TINKERBELL BLOG

茨城県取手市「美容室アトリエティンカーベル」ティンカーベルのスタッフを身近に感じていただければ嬉しいです

アサギマダラの渡り

2021年10月27日 | Weblog
以前、アサギマダラを想って庭にフジバカマを植えたというご婦人の話をしましたが、そのお話と同じような想いを抱いた方がまた新聞に投稿されました。

お客様のY様がその切り抜きを持ってきてくれたのです。

それではまたそのアサギマダラの記事を僕の言葉でご紹介しましょう。

【30年前の9月、富士の裾野をハイキング中、前方から飛んできた無数の宣伝ビラのようなヒラヒラ舞うもの。
近づいてみると何千頭という蝶の群れだった。
30分ほど立ちすくんで見ていた。
それがアサギマダラの渡りだと知ったのは後日になってのことだった。それ以来フジバカマの群生地に良く足を運んだが、渡りに出逢う事は無かった。
もしやと思い、庭にフジバカマを植えてみた。
数年後たった一頭のアサギマダラがやってきた。
あまり出歩けなくなった今、アサギマダラの渡りは私にとって幻となった。】

というお話でした。

これほどまでに心を奪われるアサギマダラという蝶の群れ。
僕もアサギマダラの渡りはまだ見たことがない···。
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富士外輪山「御坂山塊縦走」その3

2021年10月25日 | Weblog
黒岳山頂をねぐらにすることにした僕ら。
気温はどんどん落ちていきます。

風も少しづつ弱まり、ビバークの支度を整えたのち食事にしました。

2人ともカレーですが、E君はレトルトハンバーグを湯煎してトッピングしていました。
なかなか上達してきましたね。

湯煎したお湯は捨てずにスープやコーヒーに利用しました。
多少ゴミが入っていても、ほこりやビニールの匂いがしてもなんら健康に問題はないと思っています。
沸騰させていますからね。

野生人には当たり前のことです。


夜の山は不気味といえばそうなのかもしれませんが、これも慣れです。
ここには熊の目撃情報もあるし、鹿やイノシシもうごめいています。
そういえばカモシカにも会いました。

いつもならスマホに記録を入力したりして夜を過ごしますが、今夜はなんだか面倒になってさっさと寝てしまいました。

早く寝たので何度か目覚めましたが、2度寝3度寝して午前3時半に身体を起こしました。

E君は寒くて眠れなかったと言っていましたが、ねぐらに籠ってからすぐにいびきをかいていましたが、たぶん眠りが浅かったのでしょう。


翌朝、富士山が一望できる場所が少し先にあるということなので、食事を済ませたらそこに行って朝日を拝もうと決めていました。

E君はフリーズドライのパスタとパンでした。
僕はなめこ汁とふりかけご飯に海苔です。

寒いので暖かいコーヒーで甘いおやつも食べました。
コーヒーは加速度的にぬるくなっていきました。


赤富士にはなりませんでしたが、肉眼ではその移り変わりを楽しむことが出来ました。


進んできた稜線です。
今朝はここが赤くなってくれました。

紅葉はいまいちで、葉っぱは変色しながら焦げたようになっています。
まあこの山にはもともと紅葉する木は少ないので、期待はしていませんでしたが。


6時30分に2日目のスタートをきりました。
出だしはダウンの上にカッパを重ねました。
登山道には霜柱が。

当初ねぐらに予定していた御坂茶屋跡はまずまずの敵地でしたが、結果黒岳の山頂の方で良かったとE君も僕も言い合いました。


御坂山を越え、御坂峠に下ります。
さらに八丁峠を経て八丁山に来ると清八山(せいはちやま)はもう少しです。


「清八山」は秀麗富嶽十二景のひとつです。
秀麗富嶽十二景は大月市が選定した、富士山が美しく見える山頂のことで十二景それぞれの山頂に番号がふられています。
十二景は十二単(じゅうにひとえ)のイメージから来たものらしく、実際の山頂は20。
つまり同じ番号の山頂が2つあるところが8ヶ所もあります。


