原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「子どもの脱毛」、必要か??

2024年08月23日 | 医学・医療・介護
 今朝見た朝日新聞記事によると、近年、エステサロンや医療機関にての子どもの脱毛が広がりつつあるそうだ。

 ムダ毛を気にする子どもが増え、「心のケア」として脱毛に取り組む小児科医院も出始めているらしい。



 原左都子の私事に入ろう。

 本エッセイ集バックナンバーにても幾度が公開済みだが。
 この私は、小さい頃から「ムダ毛」が多かった人種だ。
  (自己弁護のために付け加えておくならば、私自身は自身の体毛を「ムダ」と思ったことは一度も無い! 当時の周囲の反応も、さほど気にならなかったものだ。)

 その周囲の反応について、語ろう。(既に本エッセイ集にて語った内容であるため、ご記憶の方々も多いだろうが。)
 小学校入学直後の事だ。 体育館内で子供たち数人が車座になっていた時、私の周囲の男の子が我が腕を見て、「うわあ、凄く長い毛だ!!」と騒ぎ始めた。 それに引き寄せられた男の子数人がやって来て、我が腕を見て「凄い!毛が長い!!」と大騒ぎだ。
 私本人は、もっとずっと小さい頃より自身の腕の毛の長さを自覚していたし。 自分ではこれが普通で、特段そんなに大騒ぎする事かなあ?? 程度に冷静に受け入れていた。

 あの時 もしもこの私が、「やめてよ!!」等々と騒いだり、はたまた泣き始めたりしたものならば、更なる大騒動となった事だろう。
 それを全くしなかったことがおそらく功を奏して、この騒ぎはすぐに収まったし、この私も長い毛が生えた細腕を晒した状態でずっと暮らしてきた。

 この腕の長い毛の経過を語ると。
 いつ頃からだろうか、おそらく大人になった年齢頃から自然と色が薄くなってきて。 その後もずっと特段剃ったり脱毛等の措置をせずして、今となっては産毛よりも薄い存在として、よーく見れば毛があるなあ、程度に退化している。


 片や、脚のすね毛には失敗した派だ… 😵 😷 

 これも人よりもずっと濃いのが我がすね毛の特徴で、妙齢になっても相変わらずぼうぼうと生えていたため、自分で定期的に剃り落として始末していた。
 ところがこれも高齢化と共に自然とかなり薄くなってきてくれて、近年は何らの処置をせずとて特段目立つ存在では無くなっていた。

 それを、だ。

 約2年前の「左膝複雑骨折」手術の際に、医学関係者である自身の判断で、このすね毛が手術の際に邪魔になるかもしれない、なる要らぬ配慮心から自身で剃り落として手術に臨んだのだが。

 これが困ったことに。
 せっかく自然と薄くなりかけていたすね毛が、一旦剃り落としたがために、またもや命を取り戻したかの如くぼうぼうと黒々と生えてきてしまったのだ!!
 
 それでも、私はもう一度剃るとの失敗は繰り返してはいない。

 もう高齢域に入っているし、ミニスカートを着用する機会も無いだろうから、今後はこの脚で生きよう! との覚悟だ!!


 高齢者である私の話など、二の次で良いが。

 どうなんだろう?? 小さい子供の脱毛措置は。

 例えば、子ども本人が「周囲にからかわれるから脱毛したい」等の切なる希望を提示するならば、それを実行に移してもよいのだろうが。

 あえて大人である親たちが要らぬ余計な心配をして、未だ小さき我が子の身体を傷つける必要があるのやら、ないのやら…


 
 最後に上記朝日新聞記事より、専門医師による「事業者は玉石混交 見極め重要」と題する記載を以下に紹介しておこう。

 子どもへの脱毛で重篤なトラブルが起きたという報告は今のところ無い。 ただし、大人と同様に毛嚢炎ややけどなど、硬毛化のリスクはある。 あまり早くに脱毛すると中学生くらいまでまた生えることもある。 二次性徴が終る16歳くらいから脱毛するのが好ましいがと考えるが、周囲の目が気になるなど悩んでいるのであれば、低年齢での脱毛の選択肢の一つだろう。 脱毛は玉石混交で多様な事業者が参入している。 しっかり施術者を見極めることが重要だ。

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)


激しい運動はかえって体重を増やす!?!

