これは誰が考えても、「はい皆さん、中止と言ったら中止ですよ!」と国民に結論だけを押し付けて済ませられる問題では決してない。
民主党のマニフェストに従って、与党政権が建設中止を明言している群馬県長野原町の八ッ場ダム建設予定地を前原国土交通省大臣が視察に訪れたところ、地元住民は意見交換会への出席を拒否したとの報道である。
「一番怖いのは“マニフェストに書いてあるから”と、一言で切り捨てられることだ。」 長野原町の高山町長は新政権発足早々の9月16日からそのように懸念していた。 町長の懸念通り、前原氏の国土交通大臣就任直後の「建設中止」の大々的発表により、八ッ場ダムは一言で切り捨てられる形となってしまった。
ここで、八ッ場ダム建設をめぐる国と地元住民との50余年に及ぶ確執の歴史を振り返ってみよう。
治水と利水を兼ねる八ッ場ダム建設計画が発表されたのは1952年のことである。
このダムが当初計画通りに完成することにより全国的に名高い川原湯温泉街をはじめ340世帯が水没し、名勝吾妻峠に建設されるためその水没による観光資源の喪失も心配された。 ダム建設による固定資産税の還元が地元ではなく下流の別の自治体の利得となることや、首都圏への利水のために水没地に住む住民が犠牲になる等々の理由により、地元住民の間ではダム建設断固反対の声が多く上がり、長期に渡り反対運動が展開されてきた。
この間、利根川上流ダム群の中核となるダム建設計画が激しい反対運動によって頓挫する中、行政側は地元の生活再建をダム着工の絶対条件とし、生活再建策を次々と打ち立てた。
昭和40年にはダム建設予定地を600m上流に移動させることを表明し、観光スポットの水没を避ける修正案を提示した。
その結果、1992年にダム建設協定書が行政と地元自治体の間で締結されるに至った。2001年には長野原町内のダム事業用地を買収する際の価格を決める補償基準が妥結している。
しかしながら、この補償基準妥結後地域から流出する住民は後を絶たない。国が造成する移転代替地が完成するまで相当の時間を要することや、その分譲価格が地元の人が期待したほどには安くなかったことがその要因である。
そのような地元住民の犠牲の一方で、八ッ場ダムは日本のダムの歴史上最も高額なダム計画となり、ダムの恩恵を受けるとされてきた利根川下流の住民の一部から「無駄な公共事業」との批判が起こり、2004年には公金支出の差し止めを求める住民訴訟が一斉提訴された。 この提訴は、長年の苦悩を経て地元が建設受け入れの結論を出したことに水を差したこととなり、地元の反感も生んでいる。
このような流れの中、今回民主党が総選挙のマニフェストとして八ッ場ダム建設中止を掲げ、国土交通省がマニフェストの実行に踏み切っている現状である。
(以上、Wikipediaより要約引用)
ここで突然私事になり恐縮だが、我が身内の実家が昔から所有している宅地の大部分が不運にも幹線道路計画によりその用地と重なってしまった挙句、その後長期間に及ぶ道路建設“凍結”のあおりを受けて難儀している話を以下に紹介しよう。
老朽化した家屋を新築に建て替えたいのだが、宅地の建設予定地制限によりそれが叶わない。やむを得ずリフォーム(今の時代の家一軒丸ごとのある程度満足できるレベルの大々的リフォームとは、新築するよりも大幅に価格が高いことを皆さんはご存知であろうか? しかも道路計画“凍結”の現状においては何の補償もない実態である)という中途半端な手立てを取らざるを得なかったのだが、今後そこに住む予定のない私でさえこの理不尽さの怒りをどこにぶちまけたらいいのか、歯がゆさが隠せなかったものである。
しかももっと厳しい現状は、道路建設計画凍結期間が今後一体いつまで続くのか未だに計り知れないことである。(新与党さん、時既に遅しですが、なるべく早い時期に道路計画の結論を出して地域住民が抱えている理不尽な思いに応えて下さいね。)
このように、一旦公共事業の建設予定地に不運にも引っかかってしまったならば、当該地域住民は何十年もの期間“針のむしろ”状態を余儀なくされることを私も実感として捉えることが出来るのだ。
今回の八ッ場ダム建設中止の決定に関しては、民主党が選挙戦で掲げたマニフェストを 「ほら、こんなに守ってるよ! ほら、ほら!!」 とのごとく国民に宣伝、吹聴する以前に新与党政権が最優先に成すべきことは、地元住民に対する配慮だったはずだ。
八ッ場ダム建設中止においては、その他の懸念点も数多く存在する。
ダム建設中止により利水で恩恵を被る下流の自治体への負担金返金補償や、地元住民への生活補償額は、工事を続けるよりも財源がかさむとの試算もある。 それでも無駄な公共事業は廃止するのが新与党の公約でもあろうが、それによってさらなる財源を食い潰してしまっては元も子もないであろう。
新政権与党が今後ダム建設を推進する訳はないであろうが、ダム建設推進による自然破壊やそれに伴うエコ問題も派生していたはずである。それらを排除するのも今回の建設中止の論点の一つであろうと思われるが、その辺の実態調査に基づいた国民への正確な情報提供も事前に要するのではなかったのか?
