原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

五千年の歴史を眺めたピラミッド

2008年05月03日 | 旅行・グルメ
 前回の記事、エジプト、ギリシャ方面旅行記の続編になるが、今回の記事ではエジプトのピラミッドについて綴ることにしよう。

 エジプト観光と言えば、何と言っても“ピラミッド”と“スフィンクス”がそのハイライトであろう。

 そのうち今回の記事ではピラミッドを取り上げ、その五千年の歴史やなぜピラミッドは崩れないのかなどの謎について、現地エジプト人ガイドさんの説明等も交えて綴ることにしよう。
(写真を複数枚掲載することにチャレンジしたのだが、不慣れゆえにどうしても掲載不能なため、背景に少しピラミッドも写ったスフィンクスの写真1枚でご勘弁願おう。)

 今回のエジプト観光で出会った現地のガイドさんは、国立カイロ大学日本語学科出身で日本での生活も長く日本語がペラペラ、加えて、博学でエジプトに関する知識が豊富な方でいらっしゃったため、十分な説明を伺うことができた。


 “ピラミッド”とは、エジプトや中南米などに見られる四角錐状の巨大建造物の総称である。
 古代エジプトにおけるピラミッドとは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物であり、単体として完成したものではなく、付随する葬祭殿などとの複合体として考えるべき特徴を持つ。

 元々この建造物は「ピラミッド」とは呼ばれておらず、建造後千年も経過してからそれをみたギリシャ人によって、自分達が食べている「ピラミス」というパンに似ていることからこの名前が付けられたそうである。

 このピラミッドがどんな目的で建造されたかについては、何も記録が残っておらず現在なお謎の部分が多く、学説にも諸説が存在するようである。近年まで奴隷が築いた王の墓という説が有力であったが、現在ではこの説は否定され、農閑期に自由身分の農民らの労働者によって築かれた公共事業であったという説が定説となっている。
 ピラミッドの使用目的についても、天文台、食料倉庫などの諸説があるが、これも未だ謎のままであるらしい。
 
 数多いエジプトのピラミッドの中でも一番有名なのは、ナイル川を挟んで首都カイロの対岸にあるギザの三大ピラミッドである。すなわち、エジプト古王国時代の紀元前2550年頃に造営されたとされる、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つのピラミッドである。 今回の我々の旅行でも、この三大ピラミッドとスフィンクスを観光した。(ピラミッドを見ながら、らくだにも乗ったけどね。これはシートベルトもないし、落ちたら大怪我をしそうで下手な遊園地の乗り物より怖い!)このうち、クフ王のピラミッドは世界最大の大きさを誇り、底辺は各辺230m、高さ146m(現在は多少低くなっているらしいが。)に達する。

 クフ王の息子のカフラー王、またその息子のメンカウラー王の順にピラミッドは小型化されている。世界のピラミッド研究者の間では王家代々のピラミッドの縮小化の理由は謎とされ、これまた諸説が存在する。今回の現地エジプト人ガイドさんの解説によると、エジプトでは古代から現代に至るまで、イスラム教の教えにより親を敬う国民性が根強いため、子は親より小さなピラミッドを造って親を尊んだのだと現地では語り継がれているとのことである。


 ピラミッドに関する話はまだまだ盛り沢山なのであるが、写真も現在の私のキャパシティでは1記事に1枚しか入れられないため、今回はここまでにしよう。
 次回、ピラミッドは五千年の歴史に耐えてなお崩れずに原型を留めている理由等につき、仮説検証をしてみることにする。 
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