さらにその奥にある「本社ヶ丸(ほんじやがまる)」も秀麗富嶽十二景のひとつです。

清八山と本社ヶ丸には数人の登山者がいました。

僕らは清八山でしばし休憩し、E君はカロリーメイト、僕はマカロニサラダをコーヒーとともに補給しました。

そしてそして、本社ヶ丸でも『食べたらない』とE君がまたもや「ばくだんおにぎり悪魔の具入り」を食べ始めたので僕もチキンライス入りチキンラーメンを半分だけ胃の中にしまい込みました。

清八山に来た2人が本社ヶ丸に登って行きました。
激しい息づかいで追ってくるので先に行ってもらいました。
なかなかの岩場で身軽ではない僕らは(特に僕は)ふらつかないように確実に登りました。

年配の方がもうひと方に下山ルートを聞いています。
僕らは口出しせず黙って聞いていましたが、もうひと方が2つ言ったルートが「崖のようで違うようだ」と戻ってきました。

そして山頂から激しい傾斜のルートを見つけて降りていきました。

あとで聞いていた話と照らし合わせると、降りて行った方向は帰るべき方向とは逆で、地図にはない道でした。
大丈夫かなぁ··· とあとからE君と心配していました。


来た道を戻り、「大幡八丁峠」経由で下山体制に入りました。
やがて荒れた林道に出て、さらに下ると三ツ峠登山口の駐車場に出ました。

そこにはバス停とトイレがあり、ツアーの登山客がたくさんいました。
チャーターしたバスでおしかけたようです。
まるで子供の遠足のようにはしゃいでいました。

ほとんどの人がマスクをしていませんでした。
せめてバスのなかではマスクしてね。

さらに少し下るとデポした車に到着しました。
あ〜 疲れました。


歩行距離 28.3km
累計登坂標高差 +2,963m
所要時間 20時間
99,800歩
(2日間合計)

おしまい。

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富士外輪山「御坂山塊縦走」その2

2021年10月23日 | Weblog
次に目指す頂は「金山(かなやま)と節刀ケ岳(せっとうがたけ)」です。

風が強いので山頂手前の適地で昼食にしました。

E君は「具が3種のばくだんおにぎり2個とあさりの味噌汁」でした。
一方僕はお湯でもどす「ペペロンチーノとおしるこ」です。

ぼどなくして金山の山頂に到着です。

この時点で早くも11時30分となりました。
もはやコースタイムなんて分からないというか、どうでもよくなっています。

ここでも食事は可能でした。
風もさほどでもないし、腰掛けるところがたくさんありました。
地図をよく見たら「草の小広場」と書いてありました。
ま、そんなもんですよね。目も悪くなりました。


節刀ケ岳山頂です。
視界が開けて気持ち良いところでした。
メモ帳を開いてみると「ナイスビュー」と書いてありました。
この顔が物語っていますね。

さあ、ようやく稜線伝いのトリップとなっていきますよ。

緩やかに高度を下げていきます。


金堀山は視界はいまいちですが、ここの手前のガレ場上部は眺望がありました。


「大石峠」
河口湖側からと芦川町からの登山ルートの交差点です。

草地で、しゃがみ込むのに最適でした。
もちろん休憩します。


ちょっと登って「不逢山(あわずやま)」を越えます。
山頂標識の「逢」の字の点がひとつ少ないのですが、こんな字もありましたっけ?


