高校生の娘は6月1日から時差登校、時差下校で半日授業から再開されるようです。
僕のザックから草が生えていますね。
高校生の娘は6月1日から時差登校、時差下校で半日授業から再開されるようです。
なぜこうなったかお話ししましよう。
緊急事態宣言が全国的に解除になりました。
一歩前進した気がして本当に良かったです。
もちろんここからが本当に引き締めてかからないといけないですよね。
お店の方は相変わらず「マスク着用」をお願いしての施術、消毒の徹底を続けています。
さて、今週のお休みはまたウォーキングにしました。
先週先々週と雨降りだったもんで、すっかり身体が怠けてしまい今週こそは⋯ と思いましたがまたまた雨?
前日の夜の天気予報を見ると、少し予報が良くなったようですが、曇天なようです。
そして夕方は雨。
そうなると今一歩やる気が起きず、近場のウォーキングをすることにしました。
まだ県を跨いでの外出はだめだし、久しぶりに近所の山とでも思いましたが、もっと天気に恵まれた日に行きたいです。
高校生の娘は6月1日から時差登校、時差下校で半日授業から再開されるようです。
今日は模試があるらしく、女房が学校まで送ります。
なので僕はまた歩いて学校まで行くことにしました。
その後は女房とまた産地直売所まで歩いて往復することになりそうです。
自宅を6時10分に出ました。
歩き出すとちょっとだけ生ぬるい東風が僕の全身をすり抜けて行きます。
田んぼの稲は少し背が伸びて、緑は色が濃くなっていました。
9時05分娘の通う学校に着きました。
子供たちが続々と登校して来ます。
みんな元気です。
先生方も大きな声をかけて挨拶していました。
そこに我が家の車が入り込んで来ました。
『さ、どうする? また産直いくの?』
『うん、行きたい』
ということで、前回とまったく同じ動きになりました。
違うのは上の子が一緒についてこなかったことかな。
自分が歩いてきたペースは時速5キロ、女房はゆっくりなので気持ちよくクールダウンできそうです。
少し晴れ間も出てきて、快適でした。
蕎麦を食べるんだと言ってます。
1人前を半分しながら味わいました。
そして店内を眺めて1つ草の束を抱えて戻ってくると、それを僕のザックに詰め込みました。
ヤングコーンでした。
ザックの上からはみ出すほどなので、仕方なくそのまま帰ります。
背中から草が生えてる見出し画像がそれです。
程よい疲労感でした。
来週はずっと我慢していた歯医者さんで、メンテナンスしてもらう予定です。
歩行距離 21.5km
29,600歩
道端に、それもアスファルトのちょっとした隙間から花を咲かせた姿。
外出自粛でくたびれた心を慰めてくれるのかい?
『ねぇパパ明日の予定は? 新しく産直が土浦に出来たみたいでさ、行ってみたいんだよね〜』と女房。
どうやら娘を学校に送ったついでに行くつもりです。
『そかそか、そしたら先に出て現地集合ね』
ということで、僕の今週のウォーキングは土浦にある娘の学校までと、そこから3km離れた産地直売所までの往復と決まりました。
調べてみると娘の学校までは15.5km。ちょうど良い距離ですね。
学校に車をデポして女房と軽く往復6kmを足せばまあまあの運動になります。
朝6時に出ることにしました。
すると上の娘が『私も歩く』と言い出しました。
運動したいのです。
『私のお腹はダブルチーズバーガー』と言っていて、ただ今引き締め作戦実行中です。
上の娘とは「御嶽山」や「白馬大池」など山にも連れて行きましたが、近頃は日焼けが嫌なのと長時間労働(歩くこと)がキツいので『私そんなに山は好きじゃない』と言っています。
まあ、いいさ。
『とりあえず6時に出られなけれぱ置いていくからね』とだけ言って寝ました。
翌朝5時30分に起きてみると、部屋の電気があちこちついているではないですか。
『起きやがったな』
やる気らしいです。
今朝の朝食は「納豆ドック」。
そうです。友部サービスエリア下り線の名物ですね。
それとピーナツバターたっぷりのコッペパンと、大好きなゴロゴロ果実のブルーベリージャムのコッペパン。
それとピーナツバターたっぷりのコッペパンと、大好きなゴロゴロ果実のブルーベリージャムのコッペパン。
途中で買ったジャスミン茶でした。
娘は自分でササミキムチをレンジでチンして食べてました。
納豆ドックは出来上がると暖かいうちに食べてしまいたくなり、そのままガブりとやりました。
あとは背中に背負っていくことにしました。
曇り空は暑くもなく、心地よい風を運んでくれました。
