スキンシップを好む人種こそがこの世で末永く幸せに生き長らえるとの持論を、密かに培ってきている私である。
私が何故にバーチャル世界であるネット上での人との付き合いに対し“不信感”に近い感情を抱き続けているかの根底には、生身とネットとの付き合いの決定的な相違点の一つとして「スキンシップ」の有無があるためなのだ。 私の場合「スキンシップ」が不可能なネット世界での人との付き合いに“実体感”を抱きにくいのである。 (この場合の「スキンシップ」には、直接触れるのみならず“アイコンタクト”や“微笑返し”等の間接的接触要素が広く含まれるのだが。)
9月5日(土)朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、スキンシップに関する内容だったのだが、その相談の正直過ぎるとも言える訴えに大いなるインパクトを受け、何だか切ない気持ちになった私である。
それでは早速、66歳無職男性による「妻の体に触れたいのに…」と題する相談を以下に要約して紹介しよう。
私の妻は62歳、私たちの夫婦仲は普通だと思っている。だが、すでに性生活はない。私にとって不満なのは、妻が自分の体に触れられるのを嫌がることだ。一切を拒否されるので、我慢ができなくなる。年齢を重ねると夫婦生活がなくなっていくのは自然の成り行きだとは思っていたが、私には時には妻の体に触れてみたいという性欲のようなものが残っている。この思いはどうすることもできない。かと言って、今さら外で処理しようとは考えられない。思うに、私のような悩みを持っている同じような年齢、境遇の男性、あるいは女性が結構いるのではないかと思う。ただただ我慢するしかないのか。ちなみに、私は男性機能はなくなっている。それなのに、妻に触れたい気持ちを持つのが異常なのか。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より要約引用)
早速私論に入ろう。
何とも深刻な相談である。 触れたい相手がすぐそこに存在するのに触れられない状態、これは大きなストレスと欲求不満が溜まることであろうと、スキンシップ好きな私は身につまされる思いだ。
還暦を過ぎたご年配(今時、大変失礼な表現かもしれないが)の男性が、既に性生活のない奥方に“触れたい”との感情を抱くものだという事実自体を、私は今回の相談で初めて認識した。 加えて、そうであるならばこっそりと要領よく外で処理すればよさそうなものを、この男性の場合、どうやらその思いが一途に奥方に向いているとも感じ取れるのだ。 これが切ない。
片や、奥方は指一本も触れられるのを嫌がっておられるようだ。
この奥方の気持ちは分かる気がする。 女性の場合、男性とのスキンシップと性行為が一体化した流れの中で快感を享受しているのではなかろうか。 この相談者のご夫婦の場合どういった経緯で夫婦生活が消滅したのかは不明だが、もしも奥方からそれを拒否した結果であるならば、その時既に奥方はスキンシップも含めて夫との体のかかわりのすべてを“終焉”しているものと受け取れる。
現在では、セクハラ概念やDV(ドメスティック・バイオレンス)問題が社会に蔓延した結果、スキンシップを嫌がる異性に手出しすることは法的にも犯罪行為となると規定されるに至っている。 たとえ家庭内とは言えども、性行為を拒否する妻に対して夫が強引にその行為に出た場合、「強姦罪」が成立している前例もある程だ。 スキンシップさえをも相手が嫌がれば、それを無理強いすることは犯罪行為となり得るのである。
被害者心理を慮った場合、これらの法規制は正当であると考察できる。
それはそうとして、やはりこの相談者の66歳男性の思いもどうにかしてあげたい気持ちにもなる。
今回の回答者である社会学者の上野千鶴子氏は、回答の最後の方で以下のように述べておられる。(回答の中盤までは略します。) 「触れるのが親密さの証なら、まずあなたと親しくなりたいというサインを妻に送り、過去を反省して、妻と関係を結び直すことです。夫婦であることにあぐらをかいてはいけません。」
う~~~ん。 ちょっとニュアンスが違うように思う。
個人差が激しいのかもしれないが、私の場合は男性と人間関係自体はうまく行っていても、それとスキンシップを続行することとは異次元の問題であるように感じるのだ。
相談者の男性も述べているように、このご夫婦の日常的な面での関係自体は正常に機能しているのであろうと感じる。奥方もご主人をパートナーとしては認めているのだけれども、ただただ、スキンシップは勘弁して欲しいだけの話ではないのだろうか。
要するに、特に男女関係に絞り込んだ場合は、人間関係とスキンシップは“別物”という場合もあり得るのではなかろうか。
回答者の上野氏は、相談者男性のスキンシップ願望が単なる「触れたい欲」に過ぎないのならば、解決策は簡単だとも述べている。 自分の小さい孫だのペットの犬猫だのに触れたり抱きしめたりすれば済む問題であろうと回答されている。 相談者男性の欲求がその程度のスキンシップ欲求であるならば、それで解決可能であるとも言える。(それにしても、孫や犬猫の迷惑も考慮するべきであるが。)
夫婦も含めた男女恋愛関係の場合、人間関係とスキンシップが同時進行であることが理想であって、それこそが相手の“肌に触れる イコール 心に触れる”状態であろう。
それにしても、私の場合まだ60歳台の域には達していないため、事の真相は計りかねる。 60歳台以降の熟年夫婦がいつまで性生活を続行しているのかの実態も把握していなければ、既に性生活のない夫婦が必ずしも問題を抱えているとは限らないような気もする。
他方、性生活のない熟年夫婦の一方が実はこの相談者のような欲求不満、ストレスを溜め込んでいるとすれば一つの社会問題とも言えるであろうが、その実態は如何なものであろうか?