さらに登って「中藤山(なかっとうさん)」です。少しづつ富士山の角度が変わっていきます。


「新道峠(しんどうとうげ)」には「FUJIYAMAツインテラス」があります。

どうやらけっこう新しいらしく、車でも上がって来れる場所です。
カメラを置ける撮影台もあり、気持ち良いところでした。


撮ってみました。
「山」と「谷」のポーズです。

疲労感半端ない頃です。
そろそろねぐらを意識して歩いていきます。


「破風山(はふさん)」
破風山と書く山は全国にいくつかありますが「はっぷさん」とか「はふうさん」とか場所によって読ませ方が違います。


ようやく「すずらん峠」です。

ここから10分下ったところに水場があります。
E君がザックをデポして水を汲みに行きました。

ところが、水はほぼ枯れていて汲むことができませんでした。
前日が雨だったのでそこそこの水量を保っていると想像していましたが、現実は違いました。

こういう事もあるという事ですね。
僕が担いできた水の残量を考えると、なんとか2人分まかなえると思いました。

仕方なく先へ進むことにしました。


黒岳に到着。
陽はだいぶ傾き、今にも山に吸い込まれようとしています。

これ以上進むのをあきらめ、ここで夜を明かすことにしました。
幸い風も木々にさえぎられ幾分ましです。


今夜の月は夜を通して明るさを保っていました。
星降る夜にはなりませんでしたが、うっすらとあたりを見渡せるほどでした。


その3へ続きます。

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富士外輪山「御坂山塊縦走」その1

2021年10月21日 | Weblog
3日間お休みいただきまして、ありがとうございました。

いきなり寒くなってしまって、僕の計画もまた変更することになってしまいました。
高い山では雪となりました。

色々悩んだ結、果今回の山は富士山の外輪山御坂山塊を歩くことにしました。
というか、風も強くなりこのあたりが1番無難なところという判断です

お客様のE君に『10月の連休、合わせて休みとってありますからねー』と。
そういわれちゃぁねぇ〜。

とは言うものの、誘って貰えることで僕も頑張って登ろうと思う意欲を維持出来ています。
E君いつもありがとうございます。

前日は夜間に冷たい雨が降り、その中を移動して三ツ峠金ヶ窪沢駐車場に23時30分に到着しました。

翌朝ここに一台デポし、約25分移動して歩き始めることにしました。


今回のスタートは河口湖畔の最も西側にある毛無山登山口からとなります。
毛無山の登山口として利用させていただいたのは「富士河口湖町足和田出張所」さんの駐車場です。
ほかにもいくつか駐車場はありますが、山を背負ったかたちで以外に土地は狭いです。
おそらく無理な違法駐車を防ぐ意味でも公的駐車場を解放しているのだと思います。

風は予報通り強く寒いです。
そのかわり、空は晴天で富士山もくっきりはっきり見えていました。

1時間半ほどで毛無山山地に到着。
ずっと登り続けているE君の力強い登攀力に比べると僕の身体はすっかり怠け癖がついているようです。

ここで早くもコーヒーブレイク。

富士山は相変わらず良く見えています。
6合目以上では雪という感じでしょうか。


十二ヶ岳に取り付きます。
その名の通り12の小ピークを越えていきます。

それぞれに札が付けられていますが、見つけにくかったり、割れていたりします。


四ヶ岳では眺望が開けます。


この辺りから岩場が力強く立ち塞がってきます。
難易度は高くないですが、なんせ荷物が重いので難儀します。
だいぶ削ったつもりですが水場に不安があったため、2日分担ぐことにしました。

総重量は18キロを超えてしまいました。


十二ヶ岳山頂手前のコルで小休止し、難所に取りかかります。

吊り橋は出だしが恐ろしい角度で、脇のワイヤーに足を置かなければなりません。
そして『1人ずつ渡れ』となっています。

当然の事ながら鎖やロープも1人ずつ握っていきます。
小石も落ちることがあるので、後続は安全を確保し上を凝視しておくことが大切です。


吊り橋の高度感は結構ありますが、難易度は高くありません。
ゆっくり渡れば大丈夫です。

ただし揺れます。


いくつもの鎖場とロープに飽きてきた頃です。


ようやく十二ヶ岳山頂です。
顔で笑って背中(荷物)で泣いてってところでしょうか。


河口湖が光っていました。
だいぶ登ったつもりですが、まだまだ序盤戦です。

なんだか先が思いやられるなぁ。


金山へ向かいます。

おい、まだあるのかい?
E君の背中を見ながら登ることが定番になってしまいました。
あんまり疲れてないみたいだし。


まだあります。
下手に軽い靴履いてこなくて良かったです。
足場が小さいギャップという場所はいくつもありました。

つま先もそうですが横の絞りにも形を保てる靴が良いですよ。


余裕で岩峰に腰掛けるE君。
写真撮れ、というポーズにしか見えませんね。

でも僕よりはるかに絵になっとる。
僕も撮ってもらいましたが、見せられる代物ではございませんでした。


今日一番目立っていた花。
「トリカブト」虫もつかない毒の持ち主は、怪しいくらい異彩を放っていました。


その2へ続きます。













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連休のお知らせと年末のご予約状況について

2021年10月17日 | Weblog
平素よりお引き立て下さいまして誠にありがとうございます。

10月17日、いきなり気温が下がりました。
標高の高いところでは雪だそうです。

雪ということは、山に行く自分としてはスタッドレスタイヤに交換しないと?

