぎました。
東山上皇が亡くなって2週間もたたずして賀子も亡くなり、新崇賢門院の院号も追贈されています。
死因は東山上皇と同じく痘瘡によるもので、墓所はここ蘆山寺陵に在ります。
制札には東山天皇後宮新崇賢門院藤原賀子墓とあります。
上三人の皇子は乳児で亡くなりましたが、4人目の皇子(東山天皇にとっては第5皇子)慶仁親王(ヤスヒト)が第114代中御門天皇(1701~1737)になりました。
蘆山寺陵は正面からずっと塀に囲まれた内部も見れます。
正面がこの陵の主人公慶光天皇(キョウコウ)の石塔です。
賀子が最後5番目に産んだ閑院宮直仁親王(カンインノミヤナオヒト)(1704~1753)は、世襲親王家の閑院宮を創設、その孫が第119代光格天皇になれたので、自分の産んだ中御門天皇系は消滅しましたが、こちらの方で賀子は今の皇室と繋がっています。
蘆山寺陵正面右に有ったのが賀子の墓でした。
この陵は明治になってから出来たので、昔の墓を集めたのかその時に作ったのか解りませんが、慶光天皇の祖母としてここに入っていました。
久々にPC開きました。
先生、順調に更新してますね。
11月というのに、日中暑く草取りしてたら、まさかのスズメバチがお茶の花に。
変な陽気です。
尿管結石は、おとなしくなりましたね。
尿管結石は忘れてしまったように大丈夫ですが、まだ石は出てません。
はやく、陣痛なしで産んで、指輪にしてくださいね。
そう言ったら出てくれないかなあ。