島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

番外編高瀬川3.

2024-10-14 | 京都へ、京都から

 三条と四条の間の高瀬川沿いに建つ立誠小学校(リッセイ)には、私の幼稚園や高校の同級生も通っていましたが、その跡地は今はホテルや展覧会場になっています。

その玄関に、高瀬川開削375年記念と言う、ちょっと中途半端な375年ですが、大きなクワを持つ角倉了以の胸像が有りました。

 1895年にリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明、これを持ち帰った稲畑勝太郎(1862~1949)が、ここ旧立誠小学校跡地辺りで1897(明治30)年に日本初の映画試写をしたので、ここが日本映画発祥の地らしいです。

 ここには「立誠シネマ」と言うミニシアターも有りました。

島から帰ってすぐぐらいに、ここで孫が監督の「蔦監督」の映画を観ています。

家内が徳島県人と言うこともあってか、打って打って打ちまくる当時の徳島池田高校や大分の日田林工のファンでした。

この映画ギリギリ定員最後に入れたので、立って観ることになりましたが、私は若い時には立って映画を観るもんだと思ってたぐらいですが、家内は「立って映画観たのは初めて」と、やや不満そうでした。

 四条通までに九つあった舟入れば場、一之船入れ以外はもう埋められていて、小さな石碑が立ってるだけですが、今まで木屋町をブラブラしてても気づきませんでしたが、まあ新しい物でもあるのでしょうね。

   もう少し高瀬川やります。


コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 番外編高瀬川2. | トップ | 番外編高瀬川4. »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2024-10-17 07:29:54
>Toitenlabee さんへ
>歌詞マニアがおこたえします。「京都慕情」しか知りませんが... への返信

そうです、ありがとうございました <m(__)m>
返信する
Toitennさんへ2.3. (島の医者になって)
2024-10-17 06:37:54
 渚ゆう子?の声好きです。
何度も恐れ入ります。
返信する
Unknown (Toitenlabee)
2024-10-16 21:44:55
訂正 夕焼けの高瀬川
返信する
Unknown (Toitenlabee)
2024-10-16 21:43:53
歌詞マニアがおこたえします。「京都慕情」しか知りませんが

♪苦しめないで ああ責めないで 別れのつらさ知りながら、あの人の姿思い出す 夕映の高瀬川〰︎
のはず!
返信する
和さんへ (島の医者になって)
2024-10-16 10:47:05
 高瀬川の歌、なんかありそうですが、思い浮かびません。
広瀬川~なら口から出てきますが。
返信する
Unknown ()
2024-10-16 08:01:50
阪急河原町下車して上に上がったら 直ぐ高瀬川の桜並木ですよね? フォークソングで 歌われた高瀬川、ああ、ここ?と思ったものです。
返信する
Toitenlaさんへ (島の医者になって)
2024-10-16 06:19:24
 京都のホテルはどこも取れないようなので、ここも流行ってるのでしょうね。知らんけど。
 あまり面白くなさそうなテーマにも食いついていただいて、感謝感激雨霰です。
返信する
Unknown (Toitenlabee)
2024-10-15 21:44:05
あの元小学校ホテルに宿泊している方は多いんでしょうかね?
一時期Youtubeでよく見かけましたが。

ちなみに、高瀬川沿いなかなか好きなテーマで、楽しく読ませていただいとります!
返信する
花水木さんへ (島の医者になって)
2024-10-15 12:33:53
 高校野球は観てると面白いですが、私の中では観なければそれで済む感じです。
 なんとなく徳島と長崎は応援してますが。
返信する
Unknown (花水木)
2024-10-15 08:46:59
今は北海道から沖縄まで甲子園出場しますが、昔は四国勢とか、地域が偏っていたような。
静岡県内も、静商、浜商と掛西など常連でした。
甲子園出場だけでも、地元は盛り上がります。
返信する

コメントを投稿

京都へ、京都から」カテゴリの最新記事