TINKERBELL BLOG

茨城県取手市「美容室アトリエティンカーベル」ティンカーベルのスタッフを身近に感じていただければ嬉しいです

信越トレイル1日目 その3

2018年08月31日 | Weblog
富倉峠に至る道でハンガーノック(エネルギー不足)の症状が出ました。

暑さによる食欲不振で身体がガス欠したのです。

一気に落ちるスピードとやる気。
あえぎ声が漏れ、独り言や唸り声が出ました。

富倉峠に着くとテントマットを広げて横になりました。
誰もいないので周りのことは気になりませんでした。

16時45分 大将陣。
ついに桂池まで2.3kmの標識が出ました。
今夜は桂池テントサイトに宿泊の予定です。

ただし、ここからが激坂で思うように進みません。
猛然と襲う疲労感が僕を苦しめます。

毎度思うのですが、なんでこんなことしてるのか分からなくなります。

たどり着いた黒岩山には吹き抜けの小屋がありました。
風が抜け気持ちよいです。

あたりは薄暗くなってきました。
テントサイトに到着するころは日没確定です。

黒岩山でザックからヘッドライトを出し、装着しました。

しばしの休憩のあと、再スタートしました。
18時50分ヘッドライト点灯。

19時09分 桂池到着。
月明かりがあり、空と山の境目が分かる状態です。
風が出ており、テントサイトの虫たちも少しは少ないのではないかな。

19時15分 桂池テントサイト到着。
長かった。
14時間の道のりはあまりにも辛く、いっぱいいっぱいでした。

まずはザックを降ろし、中のものをテントマットに広げます。

今回はツエルト(非自立式の緊急時用テントでただの1枚生地)です。
軽いので迷わずこれにしました。
とりあえずツエルトを張ります。

テント内にワンプッシュタイプのノーマットスプレーをします。
テント周りにも数回スプレーします。
これは小さくて携帯するにも便利でした。虫除けスプレーなんかよりも効果ありました。
ただし、お肌にはかけられません。

テントサイトには非常用のシェルターとトイレがあります。
ここに信越トレイルのボランティアによるエイドボックスがあります。
近くの水場が枯れているときに緊急用として設けられているもので、中にはペットボトルに入った水が置いてあります。

これには本当に助けられます。
夏場は5リットル担いでも足りないぐらい消費するので、僕もエイドボックスから翌日の分の水をいただきました。

今夜はラーメンです。
涌井で汲んできた水を沸かし調理します。
食欲がなく、食べるのに時間がかかりました。

さらにコッヘル(調理用鍋のようなもの)に直接口を付けたので、くちびるが焼肉になってしまいました。

後片付けをし、ツエルトの中に入ります。
夜は冷えるかもしれないと思って、念のためにシュラフカバーを持ってきました。
でも、そんなものは必要なくてインナーシーツだけで十分でした。
外で寝たいぐらいでした。

転がるように倒れ込み、睡眠に入りました。

深夜、聞いたことがない獣の叫び声がしていました。
そういえばルート上に熊糞のような立派な排泄物がありましたっけ。


1日目
32.5km 61600歩

2日目その1へ続きます。
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信越トレイル1日目その2

2018年08月30日 | Weblog
斑尾山山頂に立ちました。
ここからがトレイルのスタートです。
まさに「千里の道も一歩から」という気持ちです。

かえでの木トレイル(登山道の名称)を使って斑尾山山頂に来たため、今来た道を戻りながら信越トレイルに入っていきます。

登ったら下る。
それが山というものです。
斑尾山から万坂峠へ向かいます。
7時40分 万坂峠到着。
下り坂が昨日の剱岳による筋肉痛でつらいです。

ただ、朝のうちは風があり快適でした。
さらに前日ボランティアによる刈り払いが行われており、朝露が激しい早朝もゲイターを装着せずにすみました。
信越トレイルの素晴らしいところです。

やがてトレイルは袴湿原に入ります。ここにベンチがあり、靴紐を縛りなおしました。

下ったら登る。これもロングトレイルでは当たり前です。
8時55分 袴岳到着。
「斑尾高原トレイルランニングレース」のルートを示す標識が目立ちます。

10時05分 赤池遊森の舘に到着。
靴の中に入った木くずや小石を出して、靴下を脱ぎます。
暑くて全身汗でびしょびしょです。

10時52分 沼ノ原湿原。
湿原は木道になっていて、様々な植物が息づいています。
湿原を抜けると立派なトイレがあり、利用させていただきました。

気温が高く、水の消費量が多いので残りの水量に不安がありました。
飲用不可のトイレの水ですが、浄水器を使用すれば飲めます。

信越トレイルでは山から水を補給する場合、浄水器の使用が基本となります。
沢水は煮沸もしたいところです。

トイレの水は緊急時用として1リットル確保しておきました。

11時44分 希望湖に到着。
山中から一瞬解放されます。
ここにはボート小屋があり、普段は飲み物やカップ麺などが手に入ります。
残念ながら今日はお休みです。
事前に調べてありましたので残念感はありませんでした。
休憩はせずにここはスルーします。