なーんてのんきなお話ではなくて、年末のご予約が例年になくハイペースで入って来ております。
すでにラスト営業日の12月30日、僕はあと1人しか··· それもカットのみしか空きがありません。

まだまだ空いている日もあるのですが、土日は早い段階でどんどん埋まってきています。

なぜこうなったのか···
おそらくコロナのせいです。

入店制限している訳ではないのですが、おひとりおひとりの消毒作業が手間取る中、なるべく待ち合いにお客様が座っている時間を減らすような予約、つまりスムーズに流れない予約は極力取らないようにしているせいだと思います。

そのかわり、丁寧な仕事ができる余裕というものも生まれています。

時間が足りなくなると焦ります。
焦ると仕事の出来栄えもあまり良くないと思います。
消毒作業も慌ててやる事になり、結果良くない方向に向かってしまいます。

どうか御理解下さい。

年末の予定なんてなかなか決められない、いつでも大丈夫、というお客様は空いている日をご案内させていただきます。

というような状況です。
よろしくお願い致します。

そして、ティンカーベルは毎年5月、8月、10月に連休をいただいております。
今年もその時期が参りました。

10月19日(火)~21日(木)の3日間お休みさせていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。

(見出し画像はうちの娘の作品です。いつも応援していただきまして本当にありがとうございます)
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第3回 みちのく潮風トレイル その4

2021年10月08日 | Weblog
長い距離を歩いたダメージは、かかとの大きなマメと古傷の内側側副靱帯の痛みでした。

とりあえず今日のデータを書きとめ、身の回りの片付けをします。
『温泉ないかなぁ』
調べてみるとコインパーキングから国道を挟んだ反対側にあるようです。

ひとまず10時間歩いた身体を清めよう···。

温泉は比較的空いていて、ちょっとホッとしました。
マスクをしたまま浴室内に入ろうとした自分に苦笑いしながら『どれだけマスク好きなんだよ』と呟きました。

久しぶりの温泉は気持ち良かったです。
なるべく露天風呂の方で過ごしました。

さて、今夜と明日の食料を買ってコインパーキングに戻ることにしました。

明日の予定を確認し、記録を文章にしてブログに保存します。
どんどん新しい情報が入ってくるのでこまめに記録しておかないと自分でもごちゃごちゃになってしまいます。

なんだかんだで22時過ぎに寝ることになりました。


まだ空が明るさを取り戻さない午前4時40分に起床しました。

今日の予定は中野栄駅からJR仙石線で本塩釜駅まで行き、そこからそれぞれの見どころを巡りながら中野栄駅に戻ってくるという13kmの行程です。

昨日と打って変わって短すぎる距離ですが、この先は「浦戸諸島」に入っていくので、ここは残念ながら次回に回したいと思っています。

本塩釜駅って凄く都会的でした。
海に近いのでもう少し大人しい町かと思いましたが、全然洒落ていました。

まず目に入ったのが「壱番館」というホールと図書館の建物でした。
ちょっと素敵なたたずまいです。

まだ時間が早いのか人も車も本当に少ないです。


まず出くわしたのが「御釜神社」でした。
これから日本百名城のひとつ「多賀城」を含め神社をいくつか回ります。


鹽竈神社(しおがまじんじゃ)です。
建立の時期は明らかではなく、平安時代初期の文献には鹽竈神社の名が記されていることから、それ以前のものだと言えそうです。

なんと日光東照宮の改修を手がけた職人が出向いたようで、造りが似ているのはそのせいらしいです。


まだ人がほとんど歩いていない時間でしたが、なんと歩道の路面には貝殻を混ぜ込んでありました。


陸奥総社宮(むつそうしゃのみや)です。
陸奥国にあった100の神社を合祀して建立されたと伝えられており、塩竈神社に参拝するにはまず総社宮に詣でることとされています。


