『相撲界のスーパースター・第58代横綱千代の富士の凄さ』
『突っ張り張り手を連発した寺尾を土俵中央で吊り叩きつけた』
ウエブ情報から引用
スーパースター・第58代横綱千代の富士関は、いろいろ話題・噂はありますが、やはり苦境を乗り切り偉大な成績を残した力士です。 脱臼癖の肩を筋肉の鎧で覆って大活躍された大横綱・千代の富士 貢関のプロフィールです。
本名 秋元 貢(あきもと みつぐ)
愛称 ウルフ、昭和最後の大横綱
生年月日 1955/06/01、没年月日 2016/07/31(61歳没)
出身 北海道松前郡福島町
身長 183cm
体重 126kg
BMI 37.62
得意技 右四つ、寄り、上手投げ
生涯戦歴 1045勝437敗159休(125場所)、勝率0.661
幕内戦歴 807勝253敗144休(81場所)、勝率0.761
優勝 幕内最高優勝31回、史上3位
70年秋場所初土俵。 74年九州場所新十両、75年秋場所新入幕。 80年夏場所新小結、80年九州場所新関脇。 81年初場所初優勝で大関昇進。 名古屋場所で2度目の優勝を飾って58代横綱に昇進した。 優勝31度88年夏場所から昭和以降3位の53連勝。 89年に角界初の国民栄誉賞受賞。 通算在位125場所。 1045勝は史上2位で437敗170休。 三賞7度。 金星3個。 91年夏場所限りで引退し、92年4月に年寄九重を襲名して部屋を継承した
脱臼癖と言えば、思い出すのは、アメリカのアクション映画『リーサル・ウエポン』です。 主人公の刑事が立ち回りで、肩を脱臼すると、壁に肩を叩きつけて、自分で治すシーンを思い出します。
時代が「もののふ」を希求、時代は必ず、稀代の「もののふ」を登場させた。 「もののふ」第58代横綱の、日刊スポーツ記者の記事の抜粋です。
『「一にも二にも腕立て伏せ1日1000回」、相撲担当になったのは1983年で、千代の富士はすでに横綱で7度優勝していた。 新米記者には近寄りがたい存在だった。 ただし、あくまで個人的に親近感を持っていた。 千代の富士は本土俵だけで7度、そのうち横綱になってからは4度脱臼した。 ほとんどは左肩だが、右肩も1度ある。
83年夏場所の幕下時代に初めて肩が抜けた。 花道で痛みにうずくまったが自然と入ったため、湿布を貼って医者に行かず癖になった。 千代の富士は3人の医師から「手術すると半年稽古できないから、筋肉のよろいをつけろ」と言われた。 1日1000回の腕立て伏せをノルマにした。
北海道松前郡福島町で秋元家の長男として生まれた。元横綱千代の山とは同郷であり、それがのちの人生を決めることになった。 漁師の父を手伝って舟をこぎ、海に潜ってアワビを捕り、足腰に心臓も鍛えられた。 スポーツ万能、特に陸上の跳躍競技で活躍し、14歳で町内相撲に出て優勝した。
台東区の福井中に転校して、本名の秋元で70年秋場所、初土俵踏んだ。 今は禁止の中学生力士で、身長177センチ、体重71キロだった。 同期は37人いたが一番出世。 序ノ口は大秋元、次の場所で千代の山と北の富士を合わせた千代の富士と改名し、のちに初の5文字関取となった。入門時の約束で明大中野高に進学したが、71年名古屋場所で初の負け越し。 「中途半端、相撲1本で行く」と1学期で中退した。
- 兄弟子北の富士が命名した「ウルフ」
ケガはあったが出世は順調だった。 4年でのちにライバルとなる隆の里とともに新十両となり、5年で幕内に昇進した。 まだ20歳で昭和30年代生まれとしては初の幕内だった。 筋肉質の体に精悍(せいかん)なマスクもあり、期待のホープとなったが負け越し。 十両に落ちると右腕を痛めて幕下まで陥落した。 入幕後に幕下まで陥落した唯一の横綱になると、誰が予想しただろうか。
2場所で十両に復帰はしたが、伸び悩んでいた。 77年10月には師匠が51歳で急死する不幸にも見舞われた。 すでに引退していた兄弟子の北の富士は74年に井筒部屋を興していた。 急きょ部屋を合併させて、九重部屋を継承することになった。 ウルフの名はこの北の富士の命名だった。 入門してくると「オオカミみたいだ」と言ったのが始まりだった。
元は兄弟弟子だった2人が師弟関係になったのは、大きな転機になった。それまでは観客受けして快感でもあった、左上手をとっての強引な投げに固執していた。 新九重親方のアドバイスもあり、右を差し、左前ミツを浅くとって、頭をつけて引きつけての速攻にモデルチェンジ。 強引な投げから一気の寄りの相撲へと変身が花を開かせた。 千代の富士は左手小指のツメは切らなかった。 「まわしは小指でとれ」が基本で脇を締めるため。千代の富士は擦り切れて切る必要がなかった逸話が残る。(続く)
当該の語り草としても有名な一番は平成元年九州場所の出来事でした。現行の決まり手に当てはめると「送りつり落とし」という、しかも土俵中央で豪快無比に決めていますので、明らかな実力差がないとあのような芸当は成し得ない大技でした。 取り口序盤には寺尾が得意の速射砲ばりの突っ張りを連射しているものの、ことごとく千代の富士は当てがいつつ受け身での横綱相撲の安定感ぶりで対処していたのも印象的でした。 背景には、千代の富士に省エネという思惑が働き、余力を温存させつつ賜杯奪還を狙い、確実に勝率を高める算段も視野に入れていました。 案の定、格下の寺尾に注射を持ち掛けましたものの、ガチで挑みたい寺尾にそれを拒否され、千代の富士にとってはプライドを傷つけられたも同然で、見せしめ的に捕まえて後ろを取ると高々と寺尾の体を持ち上げ、土俵中央に叩き落とすという制裁に出ました。 八百長横綱と懐疑の目で悪評される千代の富士ですが、ガチでの強さが十二分だったからこそ、星を買い向かえたわけで、そのように揶揄されるのは絶対的な強さの裏返しであるとも証明できるのです。
寺尾はその敢闘力士のイメージ通りに、千代の富士とは常に熱戦を演じました。あの有名な、張り手を交えた突っ張りで千代の富士を怒らせてしまった寺尾が、後ろから抱え上げられて吊り落とされた相撲・・・。
繰り返しになります。 『いろいろな話題・噂がありますが、それだけではあの成績は残せません。』
(記事投稿日:2021/11/25、#431)
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