原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2本前公開の「e-Taxパスワード」の件、本日午後真相が判明しました!

2022年02月08日 | 仕事・就職
 冒頭から、2022.02.06公開の2本前のエッセイ「e-Tax確定申告のパスワードがどうしても分からない、と思っていたら!?!」の一部を以下に引用しよう。


 毎年、我が家や親族の確定申告(青色申告も含めて)のすべてを、原左都子が担当している。
 何度も繰り返すが、私は大学院修士課程にて「経営法学修士」を取得している特典として、「税理士試験税法3科目免除」を国税庁にて申請・登録済みだ。
 そのため例年、我が家の税務申告は私が一任して担当している。

 義母の「不動産貸付業」青色申告に関しては、1月末頃に青色申告書会場にて、無事パーフェクトに終えている。

 さて次は我が家の亭主と私の確定申告だ! 
 (参考だが、亭主の企業年金に於いて毎年所得税を過払いしているため、それを取り戻すために“還付申告”を実施している。)
 本日から気合を入れて、パソコンを開いたところ。

 例年ならば、簡単に亭主と私の確定申告ページが開くのに。
 今年は何故か「パスワードが間違っている」とのエラーメッセージが出されて、何度別のパスワードを入れてもエラーばかりが出てしまう。

 国税庁に電話にて確認しようとしたら、「本日は電話を受け付けていない」とのメッセージ。😲
 物事をさっさと仕上げたい私としては、イライラしつつも手の付けようがない。

 さて午後になって今一度、過去の確定申告書類を取り出してみたら。
 亭主宛に届いた、「確定申告のお知らせ」の裏面に上記の説明書きがあった。
 これに怒り心頭の私だ!!😡
 政府の「マイナンバーカード」利用推進に従って、税務申告に於いてもマイナンバー使用の確定申告を最優先するとの魂胆だ。
 未だマイナンバーカードを作らない国民の奴らには、更に政府から負荷を加えようとの趣旨のようだ。😱

 要するに、マイナンバーカードを未だ作っていない国民が税務申告する場合は、事前に必ず税務署へ出向き国税庁の許可を受けて来い! との魂胆なのだろう。
 これを確定申告時に今後毎年、国民に強制しようとの趣旨なのか!??

 この政府の“汚いやり口”、どうなんだろう??

 我が家のように企業年金に課税される税金を毎年過払いしている家庭とは、国内に数多く存在すると推測するのだが。
 過払いしている税金を取り戻したいだけの趣旨の国民に毎年税務署へ出向かせて、ID(利用者識別番号)とパスワードを再登録させるとの負荷を負わせるつもりなんだろうか?? 
 どんどん年齢を重ね更に高齢域に達している税納者に対する、政府からの厳しい仕打ち(いたぶり)と私は感じてしまうのだが、如何だろうか??

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 さて、やむを得ず昨日亭主と2人で、我が住居地管轄の税務署へ上記パスワード新規作成手続きに出かけた。

 驚いたことに税務署内は、確定申告書を提出する人、その相談をする人、そして我々のように各種手続きをする人たちで、かなり混雑していた。

 我々の要件を処理する部屋で“順番待ち札”を引き、その後窓口での申請書の記入・提出となるのだが。
 その手続きを済ませて待合所に戻ると、既に席が無い。(それ程の混雑ぶりだった。) 
 やむを得ず、私より高齢(とは言えども3歳差なのだが)の亭主を座らせ私は立って本手続きの順番を待っていると。
 しばらくして係員が「本手続きに移ります」との応答と共に、別々のパソコンの前に案内された。
 (一応我が気遣いとして、私はパソコン入力は慣れているが亭主は大丈夫だろうか??)と思いつつ、私は案内されたパソコンの位置についた。  
 この作業、結構入力事項が多かったのだが、まあ2人とも無事に入力完了したと言えよう。

 そして、手渡された「重要事項 ID・パスワード方式の届出完了通知」を受け取り我々は帰宅した。


 さて、本日になり。

 早速私は、まずは自分自身の「確定申告」を開始した。
 これは実にスムーズに終了。

 直後に亭主の「確定申告」を開始したところ。
 いきなり、“パスワードが違う”との趣旨のメッセージが出るではないか!
 そんな訳ないだろ! 昨日届け出を完了したばかりだ!!