2024年08月20日 | 医学・医療・介護
 冒頭の表題は、最近の朝日新聞記事より引用したものだが。


 この表題のフレーズ、 私め原左都子が 我が身をもってよく経験している事実だ。


 50代半ば頃よりランニング趣味のある身で、(一昨年の秋頃まで)はコンスタントに週2~3ペースで近くの大規模公園内ランニングコースを5㎞ランニングに励んでいたものだ。

 残念ながら 2022年秋に路上で激しく転倒し救急搬送の末、左膝を複雑骨折している事実が判明し 入院手術を受ける身となった。

 もっと若かりし時代に同様の大怪我をしていたならば、まだしも回復力があったのだろうが。
 既に高齢域に達している身にして、2024夏の今なお左膝に違和感があり、未だに膝が曲がり切らない状況だ。

 そんな身となり果てた今、5km完走は無理なものの。
 6月末頃、再びランニング中に転んで右膝をえぐる傷を負うまでは、当該大規模公園内ランニングコースを、ゆっくりペースで3,5km程を走り続けていた。
 今回ランニング中に転倒し右膝負傷後は ちょうど猛暑にさしかかったのを良きこととして、ランニング中止措置を採り自粛の身だ… 😰 


 そんな立場で、猛暑の中近くの店舗に短時間 買い物に行くのみで。 帰宅後体重測定をすると、十分に体重が減少しているのに嬉しい悲鳴だ!!😜 😁 

 いやむしろ、ランニング5キロを定期的に真面目に走っていた頃よりも、体重減少が激しい事実に感激の日々だ!

 

 私事が長引いたが。

 ここで表題のテーマに関する2024.08.19付 ぷらっとラボ より「激しい運動は体重増やす?」の一部を、以下に引用しよう。

 運動は、体重を減らすのに役立つと言うイメージが強い。 だが、激しい運動はかえって体重を増やす方向に作用することを、筑波大学教授(運動生化学)たちのグループがマウスでの実験で確かめ、論文として発表した。
 ジョギングを始めたら、体調が良くなって食欲も増し、体重がむしろ増加したといったケースはよくある。 ただ、食事量を変えなくても思った程減量しなかった報告もあり、身体に何が起きているのかはよく分かっていなかった。 (中略)
 マウス実験結果としては、「人間に換算すると中等度息がはずんで額に汗がにじむ程度、高強度は息が上がり、きつく感じる程度に、中郷土運動が相当するという。
 中強度と安静群では特に変化はなかった。 どの群も、食べた餌の量は変わらなかった。
 激しい運動をすると、身体はそれに反応して活動量や体温を下げ、エネルギー消費量をそれ以上増やさないようにしつつ、とった栄養分を身体の中にため込むように調整している可能性が考えられた。
 「摂取できる食糧が限られていた動物や人類の歴史の中で、それが生き残るために必要なしくみだったのでは」と研究者は推測している。
 ただし、人間は取り巻く環境の個人差が大きいため、運動後の身体に共通して起こる変化を調べるための条件設定が難しい。 このため、今回はマウスにて調べた。

 (以上、朝日新聞記事より引用したもの。)