なんの石かな? と思ったら「高低几号標(こうていきごうひょう)」といって、明治9~10年内務省地理局が測量の際に標高を示す印しといて設置されました。
ここでは標高50mを示しています。


ルートは多賀神社のある「加瀬沼公園」を回ります。
誰もおらず、静かなところでした。


その「多賀神社」です。


「多賀城政庁跡」を通ります。
およそ1300年前の奈良時代の役所跡です。
平安時代までの約300年間存続したと伝えられ、奈良の平城宮跡、福岡の大宰府跡とともに日本三大史跡に数えられています。

今日は歴史探訪の道となりました。
解説板を読みながらゆっくり歩きました。


多賀城碑のある場所は丘になっていました。
気持ちの良い場所でした。

台地を下っていくと急に市街地になります。
JR東北本線の踏切を渡ってしばらく行くと「多賀城市役所」があり、その先には「多賀城私立図書館」もありました。


図書館にはスターバックスが併設されていました。

こんどはJR仙石線多賀城駅をくぐります。
お土産でも買おうと思いましたが、まだ開店時間になっていません。

女房に『お土産何がいい?』と聞くと『酒と甘いもの』だそうです。
駅なら何かあるでしょうが、開店前では仕方がないので車に戻ってから買いに出ることにしました。

結局、多賀城市まで再び車で来て洋菓子店であれこれ買いました。
お会計は軽く5,000円を超えてしまいました。
見るものすべてが美味しそうに見えて、気がついたら買いすぎてました。


見どころとしてはここが今日の最後になります。
「末の松山」
松尾芭蕉の奥の細道でも取り上げられている、恋愛を象徴する歌枕発祥の地です。

9時15分中野栄駅に停めたマイカーに到着しました。

そういえば中野栄駅の始発でベンチに腰掛けて電車を待っていると、おばさんに挨拶されました。

おばさんは仕事らしく、ずいぶんと年上に見えました。
この電車に乗るにはかなり早起きするはずです。
仕事は大変だけど生きがいみたいな感じになっていると言っていました。
おばさんの笑顔がとても可愛らしかったです。

知らない人でも気軽に話せてしまう自分に苦笑いしています。

今回も地元の方が僕の来訪を快く歓迎してくれました。
山にはない魅力が旅するロングトレイルにはあるのかもしれませんね。


歩行距離 13km
歩行時間 3時間45分
累計標高差 +351m
21,000歩

2日間合計
累計歩行距離 57.5km
累計歩行時間 14時間05分
累計標高差 +776m
累計歩数 88,500歩

おしまい。

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第3回 みちのく潮風トレイル その3

2021年10月07日 | Weblog
おじさんが目の前に立っています。
自転車道路から1段低いので、座った僕と目線がドンピシャで並行です。

でもおじさんニコニコしています。

ではその一部始終をお話しますね。

おじ『どーこから歩いてきたの?
僕『逢隈駅から来ました』

おじ『え? 逢隈って··· 福島の?
僕『あ、はい』

おじ『えええーっ』と言って頭を振りながら笑う。
僕『みちのく潮風歩いてるんですけど、まだまだ先が長いんですよぉ。八戸まで行くんです

おじ『は、八戸···』

おじ『いやね、前を歩いている人見えたからどこまで行くのかなーって思って話しかけたかったんだけどなかなか追いつかなくて。曲がるところまで来ちゃったからあきらめたんだけどさ、休憩されるのかな?ザックおろすの見えたから戻ってきたんですよ』

