まだ食後のコーヒーは冷たいほうが良かった頃にランチした,滋賀県の馴染みのイタリア料理店のデザートです。
この店は前菜に、色々加工された野菜20種類以上が取り放題なので、いつもお腹一杯になって後、デザートを食べています。
腹一杯になったところで、月輪陵(ツキノワノミササギ)ですので、吐かないで下さいね。
父第114代中御門天皇(1701~1737)(在位1709~1735)の第1皇子で、母は女御近衛尚子(ヒサコ)(1702~1720)の幼名若宮は、生まれて直ぐに儲君治定・親王宣下もうけて昭仁親王(テルヒトシンノウ)となりました。
昭仁親王は1728年に立太子し、1735年には父中御門天皇の譲位を受けて第115代桜町天皇(サクラマチ)(1720~1750)(在位1735~1747)となりました。
桜町天皇と女御の二条舎子(イエコ)(1716~1790)との間には、二人の皇女しか産まれませんでしたが、第2皇女智子内親王(トシコ)(1740~1813)が中継ぎ天皇で最後の女帝第117代後桜町天皇となりましたし、典侍(ナイシノスケ)姉小路定子(アネガコウジサダコ)が産んだ第1皇子遐仁親王(トオヒト)(1741~1762)が第116代桃園天皇になりました。
写真は月輪陵横に廻って、塀越しにカメラを上げて撮った内部です
桜町天皇が生まれた日は元旦で、その時火事があり、官位制度の改革にも着手するなど、聖徳太子との共通点があることから、「聖徳太子の再来」と言う人もいたそうで、譲位後3年で31歳で亡くなり月輪陵(東山区今熊野泉山)に葬られた時には、嘆き悲しむ者が少なくはなかったようです。
写真制札のごとく、まだもう少し月輪陵は続きますので・・・・
女御の読み方も意味も解らず、それを調べてからなので、真面なコメントも出来ず。
女御とか典侍とか妃とか皇后とか、ちゃんとした意味や違いは、なかなか理解できませんね。
いずれにしても良いことをしておられますよ!感心!感心!
まあ150年ぐらいは誤差範囲ですよ!