ブログとは「生き物」であるようだ。
ネット上で周辺環境の影響を大きく受けながら、開設以来人間同様に幼年期から少年期、そして思春期へと成長を遂げつつ成熟期に入っていくような感覚がある。
我がブログ「原左都子エッセイ集」が明日(9月6日)2周年を迎えるのであるが、自己分析では既に思春期を経て成熟期に入った印象がある。 日々ただブログを綴り公開して手放しで無邪気に充実感を満喫できた時期は、もう既に通り越したと実感しているためである。
今回の記事では、明日2周年を迎える今現在の我がブログに対するその辺の思いを綴ることにする。
少し古くなるが、7月31日の朝日新聞朝刊「ひととき」欄に、“ブログ「もう1つの庭」”と題する45歳女性の投稿があった。 早速紹介しよう。
最初は友人に反対されたブログの開設だったが、半年を経過した今、自分のブログにさまざまな地域、年代、職業の方が共感やアドバイスを寄せてくれ、一つの記事から沢山の枝葉や花や実が生まれていく。そんなブログは自分にとってもう1つの庭のようだ。友人に、ブログはそんなに悪いモノじゃないよとそろそろ電話してみようかなと思っている。(以上、「ひととき」欄投稿より引用)
開設後半年頃というと、我がブログ「原左都子エッセイ集」は“思春期”と判断する時期で、予想をはるかに上回る面白いほどの反応をザクザクといただきつつ、ノリに乗って次々と記事を綴っていた頃である。
遡って開設当初の幼年期は、どなたのブログもおそらく同様であろうが、ブログ開設を連絡した知人よりチラホラとコメントをいただけるのが関の山である。 当然ながらアクセス数も伸びない中、ネット上に自分のブログを公開したこと自体を感慨深く思いつつ、新鮮な思いでブログを綴っていたものである。
そんな「原左都子エッセイ集」を某ブログコミュニティに登録した直後の少年期頃から、劇的に読者登録数が伸び始めるのだ。 当該ブログコミュニティにおいて人気ブログの地位を築いたのかと思われる「原左都子エッセイ集」は、読者登録をいただいた大勢の皆さんに“チヤホヤ”されることを当然のごとく受け取っていた“栄光の時代”とも表現できる思春期が、その後1年半近く続くことになる。
ただ私自身の内面には、元々抱いているネット世界自体に対する不信感に近い思いや、いただいている人気の“実体感”の乏しさ…、 あるいは、頂戴したコメントにはそのすべてに返答することを我が信条としているのだが、コメント返答に費やす時間で日常生活上支障が出るほどのコメント数の多さ、…… それら諸々を含めた自分自身にとっての今後のブログライフのあり方について、モヤモヤ、イライラした思いが頭を過ぎりつつあった。
我がブログの周辺環境を変えるべきかと思い始めた私に、折りしもその転機が突然やってきたのだ。 半年程前の今年2月に上記のブログコミュニティが運営方針を大幅に転換し、従来のブログの読者登録制度を廃止してブログを介したネット上の友達作りに主眼を置いたのである。 この方針の転換はどう考察しても私のブログライフのあり方にそぐわないと判断した私は、即刻友達申請制度には不参加の立場を取り、そのコミュニティから大きく距離を置くこととなった。 我がブログの読者が激減するであろうことは重々覚悟の上での判断だった。
ところがこれまた時を同じくして、「原左都子エッセイ集」が某ネットニュースのトピックス記事で取り上げられたことにより、一時大ブレイクすることになるのだ。 ある日一日の訪問者数が 3000IP 余りを記録して、 gooブログ の総合ランキング10位に浮上した時には、システム上の桁違いのエラーかと我が目を疑ったものである。
そんな一時の熱気とは直ぐに冷めるのが世の常であるのだが、そのブレイクのお陰で日々ご訪問下さる読者の方々が絶えることなく現在に至っているという有難い現状である。
今となっては距離を置いている上記のブログコミュニティからも、一部の読者の方が昔と何の変わりもなく我がブログをご訪問下さって毎記事にコメントを頂戴したり、別便で温かいメッセージをいただけることは私にとっては何よりもうれしく、この場を借りて日頃の御礼を申し上げたい次第である。
加えてどこからご訪問下さっているのか私自身が把握できないでいるのだが、様々な環境の中で様々な人生を歩んでいらっしゃると想像させていただく方々から、広く私どもの種々のカテゴリーの記事にコメントを頂戴できる現状は、ブログの公開性に鑑みてブロガー冥利に尽きる思いである。
ブログの周辺環境を変えたいと目論んでいた時にタイムリーに偶然が重なったお陰で、我がブログが私自身が目指すべき方向へと自ずと進化していることを実感させてもらえる現在である。
「原左都子エッセイ集」はご覧の通り(一部のカテゴリーを除き)自己のオピニオンを発信し続けているブログである。 その特質として、読者の好き嫌いを呼びやすく敵を作りやすいことも重々心得ている。(どうやら毛嫌いされ敬遠されてしまい、消え去った読者の方々も多数であろうと推測している。)
我がブログがある程度の恒常的な読者数を保持し続けている現在、たかが(私がそもそも好まない)ネット上とは言え、その社会的責任もある程度は頭の片隅に置くべきなのであろう。
それを踏まえた上で、今後も著者である原左都子自身の生き様やポリシーの一部を(ペンネームという匿名の制限の下ではあるが)我がブログに反映し続けたい思いは強い。 そうすることにより“成熟期”を迎えていると自己診断する我がブログの“成熟期”を出来るだけ永らえたい思いでもある。
明日「原左都子エッセイ集」2周年を迎えるにあたり、何はともあれ継続を支えていただいている読者の皆様に心より感謝申し上げる次第である。