12時25分 毛無山山頂。
暑い、暑い。猛然と暑いです。
夏の信越トレイルは暑さと虫との闘いだと聞いていましたが、本当にそう思います。

じゃ何故夏に歩くの?
長い休みがないからです。
信越トレイルの面白さはスルーハイク(全線を一度に踏破)にあると思います。

やがて熱中症のような症状が現れました。
毛無山山頂まで我慢して登り、そこで休もうと思いました。

ところが、毛無山山頂は森の中をただ道が通っているだけの山頂でした。
ベンチなんてものはありません。

それでもひとまず大休止としました。
もうテントサイトに到着するのは日没後を覚悟しました。

トイレの水でコーヒーを沸かして飲みました。そして甘いパンを食べました。

今日のこのペースだと、明日の行程はさらに長いので絶対的に無理だと判断しました。

あらかじめ予約していた「菱ヶ岳テントサイト」をキャンセルし、その手前にある「グリーンパル光原荘」までとする故を信越トレイル事務局に電話しました。

さらにグリーンパル光原荘に予約を入れました。
翌日の行程がおよそ4割ほど減りました。

45分というロング休憩をしてしまい、再スタートしたのが1時10分でした。

そして涌井新池の先にある水場でトイレの水を捨て、3.5リットル給水しました。
ガブガブ飲んで体内にも給水しました。
冷たくて美味しかったです。

ここが信越トレイルでは一番良い水ですが、一応浄水します。
浄水しながらの補給には時間がかかってしまいました。

ずっしりと重くなったザックを背負い再スタートします。

ルートは砂利の林道に出ました。
ここで今日初めて人間に出会いました。
軽トラに乗ったじいちゃんとばあちゃんでした。

涌井で国道をまたぎました。
県境の標識がありました。
そうここは長野県と新潟県の県境ゾーンです。そこを歩くのが信越トレイルってわけです。

やがて富倉峠に到着しましたが…。


1日目その3へ続きます。
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24時間テレビ募金完了しました

2018年08月29日 | Weblog
皆さまの優しいお気持ちを、本日『つくばイオン』にて全額募金して参りました。

募金総額 13254円でした。

ご協力ありがとうございました。
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信越トレイル1日目 その1

2018年08月29日 | Weblog

剱岳を早月尾根日帰りにて、日本百名山全山登頂を果たした僕は、翌日からの『信越トレイル踏破』に向けて移動を開始していました。

まず信越トレイルとはどんなものか、簡単にお話しますね。

以下、信越トレイルクラブのホームページより。

『長野・新潟の県境に位置する標高1,000m前後の関田(せきだ)山脈のほぼ尾根上に延びる全長80kmにおよぶ国内でも稀なロングトレイルです。

ブナ林に育まれた自然豊なこの山脈は、かつて信濃と越後を結ぶ交通の要所として16もの峠道が存在し、越後からは塩や海産物が、信濃からは内山和紙や菜種油が運ばれ、戦国時代には上杉謙信が川中島の合戦の際に何万もの兵を連れて峠越えをしたとも言われています。

トレイルの整備や維持管理はNPO法人信越トレイルクラブが主体となり、周辺地域のボランティアの方々の協力によって行われています。』

『京都一周トレイル』『大阪/ダイヤモンドトレイル』『美ヶ原高原ロングトレイル』と踏破してきた僕にとって、次の標的は『信越トレイル』になりました。

長大なコースを歩く楽しみは、ただ山頂を往復するのとはまた違った感覚です。

さて、それでは3日間にわたる物語をここに記録していきます。


1日目その1

剱岳の富山側の登山口『馬場島』から北陸自動車道→上信越自動車道を乗り継ぎ、午前1時05分に斑尾高原チロル登山口駐車場に到着しました。

斑尾高原は観光地です。
冬はスキー場で賑わうし、夏はトレッキングや希望湖(のぞみこ)での釣りやボート、マウンテンバイクなどで遊べます。

建物や施設が多く、どこに停めたらよいか分からないのです。30分ほどさまよって、ここだろうというところに駐車しました。
なんせ真夜中ですから、分かりにくいのも仕方がないですね。