 怒り心頭の私は、その旨を「e-Taxヘルプデスク」へ電話を入れた。
 そうしたところ親切な男性が対応して下さり、「私側からパスワードをお聞きする訳には行かないので、登録した税務署へお電話して確認していただけないか?」との返答だった。

 ところが、現在税務署は確定申告時の混乱回避のため、電話での対応をし最小限にとどめていて、我が目的の電話は受付していない。

 亭主ともあれこれ話し合った後の結論として、再び亭主が税務署へ出向くしか方策がとれないだろう、と同意していた。


 午後になり、何故か我が地域管轄の税務署から電話があった。
 
 それによると、昨日わざわざ税務署へ出かけて作成した「ID・パスワードの完了」よりも“後で”。
 税務署係員氏曰く、2月6日に私がパソコンをいじくり回して出しておいた「パスワード変更通知」が届いたのだそうだ。
 その我が提出の「パスワード変更通知」に従って係員氏が変更作業を実施してくれたがために、上記の問題が発生している、との回答だった。 

 その通知書が明日までには届くとの電話だった。

 これ私が推測するに、午前中に私から電話した“e-Taxヘルプデスク”の係員男性が我が住居地管轄の税務署まで、我が電話の要件を伝えて下さったのだと推測する。

 混乱続きの我が家の確定申告だが。
 上記の我が推測が正しければ、今回の税務署対応も十分に“イケてる!”と私は感じる。

 
 さて、改めて税務署からその通知が届くのは、明日2月9日のようだ。

 明後日の午前中は、我がスケジュールが空いているため。
 やっとこさ亭主の確定申告を仕上げて提出できそうだ!

 私自身の確定申告は至って容易であり、本日既にe-Taxにて提出済みだ。

 これで昨年度の税務申告はすべて終了! と思えるだけでも。 
 我が親族の確定申告(及び青色申告)を全面的に担当している私としては、実にさわやかな気分だ!!😃 


年収は、何で決まるか?

2021年12月29日 | 仕事・就職
 昨日の我がエッセイ集にて、“医学部新卒者の9年間地域枠締め付け”問題を取り上げ、私論を述べた。


 本日のエッセイ内容も、 ビジネスマンの報酬を取り上げる内容だが。


 昨日取り上げた「医師」とは対照的に、それ程の高度専門力を身に付けていない“一般的サラリーマン”を対象とした話題となるであろうか。


 早速以下に、「年収は『スキルや努力よりも“今いる場所”で決まる』という残酷な現実 」2021/12/28  と題するネット情報の一部を、以下に要約引用しよう。

 「新卒入社した某転職エージェント事業部で働いていた頃、僕は様々な業界や企業の求人情報と、たくさんの履歴書や職務経歴書を見る機会に恵まれました。そこで、身も蓋もない現実に気づいたのです。それは、年収に与えるインパクトは、個人のスキルや実績という実力より、『業界や事業が成長しているか?』『収益性は高いか?』『会社が人件費についてどう考えているか?』といった外部要因のほうが影響が遥かに大きいということでした」

 そう話すのは、SNS上で転職やキャリアに関する考え方を発信する森山大朗氏だ。 28歳の頃は無職だったにも関わらず、これまで7回の転職を通じてグローバルなプロダクト開発のキャリアを積んできた。 年収を増やすだけでなく、転職マーケットで市場価値が高い領域へと自分をシフトさせてきたという。
 「リクルート在籍当時から僕は、『年収は何によって決まるのか?』と疑問を抱いていました。だから土日もオフィスに行って社内データベースを検索するのが日課だったのですが、ある日、大手電機メーカーで働く30代リーダークラスが年収600万円である一方、大手金融やマスコミの社員は入社数年でその年収を超えているのを見て、不思議でならなかったのです」