ネット上で周辺環境の影響を大きく受けながら、開設以来人間同様に幼年期から少年期、そして思春期へと成長を遂げつつ成熟期に入っていくような感覚がある。
我がブログ「原左都子エッセイ集」が明日(9月6日)2周年を迎えるのであるが、自己分析では既に思春期を経て成熟期に入った印象がある。 日々ただブログを綴り公開して手放しで無邪気に充実感を満喫できた時期は、もう既に通り越したと実感しているためである。
今回の記事では、明日2周年を迎える今現在の我がブログに対するその辺の思いを綴ることにする。
少し古くなるが、7月31日の朝日新聞朝刊「ひととき」欄に、“ブログ「もう1つの庭」”と題する45歳女性の投稿があった。 早速紹介しよう。
最初は友人に反対されたブログの開設だったが、半年を経過した今、自分のブログにさまざまな地域、年代、職業の方が共感やアドバイスを寄せてくれ、一つの記事から沢山の枝葉や花や実が生まれていく。そんなブログは自分にとってもう1つの庭のようだ。友人に、ブログはそんなに悪いモノじゃないよとそろそろ電話してみようかなと思っている。(以上、「ひととき」欄投稿より引用)
開設後半年頃というと、我がブログ「原左都子エッセイ集」は“思春期”と判断する時期で、予想をはるかに上回る面白いほどの反応をザクザクといただきつつ、ノリに乗って次々と記事を綴っていた頃である。
遡って開設当初の幼年期は、どなたのブログもおそらく同様であろうが、ブログ開設を連絡した知人よりチラホラとコメントをいただけるのが関の山である。 当然ながらアクセス数も伸びない中、ネット上に自分のブログを公開したこと自体を感慨深く思いつつ、新鮮な思いでブログを綴っていたものである。
そんな「原左都子エッセイ集」を某ブログコミュニティに登録した直後の少年期頃から、劇的に読者登録数が伸び始めるのだ。 当該ブログコミュニティにおいて人気ブログの地位を築いたのかと思われる「原左都子エッセイ集」は、読者登録をいただいた大勢の皆さんに“チヤホヤ”されることを当然のごとく受け取っていた“栄光の時代”とも表現できる思春期が、その後1年半近く続くことになる。
ただ私自身の内面には、元々抱いているネット世界自体に対する不信感に近い思いや、いただいている人気の“実体感”の乏しさ…、 あるいは、頂戴したコメントにはそのすべてに返答することを我が信条としているのだが、コメント返答に費やす時間で日常生活上支障が出るほどのコメント数の多さ、…… それら諸々を含めた自分自身にとっての今後のブログライフのあり方について、モヤモヤ、イライラした思いが頭を過ぎりつつあった。
我がブログの周辺環境を変えるべきかと思い始めた私に、折りしもその転機が突然やってきたのだ。 半年程前の今年2月に上記のブログコミュニティが運営方針を大幅に転換し、従来のブログの読者登録制度を廃止してブログを介したネット上の友達作りに主眼を置いたのである。 この方針の転換はどう考察しても私のブログライフのあり方にそぐわないと判断した私は、即刻友達申請制度には不参加の立場を取り、そのコミュニティから大きく距離を置くこととなった。 我がブログの読者が激減するであろうことは重々覚悟の上での判断だった。
ところがこれまた時を同じくして、「原左都子エッセイ集」が某ネットニュースのトピックス記事で取り上げられたことにより、一時大ブレイクすることになるのだ。 ある日一日の訪問者数が 3000IP 余りを記録して、 gooブログ の総合ランキング10位に浮上した時には、システム上の桁違いのエラーかと我が目を疑ったものである。
そんな一時の熱気とは直ぐに冷めるのが世の常であるのだが、そのブレイクのお陰で日々ご訪問下さる読者の方々が絶えることなく現在に至っているという有難い現状である。
今となっては距離を置いている上記のブログコミュニティからも、一部の読者の方が昔と何の変わりもなく我がブログをご訪問下さって毎記事にコメントを頂戴したり、別便で温かいメッセージをいただけることは私にとっては何よりもうれしく、この場を借りて日頃の御礼を申し上げたい次第である。
加えてどこからご訪問下さっているのか私自身が把握できないでいるのだが、様々な環境の中で様々な人生を歩んでいらっしゃると想像させていただく方々から、広く私どもの種々のカテゴリーの記事にコメントを頂戴できる現状は、ブログの公開性に鑑みてブロガー冥利に尽きる思いである。
ブログの周辺環境を変えたいと目論んでいた時にタイムリーに偶然が重なったお陰で、我がブログが私自身が目指すべき方向へと自ずと進化していることを実感させてもらえる現在である。
「原左都子エッセイ集」はご覧の通り(一部のカテゴリーを除き)自己のオピニオンを発信し続けているブログである。 その特質として、読者の好き嫌いを呼びやすく敵を作りやすいことも重々心得ている。(どうやら毛嫌いされ敬遠されてしまい、消え去った読者の方々も多数であろうと推測している。)
我がブログがある程度の恒常的な読者数を保持し続けている現在、たかが(私がそもそも好まない)ネット上とは言え、その社会的責任もある程度は頭の片隅に置くべきなのであろう。
それを踏まえた上で、今後も著者である原左都子自身の生き様やポリシーの一部を(ペンネームという匿名の制限の下ではあるが)我がブログに反映し続けたい思いは強い。 そうすることにより“成熟期”を迎えていると自己診断する我がブログの“成熟期”を出来るだけ永らえたい思いでもある。
明日「原左都子エッセイ集」2周年を迎えるにあたり、何はともあれ継続を支えていただいている読者の皆様に心より感謝申し上げる次第である。