途中で降り始めた雨もディズニーランドのミストシャワーだと思えば、それもなかなか気持ち良いものに変わりました。
Googlemapの道案内は車の通りが少ないところをナビゲートしてくれました。
娘は終盤、足の付け根に痛みが出てきました。
ふだん歩き慣れていないと長距離ウォーキングは思わぬところに痛みが出るものです。
3時間を越えたところで、最後の国道に出ました。ちょうどそこに後ろから下の娘を乗せた車が追い越して行きました。
ナイスタイミングでした。
学校では先生方が生徒たちに大声で声を掛けていました。
『おはよう、元気だったか? そうか今日は張り切っていくぞー!』とそんな風に言っていました。
子供たちもみんなニコニコ顔でした。
早く普通の学校生活に戻してあげたいですね。
到着すると上の娘は『もう無理、車で待ってる』と言いました。
痛いなら無理しない方がいいと女房が言います。
『じゃ、ママとパパは歩いて産地直売所行って来るね』と言っています。
メンバーチェンジして再スタートしました。
住宅地の中を散歩していると、色々な花が咲いていて目を楽しませてくれます。
『みんな綺麗にしてるね』
『そうだな、時間がないと出来ないからやっぱりリタイアしてからになるのかな』
でも俺、草むしり嫌ですから小さなマンションでいいです。
産地直売所で冷たい蕎麦を二人で分けて食べました。
混雑する前に食べてしまおうという作戦です。
女房はいろいろ物色していましたが、結局たいした買い物もせずに帰ることになりました。
でもいいいちごを見つけたようで、それも1パック500円で大粒なんだと言います。
帰ります。
元きた道を戻ります。
花室川沿いを歩きました。
このままコロナウイルスが消えてくれたらいいなぁ⋯。
車に戻ると、やっぱりいちごが欲しくなって産地直売所に戻ることにしました。
4パックあったいちごは2パックしか残っていませんでしたが、それを手に取ってさらに甘いものに目が行ってしまいました。
「だんご最中」か⋯
中に団子が入ってたりして。
家に戻って食べてみましたが、形だけ団子でした。お味は普通に最中です。
まだ全部食べていないので、1つずつ味わってみたいと思います。
歩行距離 21.5km
所要時間 6時間(産直の徘徊を含む)
累計標高差 +264m -281m
29000歩
15時00分『東漸寺観音堂、山門(県指定文化財)』11箇所目のアクセスポイントです。
そして本日最後のアクセスポイント、12箇所目は『本多作左衛門重次墳墓(県指定文化財)』です。
取手市は藤代町と合併しているので、だいぶ広くなりましたね。
東へ西へよく歩きました。それもいよいよ残り2つです。
先ほどから気になっているのが雲の流れです。
『これは降るなぁ⋯』
風向きが変わり、空気が冷たくなってきました。
風も強くなっているし、守谷方面は地面まで雲が落ちています。つまり雨が降っていますね。
ふと思ったんですが、この東漸寺の指定文化財は『観音堂、山門 附(つけたり)宮殿一基、棟札一枚』となっています。
この『附』ってなんのこと?
いろいろ調べてみたんですけど、どうやらこういう事でした。
文化財などの改修作業中に、新たにその建造物や建立時の資料などが発見される場合があります。
これは重要な資料ではあるけれど、新たに重要文化財指定をするのは大変な作業で、元々の重要文化財の指定番号に関連して附録の指定にすることを「附」という文字で表しているのだそうです。
世の中、興味を持たないと分からない事ばかりですねぇ。
そして本日最後のアクセスポイント、12箇所目は『本多作左衛門重次墳墓(県指定文化財)』です。
15時32分到着でした。
東漸寺からの移動中、やはり雨にやられました。
念の為の傘が役にたったという事ですね。
すると消防のサイレンがけたたましくなり続け、空にはドクターヘリがJAとりで総合医療センターのヘリポートに着陸するところでした。
医療機関の大切さ、それとたった1人の命にこれだけ多くの人たちが力を注ぐ瞬間を感じました。
いつも守って下さってありがとうございます。
話は戻ります。
はて、本多作左衛門重次って誰?
日本一簡潔な手紙「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」聞いたことありますよね?
本多重次が、戦場から妻に宛てたといわれる手紙です。要領を得た簡潔な手紙文として余りにも有名です。
画像左側奥に見える、高さ1.4mの五輪塔が重次の墓です。
玉垣に囲まれた三つの墓塔が史跡となっています。
三つの墓塔?