 今回の朝日新聞記事の検証結果に関しては。

 原左都子は、既にその持論を我が脳内に持っていたような気もする。

 何と言うのか、どうも自己の運動量や食事の量と体重との整合性が、まるで取れていない現状を常に把握していたように感じる。

 切にナイスバディ(私の場合は、“長身スリム体型”こそが理想!!)を目指す我が身勝手な感情として。  「今日は一生懸命運動してきたのだから、体重計さま、どうか我が体重が少しでも減っていますように!」なる切実な女心を、体重計がよく裏切ってくる体験がままあるのだ!!
 (こいつめ、無常過ぎ!!!)と一人で怒っていたものだが。


 医学を経験している身としては、運動量と体重との関係性がそんな単純なものでは無い事実など 当の昔に把握しているにもかかわらず。

 やっぱり女心としては、体重計さんには嘘でもいいから少し少なめの㎏数を表示して欲しいものですね…
 

郷里の実母よりの「両脚が動かなくなった」との電話

2024年08月15日 | 医学・医療・介護
 本日午前中の事だ。

 もうそろそろ昼飯づくりをせねばとのタイミングで。

 郷里の高齢者自立支援施設にて暮らしている実母より、冒頭表題の電話が入った。

 この実母、御年91歳。 
 数年前より自身が選んだ郷里地元の高齢者施設へ入居して、そこで暮らしている。
 何分、我が父親が亡くなったのが69歳の事だった。
 その後、実母は20年間程自宅にて一人暮らしをしただろうか??

 80半ば頃の年齢になった際に次女の私宛に、「高齢者施設にて老後の人生を送りたい」等々の電話があった。
 それに同意した私は母親の意向に従って、当該高齢者施設への転居の際にその手伝いをした。

 母親が自ら選んだ郷里の施設とは、地元では名の知れた大病院付属施設であり。 高齢に達した入居者の身体状況に応じて、段階的に施設を「自立支援施設」「介護付き施設」「寝たきり(というのかどうか不明だが)施設」と変更できるメリットがあるという。

 そうすると、今回「両脚が動かなくなった」実母の場合は、「自立支援施設」から「介護付き施設」への転居かな??
 と私が推測したところ。
 そうでもないらしい。
 
 どうやら、とりあえず実母は「車椅子」の練習に入り、それをマスターして。
 それがうまく行って、その状態で“自立”状態で現在の施設にて暮らせる能力を維持できているのならば、今まで通りにそこで暮らせるという。

 そう言いつつ、実母が嘆くには。
 「もう既に、誰も私の部屋へ遊びに来てくれる仲間がいない… これが寂しくて…」
 (私が思うに、それって足が不自由になったことが直接の原因ではなく、実母特有の“歪み性格”が施設内で徐々にバレて、誰も寄り付かなくなっている可能性が強いのでは!?!)😷 

 もちろん、そんなことは一言も口には出さなかったのだが…

 
 昨年11月に、その実母の「永代供養墓」の挨拶に行き 久々に実母に会った際に、私は既に年老いて益々“歪み切っている”実母の現実を見た思いだった… 
 元々性格面では優れているとは言い難い我が実母だが。
 我が感覚では、実母は現在入居中の施設にてさほど楽しい暮らしが叶っていないと判断した。
 それは、もちろんのこと実母に責任があるのに決まっているが。 それにしても今後益々高齢域に入るに当たって、こんな“歪んだ性格”で施設内で良き人間関係が築けるはずも無いなあ、と正直感じた私だった。😵 


 そうしたところ。 
  
 あれから9か月が経過した後の、本日の実母からの電話だった。

 ついに、両脚不自由の身となったか…

 今後の判断は、施設や自治体の介護段階判断に委ねられるであろうが。


 次女である私の現在の考えは。
 あの母親、あれだけ我がままに年老いてしまっている現実下において。
 自立支援施設での暮らしは、おそらくその身に合わないことだろう。

 定年まで公務員を全うした身(これと米国暮らしの姉が、恥ずかしながら入居以来一貫して 実母の施設内での自慢ネタです…😭 )で、カネに困っていないならば。
 
 いっそ施設のグレードをアップして、介護度が高い施設にて そのスタッフの皆さんと日々仲よくして頂いたらどうか???