あっちを立てればこっちが立たないことは世の常であることを肝に銘じつつ、四方八方への折り合いを付けつつ慎重に対応して欲しいものだ。その辺が国会議員に期待されるキャパシティではないのか??
新与党政権がその実行力を国民にアピールしたい焦る気持ちが分からなくもないが、様々な立場にある国民の希望を何でも叶える“ミラクル政権”など、古今東西存在し得るはずもないことを肝に銘じて欲しいものだ。
今回の総選挙で圧勝したからといって、民主党当選者が皆スーパーマンにでもなったとはまさか勘違いはしていないであろうが、今後共、どうか真摯な気持ちで新しい日本を築き上げるべく地道に精進して欲しいものである。
P.S.
本記事は八ッ場ダム建設の“是非”についてのオピニオンを展開したものではありません。
熟読下さればお分かりいただけることと存じますが、本記事は、民主党がマニフェストを遵守しているがごとくの国民への“吹聴”を焦るがあまりの、新内閣発足“直後”の「八ッ場ダム建設“中止”」の新与党の取り組みにおける地元住民への配慮に欠ける“勇み足”を戒めようとの趣旨に基づき、私論を展開したものです。
本記事の今後のコメント対応におきましては、“新与党の勇み足”に関する内容のものだけに返答を限定させていただきたく存じます。 特に“八ッ場ダム建設の是非そのもの”に関するコメントにつきましては、今回の私どもの記事はそれに関する私見を論じた内容ではございませんので、ご容赦いただけましたら幸いです。
原左都子 9月25日 記
民主党のマニフェストに従って、与党政権が建設中止を明言している群馬県長野原町の八ッ場ダム建設予定地を前原国土交通省大臣が視察に訪れたところ、地元住民は意見交換会への出席を拒否したとの報道である。
「一番怖いのは“マニフェストに書いてあるから”と、一言で切り捨てられることだ。」 長野原町の高山町長は新政権発足早々の9月16日からそのように懸念していた。 町長の懸念通り、前原氏の国土交通大臣就任直後の「建設中止」の大々的発表により、八ッ場ダムは一言で切り捨てられる形となってしまった。
ここで、八ッ場ダム建設をめぐる国と地元住民との50余年に及ぶ確執の歴史を振り返ってみよう。
治水と利水を兼ねる八ッ場ダム建設計画が発表されたのは1952年のことである。
このダムが当初計画通りに完成することにより全国的に名高い川原湯温泉街をはじめ340世帯が水没し、名勝吾妻峠に建設されるためその水没による観光資源の喪失も心配された。 ダム建設による固定資産税の還元が地元ではなく下流の別の自治体の利得となることや、首都圏への利水のために水没地に住む住民が犠牲になる等々の理由により、地元住民の間ではダム建設断固反対の声が多く上がり、長期に渡り反対運動が展開されてきた。
この間、利根川上流ダム群の中核となるダム建設計画が激しい反対運動によって頓挫する中、行政側は地元の生活再建をダム着工の絶対条件とし、生活再建策を次々と打ち立てた。
昭和40年にはダム建設予定地を600m上流に移動させることを表明し、観光スポットの水没を避ける修正案を提示した。
その結果、1992年にダム建設協定書が行政と地元自治体の間で締結されるに至った。2001年には長野原町内のダム事業用地を買収する際の価格を決める補償基準が妥結している。
しかしながら、この補償基準妥結後地域から流出する住民は後を絶たない。国が造成する移転代替地が完成するまで相当の時間を要することや、その分譲価格が地元の人が期待したほどには安くなかったことがその要因である。
そのような地元住民の犠牲の一方で、八ッ場ダムは日本のダムの歴史上最も高額なダム計画となり、ダムの恩恵を受けるとされてきた利根川下流の住民の一部から「無駄な公共事業」との批判が起こり、2004年には公金支出の差し止めを求める住民訴訟が一斉提訴された。 この提訴は、長年の苦悩を経て地元が建設受け入れの結論を出したことに水を差したこととなり、地元の反感も生んでいる。