じゃ、あと二つは誰の?
と言うことになりますよね?重次の右手は客人であった岡野彦五郎という人物の墓です。左手にある尖頭型の墓は、重次の弟である重玄の墓であるようです。
こうして「取手市指定文化財一筆書き」を終えた訳ですが、歩いていて感じたのは、やはりコロナウイルス感染防止のため休館休業されているところが多いことです。
また、ラーメン屋さんは普通にお客さんを入れているのに対し、向かいのピザ屋さんはテントを建ててテイクアウトしていました。
買いに来る方が多かったのが印象的でした。
どこまでが密集なのか、どうしたら感染するのか、マスクをしないで買い物に来る人は「自分は移ったって構わない」という意識なのか、「他人に移してしまうかもしれない」という感覚はないのか、まさか「その時はその時でしょ」なんて言ってるのがかっこいいなんて思っているんじゃないか、同行している人はどうして「マスクしてよ」と言わないのか、本当に分からない事ばかりです。
人間の感染に対する感覚も様々だなと思いました。
歩き通した僕の踵には、しらないうちに大きな大きな水疱を伴ったマメが出来ていました。
弱ってしまった自分の脚にガッカリしたウォーキングでした。
歩行距離 32.1km
所要時間 7時間40分
累計標高差 ±471m
47,600歩
おしまい。
11時58分『龍禅寺三仏堂(国指定文化財)』到着。7つ目のアクセスポイントです。
はい次です。
ここは取手市で唯一の国指定文化財となります。
三仏堂の名称の由来ともなった釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩の三体の仏像が安置されています。
部材の残存がきわめて高く、加工の痕跡が明瞭なのだそうです。
昭和60年から行われた解体修理で、室町時代の永禄12年の墨書のある木札が発見されました。
はい次です。
12時40分『地蔵ケヤキ』8つ目のアクセスポイントです。
県指定天然記念物です。
画像見て分かりますか?
お地蔵さんが大きな木の割れ目の中に鎮座しています。
すごい太さですね。幹の太さは10m、高さは15mだそうです。
この割れ目は火災にあった際、けやきに燃え広がって空いた穴だといいます。
子育て地蔵尊が安置されており、安産・子育てにご利益があると言われ、多くの人が参詣します。
いよいよ疲れが出てきました。
昨夜、娘がコンビニに行くというので『なんでもいいからパンを2つ買ってきて』と頼みました。
届いたパンはマヨネーズまで乗ったコテコテの焼きそばパンときな粉の揚げパンでした。
オジサンの胃袋にはちょっとキツいかなと思いましたが、文句を言わずそれを担いできました。
焼きそばパンは3分の1ほど残してしまいました。
その時かなザックの中からイヤホンを落としてしまいました。
高かっただけにショックです。
もうコードレスタイプは買わないと誓った瞬間でした。
はい次。
本日9座目、じゃなくて9箇所目。
13時20分『大日山古墳(岡神社)』県指定文化財。
古墳時代後期の築造とみられる円墳で、墳丘上に岡神社が建っています。
画像を見ていただくと分かると思いますが、神社の周囲は綺麗な円形になっています。
朝日を拝むには格好の位置にあり、宗教的雰囲気の漂うところですが、地元ではこの古墳こそ将門の墳墓であると伝えられてきました。
更に、古墳の脇が広場になっていますが、ここに将門の愛妾(あいしょう)→「お気に入りのおめかけさんのことね」の桔梗(ききょう)が住んだ朝日御殿があったといわれています。
桔梗はここで毎朝、日の出を拝み、将門の武運を祈っていましたが、将門の敗死の報を聞くと台地の下にあった沼に身を投げて、悲しい最期を遂げたという語り継ぎがあります。
やっとの思いで10箇所目です。
14時00分『金仙寺、木造阿弥陀如来坐像(市指定文化財)』本日10箇所目のアクセスポイントです。
とにかく保存状態が良いらしく、本尊として正面に鎮座しています。
お寺に声を掛ければ見せてもらえるようですが、今日はやめておきました。コロナウイルス感染が終息したら見てみたいですね。
本堂の左手に薬師堂が建っています。
普段は扉が閉まっていますが、何故かガラスが2枚だけはずされていたので、そこからカメラのレンズを覗かせてみました。
正面には薬師三尊像が見て取れます。この金仙寺にはけっこう古い石仏や、石碑が保存されているようです。
その5へ続きます。
八坂神社のすぐ近くに『旧取手宿本陣染野家住宅』があります。
じゃ、この建物はいったい何?