 自分なりに傾向を分析した結果、「そもそも個人の年収は、4つの要素のかけ算で決まる傾向が強い」という事実にたどり着いたそうだ。
 「僕は、個人の市場価値は①『業界の成長』②『事業の成長と収益性』③『会社の人件費に関する方針』④『個人の実績』という、 4つの要素のかけ算で決まると考えています。そして、最初のほうになればなるほど、その影響は大きくなります。だからこそ、急成長する企業やマーケットを見つけ、先回りしてポジションをとることが重要だと気づいたのです」

 森山氏はその“仮説”を自ら実践し、どんどん「個人の市場価値」を高めてきた。すなわち、テック領域という急成長マーケットにどんどん自分をシフトさせていったのだ。
 「テクノロジーの発展による社会の変化は誰の目にも明らか。ならばそれを活かして急成長する事業を展開する企業・業界に飛び込み、その成長に自分の成長を“かけ算”する発想をしたほうがいい。これは僕が人一倍、努力をしてきたからではありません。急成長企業に身を置いてきた結果であり、どちらかと言えば場所選びの問題です。事業が急成長する環境で必死に働いているうちに、普通の日系企業では味わえないような成長機会を与えられて、いつの間にか自分も成長できたという感覚です」

 そんな経験をしたからこそ、森山氏は「転職するなら急成長企業、一択だ」と続ける。
 「極論かもしれませんが、『事業は成長がすべて』です。なぜなら、事業は成長しなくても、人は年をとるからです。事業が成長しなければ、会社を支えながら歳を重ねた社員たちに、新たなチャレンジやワクワクするような成長機会を提供できなくなります。社内では限られたポジションのイス取りゲームが始まり、そんな組織に嫌気が指した優秀な人材から離れていきます。だからこそ若手も、経験を積んだベテランも、新たな領域で急成長が始まっていたり、大きく成長するポテンシャルと戦略がある会社を見つけたなら、なるべく早く飛び込んだほうがいいと、僕は思っています」
 
 (以下略すが、以上ネット情報より引用したもの。)



 原左都子の私事と私論に入ろう。

 「転職エージェント」ねえ。

 要するに、バリバリ理系の医学とは真逆の世界なのだろう。

 医学部生の場合、世間でも「偏差値の高い職業訓練校」と揶揄されているがごとく、まさに一歩その学部に入学したものならば、医学専門学問を徹底的に学ぶと同時に、実習また実習の厳しい日々だ。 
 そして就職する直前期に国家試験を受験するのだが、それに合格しないことには「医師」等の医学専門職名称を名乗れないし、まず就業が叶わない。
 それを叶えて就職した暁には、初日からその専門力が容赦なく求められる。

 医学専門職の年収は就職先の如何にかかわらず、ある程度一定であろう。
 故に、上記引用文中に記されているがごとく、「自分の年収は如何に決定するのか!??」と頭を悩ませることもなかったと言えようか。

 ただし原左都子の場合は民間企業へ就職したが故に、医学専門職員としては多少例外的であったかもしれない。
 民間企業故に業界内での「競争」が存在し、それに打ち勝つ努力を日々課せられたのは事実だ。
 私など若くして“係長”に任命された立場でもあり、その業界間競争はいつも視野にあった。
 専門職にして業務の生産性を高める方策を模索したり、また部下に対してその指導をしたりもした。
 (我が所属医学企業は、当時医学同業者の中でも群を抜いて優秀な企業として医療界に名を馳せていたこともあり、報酬は高く、年に9か月のボーナスを全社員に配れる基盤があったものだ。)😁 


 引用文記述者である森山氏が言われるところの。 
「転職するなら急成長企業、一択だ。 極論かもしれないが『事業は成長がすべて』」。 
 これに関しては、確かにその通りであろう。
 
