島から戻って最初の元旦、嵯峨野を二人でブラブラした時の写真です、左に御陵らしき森と鳥居、右に見える藁ぶき屋根が落柿舎(ラクシシャ)です。
長崎生まれで芭蕉の弟子、蕉門十哲の一人向井去来(ムカイキョライ)の別荘が、この落柿舎です。
(庵周囲の柿が、一夜にして全て落ちたので、この名があります)
ブログを始めた頃に、島から訪れた長崎市内にある、坂本龍馬も遊んだ有名な料亭「花月」の入り口に、向井去来の句碑があって、この写真も掲載し紹介したことを思い出しました。
(10年以上前の若き?私の姿ですが、まだこのシャツやズボンを着てると思います)
いなずまや どの傾城の かりまくら
色っぽい俳句なんですかね
この左の陵墓が、嵯峨天皇第8皇女の有智子内親王(ウチコナイシンノウ)(807~847)の墓(右京区嵯峨小倉山)で、母は交野女王(カタノノジョオウ)です。
なんでこんな墓が残ってるのかと言えば、
810年薬子の変の時に、「勝てば私の娘を賀茂大神に捧げる」と、嵯峨天皇は祈願したので、勝利後初代賀茂斎王(イツキノヒメミコ)として4歳の有智子を任命しました。
(現在の葵祭では一般人を斎王代として選んでいます)
また、嵯峨天皇の多数の皇子女の中で、有智子内親王は文才に恵まれ、数少ない女性漢詩人でしたので、墓が残るそれなりの理由はある内親王だったようです。
返事
花水木さん:「灯台下暗し」で、
思わず福江島の大瀬崎灯台を思い出してしまいました。
俳句を知らない私には、よく解りません。
色っぽい事には、最近と言うか、もう数十年、縁の無い私。
今回の画像を見て、前回の紅葉の写真が良かったと
再確認しました。