急いで寝床を作って横になります。

前日の剱岳日帰りの疲労感が激しく残っているので、筋肉痛を緩和させるための鎮痛剤を服用しました。

予定としては午前3時30分のスタートですが、さすがにそれは睡眠時間が少なすぎます。
前日も1時間半しか寝ていないため、最低3時間の睡眠を摂ることにしました。

午前4時30分目覚まし時計が容赦なく鳴りました。

軽く食事をします。

ザックに水を3.5リットル詰め込みまして、およそ16㎏の重量になりました。
かなり装備を削りましたが、それでもこの重さは身体に食い込むようにのしかかります。

歩き始めたのが午前5時になりました。
予定より1時間30分遅れです。

まず斑尾高原スキー場の斜面を登って行きます。
斑尾高原には20数本のトレイルが整備されており、それぞれにトレイルネームが付けられています。

僕は『かえでの木トレイル』を利用しておよそ1時30分かけて斑尾山山頂へ登りました。

ここが信越トレイルの起点となります。

スキー場の斜面をつづら折りに登りはじめる手前にリフト降り場があります。
そこの管理小屋の前に自動販売機が稼働していました。

しばらく飲めなくなる炭酸飲料を買いました。
思いっ切り飲んで、残りをザックのポケットに入れました。

もう1本買おうかと悩みましたが、重くなるのでやめました。
後々後悔することになるのですが…。

初日の斑尾高原は雲多めの晴れ。
風が強く、夏の低山ハイキングには好条件です。
虫が飛ばされてしまうので、あまり出てこないからです。

低山とはいえ、ここは豪雪地帯です。
木々は雪の重みで根元付近が地を這うように曲がって生えています。

午前6時33分、斑尾山山頂にてひとまずザックを降ろします。
斑尾山山頂は樹林帯の中でした。

それでは信越トレイルのスルーハイクを開始します。


1日目その2へ続きます。
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8月28日、30回目の開店記念日

2018年08月28日 | Weblog
8月28日、開店から30年を迎えました。
ただただお客様にありがとうの言葉を贈るしかありません。

30年、早かったか長かったか。
よくわかりません。

でも、毎日をつまらなく生きるのだけはしないようにしています。
もちろん仕事だって楽しんでやっています。

僕にとって30年は通過点でしかなく、まだこれから一日でも長く楽しめる毎日を過ごして行きたいと思っています。

お花を贈って下さったお客様、本当にありがとうございます。
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日本百名山完登『剱岳』その4

2018年08月28日 | Weblog
僕が参考にした登山データは単独の方のものではなく、3名の方々のグループ登山でした。

年齢は僕よりちょっと若め。
単独だとどうしても行動が速くなってしまいます。
個人差が大きいので、速い人もゆっくりめの人もいる3~4名のグループ登山のコースタイムが参考になるような気がします。

要所要所のコースタイムをこの方々の記録をそのままコピーし、自分の行動目標としました。

登りの時点で若干の遅れを出してしまいました。
『だめだ… まったく調子が出ない。このままだと日帰りは困難だな』
まあ連休は始まったばかり、この先のことは特に考えず、自分が一番安全で満足出来るようにしようと思いました。

急峻な登山道を4時間登って、やっと早月小屋に到着しました。
計画よりずいぶん遅れてしまったような気がしていました。

この時点で女房に連絡して登山計画を変更するかもしれないことを伝えました。

つまり、山頂を往復した時点でタイムオーバーだと判断した場合は、早月小屋に宿泊することになるだろうと。

まわりの登山者の余裕綽々なお顔が自分の気持ちを切なくさせます。
疲れてぐったりしているのは自分だけに思えました。

一人の若者が後ろからやってきました。
やはり余裕顔です。
のんびりと写真を撮っていました。
よっぽど自信あるんだな…。いいなぁ…。
そして彼は僕を追い越してどんどん先へといってしまいました。

さらに大きなザックを背負った男女のペアがさらに僕をパスしていきます。
その荷物でそのスピード、とくに男性に普通についていく女性の脚力はすごかったです。
いい筋肉してました。

さらにさらに、同年代の男性にもパスされて気分は灰色になりました。

この先はお決まりの『カニのハサミ』と呼ばれる核心部になります。
カニのハサミだけではなく、随所に危険箇所は存在しています。

特に気にしたのが落石です。
他人の落とす石もさることながら、自分も落とさないようにしなければなりません。
思ったより時間がかかりました。

休日だったらもっと混んでいて、通過にはもっと時間がかかるんだと思いました。

早月小屋からさらに登ること4時間、死にそうな思いで剱岳山頂に立ちました。

そこには余裕綽々で写真を撮っていた彼もました。
『あーお疲れさまでしたー』

時折雲が山頂を覆っていたので心配でしたが、登ってみるとまだまだ綺麗に見えていました。

この日はお昼を境に下り坂だという予報だったので、焦りもありました。
よかったー。

カメラを出して先ほどの若者にお願いしました。
『何枚か撮っていただけますか?』

百名山完登の文字を印刷したものを出すと、一斉に周りがどよめき沸き上がりました。
拍手の嵐。

いい筋肉した男女の登山者に話しかけられました。
いろいろ聞かれていろいろ話しました。
関西の方でご夫婦でした。

『ご夫婦で登れるっていいですね、うちはちょっと難しいなぁ~』
『いやいや、喧嘩もしますしお互い言いたいこと言い合いますし』

『奥さんはなんも言わないですか?』
『うちはありがたいことにダメと言われたことはありませんよ。でも心配ばかりかけてます』

それを聞いていた若者がニヤニヤしていました。
ま、オフレコでそのほかの話もポンポン出てましたけどね。

あの時山頂にいた方々、ありがとうごさいました。

さて、ここで時計を見てみます。
えっ?
予定通りの時間だ。

なんと、このままいけば日帰りの射程圏内です。
でもまあ焦ることも無く、落石に気をつけながら下山します。

ご婦人の方々もこの早月尾根を登ることが多いように感じました。
僕なりの解釈ですが、別山尾根よりも渋滞させる箇所が少ないのとガイドさんが連れて行きやすいからなのかなって思います。
早月小屋泊で3日間の行程ですね。