 私が新卒で入社した民間医学企業も、当時未だ創立10周年程の新鋭企業だった。
 当初より「全員参加の経営」を掲げ、毎月「社内報」にて経営データを全社員に公開していた。(とは言えども、非公開の極秘データもおそらく存在したのであろうが。) これを毎月確認することを好んだ私は、それにより「経営学用語」に詳しくなったとの恩恵もある。)
 私が(2度目の大学受験を目指し)退社する頃に東証二部上場を果たし、その後一部上場も叶え、今となっては押しも押されぬバリバリ国内トップ医学企業に発展している。
 医学関係新卒者にとって、今となっては入社難関企業とも言われている。


 
 最後に表題の「年収は、何で決まるか?」に話題を移そう。

 もちろん、元々の職業・職種間での年収格差が存在するのは、社会構造上自明の理であろうが。

 確かに、新卒時点とは言えども、如何なる学部出身者であろうが。
 社会や業界構造にも興味を持って就職活動を成す姿勢が、自身の高年収ゲットに繋がるとのことではなかろうか?


職場では「圧倒的成果を出す」人材でありたい!

2021年12月19日 | 仕事・就職
 冒頭から、今朝方見たネット情報の一部を以下に引用しよう。



 「優秀なのに雑用まみれの人」と「平凡なのに圧倒的成果を出す人」の根本的な違い

   2021/12/19 06:00


リモートワーク、残業規制、パワハラ、多様性…リーダーの悩みは尽きない。多くのマネジャーが「従来のリーダーシップでは、もうやっていけない…」と実感しているのではないだろうか。
そんな新時代のリーダーたちに向けて、認知科学の知見をベースに「“無理なく”人を動かす方法」を語ったのが、最注目のリーダー本『チームが自然に生まれ変わる』だ。
部下を厳しく「管理」することなく、それでも「圧倒的な成果」を上げ続けるには、どんな「発想転換」がリーダーに求められているのだろうか? 同書の内容を一部再構成してお届けする。
「雑用こそリーダーの役目だ」
という考え方のワナ
 個人にせよ、チームにせよ、内部モデル(=ものの見方)そのものを大きく変更しない限り、行動に変化は起こらない。いくら「努力」や「意識」によって行動を変えようとしても、「元どおり」になろうとする心理的ホメオスタシスが働くからだ。
 そこでカギになるのが「真のWant to」をベースにしたゴール設定だ。「心の底からやりたいこと」を見極めるときには、「Have to(=やりたくないけれど、やらねばならないと思っていること)」を洗い出し、それを捨てることが必要になる。 

「すぐサボろうとする人」と「ずっと努力できる人」の根本的な違い

 実際に決断を下せたら、実際にそれらを手放していこう。
 「捨てる」というより「任せる」と言ったほうがいいかもしれない。
 とくにリーダーの立場にある人は、つい「誰の仕事でもない雑務」を膨大に抱えがちだ。
 そのため、チームのなかの誰よりもHave toにまみれた状態になってしまう。
 自分で仕事を抱え込むのではなく、ほかに任せられる人はいないかを積極的に検討しよう。
 なんでもかんでも、メンバー任せにすればいいということではない。
 とくに軸にすべきなのが「得意かどうか」という観点だ。
 ある特定の業務が苦手なら、それが得意な部下や仲間に権限委譲するようにしてみよう。
 その分、リーダーはHave toから解放されるし、メンバーもWant toに近い領域で能力を発揮できるようになる。
 結果的にチーム全体のセルフ・エフィカシー(自己効力感)の向上にもつながるはずだ。
「人にあっさり任せてしまう」という傾向は、卓越した才能を持つ起業家にはよく見られるものだ。
「自分は何でもできる」と思っている起業家は意外と少ない。
 むしろ優秀な人ほど、「チームの力を借りないと自分は何もできない」と自覚している。
 だからこそ、誰かに丸投げしてしまうことにためらいがないのだ。
 逆に、雑務を抱え込んでしまうリーダーは、心のどこかで「自分はこれが得意なのだ」「自分のほうが優秀なのだ」と思ってはいないだろうか?
 しかし、雑務処理やトラブルシューティングにしかエフィカシーを感じられないリーダーは、結果的にはチーム全体のエフィカシーを低下させることになる。
 リーダー自身がHave toを振り切って、Want toに向かって突き進む姿勢を見せる必要がある。
 仕事を任せる先は、人間だけとはかぎらない。いまやAI(人工知能)などの精度もかなり上がっているからだ。
 しかも現代においては、業務のまるごと全部をAIで代替する完全なオートメーションよりは、ワークフローの一部にAIを組み込んで人間との協働を果たす「ヒューマン・イン・ザ・ループ(Human-in-the-Loop)」のようなモデルが一般的になっている。
 このトレンドがさらに加速していけば、人々が抱えているHave toは、ますます手放しやすくなっていくだろう。

