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吉備の臣の祖である若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)は第7代孝霊天皇の皇子で、以前岡山の墓にも行って紹介した7≠R大吉備津日子命(オオキビツヒコノミコト)の弟にあたります。
この若建吉備津日子の娘が今回の針間(ハリマ)の伊那毘能大郎女(イナビノオホイラツメ)、書紀では播磨稲日大郎姫命(ハリマノイナビノオオイラツメ)と書き、第8代孝元天皇の従妹になるのですが、その人が第12代景行天皇の最初の皇后なので、やや時代的には無理があるような気もします。
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第12代景行天皇は名前が挙がってるだけでも7人の妻がいるのですが、その最初の妻、この播磨稲日大郎姫命との間には5人の子をもうけています。
5人のうち2番目が大碓命(オホウスノミコト)、3番目が小碓命(ヲウスノミコト)です。
この3番目が別名倭男具那命(ヤマトヲグナノミコト)、すなわち超有名な倭建命(ヤマトタケルノミコト)・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。
次回から4回続けて日本武尊を書きます。
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兵庫県加古川市にある日岡神社(ヒオカジンジャ)は日本武尊の出産に際して、安産祈願をしたので、今でも安産の神様です。
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この神社の北門の横から、日岡御陵への石畳の道が続いていました。
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陵の山すその石畳を上がってやっと、景行天皇皇后播磨稲日大郎姫命の
日岡陵(ヒノオカノミササギ)にたどり着きました。
この陵の学名は日岡陵古墳(ヒオカリョウコフン)で、4世紀の古墳時代前期の前方後円墳です。
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昭和11年に建てられた不思議な建物 聖徳閣。
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その跡地に建てられた日岡山展望台から、手前の陵と加古川を望みます。
日岡陵は別名 褶墓(ヒレハカ)とも呼ばれています。
これは姫の遺骸を船に乗せて加古川を渡る時、急に嵐になって舟が沈み、遺骸は川中に没して上がらず、わずかに匣(クシゲ)(化粧箱)と褶(首にかける布)だけが見つかったため、この二つだけを墓に入れたので、この名があるそうです。
わざわざ加古川まで行って、私は空の陵を見ただけということですかね。
返事
花水木さん:コメントが入ってないと非常に寂しいです。
なるべく花水木さんの興味を引くような文を書いていきますので、
よろしくお願いいたします。
他の人も時にはコメントお願いいたします。
大雪男さん:絵画鑑賞も好きですが、映画鑑賞も好きです。
昨日日本映画の「追憶」を観ましたが、なかなかよく出来ていました。
中日・ヤクルト・巨人の得点力が、
少し上向いてきたのが気になりますので、
いつもいつも不安ばかりの観戦人生です。
首から肩にかけるものでしょうか?
日本では、戦死した方の遺骨が無くて、傍の石とか
持ち物を入れたなんて話も聞きますね。
物が無くても、供養する側の気持ち次第と言う事でしょうね。