『古代は、古代人は凄い 7(古代ローマ帝国終焉はコロッセオから)』
『コロッセオでの剣闘技はエスカレート、帝国民への娯楽に飽き足らず剣闘士になったドミティアヌス皇帝自身も、実力のほどは?』
NHKBS(2024/01/07)『徹底解明!コロッセオの秘密(再)『エスカレートした剣闘技』に驚きました。 コロッセオは、楕円形の円形闘技場です。
コロッセオ ローマ中心部付近での位置(右上)
ウキペデイア情報から引用
コロッセオ楕円形闘技場(コロッセオの中央が舞台アリーナ)
コロッセオは、長さ189メートル、幅156メートルで、外壁は、48メートルの高さです。
地下から登場した猛獣の餌食にされようとしているキリスト教徒
ウキペデイア情報から引用
この世界一大きな円形競技場とはいえ、コロッセオの中央の舞台アリーナは、長さ87メートル、幅55メートルの楕円形ですので、模擬海戦はここでは行われなかったのではと思われます。 コロッセオのある『パラティーノの丘、海抜51ⅿ』で得意の水道橋での、注水も大変であったろうと思います、模擬海戦終了後の『舞台アリーナの地下』の排水は、比較的、容易であったでしょうか。
記録として残っている最初の模擬海戦は、BC46年、ローマにユリウス・カエサルが建設した人工湖で行なわれたティルス船とエジプト船の戦いと伝えられている。
BC2年には、カエサル庭園の池でアテナイとペルシャの海戦が再現された。
アウグストゥス帝が模擬海戦を行なった人工池は、長径が約550m、短径が約370mあったと言われ、アンシエティーナ水道を経由して、ローマの北にあるマルティニャーノ湖から水を引いていたと伝えられている。 この湖の水は飲み水には適さない悪質のもので、アンシエティーナ水道は模擬海戦のために築かれたと考えられている。
同じ人工池で、ティトウス帝代にはコリントスとケルキラの海戦が再現された。
52年にクラウディウス帝がフチーノ湖で行なった模擬海戦では、ロードス軍とシシリア軍に扮した19000人の剣闘士と罪人が戦った。
ドミティアヌス帝も模擬海戦に熱心で、ティベレ川近くの人工湖で、ほぼ実物大の船を使って実施したと言われ、トラヤヌス帝も模擬海戦場を持っていたとされる。 蚊の発生を避けるため、水は模擬海戦のたびに入れ、終了後排水していたようである。
古代エトルリアを征服し、古代ギリシアを模倣し、ヨーロッパ諸国を席巻した古代ローマという勢力。 王政から共和政、帝政へと移行しながら国土を拡大した結果、自らも手に負えないほどの巨大国家へと膨張しましたが・・・。
ココロッセオでの剣闘技の継続エスカレートと、度重なる大規模な模擬海戦で、ローマ帝国の帝国民の娯楽の提供は、古代ローマ帝国終焉はコロッセオからと言われる所以もよくわかります。
古代ローマ帝国の歴史抜粋
●ローマの夜明け / BC753〜BC272年
紀元前753年、狼に育てられたとされる双子の兄弟ロムルスとレムスが、エトルリアの植民地下にあったパラティーノの丘に都市国家ローマを建国する。王政に始まったローマは共和政へ移行し、民会の設置や法の整備、軍の強化を進めてイタリア半島を統一。
●共和政ローマの躍進 / BC264~BC146年
イタリア半島を統一したローマは、地中海対岸の北アフリカで勢力を拡大していた都市国家カルタゴに標的を定める。紀元前264年、シチリア島の所有権をめぐり戦いの火蓋が切られてから、3度にわたるポエニ戦争の激戦を制して地中海を手中に収めた。
●内乱の一世紀から帝政ローマへ / BC133~200年
領土拡大につれ、多くの奴隷と安価な作物が流入したことで、中小農民が没落。国力は低下し、奴隷もたびたび反乱を起こしてローマ社会は存続の危機に。そこで登場したのが英雄ユリウス・カエサル。彼は数々の内乱を平定し、帝政への下地をつくった。98-117 ADのトラヤヌス帝の治世で、ローマ帝国は最大領土となった。
●東西分裂とローマの滅亡 / 212~476年
ローマがもっとも安定した「五賢帝時代」をへて、ローマは迷走の時代に突入。皇位争いが勃発し皇帝の力が弱まると、異民族の侵入や奴隷の反乱が頻発する。4世紀末に東西に分裂後、100年を待たずして西ローマ帝国が滅亡。古代ローマ帝国は幕を閉じた。
「コロッセオが崩れるとき、ローマも滅びる。そしてローマが滅びるとき、世界もまた滅亡する」と言われるほどの繁栄を誇った古代ローマ帝国。その芽生えから滅亡するまでの、約1200年超の歴史を駆け足で振り返った。ローマ帝国は滅びても、現代イタリアを旅しながら建築や生活様式をとおして古代ローマの面影に出会える、かも?
ローマがもっとも安定した「五賢帝時代」をへて、ローマは迷走の時代に突入。皇位争いが勃発し皇帝の力が弱まると、異民族の侵入や奴隷の反乱が頻発する。 4世紀末に東西に分裂後、100年を待たずして西ローマ帝国が滅亡。 古代ローマ帝国は幕を閉じた。
古代ローマ帝国は西暦395年に東西に分裂した後、東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで1,000年以上にわたって続いたが、西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動の嵐の中、476年に滅亡した。
歴史に『タラ・レバ』はありませんが、古代ローマ帝国が、1000年以上続きましたのは、ココロッセオでの剣闘技の継続エスカレートと、度重なる大規模な模擬海戦などで、ローマ帝国の帝国民への娯楽の提供が無かったらどうなったかと考えてしまいます。
(記事投稿日:2024/02/21、#731)
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