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)




 原左都子の私事と私見に入ろう。

 バックナンバーにて再三述べているが。

 私は新卒にて入社した医学関係企業にて、女性としては社内トップバッターともいえる早期に所属部署の係長に任命された身だ。

 上記文章を読んで、その頃の我が業務の様子が我が脳裏に走馬灯のように蘇ったのだが。

 私の場合は、決して「平凡」との言葉が似合うような人材ではなかったと自己分析するが、とにもかくにも「圧倒的成果を出す」ことには、職場長としてこだわりがあったタイプだ。
 (だからこそ、部下から「貴方が嫌いです!」と直言されたのだろうが。)
 
 「雑用こそリーダーの役目だ」。
 これもその通り!と言いたいところだが、私の場合、雑用を効率的にこなすのも得意技だったかもしれない。 とにかく、業務の優先順位を精査しては(元々共同作業が嫌いな私としては)自分一人でがむしゃらに頑張った記憶がある。 それを実行するのも快感で、誰の助けが無くとて単独ですべてを成し遂げた自負もあるなあ。 

 いやもちろん、職場のリーダーには“多角的視野”も必須であることは心得ていて、自分の仕事をあえて部下に回すとの配慮にも心がけた。

 一番の痛手だったのは私が私的事情で有給休暇を取った日に、部下に業務上のミスをやらかされたことだ。
 この事件に関しては、“職場長の監督不行き届き”との事で、係長の私に全責任がのしかかってきて「始末書」を提出する事態となった。
 当該事件は今尚鮮明に記憶しているが、確かに直属上司である課長のおっしゃる通り!と判断して、始末書を書いたものだ。 何分、医学分野の仕事のため、少しのミスが患者の命取りともならない厳しい職種だ。 それを改めて実感させてもらえた「始末書」騒動だった。
 
 上記引用文章内にある、「なんでもかんでもメンバー任せにすればいいということではない。 とくに軸にすべきなのが“得意かどうか”という観点だ。」
 これに関しても異論があるなあ。
 豪語させてもらうならば、私の場合如何なる業務に関しても部下より自分自身が卓越している、との(あくまでも“若気の至り”の)自負があったものだ。
 例えば、本業の医学に加えて “コンピュータプログラミング”の業務も発生した。 これとて、医学部時代にその実習を終えていたのは私のみであり、結局係長である私がそれを担当することになった。
 これに関して付け加えさせてもらうならば。 本業である医学分野に関する仕事であるならば、私とて部下に任せたことであろう。
 ところが、こと医学分野以外の業務に関しては、出来る者がやる!との私の判断は正しかったと振り返る。


 上記引用文章の中で興味深いのは。
 「仕事を任せる先は、人間だけとは限らない。いまやAI(人工知能)などの精度もかなり上がっているからだ。」

 まさにその通りであろう。
 その意味では現在の職場の上司が果たす役割も、大いに移り変わっていることだろう。

 いま現代の、時代がすっかり変遷した職場でリーダーを経験してみたかったものだなあ。


雇用形態における “メンバーシップ型” v.s. “ジョブ型”

2021年11月21日 | 仕事・就職
 またまたしつこくも、朝日新聞「書評」ページよりの引用です。

 
 それでは早速、朝日新聞2021.11.20付 濱口桂一朗氏著「ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機」に対する、慶応大学経済学教授 坂井豊貴氏による書評「職場の椅子ごとに『値札』が付く」を、以下に要約引用させていただこう。