 と考える、(母に言わせれば「米国暮らしの長女」と比較して施設内では“何の自慢にもならないらしき“ ) しがない“東京暮らし”の次女の意見です…… 
 

「硬膜下血腫」を患っている義母のその後

2024年08月04日 | 医学・医療・介護
 2024.07.20付バックナンバーにて「『硬膜下血腫』で入院していた義母が施設に戻った…」と題するエッセイを綴り公開した。

 最終部分の一部のみを、以下に再掲載させていただこう。

 元々認知症状がある高齢者が93歳近くになって。
 施設内でもどこでも場所を選ばず転ぶことが常習となって…
 ついに「硬膜下血腫」での入院を余儀なくされ、その病院でも扱うのが難義なため施設へ戻された事実を鑑みると。
 如何に病院や施設の係員の方々が、義母のために努力を重ねてくれたとて。
 当然ながら限界があり。
 義母との人物とは、そんな周囲の人物の「限界状態」を自ら創り上げつつも、その事実すら認知不能で…
 それでも尚 この世に未だ生存させられるとの、ある意味で「究極辛い」運命を背負ってまでも。
 今生き続けているのだろう…

 (以上、本エッセイ集バックナンバーの最後の一部を再掲載したもの。)




 あれから2週間が経過した昨日、義母の息子である我が亭主が義母を伴い病院受診をした。

 と言えども、これが口で言うほど安易な事である訳も無い。
 何分、車椅子にての移動しか方策が無い義母だ。
 そんな義母を如何に病院まで連れて行ったかと言うと。

 やはり、「介護タクシー」を利用したに決っている。
 この「介護タクシー」だが、タクシー乗車がエレベーター(リフトというべきか)形式で、患者は車椅子に乗ったままタクシー内への乗車が叶うようだ。
 その操作のすべてを介護タクシー乗務員が執行してくれるようで、付き添いの亭主は義母が乗り込んだ後にタクシーに乗って病院へ行けば済むとのことで、いとも簡単スムーズに病院へ着き、また病院から施設へ戻れたらしい。

 そんなサービス付きなのに通常のタクシーとさほど料金が変わらないのは、国家からの援助金がかなりの利率出るからのようだ。 (国家も有用な介護手段を考慮し実行に移したものと、拍手しておこう。)👏👏👏

 亭主が言うには、義母は施設内転倒により「硬膜下血腫」を患ったにもかかわらず。  その後の回復力がすばらしく、現在では車椅子生活ながらも、(上記の)介護タクシーに乗せれば、病院まで連れて行けるまでになっているとのこと。
 そして 昨日は亭主の事を自分の息子と認識できるレベルにまで回復していたようだ。 ただし、会話は無理なのは必然であろうし、今後の回復も望めないかもしれない。
 それでも 食事に関しても意欲が多少出てきている様子で、一人で何とか食しているとのことだ。

 それにしても、やはり「硬膜下血腫」の影響は大きく、今後は車椅子生活を余儀なくされる人生となろう。 



 そうだとして、原左都子が思うに。

 以前、亭主が未だ現役で仕事に励んでいた時期には、妻であるこの私が義母の病院受診等々すべてに付き添ったものだが。
 その当時の事を思い起すに。

 既に認知症状に苛まれていたにもかかわらず、身体は元気でとにかく口数が多い義母だった!😖 
 この義母の病院受診付添いをするのが、大仕事だったと振り返る…😵 
 嫁の私が付き添うと心より安心する様子で、全面的におんぶにだっこなのだ!😭 
 病院の電光掲示板を見つつ義母の「番号が出たら診察室へ行きます!」、との指導を嫁の私が毎回しても、一切聞く耳を持たず。  とにもかくにも、日頃の施設暮らしで溜まりに溜まっている自身の愚痴話を“大声で!”(義母の耳が遠いせいです…)で、私にぶちまけ続けるのだ!!😱 
 やっと義母の診察時間となって、心より安心した私が義母を引き連れて診察室へ出向いたものだ…😂 