本日3つ目のアクセスポイントはここです。
10時00分『旧取手宿本陣染野家住宅(県指定文化財)』到着。
予想通り今回は中を見ることは出来ませんが、外からたたずまいを見ることは可能です。
以前にも来たことがあるので、今回はこれで良し。
じゃ、この建物はいったい何?
ということでまたまた超簡単に解説します。
水戸街道は千住と水戸を結び、取手は千住から数えて6番目の宿場でした。
「本陣」とは、水戸藩主をはじめ多くの大名や武士たち身分の高い武家が休憩や宿泊に利用した家のことです。
一度取手の大火にて主屋が消失しておりその一年後に再建立されています。(寛政7年)
茅葺き屋根は平成元年に葺き替えられています。
それから郵便事業が始まった時、ここの一部が窓口になったということです。
さて、次。
10時12分『長禅寺三世堂』
本日4つ目のアクセスポイントです。
またまた近くにある長禅寺。
ここの「三世堂」は県指定文化財です。
いったいなにがすごいのか。
この建物、外観は2層ですが内部3層で「さざえ堂」の形式になっており、上り階段と下り階段があり、堂内では参拝者が交差せずにまわれるようになっているようです。
はて、「さざえ堂」とは。
形がさざえに似ていることから「さざえ堂」と呼ばれているらしいです。
その内部には、参拝者が上り下りするためのらせんスロープがありますが、不思議なことに、そこでは登る人と降りる人が遭遇することは決してありません。
世にも不思議な二重らせんのスロープなのです。
さらにそれが外観からは分からないようになっているのが三世堂のすごいところです。
表門もいい雰囲気ですね。
はい次。
今度はちょっと離れています。
駅前には雑居ビル群がありますが、その一角の商店でマスクを売っていました。
その先には美容室が営業していました。
お客さんはマスクしている人としていない人ありでした。
駅前を背中にし、ふれあい通りに入ります。中央タウンを過ぎるとぐっと人はいなくなりました。
11時17分『白山神社本殿(市指定文化財)』到着。5つ目のアクセスポイント。
久しぶりのロングなのか、足裏が痛くなってしまいました。
ここで、足裏にテーピングテープを貼りました。
なんてこった。こんなに柔肌になってしまったとは⋯。
さて、ここは何故に文化財として指定されたのかい?
まず、養老2年(718)創建という取手一の古い由緒であるということ。
寛延2年(1749年)の再建以来、現在までの棟札22枚が残されており、屋根の葺き替え、その他造営、修復など、歴史を知る上で大変貴重な資料となっているんだとか。
覆屋(おおいや)の中にあるため、通常は見学できないとの事です。
その4へ続きます。
空はだんだんと青空となり、気温がぐんぐん上がっていきます。
近づいてみると確かに貝が多数混じっていました。
見る限り予報より良くなりそうな気配を感じます。
まず1つ目は市指定文化財(史跡)の『中妻貝塚』です。
この貝塚は『福永寺』の敷地内にあるようです。
8時42分『福永寺、中妻貝塚(市指定)』到着。
入って行くと本堂の前で縄跳びをする女の子がいました。
『こんにちは』と真面目なお顔で僕に挨拶してきます。ということは、ここのお寺の子なんだな?