僕『あはは、そうだったんですか。それは失礼しました』

おじ『なるべくいろんな人に声かけて仙台はいいところですよーって言ってるんですよ。でも僕は大好き、本当にいいところなんですよ』

僕『親が仙台出身なのでここを歩くのが楽しみというか、これを見るのが悲しみというか···』

おじ『そうですよね。あの時は酷かった。うちは比較的内地の方で大丈夫だったんだけどね。特に南相馬から坂元あたりを見に行ってみると根こそぎ何も無くなっていたんですよ

僕『ここまで本当に悲惨な状況を見てきました。地図ではあるはずの道が無くなっていたりして歩くのも地図とGPSを見ながらなんとか歩き繋ぐのが大変でしたね』

おじ『僕は定年迎えて家にいるんだけど、こうしてよく散歩してるんですよ。仕事やめたらすっきりしちゃってね、やっぱりストレスは良くないね』

僕『僕はサービス業で、いろんな人と朝から晩までずっと喋っているからコロナでも全然つまらなくないんです。むしろ休みの日はなるべく喋りたくないっていうか···』

おじ『あはは、ごめんなさい』

僕『いやいや、お話するのは好きですよ。でも喋らない時間も楽しみたいと思ってこうして独りでひたすら歩くんです。スマホで本を読んでもらいながらね』

おじ『本?』

僕『ええ、本を朗読してくれるアプリがありましてね、自分で読む時間が無いのでそれを聴きながらひたすら歩くんですよ。なかなかいい時間です』

おじ『それはいいね』

僕『僕も来年還暦なんですけど、仕事はやめないので、というか定年がないのでいつまでもお客さんとコミユニケーションとれて、さらに役に立ってる感がとてもいいです』

おじ『還暦?ええーっ、見えないね』

僕『いやいや、そのストレスっていうのがほとんど無いので楽しいです。いろんな人見てますがやっぱりこうして毎日何か楽しみを持つイメージを持って生きていくと健康寿命は延びるのかなって』

おじ『そう、そうなんだよね。だからさ、何かに夢中になりたいっていうか、なかなかないんだけど···』

僕『僕もそうです。いろいろやってきましたが、飽きたらすぐ次ってなります。別にいいじゃないですか。歩くのだって楽しく感じなければストレスですからね。無理に続けようとは思いません。これだっていつ面倒臭くなるか分かりませんしね』

さあ、膝のテーピングも済んだことだしそろそろ立ち上がって進みたいと思います。

おじさんは一通りおしゃべりしたら帰っていきました。
たぶん家で奥さんに今日のことを話すんでしょうね、笑いながら。
そんな時間も有意義だと思います。
『今日はさ、こんな人に会ったんだよ』ってね。

後ろ姿がいつかこっちを見るんじゃないかと思って時々振り返っていたら、ほらこっち向いた。
僕は大きく手を振って頭を下げました。
おじさんもお辞儀してくれました。

人って面白いですよね。
おしゃべりしない時間を求めているのに、喋り始めたら楽しくなっちゃって。こんな自分がなんだかおかしいです。

そして僕もやっぱり人とお話するのは好きみたいです。

少し休んだら膝も落ち着いてくれました。
ここからだいたい2時間ぐらい歩けばゴールするかな。

だんだん日が暮れてきました。
一日歩き倒したな···。

ゆっくりと街の方に吸い込まれていきます。
あんなに静かだった自分の周りが一気に色んな音で埋め尽くされました。
そして17時30分、中野栄駅の近くに停めた僕の車に到着しました。
なんとか明るさを保ったままのゴールでした。


歩行時間 10時間20分
歩行距離 44.5km
累計登坂標高差 +425m
67,500歩

その4へ続きます。
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第3回 みちのく潮風トレイル その2

2021年10月05日 | Weblog
ここからはずっと海沿いを歩いて行きます。
海沿いと言っても海はほとんど防波堤により見えませんでした。


千年希望の丘11号丘付近に「千年希望の丘長屋釜」があり、そこには「津波に耐えた大銀杏」もありました。
今ではのどかな風景ですが、震災当日の津波を想像するとなんとも言えない気持ちになります。

そして「東日本大震災慰霊碑」がありました。


恐かったでしょう、苦しかったでしょう、辛かったでしょう、悲しかったでしょう···。
鼻と目の奥がツンとなりました。


慰霊碑がある「千年希望の丘相野釜公園」を振り返ると、昔の風景画がありました。
左手前の看板をよく見て下さい。
今は··· のっぺりとした土地になってしまいました。

ひたすら北上します。

さらに海寄りの道になりました。
行き交う車はほとんどが工事関係車両です。

歩道の補修をしていました。
警備員のおじさんが丁寧に誘導してくれました。
いつも思うのですが、挨拶してくれて感じ良い方が多いのです。
暑いのにヘルメット、長袖でたいした交通量無くてもずっと立っているという仕事は大変だなと思います。
僕はいつも『ご苦労さまです。ありがとうございます』と労うようにしています。