早月小屋に到着しました。
バッチは残念ながら売り切れでした。
百名山100座目にしてバッチ無し。
またこっち方面に来たときに買うことにします。

手ぬぐいは1本1000円しましたが、応援して下さった方々へのおみやげで、10本買いました。
ここに来ないと買えない、僕がこの脚で運んだものです。

ところが、外へ出て荷物を片付けていると雨が降ってきました。
おお、降るとまでは思っていなかったけど、高いところにいるうちはレインスーツの上だけ着て、ゲイター付けるぐらいにしておきました。

暑くて中が群れてびしょびしょになるぐらいなら、雨に濡れた方が気持ちよいです。

高度が下がってきて気温が高くなり始めたところでレインスーツを脱ぎます。
雨は降ったりやんだりですが、さほど気になりませんでした。

5時間半かけて馬場島に戻ってきました。結局日帰りしました。
『試練と憧れ』の石碑が僕をむかえてくれました。

正面に立ち、一礼しました。

疲労感はあったものの、コースタイムは予定ぴったりでした。

ちょっと前までは休憩も少なめだったけど、今は倍ぐらい休んでます。
それも歳のせいにしておきます。

帰り支度をしているうちに薄暗くなってきました。

まず、風呂に入りたい。

検索してみると、山を下ったところに日帰り温泉があるようです。
電話してみると、やってます。

行ってみるとテニスコートがあって日帰り温泉があるというところでした。
440円でなかなかよろしかったですよ。

その後、達成感と満足感のなか、車を長野県飯山地区へと走らせました。

身体はクタクタ、筋肉はボロボロ、それでも天気予報はこの先3日間晴れなので、こんな恵まれた連休は滅多にない… いや、一生無いかもしれないと思うと自然に気持ちは『信越トレイル』へと向かっていました。


歩行距離 17.6km
累計標高差 2586m
所要時間 14時間45分
37500歩

「剱岳早月尾根」のお話はおしまい。
そして「信越トレイル編」へ続きます。
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日本百名山完登『剱岳』その3

2018年08月27日 | Weblog
目覚まし時計が鳴りました。
あっという間に鳴りました。

とりあえず食べておかないと力が出ないと思ったので、買っておいたおにぎりとサンドイッチを胃の中に無理やり入れます。

朝食は美味しいと感じることはほとんどありません。
心の問題かな?

さて、ここ馬場島は剱岳に至る長大な早月尾根への入り口です。
その標高差は単純に計算しただけでも2240mで、さらにずっと急登が続くのです。

とにかく体験してみなければ分からないレベルです。

軽量化するために、食事はすべてパン。調理器具などは一切持たずに入山します。

ただ、この早月尾根は水場が無いです。
ひとまず早月小屋で仕入れられますが、ペットボトル1本500円です。
ある程度の水量を担ぐことになりますね。

午前4時少し前にヘッドライトを点灯させて登山口に向かいます。

はじめは穏やかな道なのかな?と思っていたら、いきなりの急登でした。

歩き始めると、なんだか身体の芯がふらふらします。
まずいな… 睡眠導入剤が残ってるっぽい。

今さらなので、やり切るつもりですがペースはまったく上がらずで、後ろから鈴を鳴らしてついてくる方が気になります。

僕的には序盤のペースはこんなものかなという感じでしたが、まったくそれと同じペースでした。
やがて追いつかれ、お互いに挨拶し軽く会話します。

最初の休憩としては早めの1時間登ったところで腰を降ろします。

僕を追い抜いて行ったのは30代女性でした。
『私、ゆっくりなのでお先に行きますね』
彼女も日帰りするのだそうだ。
ペースとしては良い感じじゃないですかね。僕よりも粘り強い登りでとても強そうな足腰してました。

置いて行かれ、ちょっとホッとしているところです。
なんせ全然ペースがあがりません。
お恥ずかしいかぎりです。

何度も何度も休憩します。
その間何人にも抜かれていきました。

感じることは、ここは健脚自慢の強者が来るところなのだということでした。

ぐったりとした頃、やっと早月小屋に到着しました。
時刻は午前8時です。

早月尾根の往復コースタイムは15時間。
普通は4時に出たら19時です。それも休憩時間はコースタイムには入っていません。

はたして、僕にできるか…。


その4へ続きます。
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日本百名山完登『剱岳』その2

2018年08月26日 | Weblog
信越トレイルの準備をしました。

出発前々夜、あとは水を入れるだけの状態になっています。

去年の秋に計画しテントサイトの料金を振り込んでいたにもかかわらず、天気が悪く中止しました。

だって天気が悪い山に分かっていて行くことのツラさって言ったらねぇ。
その年はそのワンチャンスだけでした。信越トレイル事務局に電話すると来年まで費用を持ち越せると言ってくれました。
ただし、持ち越し出来るのは翌年までということです。