 日本では通常、雇用契約が職務に記載されない。 その組織で働くことが書かれているだけで、どんな職務に就くか分からない。 それは使用者の命令によって定まる。 こうした契約を「メンバーシップ型」という。 これと対照的なのは職務が記載されている「ジョブ型」だ。
 ジョブ型の募集とは、基本的にすべて欠員募集である。そしてジョブ型の契約に書かれた職務が、組織で不要となったときには解雇が起こる。 そもそも契約上、組織は労働者に記載された職務以外を命じることができないからだ。 一方、メンバーシップ型だと、他の職務への異動可能性がある限り、解雇は正当となりにくい。 このことは日本の長期雇用制度慣行を導いてきた。
 ではメンバーシップ型の方が労働者にやさしいのかというと、そういうわけでもない。 残業や配置転換の拒否を、懲戒解雇の理由として認めてきた。これはジョブ型が通常の社会では信じられないくら厳格な判断だ。 なお日本以外の国はジョブ型の雇用が通常だが、そのうちアメリカを除くと、相応の解雇規制がある。
 メンバーシップ型の雇用に親しんでいると、「ジョブ」の概念をつかみにくい。 それは値札が付いた椅子のようなものなのだ。 誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる。 そして会社の分割や事業売却で椅子が別の会社に移ると、そこに座っている人も自動的に移る。 労働者は会社に属しているというより、その椅子に座る権利を有しているのだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)


 今回の「書評」内の議論に関しては、原左都子としては実にとっつきやすい。

 というのも私め原左都子は、現役時代には一貫して“ジョブ型”雇用しか経験していない故だ。 要するに、雇用契約書に「職務」が明確に記載されている職種のみにしか就業経験が無い。

 まず最初は、医学部卒業後「臨床検査技師」国家資格取得を条件に民間医学関連企業に採用され、即戦力で細胞性免疫分野の研究開発・実務を経験した。 その後、本社に人事異動して、教育課にて社員に医学教育を実施したり、医学専門書を執筆した後、自らの意思で退社した。

 2度目の大学・大学院修士課程にて「経営法学修士」取得後、今度は公立高校へ高校教諭として就業したのだが、これも教職「社会」「商業」免許を取得していることが必須の採用だった。 

 あるいは、番外編として。
 私には2度目の大学時代の夜間に「コンパニオン」の職務経験があるが。 
 これなども、厳しい面接試験にて“それに耐えうる外見や所作力”を備えていることを条件として採用されたため、“ジョブ型”採用だったと言えよう。

 
 という訳で、原左都子には残念ながら“メンバーシップ型”にての雇用経験が無い。

 我が亭主に関しても“然り”であるし、はたまた我が娘も同様に専門職にて企業に採用されている。

 もっと言うならば、既に他界している我が父も専門資格を取得して就職していた。
 あっ、そうそう。 我が実母がもしかしたら“メンバーシップ型”での採用だったのかな。 そうだとしても公務員として就業していたため定年まで職務をまっとうし、何らの不都合もなく老後を過ごしている。

 という訳で、我が親族周囲を見渡しても“メンバーシップ型”就業の弱点を語る材料が何も無いなあ。
 (そういうのって遺伝かもしれない、などとも思えてきた。 親が資格を取得してそれを就業に活かしていたら、子供もそれを真似るのかな??)


 上記書評内に、以下の記述があるのを繰り返そう。

 メンバーシップ型の雇用に親しんでいると、「ジョブ」の概念をつかみにくい。 それは値札が付いた椅子のようなものなのだ。 誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる。 そして会社の分割や事業売却で椅子が別の会社に移ると、そこに座っている人も自動的に移る。 労働者は会社に属しているというより、その椅子に座る権利を有しているのだ。

 特に、「誰がそこに座ろうがその値札通りの賃金が支払われる」。
 メンバーシップ型雇用体系における、この記述が一番気がかりだ。

 そんな時代は既に退廃しているのに。 
 専門力に欠ける学生が未だその“メンバーシップ型”の“蜜”に引っかかってしまっている現状を。
 私は憂える…
 

「霞が関を避ける 東大生」、 それぞ世の進化だ!