「原左都子エッセイ集」の読者の方々には当該年代の男性の方々も多いことと拝察しておりますが、是非ともコメントなどを頂戴できましたら幸いと存じます。
私が何故にバーチャル世界であるネット上での人との付き合いに対し“不信感”に近い感情を抱き続けているかの根底には、生身とネットとの付き合いの決定的な相違点の一つとして「スキンシップ」の有無があるためなのだ。 私の場合「スキンシップ」が不可能なネット世界での人との付き合いに“実体感”を抱きにくいのである。 (この場合の「スキンシップ」には、直接触れるのみならず“アイコンタクト”や“微笑返し”等の間接的接触要素が広く含まれるのだが。)
9月5日(土)朝日新聞別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、スキンシップに関する内容だったのだが、その相談の正直過ぎるとも言える訴えに大いなるインパクトを受け、何だか切ない気持ちになった私である。
それでは早速、66歳無職男性による「妻の体に触れたいのに…」と題する相談を以下に要約して紹介しよう。
私の妻は62歳、私たちの夫婦仲は普通だと思っている。だが、すでに性生活はない。私にとって不満なのは、妻が自分の体に触れられるのを嫌がることだ。一切を拒否されるので、我慢ができなくなる。年齢を重ねると夫婦生活がなくなっていくのは自然の成り行きだとは思っていたが、私には時には妻の体に触れてみたいという性欲のようなものが残っている。この思いはどうすることもできない。かと言って、今さら外で処理しようとは考えられない。思うに、私のような悩みを持っている同じような年齢、境遇の男性、あるいは女性が結構いるのではないかと思う。ただただ我慢するしかないのか。ちなみに、私は男性機能はなくなっている。それなのに、妻に触れたい気持ちを持つのが異常なのか。
(以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”より要約引用)
早速私論に入ろう。
何とも深刻な相談である。 触れたい相手がすぐそこに存在するのに触れられない状態、これは大きなストレスと欲求不満が溜まることであろうと、スキンシップ好きな私は身につまされる思いだ。
還暦を過ぎたご年配(今時、大変失礼な表現かもしれないが)の男性が、既に性生活のない奥方に“触れたい”との感情を抱くものだという事実自体を、私は今回の相談で初めて認識した。 加えて、そうであるならばこっそりと要領よく外で処理すればよさそうなものを、この男性の場合、どうやらその思いが一途に奥方に向いているとも感じ取れるのだ。 これが切ない。
片や、奥方は指一本も触れられるのを嫌がっておられるようだ。
この奥方の気持ちは分かる気がする。 女性の場合、男性とのスキンシップと性行為が一体化した流れの中で快感を享受しているのではなかろうか。 この相談者のご夫婦の場合どういった経緯で夫婦生活が消滅したのかは不明だが、もしも奥方からそれを拒否した結果であるならば、その時既に奥方はスキンシップも含めて夫との体のかかわりのすべてを“終焉”しているものと受け取れる。
現在では、セクハラ概念やDV(ドメスティック・バイオレンス)問題が社会に蔓延した結果、スキンシップを嫌がる異性に手出しすることは法的にも犯罪行為となると規定されるに至っている。 たとえ家庭内とは言えども、性行為を拒否する妻に対して夫が強引にその行為に出た場合、「強姦罪」が成立している前例もある程だ。 スキンシップさえをも相手が嫌がれば、それを無理強いすることは犯罪行為となり得るのである。
被害者心理を慮った場合、これらの法規制は正当であると考察できる。
それはそうとして、やはりこの相談者の66歳男性の思いもどうにかしてあげたい気持ちにもなる。
今回の回答者である社会学者の上野千鶴子氏は、回答の最後の方で以下のように述べておられる。(回答の中盤までは略します。) 「触れるのが親密さの証なら、まずあなたと親しくなりたいというサインを妻に送り、過去を反省して、妻と関係を結び直すことです。夫婦であることにあぐらをかいてはいけません。」
う~~~ん。 ちょっとニュアンスが違うように思う。
個人差が激しいのかもしれないが、私の場合は男性と人間関係自体はうまく行っていても、それとスキンシップを続行することとは異次元の問題であるように感じるのだ。
相談者の男性も述べているように、このご夫婦の日常的な面での関係自体は正常に機能しているのであろうと感じる。奥方もご主人をパートナーとしては認めているのだけれども、ただただ、スキンシップは勘弁して欲しいだけの話ではないのだろうか。
要するに、特に男女関係に絞り込んだ場合は、人間関係とスキンシップは“別物”という場合もあり得るのではなかろうか。
回答者の上野氏は、相談者男性のスキンシップ願望が単なる「触れたい欲」に過ぎないのならば、解決策は簡単だとも述べている。 自分の小さい孫だのペットの犬猫だのに触れたり抱きしめたりすれば済む問題であろうと回答されている。 相談者男性の欲求がその程度のスキンシップ欲求であるならば、それで解決可能であるとも言える。(それにしても、孫や犬猫の迷惑も考慮するべきであるが。)
夫婦も含めた男女恋愛関係の場合、人間関係とスキンシップが同時進行であることが理想であって、それこそが相手の“肌に触れる イコール 心に触れる”状態であろう。
それにしても、私の場合まだ60歳台の域には達していないため、事の真相は計りかねる。 60歳台以降の熟年夫婦がいつまで性生活を続行しているのかの実態も把握していなければ、既に性生活のない夫婦が必ずしも問題を抱えているとは限らないような気もする。
他方、性生活のない熟年夫婦の一方が実はこの相談者のような欲求不満、ストレスを溜め込んでいるとすれば一つの社会問題とも言えるであろうが、その実態は如何なものであろうか?
「原左都子エッセイ集」の読者の方々には当該年代の男性の方々も多いことと拝察しておりますが、是非ともコメントなどを頂戴できましたら幸いと存じます。