仕事に行きました。
夕方天気予報をチェックしますと…
あれ?剱岳の天気予報がかわっているぞ。

剱岳だって2年間待ったのですから。
もし剱が晴れのタイミングに僕の休みが合うのだとすれば、ここは剱に登りたいと考えるようになりました。

出発前夜に荷物を崩し、剱岳用のパッキングに変更しました。

出発当日。
なんせ車での移動距離が500㎞に迫る勢いなので、いつもののんびり君ではいられません。
目標20時出発。

仕事に行きました。
比較的早めに仕事が終わってくれました。
一度家に帰ります。風呂、飯を済ませて荷物を詰め込みます。
スタートは20時ちょい過ぎですが、まずまずです。

剱岳用のパッキングは軽量化し、日帰り装備としました。
なぜならば、僕は富山側からの『早月尾根』で100座目を決めたかったから…。

『早月尾根』は北アルプス三大急登と言われていて、その厳しさはまさに『試練と憧れ』です。

今までも数々の試練に耐え、ぐったりとしながらもこの脚で踏みつけてきたその道のりが思い出されます。

またそれをやるのかと思うと寒気がします。

もし、自分にはもう無理だと感じたら素直に早月小屋に身を寄せるつもりで行こうと思いました。

少しでも睡眠時間を長くとるために、いつもよりもスピードを上げて高速道路を走ります。
いつもならトラックと一緒に80キロで走るのんびり君なのにね。

午前1時30分、馬場島登山口(標高760m)に到着しました。
星空が半端ないです。
速やかに床を作り睡眠に入ります。

そんなにすぐに寝られるものではないので、睡眠導入剤を服用しました。
これが後々仇になるとは…。

起床は3時15分、出発は4時前としたいため迷いながらも深い睡眠を手に入れたかったのです。
導入剤は残ると最悪で、しばらく調子が出ないですから。

星が激しく降り注ぐ中、いつもとはちょっと違う緊張感を持って眠りにいざなわれていきました。


その3へ続きます。
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日本百名山完登『剱岳』その1

2018年08月25日 | Weblog
創業以来30年経った…、僕も古くなったもんだ… そんなことを想いながら、この連休をどう過ごそうか考えていました。

年に一度の大型連休、それも今年はリフレッシュ休暇として一日多くお休みをいただくことにしているのです。

だいぶ前から「どうせなら5日間かけないと行けない山を歩きたい」と思い、仮想旅行していました。

車で行って周回するのか、電車やバスで行って登山口と下山口を別な場所にするのか。
効率良く多くの山に登るにはどうすると良いのか。
夜中に車で移動して距離を縮めてから電車に乗るという、ハイブリッドな作戦にしたらどうだろう…。
などなど、想いは膨らむばかりです。

今までも計画を練ってはいても天気が悪くなって、はい残念ってことは何度もありました。
去年なんか4連休すべて全滅でしたもん。

『なーんかなぁー、今年もそうなっちゃったりしてなー』

そんななか、家族旅行の話も持ち上がってきました。

『長女が卒業したら家族全員で動けることはもう無いかもしれないね』の言葉に、それもそうだとかぶりを振る自分もそこにいました。

深く考えず、自分にとっても家族にとっても一番満足度が高い休みの使い方にしたいと思いました。

ところが、家族全員の予定が合わずその可能性が低くなったため『パパ自由に出かけていいよ』と女房に言われました。

ならばお言葉に甘えて自分は山に向かわせていただきます。

長期縦走が理想的だけど、雨の日が絡むなら単発の組み合わせであちらこちらに行ってもいいしなー。

だんだん連休に近づいてくると、天気予報も精度が上がってきます。
そして台風発生の多さも気になってきました。

『やっぱりな…今年も結局こんなもんか』
この時期は季節の変わり目で、天気の変動も激しくなりますね。

でもわがまま言っちゃいけません。
自然相手に文句つけても仕方ないです。
自分が上手に合わせるだけです。

そして幾つかの計画の中で、現実味を帯びてきたのが、自分にとって地道にコツコツと登ってきた日本百名山100座目となる『剱岳』と、マイブームであるロングトレイル(長期長距離縦走)の代表的な『信越トレイル』に照準を合わせました。

特に剱岳は絶対にお天気を外したくない気持ちから、登頂をだいぶ待ってきたのです。
なんてったって99座目(五竜岳でした)に登ったのがちょうど2年前になりましたから。

周りの皆さんには「この残ってる感じがいいんですよね~」なんて言っていました。

無理やり行って最悪な結末だった場合を考えると、僕にはそれは全く価値の無いことです。
出来れば高い確率で青い空のもと『日本百名山 完登 剱岳』を掲げて写真を撮りたいな。

まあ、ここまで待ったのですから慌てる気持も無いですね。
ダメなら次の機会を狙うだけです。

そして休みに入る前々日、どうやら信越トレイルの方が良さそうだという判断になりました。

今年は台風発生の数と周期が早いペースでやって来る。
思わぬところで災害に巻き込まれたり、ちょっとぐらい根性で乗り越えるなんて甘い気持ちは捨てた方が良いと思います。