自分の家で切ったようなおかっぱ頭が昭和っぽくていい感じでした。
あとから日焼けしたお顔の男性がゴミ袋を2つ抱えて出てきました。
『こんにちはー』と声をかけてくれました。
すかさず聞いてみます。
『貝塚はこちらにあるのですか?』
するとゴミ袋を抱えたままで僕を案内してくれました。
『貝塚と言いましても、この辺り一帯から出土されてまして、この境内の中ではあの土が盛り上がっているところから貝の出土が確認されています』
近づいてみると確かに貝が多数混じっていました。
難しい言葉を使わずにサラッと説明していきますと⋯
縄文時代後期のものらしく、住居や貝玉製作、さらには百体以上の集団埋葬墓が出土されました。
貝の種類はヤマトシジミが中心だったようで、利根川流域最大の貝塚だということです。
う〜む⋯ なるほど。
取手に住んで50年、貝塚があるとは知っていましたが来てみたのは初めてでした。
お寺を後にして、次の目的地『八坂神社』へ向かいます。
すると先ほどのご住職とお嬢ちゃんがごみ捨てから帰ってくるところでした。
丁寧にお礼を言うと、お嬢ちゃんが『さようなら』とまた真面目な顔で言ってくれました。
きっとそう教育されているんですね。
印象に残る親子でした。
来た道を戻ります。
旧一本松のところから「ふれあいの郷」の敷地内を抜け利根川の土手に出ました。
多くの方がウォーキングしたり、河原で身体を動かしていました。
今日一日で一番人が多かったのは間違いなくここでした。
本日2箇所目。
9時48分『総鎮守八坂神社 本殿·拝殿(市指定)』到着。
ここは取手市民なら誰でも知っている場所ですね。この日は改修工事が行われていました。
八坂神社は1626年の創建で、鳥居が1707年拝殿が1832年、本殿に至っては1906年の建立となっています。
はいここ神社ね、となってから今の姿になるまで実に280年経っています。
祀られているのは『スサノオノミコト』。
じゃスサノオノミコトって誰? ってなりますよね。
超簡単に言うと「古事記や日本書紀による神話上の人物」で、ちゃんと家系図もあるのですよ。
そして様々な信仰によりその呼び名も変わってきちゃいます。
ちなみに筑波山の男体山は「イザナギノミコト」女体山は「イザナミノミコト」で、スサノオノミコト(八坂神社の神様)はその子供ということになっています。
つまり日本で祀られている神様はこの家系の誰かということになるのでしょう。
その3へ続きます。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が今月末まで延長になりました。
はい、朝です。
やはり現時点ではそうなりますよね。
しかしながら、経済も最悪化させてはならないし、自粛による弊害も抑えなくてはならない。もちろん心や体の健康被害も。
そこで今回の会見で安倍総理はこう言いました。
『外出が悪いわけではない。三密を避け、必要な対策をとった上でなら構わない』
これはウイルスとの共存を視野に入れた方針なのでしょうか。
かと言って、現状が打開された訳ではないので、私たち国民は感染者が減少し始めてもぬか喜びすること無く、今までと同じように感染防止に努めていきたいですね。
安倍総理がそう言ったからというわけではありませんが、衰え過ぎたこの身体が遂にムチで叩いてくれと訴えてきました。
異常な肩こり、腰の痛み、腕のむくみ、腹の出っ張り具合⋯。もうだめだ。
よし、それなら何か挑戦してみよう。
ふと思いついたのが『取手市の指定文化財めぐり』でした。
これを一筆書き出来ないかな?
調べてみると、国県市の指定文化財は国が1、県が6、市が6で全部で13箇所でした。
それぞれの位置をマップに表示させると、かなりの距離になることが分かりました。
どうしよう⋯。
つべこべ言わずにやってみることにします。
ただし、通常公開されていない宮和田の信楽寺(しんぎょうじ)『絹本金箔地刺繍釈迦涅槃図(けんぽんきんぱくじししゅうしゃかねはんず)』だけは見れないと分かっているのでリストから外しました。
今回のナビゲーションはGoogleMAPとし、歩行距離は普段山で使っているGPS端末にしました。
ザックの中は念の為の救急用品(山用をそのまま)と念の為の薄いレインウェア、パン2個、麦茶、マスク、手ぬぐい、とそんなもんですかね。
寝るのもいつも通り、起きるのは目が覚めたらってことにしました。
ただのロングウォーキングだけど、久しぶりなのでちょっと楽しみです。
はい、朝です。
目覚めは6時30分でした。
あるもので簡単に朝食を済ませます。昨夜のうちに準備してあったのに、何故か手間取ってしまいました。
あ、一応天気予報見とくか。
あれ?晴れじゃないの?
曇りマークにちょっとだけ太陽マークがあるだけ。夕方には傘マークもあるじゃないですか。
ま、一応傘も入れとくか。
家を出たのが7時30分になってしまいました。もう何もかもおかしくなっている。
こんなところにもコロナウイルスによる影響を感じてしまいます。
職場の駐車場に車を停めて、歩き出したのが7時57分でした。
取手は坂が多いですよね。
なんと『坂道愛好会』もあるのですよ。
聞くところによるとその数、軽く400は越えるらしいです。その中でも地元にとって大切な親しみのある坂12箇所に道標が付けられています。
画像はそのひとつ『馬坂(まさか)』です。
近くには「馬坂」のバス停もあります。
そう、ここは小文間台地へ向かう道です。
最初のアクセスポイントは福永寺にある『中妻貝塚』です。
その2へ続きます。