その警備員のおじさんが僕に話しかけてきました。
『ここに来る途中で見かけましたよ。ずっと歩いて来たんですね。頑張って』と。
みちのく潮風トレイルのことを知っているようです。

僕は『はい!ありがとうございます』と言ってお辞儀をしました。


仙台空港の脇をかすめて行きます。
「北釜防災公園」も千年希望の丘の造りとなっています。
通過しましたが、未練が残ってしまい、戻って丘に上がりました。
写真ではよく分からないと思いますが、ANAの実機がありました。

小型のセスナ機が一定間隔でどんどん着陸してきます。
こんなに来るもんなんだなぁ。
しかし、なんであんなものが空を飛ぶんだろう。

だいぶ疲れてきました。
なんだかかかとが痛いと思ったら、大きなマメ(幅3.5センチ✕1.5センチぐらいの水疱)になっていました。
コロナウイルスによる自粛は僕のかかとが柔らかくなるほどの期間、足止めを強いていました。


名取市に入ります。
名取には「トレイルセンター」があります。
ほとんどの情報はここから発信されます。

が、本日火曜日は定休日です。
残念ですが、外から眺めるだけで終わりました。


名取川を渡ります。
ここは閖上地区です。

閖上(ゆりあげ)といえば僕がまだ小学生低学年の頃、仙台のおじいちゃんに連れられて釣りに行ったのを思い出します。

近くに橋があったのを覚えているのですが、川幅はこんなに広くなかったので、たぶんこの河の支流だったのでしょうね。
今では全然わからないほど変わり果ててしまいました。

おじいちゃんはいつも僕に優しかったです。
あの日結局1匹も釣れなかったんだよなぁ〜。
わがまま言って連れてきてもらったのに、釣れなくてブスくれてしまう可愛くない少年でした。

そう、僕の両親は仙台出身なのです。
だから、だからここを通るのが何となく辛いです。
みちのく潮風トレイル歩くことにしてからというもの、ずっとずっと気にしていた場所です。


やがてルートは自転車道路に入りました。
ずっと手前から自転車道路はありましたがここで合流することになりました。

とにかく長いです。
自転車だとなんでもない距離ですが、歩くにはとても長く辛いです。
景色も全く変わらず見所もありません。

右手には水路があり、たくさんのカモが僕が通るたびバタバタと飛び立っていきます。

釣りしてる人(柵を乗り越えちゃっていいのかな?)も何人かいましたが、誰一人釣れているところは見れませんでした。

ふと左手に鉄パイプで造られた通路のようなものが目に入りました。
その奥には木道が続いていました。
おじさんがこちらに向かって歩いてきます。

なんとなく1人でいたかったので追いつかれないようにしていました。

実はここを通るの少し前に女房からLINE入ってきました。
『膝痛くない?』と。
膝は痛くないんだけど、かかとにでっかいマメが出来たんだよと返答しました。

ところがそのすぐあとから膝に違和感が出ました。
皆さんが痛くなる膝のお皿の下ではなく、スキーで切ってしまった内側側副靱帯の古傷が痛むのです。

スピードががっくりと落ちてしまいました。
後ろからさっき木道から出てきたおじさんが少しずつ少しずつ近づいてきます。
話しかけられて歩みが遅くなるのが嫌で逃げるように進んで行きました。

もう少しで追いつかれるというところでおじさんは自転車道路から外れていきました。

ちょっとホッとしたのかな。
すごく疲れが溜まってきたからなおさら1人でいたかったのです。
その少し先の鉄柵があるところで膝にテーピングを巻くことにしました。

荷物を下ろし、持ってきた小さなクッションを敷いて柵に寄りかかりました。

おじさんが振り返ってこちらを見ています。
目が会っちゃいました。

えっ?
こっちに来るよ?
わざわざ戻ってきます。
標的は間違いなく僕ですよね?