このような流れの中、今回民主党が総選挙のマニフェストとして八ッ場ダム建設中止を掲げ、国土交通省がマニフェストの実行に踏み切っている現状である。
(以上、Wikipediaより要約引用)
ここで突然私事になり恐縮だが、我が身内の実家が昔から所有している宅地の大部分が不運にも幹線道路計画によりその用地と重なってしまった挙句、その後長期間に及ぶ道路建設“凍結”のあおりを受けて難儀している話を以下に紹介しよう。
老朽化した家屋を新築に建て替えたいのだが、宅地の建設予定地制限によりそれが叶わない。やむを得ずリフォーム(今の時代の家一軒丸ごとのある程度満足できるレベルの大々的リフォームとは、新築するよりも大幅に価格が高いことを皆さんはご存知であろうか? しかも道路計画“凍結”の現状においては何の補償もない実態である)という中途半端な手立てを取らざるを得なかったのだが、今後そこに住む予定のない私でさえこの理不尽さの怒りをどこにぶちまけたらいいのか、歯がゆさが隠せなかったものである。
しかももっと厳しい現状は、道路建設計画凍結期間が今後一体いつまで続くのか未だに計り知れないことである。(新与党さん、時既に遅しですが、なるべく早い時期に道路計画の結論を出して地域住民が抱えている理不尽な思いに応えて下さいね。)
このように、一旦公共事業の建設予定地に不運にも引っかかってしまったならば、当該地域住民は何十年もの期間“針のむしろ”状態を余儀なくされることを私も実感として捉えることが出来るのだ。
今回の八ッ場ダム建設中止の決定に関しては、民主党が選挙戦で掲げたマニフェストを 「ほら、こんなに守ってるよ! ほら、ほら!!」 とのごとく国民に宣伝、吹聴する以前に新与党政権が最優先に成すべきことは、地元住民に対する配慮だったはずだ。
八ッ場ダム建設中止においては、その他の懸念点も数多く存在する。
ダム建設中止により利水で恩恵を被る下流の自治体への負担金返金補償や、地元住民への生活補償額は、工事を続けるよりも財源がかさむとの試算もある。 それでも無駄な公共事業は廃止するのが新与党の公約でもあろうが、それによってさらなる財源を食い潰してしまっては元も子もないであろう。
新政権与党が今後ダム建設を推進する訳はないであろうが、ダム建設推進による自然破壊やそれに伴うエコ問題も派生していたはずである。それらを排除するのも今回の建設中止の論点の一つであろうと思われるが、その辺の実態調査に基づいた国民への正確な情報提供も事前に要するのではなかったのか?
あっちを立てればこっちが立たないことは世の常であることを肝に銘じつつ、四方八方への折り合いを付けつつ慎重に対応して欲しいものだ。その辺が国会議員に期待されるキャパシティではないのか??
新与党政権がその実行力を国民にアピールしたい焦る気持ちが分からなくもないが、様々な立場にある国民の希望を何でも叶える“ミラクル政権”など、古今東西存在し得るはずもないことを肝に銘じて欲しいものだ。
今回の総選挙で圧勝したからといって、民主党当選者が皆スーパーマンにでもなったとはまさか勘違いはしていないであろうが、今後共、どうか真摯な気持ちで新しい日本を築き上げるべく地道に精進して欲しいものである。
P.S.
本記事は八ッ場ダム建設の“是非”についてのオピニオンを展開したものではありません。
熟読下さればお分かりいただけることと存じますが、本記事は、民主党がマニフェストを遵守しているがごとくの国民への“吹聴”を焦るがあまりの、新内閣発足“直後”の「八ッ場ダム建設“中止”」の新与党の取り組みにおける地元住民への配慮に欠ける“勇み足”を戒めようとの趣旨に基づき、私論を展開したものです。
本記事の今後のコメント対応におきましては、“新与党の勇み足”に関する内容のものだけに返答を限定させていただきたく存じます。 特に“八ッ場ダム建設の是非そのもの”に関するコメントにつきましては、今回の私どもの記事はそれに関する私見を論じた内容ではございませんので、ご容赦いただけましたら幸いです。
原左都子 9月25日 記