前回の藤原沢子は仁明天皇との間に、宗康親王(ムネヤス)(828~868)と時康親王(トキヤス)(830~887)(後の光孝天皇)と共に、三男として人康親王(サネヤスシンノウ)(831~872)をもうけています。
人康親王は仁明天皇の皇子としては、第4皇子になります。
人康親王は30前にして、失明したためか出家し、法性(ホッショウ)と号し、京都山科の四ノ宮(親王が第4皇子であったことに依る命名説もあり)に山荘を造営して隠棲したそうです。
男性盲人の自治的互助制度である当道座(トウドウザ)が生れ、人康親王が盲人で琵琶・管弦を得意としていたので、江戸時代には座頭・琵琶法師の祖とされました。(当道座の最高位が検校です)
人康親王の墓は、JR山科駅から少し東へ歩いたその四ノ宮に有りますが、もう少し東へ行けば逢坂の関、墓の裏は名神高速道路の壁です。
参道の入り口は民家に挟まれて狭く分かり難い通路でしたが、向こうに見えた制札を目印に、門を跨いで入り込んでいます。
墓の裏側にも廻れますが、中央に宝塔のある小さなお墓でした。
こういう皇子や内親王の墓を宮内庁が管理するかどうか、どうゆう基準で決めているんでしょうか・・・・。
墓の近くに諸羽神社(モロハジンジャ)が有って、この境内に人康親王の山荘は有ったそうです。
琵琶石と名付けられた石がありましたが、形が琵琶なのか、ここに座って琵琶を親王が弾いていたのか、説明は有りませんでした。
花水木さんなど読者の皆さま:
地味な話と写真ばかりですみません。
結構本人は、なるほど勉強になったはと、
自己満足しながら、本文を書いています。
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