草むら越しにおじさんがこちらを見て立っています。

すると···。


その3へ続きます。


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第3回 みちのく潮風トレイル その1

2021年10月05日 | Weblog
緊急事態宣言も全国で解除になり、僕の自粛モードも解除しました。

いやいや長かったです。
おかげさまで腹が出る出る。
お散歩程度じゃお話になりませんね、やっぱり。

全然登ってないのでいきなり山はちょっと無理です。
2週間空けただけでも体力落ちるので、1ヶ月以上の我慢はだいぶこたえました。

ということで今週の連休は「みちのく潮風トレイル」の続きを歩くことにしました。

今回歩くセクションはこちら↓


前回まで歩いた「逢隈(おおくま)駅」から宮城に入って「中野栄駅」までと、2日目に「塩竈駅」から「中野栄駅」までの計画です。

いつものごとく前夜発です。
今回は頑張って20時30分に家を出ることが出来ました。

なんてったって 片道310kmありますからね。

だんだん遠くなってきて、運転も辛いです。
それと現在常磐道は夜間工事通行止め区間があります。
今回は広野IC~常磐富岡ICの区間が通行止めで、一般道への迂回をさせられました。

それでも休憩はトイレ1回以外は止まらず、0時30分に到着しました。
高速降りてからも近かったですしね。

睡眠が浅く、3時半に1度目覚めました。
なんとか2度寝して5時30分の起床です。
これだけ眠れりゃ問題ないです。

JR仙石線で仙台で乗り換え、JR常磐線で福島の逢隈駅に降り立ちました。
電車での移動に50分ぐらいかかりました。

今日は遠いぞ···。



6時07分の電車に乗ります。
それなりに乗客がいましたが、混雑はしていません。

逢隈駅は無人駅ですが、降りる人が思ったより居たので驚きました。

さて、GPSナビをセットし地図を持ってスタートします。時刻は7時10分でした。


久しぶりの誘導標柱です。
みちのくのコレはとても分かりやすいですが、すべての曲がり角に付いているわけではありません。
ボーっとしていると通り過ぎてしまうので気をつけないとね。

のっけから、見たいと思っていた「田澤麿崖仏」をいつの間にかスルーしてしまいました。あ〜ぁ。

阿武隈川に出ました。
いきなり目に飛び込んできたのは「日本製紙岩沼工場」でした。
ものすごい煙突から煙が出ています。


この煙、秋田工場では異臭が酷く住民の苦情が出ていましたが、現在は石炭や木屑を燃料とするリサイクル操業になっているようです。
もちろん宮城県でもばい煙に対する協定を結んでおり、公害の抑制に対する監視をしているようです。

しかしながら、要塞を思わせるようなその外観は一種の写真撮影ポイントとしても有名で、夕暮れどきに浮かび上がるその様は独特の様相をかもし出しているように思えます。


さらに川沿いを歩き、阿武隈川を渡ります。
歩いて渡る人はほとんどいません。
歩道があって良かったのですが、なかには横断歩道なんて無いところもあるので、車に手を挙げてアピールしながら渡ったりします。


こんな感じです。

対岸に渡ると宮城県です。
土手の上をずっと歩き、ちょっと入ると「南浜中央病院」がありました。

当然ここも津波の被害を受けています。
今では立派に復興を遂げ、また地域の大切な役目を再開していました。
YouTubeでも動画が上がっています。

この辺りになると古い地図ではどうにもなりません。
とにかくすべて変わってしまっていますから。
みちのく潮風トレイルの地図ですら、すでに変化があります。
つまりそんなスピードで復興が進んでいるということですね。

GPSと紙地図を照らし合わせながら進んで行きます。


「千年希望の丘13号丘」です。
ほぼ平らなこの土地では高台がありません。
ちなみに〇号丘は1〜3と11~13の6基でした。

なんのための丘なのかな··· 避難場所としての役割は果たしそうですけど。
でも調べてみると意外な真実を知りました。

波の力を減衰させる役割があるほか、やはりいざという時の避難場所にもなります。
丘の土台などには、震災ガレキが用いられているとのことです。
そういう想いを込めて造られているのです。
そして海沿いの土地からは津波を意識した構造になっているため、海がほとんど見えません。


その2へ続きます。

コメント
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