さんざんニュースでもやっていますし、そこのところは甘く見ないことにしています。

『まっさかなー、こんなことになるとはなー、夢にも思わねがったよー』と、インタビューで答えているおじさんを僕らは何度もテレビで見てきてますけど、やっぱり他人事に感じていたりして。

避けきれないこともあるけど、避けられることはあるはず。

剱岳はまた秋にでもしますか。
それもいいなー。
『二兎を追う者は一兎をも得ず』とも言いますしね。
信越トレイルだけだって十分満足度高いですから。

とにかく準備だけはしておいて、どちらか一つはクリアするという気持ちでいることにします。


その2へ続きます。
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夏休みいただいています

2018年08月23日 | Weblog
ブログの更新が滞っております。

当店、お知らせしていましたとおり、夏休みをいただいております。

山篭もりしていて、やっと下界に戻って来たところです。

今年は、開店30周年のリフレッシュ休暇で、24日金曜日までお休みです。

帰りましたら、ブログの更新頑張りますね。
今回はながーい記事になりそうです(^^)
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謎の公務員と行く関東ふれあいの道千葉県コース15.16.17 その6

2018年08月06日 | Weblog
メキシコ記念公園を過ぎるとやがて山道は終わりました。

目の前に砂浜が広がっていきます。

網代湾です。
通称御宿。

謎の公務員のチリチリ度メーターがレッドゾーンへ向けて回転数を上げていきます。

まず岩和田海岸に出ます。
ここは昔、山田がまだ16才の時に初めて波乗りに連れて行ってあげた海です。
当時の彼は、足が着かないことに驚いてサッサとあがってしまいました。
あとで僕に叱られて泣きそうになっていたことが思い出されます。
今ではすっかり波乗り玄人ですけどね。

さらにすすむと御宿の海水浴場が見えてきます。
時刻は16時をちょっと回ったところで、若者はそれなりに退散した感じでした。

謎の公務員のチリチリメーターがスーッと下がり始めています。

月の砂漠像が見えて来ました。

ここを過ぎるといよいよ御宿駅が近くなります。

海岸を離れ、街中へ入ります。
もう謎の公務員のチリチリメーターは完全に真下を向きました。

駅前にコンビニがないかわりに ドラッグストアがありました。
ゴールしたらまずビール飲みたいですよね。

僕『ドラッグストアってビール売ってるの?』
謎『ありますよ』
僕『じゃ買っておかなくちゃ』
謎『え?飲んでいいの?』
僕『え?だめなの?』
僕『特急列車でビール飲みながら移動するのは普通じゃないの?』
謎『奥さんはそうしてるんですか?』
僕『当たり前じゃないですかー』

16時40分無事御宿駅にビールをぶら下げてゴールしました。
ということで、とりあえず500mlのビールを買って御宿駅の待合室でプシュ。
『ぷわーっ、たまんねー』

僕『あれ、電車の中で飲む分は?』
謎『いいの?いいの?』
僕『何がダメなの?』
謎『じゃ買って来るー』
僕『ダッシュね』

あっと言う間にビール4本ぶら下げて、つまみも買って戻ってきました。
ニコニコしてます。

ホームに出て電車を待ちます。
人がたくさん待っているホームに次の電車が来るんだろうなと思っていましたが、間違ってはいけないので駅員さんに確認します。
あぶねぇ~、となりのホームでした。

定刻通り電車が吸い込まれて来ました。
えっ?特急ってこれ? というぐらい普通のかたちの電車でした。

車内に入ると、それなりのシートが並んでいました。

『ささ、飲んじゃいましょうか』
謎の公務員ものすごい勢いで飲んでます。
つまみもバリバリ食べてます。
車の中の時と同じ感覚です。
声も大きいです。

あっと言う間にビール4本を飲んでしまいました。

東京に着くと乗り換えです。
けっこうな距離を移動します。
上野東京ラインのホームに行くまでにはアルコールを扱っている店がなく、お弁当やおみやげ屋さんばかりです。

さらにさまよってついに見つけた売店でまたまたビールを買いました。
本当は日本酒が良かったようですが、何も無いよりはいいと言ってビール2本買ってました。

ホームにあがるとけっこう混んでます。
グリーン席に座れるかなぁ…。

おっと、ホームに売店発見。
謎の公務員、ためらわずつまみを買いに入ります。

出てきたときには日本酒もぶら下げていました。
あったんですね?
これで満足ですね。

無事並んでグリーン席を確保した僕ら。
結局、下車駅まで良い気分と滑らかなおしゃべりは続きました。

おしまい。


歩行距離 30.8km
所要時間 8時間24分
47400歩
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謎の公務員と行く関東ふれあいの道千葉県コース15.16.17 その5

2018年08月05日 | Weblog
『日西墨交通発祥記念碑メキシコ記念公園』にたどり着きました。

日西墨三国交通発祥記念之碑(にっせいぼくさんごくこうつうはっしょうきねんのひ)は、オベリスク型の記念碑でした。鉄筋コンクリート製で高さ17メートルあるということです。

さて、なんの記念碑なのかな?

