私が働いてる所の一つは、京都伏見の南の端の丘陵の上にあります。
すぐ近くにある写真の小さな丘のような森は大亀谷陵墓参考地で、ここは宮内庁管理地ですので、被葬者候補としては桓武天皇の名が挙がっています。
この辺りの丘陵地はまた、昔は豊臣秀吉の築いた伏見城とその城下町があった所で、黒田長政の屋敷跡参考地も、すぐ近くにあります。
5分ほど歩くと、この伏見城を模して遊園地(伏見桃山城キャッスルランド)内に築城された城は、15年以上前に遊園地が廃園になった後も残っています。
ということで、この近くにある第50代桓武天皇(カンム)の柏原陵(カシワバラノミササギ)(京都市伏見区桃山町)は仕事帰りに簡単に行けました。
天皇の地位からは程遠かった天智天皇の孫白壁王の第1皇子として、渡来系の身分の高くない母高野新笠が山部親王(ヤマベシンノウ)(後の第50代桓武天皇)を産んだのは737年、父白壁王はその時28歳ぐらいです。
その33年後に、父白壁王は第49代光仁天皇になってしまいましたが、皇太子になったのは第1皇子の山部親王ではなく、異母弟で二回りも若い他戸親王(オサベシンノウ)でした。
その後、以前のブログでも書いたように、他戸親王が廃されたため自分が皇太子になり、781年父光仁天皇の後、なれそうになかった天皇になった山部親王は第50代桓武天皇(737~806)在位781~806)として44歳で即位しました。
京都岡崎の名所、明治になってから作られた神社にすぎない平安神宮ですが、祭神は平安京を開いたこの桓武天皇ですし、坂上田村麻呂を派遣して蝦夷征伐したことでも有名で、比較的皆が知ってる桓武天皇です。
794年(ナクヨ坊さん平安遷都と憶えましたね)、奈良の仏教世界から逃げ出したかったのか、曾祖父天智天皇のように遷都したかったのかもしれませんが、最初に動いた長岡京は藤原種継の暗殺や早良親王(サワラシンノウ)を死に追いやった土地であったので離れざるを得なかったのか、いろんなことが重なって平安京に都を移した桓武天皇です。
又、他戸親王や早良親王と一応自分の兄弟が、藤原一族の覇権争いに巻き込まれたような形で亡くなり、自分が天皇の地位についたという負い目と崇り信仰にも苦しめられたようです。
京都に都を移してくれた桓武天皇が眠る柏原陵は、京都を去って都を東京に移した明治天皇陵と、皮肉にも並ぶようにありますので、この参道を歩くと両方の陵に行けることになってます。
それでも、この有名な古代でもない桓武天皇陵でさえも、ここが真陵かどうかは不明のようです。
返事
花水木さん:暑い暑いのに、外人観光客は減りませんね。
熱中症になりかけたようですね、
山頂の御陵でしばらく休んで(動けなかった)から下り始めたので、
なんとかもったのかもしれません。
ほどほど程度も出来ない体にならない程度に、体を鍛えたいと思ってます。
大雪男さん:一度前にバッタリ唐黷ト、
スマホが飛んでいきました。
黒ごまアイスクリームで、味は美味しかったですよ!
阪神はやはり無理ですね。
危ない危ない。
古希過ぎての単独行は危険です。
事故怪我は、ほぼ過信から。
次回から奥さまににお願いして同行して貰いましょう。クレヨンしんちゃんの作者も、単独で散歩に出かけ帰らぬ人に7なりました。
794年
私達は「なくよ、うぐいす、平安京」と覚えました。土地柄ですかね?
山でも転ぶのを堪えて腰を痛めたり
しますね。
この夏の歩きは控えた方が無難です。