本日で我らの山田が勤続30年を達成致しました。
雨にも負けず風(風邪?)にも負けず、毎日毎日せっせと働く姿は真面目そのものです。
30年間休んだのは自分の結婚式と親友の結婚式の2回だけです。
まあ、お客さんいない時に子供の運動会は行ったりしましたが、定休日だけで有給休暇もなく年間たったの80日余りの休みでよく頑張りました。
今から40年ほど昔、山田は僕が勤める美容室にお客さんとして来ました。
その時髪を担当したのが僕でした。
彼は下から覗き込むようにじっと僕を睨みつけて来るじゃありませんか。
その威圧感に僕は思わず『き、き、キミってお洒落だね』と言ったのを覚えています。
そしてその冬休みから山田は僕の勤める美容室にアルバイトに来るようになりました。
一から覚える美容技術は彼が思うほど甘くなく、特に僕は激しく叱り、炎のような情熱で彼を指導しました。
その時僕は21才になる年でした。
東京都内の美容室で受けた修行をそのまま山田に伝授しました。
今で言えばパワハラと傷害で訴えられても仕方がないレベルでした。
でもその当時はそれが当たり前だと思っていましたし、僕もそうされてきましたから。
パーマかけるお客さんのヘルプ(ロッド渡したりゴム出したりする)の時に『ロッドは1本だけ出しなさい。自分だったらどのロッドで巻くか考えながら出せ』と言っていました。
間違うと見えないところで蹴りが飛びました。
『19番』という暗号がありました。
19=119番、救急車をイメージさせる暗号です。
『裏に行って靴を脱いで正座して待て』という指令番号です。
つまり『山田くん19番お願いしますー』と爽やかに言われると『はいー!』と元気よく答えて裏に行きます。
そのあとは地響きがするほどのゲンコツの音がしてきます。
ある日僕はその店を退店することになりました。
山田をおいていくのは心残りでしたが、もしかしたら彼はホッとしたかもしれません。
辞めることすら叶わない毎日にどれだけの戦慄とプレッシャーを感じていたでしょうね。
アシスタントからの昇格を願って練習を続けていた山田は、当時の店長の『みんな仕事を覚えると辞めていっちゃうから(だから上の仕事はさせない)』という一言に絶望しその店を退店。
他店に就職することにした山田は独学でカットを覚え、技術者として潜り込んだのです。
もちろん当初は荒削りの根拠の無い理論で仕事をしていました。
そして、部下であるアシスタントたちに僕と同じ教え方をしてしまい全員辞めていくという悲劇(喜劇?)が。
その頃僕は数店を経て独立することになりました。
「アトリエティンカーベル」という夢のあるネーミングは『ティンカーベル(ディズニーキャラクターの魔法を使える小さな妖精)が君の髪に魔法をかけるところだよ』という意味でした。
若いスタッフで盛り上げていきたいと思っていました。
その時僕は25才。
まだまだ勢いだけのヤングマンでした。
スタッフに悩みを抱えていた僕は思い切って山田に声をかけてみました。
『あのさ、俺の店でもう一度一緒にやらないか?』
いや、ダメに決まってる。
僕は彼に何発ゲンコツしたかわからない。
そんな思いをさせた奴のところなんてもうこりごりに決まってるさ。
ところが山田はあっさりと・・・
『いいですよ。こんど飲みましょう』
と言ってきました。
ま、マジか!
彼のような地獄を見てきた美容師が今のティンカーベルには必要なんだ。そしていつか男だけの美容師集団を作ってガンガンやるんだ。きっと燃えるだろう、きっとやり甲斐を感じるだろう。
そう思いました。
山田が当時の我が家にやってきました。
僕が去ったあとの彼が辿った道を聞きました。
そして山田が言いました。
『とりあえず一杯どうぞ』
ま、待てよ。
俺は飲めないんだ。
し、しかし、きっとこれは俺を試しているんだ。
このビア樽1本空けたら話を聞いてやるよと言われているような気がしました。
まさに静かな仕返しだ。そうなんだ、きっと。
よし。
飲んでやる。全部飲んでやる。
俺だって意地があるし、今キミを迎え入れなければティンカーベルはさらに絶望へ向かってしまうことになる。
フラフラになって、真っ赤になって、まっさおになって僕はビア樽1本を空けました。
よし、これでどうだ。
勢いをつけて言いました。
『どうだい、給料は弾む。来てくれないか』
『よろしくお願いします』
おおおおおおお!
良かった。これで首の皮一枚つながった。
ここから店を僕の理想に近づけて行くぞ。
あとで聞くと『飲めないなんて知らなかった。俺も飲めないからその辛さわかるから無理やり飲ませるなんてしないよぉ』と言ってました。
自分の人生で一番ビールを飲んだ日はこうしていい思い出となりました。
山田には技術チェックをし、技術者としてティンカーベルで通用するか見せてもらいました。
かなり荒い仕上がりでした。
もう一度大事な部分を指導するというか提案して少しずつヘアスタイルの作り方の本質を理解させていきました。
もちろんもう技術者ですので殴ったり蹴ったりはしません。
今度はやって見せて真似をさせる、お客様との会話の中でヒントを出していく、裏技を編み出して共有していく、どんどんいいヘアスタイルを創って見せていく、そういう環境の中に彼を置くことによって必然的にスペシャルでなくてはいられなくなるようにしました。
接客においても何度も在り方を話し『喜ばれる仕事をまず誇りにしよう』『与えて欲しければまず与えなければならない』『どうせやるなら喜んでやろう』などを実践して見せてそれ自体を楽しみにする。
そうすると仕事そのものが遊びに行く事のように楽しくなるのです。
やがて最後のアシスタントが辞め、僕は山田にこう告げました。
『もうお手伝いさんを養う気はない。これからは便所掃除もゴミ出しも自分たちでやるけどいいかい?』
『もちろんです』と山田は言いました。
それから20年以上が経過し、ティンカーベルは可愛い妖精の美髪工房から妖怪中年オヤジ2人組の髪切処へと変化していきました。
もちろんこれからも妖怪老人ホームになろうとも、常に『あの爺さんたち、けっこう上手いよ』と言われる存在でありたいと、いやそういう存在でいるに決まっているのだ。
まだまだこの先僕は『100までやって人間国宝になる』と言い続けていきます。
僕がダメなら山田が叶えてくれるでしょう。
『山田君今までありがとう。そしてこれからも飛ばして行くでー!』