 そんな義母の世話を 亭主が定年退職後は亭主に引き継いで後は、その厳しい任務から解放されている私だが。

 それにしても、世の高齢者や障害者介護環境が(介護タクシー等々の採用により)急激に進化している事実に心より安堵する。

 今後もどうか、国や自治体のそれら弱者に対する介護環境の改善(援助)体制が充実することに期待したいものだ。


ブリッジが外れた…

2024年07月26日 | 医学・医療・介護
 一昨日の昼食時の事だ。


 ん??  また、入歯が外れたか????

 と思ったのは、“希望的観測”でしかなかった…

 外れたのは、入歯ではなく “ブリッジ”だった…… 😱 



 説明をしておくと。

 私め原左都子は、子供の頃から歯がすこぶる悪い。
 この責任は100%親(特に母親)の育て方によるものと、断言可能だ!

 何分、特に母親が子育てを120%祖母に任せっきりの家庭だった。 母本人は「有職者だから仕方ない。子育てをお願いしている祖母の責任だ!」と子育て責任を祖母に転嫁ばかりしていたものだが。
 祖母が大変しっかりした人物であったこともあり、その恩恵で私は幼心に何不自由なく育った感覚がある。
 そんな身にして、私も小さい頃は「おばあちゃんが悪いのかな??」と思わされていたかもしれない…  (口には決して出さなかったが…)
 
 ただ、そうではないことに気付いたのは 既にかなり大きくなって(中学生頃?)のことだった。
 そして、母に反撃した。「違うよ! 子育ての責任とは親にあるものだよ! 例え有職者だからと言って 祖母に全てを任せっきりでなく、必ずや祖母と話し合いの時間を持つべきだ。 特に子どもの健康に関わる事項に関しては、母のあなたから祖母に提案なり指導なりをするとの形で、主体的に子どもの健康を守っていくべきだよ!!」

 そのようなアドバイスを実母にしたことを覚えている。
 その時の実母の態度とは、「ほーかいなあ?」程度であり、何らの反省もなかったものだ。 (我が実母とは、元々その種の能天気・無責任タイプで自己反省の無い人間です…)😨 😭 



 我が歯に話題を戻そう。

 昨日昼食時に外れたブリッジは、おそらく世にも珍しい「特大(特長というべきか?)」の“5本連結ブリッジ”だった!
 要するに片側の歯茎の全てにおいて、全面的に噛む機能を果たしていたブリッジである。 
 このブリッジ、一人娘が中1の時に作った記憶があるため。 何と20年近くに渡って、我が噛む機能の中核を担ってくれていた計算となる。
 そうそう、保険診療ではなく主治歯科医師先生のアドバイスで、「自費診療」にて素材にこだわって作成したブリッジだった。

 昨日、外れたその“5本ブリッジ”を観察しての感想だが、「美しい!! まだ現役で使用できそう…」だったものだ!! 


 そんなことはあり得ず、自身の歯がボロボロのために今回ブリッジが外れたのは自明の理であり。 
 昨日、早速歯科医院を受診した。
 当然ながら、すぐさま新たなブリッジを作成することになったのだが。

 昨日は 当該ブリッジを支えていた残った我が歯のうち、ボロボロ歯の抜歯を実施した。
 このボロボロ度が激しく、何と1分程で簡単に抜歯が終了した。
 その他のブリッジを支えていた歯の根は、未だ健康を保っているとの事でそのまま残すらしい。

 そして、明日には早くも新たなブリッジの型取りをするとのことだ。


 実母には恵まれていない(今尚生存中だが…)私だが…

 どうやら、歯科医先生には恵まれているようで。

 これぞ、我が今後の長生きに向けての幸運としよう!! 😁