2021年06月20日 | 仕事・就職
 (冒頭写真は、東大赤門。 朝日新聞記事より転載。)


          
 こちらは、霞が関。 同じく朝日新聞記事より転載したもの。


 朝日新聞2021.06.18付夕刊の一面トップは、「霞が関を避ける東大生」と題した記事だった。

 近頃、東大生の「国家公務員総合職試験」の受験率及び合格率が大幅に下がっているとの報道に接する機会が多かった。
 私見としては、せっかく国家官僚になったとて、安倍や菅の口裏合わせをさせられた挙句、“記憶にございません”等々国会答弁で虚偽答弁をさせられたり、かたくななまでに口を閉ざさざるを得ないし、挙句の果てに有罪判決で若くして葬り去られてしまう…
 そんな仕事に誰が就きたいかと、誰しも考えることだろう、 と気の毒に思ったりしていたところだった。


 早速、当該朝日新聞記事を、以下に要約引用しよう。

 「就職を本格的に考えた始めた時、官僚は『ないな』と思った」と、そう話すのは東大文学部4年のYさん。 2年生時点では、将来は官僚も考えていたが、終活で彼が内定を得たのは外資系コンサルティング企業だった。 「官僚は労働環境が『ブラック』で、給料の面でも報われない」

 一旦私見だが、今や官僚との職種とは『ブラック』とまで揶揄されているんだねえ…
 政治家の意向や不祥事に振り回され、メディアの批判にさらされる。「おかしなことがあっても上司の命令に逆らえず、組織の自浄作用が働いていない」
 まさに、こんな職場を『ブラック』と表現するより他に無いことだろう。

 朝日新聞記事に戻るが。
 今現在尚、中央省庁で事務方トップである13人の事務次官は東大卒が11人を占める。 ただ、時代は変わっている。
 総合職の春の合格者のうち、東大出身者の全体に占める割合は、2015年には459人(26,6%)だったが、20年度には249人(14,5%)に落ちた。
 「激務なのに働き方改革が進まない。官僚になるには『戦地へ向かう意気込み』が必要であるかのように見えている。」こう指摘する人物もいる。
 一方で、「若い世代は『今後の日本は落ちていくだけ』という感覚がある。 年功序列で給料が上がって安定するモデルを信用できず、若い頃からお金を稼ごうとなっている」
 こうした「新たな安定」志向から、実力次第で高収入が見込める外資系コンサルなどの人気が高まっている。
 「社会に貢献したい」という東大生の受け皿として、霞が関が選ばれなくなった専門家2人はみている。

 (ずっと飛ばして、霞が関側からすれば)
 出身大学がどうあれ、優秀な若者を確保するためには、霞が関の働き方を持続可能なものに更新することが欠かせない。

 (以上、朝日新聞2021.06.18夕刊記事より一部を引用したもの。)



 と、ここまで朝日新聞記事を要約引用してきて気付いたのは。
 
 これって、(東大に限らず)文系学生特有の課題なのであろう。
 元々医学部出身(あるいは後に高校教諭職も経験した)私にとっては、一生縁がない話だ。
 “偏差値の高い職業訓練校”と揶揄されている医学部出身者が、まず「国の官僚」を目指す訳もない。 学生時代に徹底的に医学専門学力と技術力を叩き込まれ、国家試験に合格し、“即戦力”として医学分野の職場に送り出されるのが通常だ。
 そんな人生が“恵まれている(いた)”のか、と今更ながら思えてきたりもする。


 それにしても「国家官僚は“ないな”」との発想が出始めた今の時代に東大を卒業し社会進出していく今後の東大生は、もしかしたらそれはそれで恵まれているのではないか、と私など思うのだが。

 これも近年安倍や菅が政治家として愚かな行動を繰り広げてきた事実に対する、自然の成り行きでありそうにも我が目には映る。

 この現象を“進化”と捉え、どうか東大生のみならず何処の学生達も将来の職業選択に際し、自身なりの夢を抱きつつ挑んで欲しいものだ。