調べてみると衝撃の事実が…。

1609年(慶長14年)9月30日の朝、岩和田海岸で当時フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ総督を乗せたイスパニア(スペイン)船・サンフランシスコ号が沈没し、これを岩和田の人達は力を合わせて救助しました。
当時の岩和田の人口は300人程で、助かった人は300人以上、部落の生活は貧乏でしたが、心のやさしい人々は自分のことよりも他人の難儀を救うために、大切な着物や食べ物を分け与えました。

このことがあってから、日本とメキシコとスペインと三国の交通が始まったのです。
このことを記念して、御宿町の東、岩和田の山の上に白く輝く記念塔が1928年(昭和3年)に建ったということです。

サンフランシスコ号の乗員総数373人
生存者317人・死体収容数・行方不明56人。

オベリスクの先には抱擁の像がありました。(画像)

以下、御宿町のホームページから引用した文献です。
これぞ侍魂、日本人の誇りです。

『台風の過ぎ去った後の海は荒れて、海岸には海草や木片など色々なものが漂着していました。部落の人達は朝早くから海辺を捜し歩いて役に立つものを拾うのが慣わしでした。
これからの話は1609年9月30日のことです。村の漁師二人が田尻(現在の岩和田)近く夜明けの山路を歩いていると異様な姿の二人連れがフラフラ歩いて稲穂をむしって食べたりしていました。草むらの陰からよく確かめると、背高の鼻の高い異国民らしいので、びっくりして急いで部落へ引き返し、みんなに知らせました。
みんなを集めて相談し、事情を確かめるため元気な若者6人を選んで様子を見に行かせました。
田尻浜には裸同然の者や破れた着物を着ている者がごろごろしていました。その中に日本人らしい若者を従えて、汚れてはいるが立派な顔をした大将らしい人が「昨日から何も食わずにみんな苦しんでいる」と、日本人通訳と共に遭難の苦しみを語り、助けてくれと身振り手振りで頼むのでした。6人の若者達には同情はしても、どうして良いか分からないので2人を部落へ報告に行かせ4人が残って救助を手伝うことにしました。
間もなく、大勢の部落の人がやってきて散乱する器物を集めたり、苦しんでる人を介抱したりして部落へ連れ帰り、どうするかをみんなで相談の結果、大宮寺へ収容しましたが、この悲惨な様子を見た婦人たちは、夫の許しを得て綿入れの着物を与えたり、乏しい食物の中から米・ナス・ダイコン・魚などを分けてやりました。
数日後大多喜城の殿様本多忠朝は家来300人余りを率いてやって来ました。忠朝はドン・ロドリゴに挨拶し、ロドリゴの手に接吻して友愛の情を示しました。そして、家康の指示があるまで3百余人の食糧一切を供給することを約束したのです。
一行は引き続き37日の間、岩和田で過ごした後、途中大多喜城主本多忠朝にお礼を述べ一泊してから、江戸へ出発しました。』

なるほど…。

この景色からは想像出来ない事実ですが、目を閉じると灼熱の太陽から放たれる光の矢が僕の心を貫いていく気がしました。


その6へ続きます。
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謎の公務員と行く関東ふれあいの道千葉県コース15.16.17 その4

2018年08月04日 | Weblog
大原駅から浪花駅へひと駅移動します。
ここから御宿駅までがコース17となります。

駅の近くにはだいたいコンビニがあります。
浪花駅は無人駅だったので、コンビニらしきものは見当たりませんでした。
でも国道128号が近くを走っているので、ちょっとそれればコンビニあります。

いちど体制を整え直し、トイレと食事をします。
店内に狭いながらフードスペースがありました。ここで謎の公務員はノンアルコールビールと大好きなペペロンチーノの大盛パスタを食べていました。

僕はちょこちょこ食べる戦法なので、ここはビタミン入りのドリンクと小さい冷やし中華を食べました。

再スタートします。

ルートに戻り岩舟地蔵尊を目指します。
岩舟漁港の西側に突き出た岩場が地蔵堂の境内となります。

日本三岩舟地蔵(下野岩舟、越後岩舟、上総岩舟)らしく、ここからの眺めは素晴らしいです。
しばらくここで景色を堪能したあと釣師海岸(つるしかいがん)へ向かいました。

釣師海岸一帯は高さ60mほどの垂直に切り立つ断崖です。

山道になりいくつものアップダウンとトンネルを越えていきました。
トンネル内を抜ける風がとても気持ち良く、ヒューヒュー言って通り過ぎていきました。(画像)

山道はけっこう長く、思ったよりも時間がかかり、予定の電車には乗れそうもありませんでした。
そのあとは1時間後になります。
かえってちょうど良いかな、なんて話していました。

帰りの電車は東京までの直通で、特急の指定席をとってビール飲みながら、さらに常磐線上野東京ラインに乗り換えてこれまたグリーン席に座ってまたビール飲みながら帰ればいいっていう楽しみも控えています。

僕はそこで靴脱いで居眠りしてやろうと考えています。

ルートは『日西墨交通発祥記念碑メキシコ記念公園』に向かっています。

なんの記念公園なのかな?

けっこう登って行きます。

そこにあったものは…。


その5へ続きます。
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謎の公務員と行く関東ふれあいの道千葉県コース15.16.17 その3

2018年08月03日 | Weblog
夷隅川はサーフスポットとしても有名です。
川から流れ込む水と海から押し寄せるうねりがぶつかると、分厚い壁のような波が出来上がります。

ひとたびそのリバーマウスが吠えると、危険すぎるエキスパートエリアとなります。
当然潮の流れもキッツいですしね。

夷隅川沿いに海に出て『九十九里一宮大原自転車道』に入ります。

防砂堤にはばまれた鬱蒼とした道を行きます。

途中から海岸に出られるところがありました。
謎の公務員は海岸の濡れた黒砂の上を歩き、僕は護岸堤の上を進みます。

だいぶ海岸を進むと大原の海水浴場が見えて来ました。

謎の公務員、今回のこのコースをすごく楽しみにしていまして『チリチリしたい』と言っていました。

チリチリしたいってなんだ。

つまり水着の〇〇を見てチリチリしたいということらしいです。

ところが、チリチリするほど人はおらず、残念がっていました。

仕方ないでしょ、平日ですしね。

『昔はさぁ、若者がさぁ、こうなんつうかさぁ、もっとあちちちちってね』
そういえばサーファーもみんなオヤジばかりです。
若者は車もってない免許持ってないで、波乗りしに来るって選択肢が無いのかもしれませんね。

真夏のビーチをザック背負ってミスマッチ感極まりない侍がトレッキングポールをガシガシ突きながら歩いて行く様は異様です。(画像)

やがてチリチリしない海岸を抜けて街中へ入ります。

大原駅の表示が出て、一旦ここでルートは途切れます。

ここから「浪花駅」にひと駅移動します。


その4へ続きます。
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謎の公務員と行く関東ふれあいの道千葉県コース 15.16.17 その2

2018年08月02日 | Weblog
電話番号はどこだ。
乗るべきか乗らざるべきか…。

その時!
謎の公務員から電話がかかって来ました。

『ホームにいます。2号車のところ』
『分かりました、こちら7号車あたり』
『とりあえず乗っちゃいましょう』

と言いながら僕は前の方へ、謎の公務員も後ろへ来てくれて、途中で合流できました。

ほっとしました。
謎の公務員、さすが機転が利きます。

千葉行きは案の定混んでいて、もちろん座れませんでした。

始めは座れませんでしたが、津田沼でけっこうな人が降りて、席が別ながらなんとか座れました。

一人ならサッと行くところですが、そうもいかないのが複数でのお出かけですね。

外房線に乗り換えます。
千葉から外房線に乗りますが、同級生から『外房線って1時間に1本だからかな、けっこう混むんだよね』と言われていました。
およそ50分乗るので何とか座りたい。

謎の公務員、トイレに行きたかったようですが、外房線には一部を除いてトイレ付き車両があるようです。

ところが、そうやすやすと移動できる状態ではなく、謎の公務員は面倒くさくなって我慢してしまったようです。

さらに茂原で学生たちが降りると一気に静かになりました。

やがて東浪見駅に到着しました。

トイレを済ませ、8時15分にスタートしました。

コンビニらしきものはなく、ルートを外れて遠くに見えるコンビニの看板に向かって歩き始めました。

のっけからだいぶ時間を使ってしまいました。
ま、そのつもりで計画を立てたので問題ないと思いますが。

いよいよはっきりと海が見えて来ました。
ベタつくような湿気と汐の香り。
太東漁港へ出ました。

その先に海辺に出られるところがありました。(画像)
ここにある休憩所がチェックポイントとなっていました。

さらに進むと太東崎灯台があります。
一旦ルートはここを登らせます。
看板が立っており「恋のビーナス岬」と書いてありました。

謎の公務員が言いました。
『うちのかみさん誘ったとしたら、勝手に行ってきてって言われてお終いだな』
苦笑い。

少し小さめの灯台とともに、展望できる小広場がありました。
『あー、あー、いいね、ほらいいね』謎の公務員はスマホで写真撮ってます。
奥さんに送るのかな?

北側はゴツゴツの岩地形が、南側は海沿いの街が見えます。

台風のうねりが残っているようで、穏やかさはありませんでした。
波乗りしてた頃が懐かしく、どうしても乗れる波かどうか見てしまいました。
乗りやすい小さい波だったら、またやってみたいなと思う瞬間でした。

灯台から降りていく木陰の坂道でカニに逢いました。
さすが海辺の山道。

海沿いから離れるとすぐに山道になります。
トンネルをくぐったりしながら夷隅川に出ました。

この橋を渡ってコース15は終わります。


その3へ続きます。
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